最近やたらと寒い。と思っていたら今年一番の寒波なのだと、よく足を運ぶ中華料理店のブラウン管に映るニュースキャスターが言っていた。長年をかけて染みついた油でギトギトする床を音をならして歩き、一人分の会計を済ませて外に出る。12月30日の夜を見上げてみると、肌を刺すように冷たい空気の中、細かな雪がいくつも舞っていた。

「お客さん、どちらまで?」

適当にタクシーを拾って乗り込む。甚爾が驚いたのは斜め前の運転席から聞こえた声が若い女のものであることと、そいつが咥え煙草で堂々と煙をふかしていたことだ。

「タクシーだよな?」
「そうよ。バスに見える?」
「……随分と態度のデカい運転手だな」
「ちゃんと仕事はするわ。で、どこに行きたいの」

紫煙を逃すために開放されている窓から流れこむのは、先ほどブラウン管が報道していた凍てつくような寒気だ。寒いったらありゃしない。目は口ほどに物を言う、まさにそんな視線を無遠慮に向けると、察したらしい女が渋々窓を閉めたが、煙草は相変わらず火をつけたままで、途端に車内が煙たさで満たされる。
自由すぎねぇか、コイツ。
客商売のドライバーらしからぬ態度に一瞬面食らいはしたが、高くもなく低くもない温度で仕事に取りかかる姿をさほど不快には思わなかった。
目的地の住所を伝えるとタクシーはスムーズに夜道を走り出した。



夜景が後ろへと流れていく。端にそびえるビルや街灯の明かりが光跡を残しながら車窓の外へと消える。スピードを上げたタクシーが二車線道路を並走するトラックをぐんと抜き去った。そんな風景に毛ほども興味のない甚爾は、角度的に僅かに見えるドライバーの横顔を不躾に眺めていた。
前を見つめる顎の線があどけない