欲しがりな手

がたんごとんがたんごとん。
どこか舗装の悪い道を進んでいるのだろう、護送車は耳障りな音に不規則な揺れを伴っている。電灯なんてない暗がりに沈んだボックス型の空間の中、座席に座っているのは宿直シフトであるわたしと縢くんの二人だけ。
鉄錆びたのにおいが立ち込めているのは揃いも揃って頭から血液をまるかぶりしたから。挟みうちした潜在犯に対するエリミネーターのせいだ。
座ったまま足を投げ出していた縢くんが思い出したように、腕にはめている携帯端末を見下ろした。

「……夜明けだ」

小さな、小さな声。
聞き取れたのはきっと隣にいるわたしくらい。

「わかるの?」
「今の時期はこんくらいの時間でしょ」

にべもなく返され、会話はすぐに途切れた。
ああだから端末を見たのか。時刻が表示されるから。当たり前のことにも気づかなかった。
なんだか頭がぼんやりしている。その自覚はあった。いつからかはわからない。縢くんとだべっていた深夜の一係、夜通しまじめにパソコンを見つめる宜野座さん。エリアストレス悪化を告げる警鐘。今夜はすべてが鈍かった。音が景色が感触が感慨もなく淡々と過ぎていった。
だから、言うつもりのなかった事実を口からぽろりと溢してしまったのだろう。

「……怒ってる?」

口にしてから後悔した。
答えなんて、火を見るより明らかだったのに。
後悔を裏づけるように縢くんがふんと鼻を鳴らした。

「怒ってねえよ。ナオちゃんがコウちゃんと付き合ってるって初めて聞いたくらいじゃ俺怒んねえし」
「……怒ってるじゃん」

がたんごとんがたんごとん。
護送車は音を立てて町を疾走していく。
色は見えない。けれど、縢くんの言うように夜と朝の境界を迎えているのなら、空はきっと藍色から薄い紫色に、そしてやさしい橙色へと包まれていくのだろう。

「シフト、コウちゃんと交代すりゃよかった」

二人きりの暗闇、今夜の宿直当番のことを指しているのだろうと彼の若干投げやりな声から察した。

「そこまで仕事にプライベート突っ込まないよ。執行官にプライベートなんてあってないようなものだけど……」
「ばーか。冗談だっつの。なんで言ってくんなかったんだろって、思っただけ。拗ねてんだよ。俺、物分かり悪いガキだからさあ」

どうして縢くんが拗ねるの。とは言えない。
わたしは昔、縢くんのことが好きだった。彼自身にそう告げたこともある。
物分かりの悪いガキだなんて大嘘だ。縢くんは人並み以上に常識も思慮もあって、だからこそ自分の異常な過去に雁字搦めされている。過酷な生い立ちは皮肉にも自身を客観視する冷静な思考を与えたらしかった。
軽口を飛ばす縢くんはいつだって笑っている。時には冷淡に。時には困ったように。時には心の底から。
縢くんの笑った顔が好きだった。


「俺のこと、もう好きじゃねえの?」

思っていたことを見透かされたようなタイミングにぎくりとした。それを悟られないように、慎重に言葉を選ぶ。

「縢くんがわたしのこと振ったじゃん」
「はあ? 俺が? いつ?」
「恋愛よりしてみたいことがたくさんあるから今はンな暇ないって、お酒飲みながら言った」
「……絶対酔って思ってもないこと言ったんだってそれ」
「顔真っ赤だったよ。本気で泥酔してた」

告白した時のことを思い出し、途端に心臓の裏がむず痒く、居心地が悪くなった。縢くん、好きです。空っぽの酒瓶、手作りのつまみ、ほどよい空調、夜の人工的な明るさに、腰を並べたソファが柔らかかったこと。今でも思い出せる。
頬がぼんやりと熱を帯びてきたことを悟り、それを粉らわせるために爪をいじった。意識を『現在』だけに向けようと努力する。熱に浮かされているのは、真っ赤なのは、縢くんでもわたしでもない。潜在犯へ向けた銃口の赤い副産物が、爪の隙間にびっちりと詰まっている。
隣で身じろぎする気配がした。縢くんは足癖が悪いから、心地いい体勢でも探っているのかもしれない。

「ナオちゃん」

耳障りのいいテノールが、少しの棘を持ってわたしの鼓膜に触れる。

「なに?」
「少しだけこっち向いて」

言われるままに視線を隣にスライドさせるより早く、骨張った指に顎をつままれる。
え? ――状況を飲みこむ暇もなく、わたしの目の前には端正なつくりをした縢くんの顔があった。
あっ、睫毛長いなあ、肌きれいだなあ、ちょっと顔色は悪いけれど。なんて、案外冷静に考えながら僅か数センチ先に存在する縢くんを凝視してしまった。

「ナオちゃん、意外とパーソナルスペース狭いね。全然動じねえじゃん」
「はあ。パーソナルスペース?」
「他人に近づかれて不快に感じる空間のこと。……男にこんな距離まで迫られてなんとも思わねえの?」

それとももう俺のこと男として見てねえってことかな。
顎をぐいと持ち上げられる。
この体勢。距離。ことば。……まずいんじゃなかろうか。そう思い至ったときにはすでに逃げ場はなく、上手に縢くんに捕らえられていた。
じ、と縢くんの瞳に見詰められる。

「ねえ、どうなの」

パーソナルスペース。俺のこと。コウちゃんのこと。空っぽの酒瓶。煙草の渇いたにおい。暗闇。夜明け。
いろんなものが頭の中に収集されてとりとめもなく流れていく。好きだって言ったのに。昔。でも今は、今はね、今だって、

「……かがり、くん」

名前を呼んだ。
それだけで縢くんは切なそうに目を細める。
少し動けば簡単にくちびるが触れあうだろう。そんな距離でお互い静止したまま、暗に制止しあっている。
こんなことはだめだと、とっくに思考回路は答えを導いている、のに。

「コウちゃんとはどんなふうにキスすんの? ……教えて」



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