「あの……僕、相坂ナオっていいます。隣の県から越してきました。よろしく、おねがいします……」

語尾が消え入ってしまったのは想定内だ。
対策は考えてなかったけれど。
教壇に立ち尽くしたままナオは室内を見渡した。今日転校してきたばかりの岩鳶高校2年1組の教室で、60個の目玉に一斉に見つめられるというのは緊張以外の何物でもない。
笑えないのに笑いそうになる膝を必死に抑えて、最後にぺこりと頭を下げた。
転校を機にばっさり切ったショートヘアからはみ出してる耳が熱くて熱くてしょうがない。
ああもう帰りたい。



だから転校なんてしたくなかったんだ、と弁当を広げながら思った。
転校3日目。ナオは軽い溜め息をついた。
周りではクラスメイトが各々仲の良い者同士で机をくっつけている。カラフルな弁当箱やお菓子を囲んで昼休憩を満喫している様子が目に入った。
女子と男子で人数は半々といったところだろうか。
ナオは学校指定のスラックスをぎゅっと握りしめた。
それから、口の中で呟く。

(わたしは、……ちがう、僕は、僕、僕……。)

「なあに独り言いってんの?」

突然、目の前に丸くて明るい色彩の瞳が現れた。
驚いて身体を引いた拍子に勢いよく膝を机の裏にぶつけて悶絶する。
「〜〜っ……」無言で机に突っ伏したナオとは正反対に、明るい瞳の持ち主はアハハッと盛大に笑い声をあげた。
……あ、あんたが急に出てくるからだよ。
笑い声に少しだけムッとしながら、けれどまだ慣れていないこのクラスで本音を言えるわけもなく、ナオはただ聞き流そうと努力する。

「ごっ、ごめんねえ、脅かすつもりじゃなかったんだけど。あはっ。そんなビックリするとは思わなくって」

痛みの引いてきた膝を擦りながらナオは顔をあげる。
目の淵に浮かんだ涙をぬぐいながら悪びれもしないのは、ふわふわの金髪頭をした少年だった。
名前は確か、葉月渚くん。
「いい反応するね、君。お化けに怖がるまこちゃんそっくり〜」なんて捲し立てる少年に、ナオは呆気にとられる。
席が近かったので初日に自己紹介をし合ったものの、会話という会話はこれが初めてだ。だというのに旧知の仲であるかのように馴れ馴れしい。しかもまこちゃんなどという知りもしない人物名を共通ワードのごとく使われては反応に困る。
あっ、こいつ、人の話を聞かない奴だ。
そんなフィルターが、加工アプリで選択するように目の前の人物に貼られた瞬間である。

「え、っと」

斜め上に向かった視線がうろうろと泳いだ。
周りは相変わらずそれぞれが昼休憩の最中で、絡まれた憐れな転校生に助け船をくれそうな人物などいない。
そう絶望に暮れた矢先、一人の女の子がぱたぱたとこちらに寄ってきた。

「相坂くん。ごはん食べてるところにごめんね?」
「あ……、うん。いいよ。なに?」
「転校してきてさっそくなんだけど、ウチの高校、来月に体育祭を控えててね。相坂くんは運動好き?」
「僕は……その、」

机のすぐ隣、窓辺から午後の風が吹きこんでくる。スカートがふわりと揺れ、細い髪質のボブヘアーが穏やかに凪ぐ。
女の子は首の辺りに手を置いてはにかんだ。

「急に言ってもびっくりするよね。2年の種目をリストアップしてみたから、出たい競技があったら教えてね」

手書きのルーズリーフを1枚手渡して、女の子は元の輪に戻っていった。
その後ろ姿をぽけっと見つめるナオの耳に、渚は内緒話でもするかのように耳打ちする。

「今のは体育委員の七澤さんだよ。怒らせると怖いから気をつけてね――ナオちゃん」

驚いてバッと身体を捩り、ガツンと膝を打ちつけた。机の裏に。
再び同じ体勢で悶える羽目になったナオを見、渚はけらけらと声をたてた。

「ナオちゃんってば飽きないね!」
「……っ、なんで、ちゃん付けして……っ、僕は」
「なんでって、当たり前でしょお? だって」

こてん、と小鳥のように首を傾げるのは同い年の男子ではなかったか。
なんというか、小動物的な愛らしさに溢れている。そしてそのあざといとしか言い様のない仕草が様になっているのだから質が悪い。
迷いのない瞳。明るくて、まっすぐで、――すぐに見抜かれてしまう。そう直感した。

「ナオちゃん、女の子じゃん」



ピッシャーン。雷でも落ちた気分だ。
わたしは今きっと、多分に、とても変な顔をしていると思う。
この高校に来てよかったと思える点がひとつだけある。それは、男女で制服が指定されてない点だ。女だからってスカートを履くことを強制されない。だから今わたしは、黒いスラックスを両足に通していられる。
ナオちゃん、女の子じゃん。
その言葉が勝手に脳内で繰り返される。
渚くんの声に冷やかしなど混ざっていなかった、と思う。美味しいものをオイシイと言って面白くないものを詰まんないと言うような、その類いの正直な言葉の色を持っていた。
心地好いボーイソプラノは耳を素通りすることなく、わたしの脳に優しく吹きつけた。
いや、とわたしはスラックスを握りしめる。
わたしは、いやいや僕は、こんなことに拘るのはもう辞めたんだ。
女らしいとか男っぽいだとか、そういう他人からの評価に振り回されるのは、もう。

「……あれ? 違った?! おっかしいなあ、僕絶対そうだと思っ」
「待った! ちょっとこっち来て!?」

腕を掴んで引っ張った。
校内のことなんてまだこれっぽっちもわからないけど、とりあえず階段昇ってったら屋上には行けるだろう。
渚くんを連れて教室を飛び出すと、すぐに後ろから困惑の声が聞こえてきた。

「えっ、なんっ……どこに行くわけ?」
「屋上、人がいないとこっ」
「待ってよねえ屋上はぁ……!」

制止する台詞は無視して走った。
二人でリノリウムを踏む音が後ろに流れていく。
まだ慣れない廊下も、初めて見かける人達の顔も、不思議と今は緊張の種にならない。
手当たり次第に階段を昇った先に立て札を見つけた。
わたしははあっと息をついた。赤字で記された文字を読む。……『ここから先立ち入りを禁ずる』。
理解した瞬間、疲れがどっと肩に乗った。

「あ、開いてない……っ」
「だから待ってって言ったじゃん。こっちの校舎の屋上は入れないんだよ。どうしてもってんなら東校舎の屋上があるけど」

階段ダッシュのせいで肩で息をするわたしとは裏腹に、振り返ると息ひとつあがっていない渚くんの姿があった。

もしかして普段から運動をしてる人なのだろうか。見た目は華奢なのに、案外筋肉がついているのかもしれない。
わたしの視線に気づいたらしく渚くんがあはっと笑う。まるでわたしが彼を見詰めていたみたいでばつが悪い。耳が熱くなって、思わず顔を逸らした。「……隠してたわけじゃないんだ」
わたしの言い訳に、渚くんはうん?と首を傾ける。

「だから、僕の……性別。べつに、男だって偽って転校してきたわけじゃない。訊かれたらちゃんと答えるつもりだった。ほんとに」

目の前にある瞳が丸くなる。
それからぱちくりと瞬きをした。

「もしかして、それを言うために僕をここに連れてきたの?」

ん、と小さく頷いた。
実際、幼い頃からよく男の子に間違われたのは事実だ。それは細い体躯や女にしてはやや低い地声のせいだけではない。女の子らしい立ち居振舞いがどうにも苦手な自分自身の質のせいでもあった。
愛想を振りまくとか気を遣うとか、笑うときは口に手をあてるとか座るときは爪先を揃えるだとか、周りから求められる『女の子の像』が窮屈だった。
ままごとよりボール遊びが好きだった。あやとりよりかけっこが好きだった。
友だちが使う『わたし』よりも、遠くを走り抜ける名前も知らない男の子が使う『ぼく』のほうが爽やかだと思った。
……そうしているうちに、いつのまにか今の格好に落ち着いたんだ。
隠しているつもりはない。
心の底から男の子になりたかったわけじゃないけれど、わたしの性に合うから続けている。それだけ。

「渚くんは、どうして僕が女だってわかったの?」

尋ねてみる。
彼は答えに困ったように頬を掻いて、それから軽く咳払いをした。

「屋上はもう諦めたんだ?」
「うん。べつに。人がいないとこならどこでもよかったから」
「ふふ、そっか。僕もね、中学まではよく女の子だって間違われたんだ。でもほら、僕ってちゃんと男だから」

脈絡のない台詞に、はあ、と気の抜けた返事をする。
渚くんは「あっ、信じてないでしょー?!」と頬を膨らませた。
何気ないその仕草がやっぱり、小動物的だ。
思わずくすりと笑ってしまった。

「やっと笑ったね」
「え?」
「ナオちゃん、笑うと絶対可愛いと思ったんだよね。だから女の子かなあって。それだけなんだけどね」

聞き間違いだろうか。
今、なんだかひどく落ち着かない言葉を向けられた気がする。
……かわいい? わたしが?
無意識のうちに、渚くんとほとんど変わらない長さの髪の毛に触れていた。

「あ、照れてる」
「照れてないよ」
「今のそれ女の子っぽい」
「そういう渚くんは、かっこいいよ」
「ほんとに? 僕、わかりにくいけどちゃんと喉仏もあるし筋肉だってあるし」

渚くんは首を反らして喉のあたりを示した。それから腕をまくって力んでみせる。
仕草や言動のわりに男らしい体つきだなと、正直に思った。
「それにほら」見て見て、と渚くんがわたしの手をとる。「ナオちゃんより手が大きい」

「……ほんとだね」
「べつに女の子のカッコしろって言いたいわけじゃないんだよ。僕は気にしないし。むしろ、今のまんまのナオちゃんと仲良くなりたいなあ」

披露してくれた体躯とは一転して、きゅるんとした瞳でこちらを覗きこんでくる。
丸くて形のいい瞳。
迷いがなくて、明るくて、まっすぐで。
この馴れ馴れしさには、きっとこれからも敵わない。
可愛くて男の子らしい、男の子。

「……うん。ありがとう。渚くん」


この高校に来てよかったと思えることがふたつある。
ひとつはスカートを穿かなくて済むこと。あんなに股がスースーする服は落ち着かないから。
もうひとつは、スカート事情なんかと並べたら怒られるかな、けれど正直に思う。
渚くんに、出会えたことだ。



…………
タイトルは某映画からお借りしました

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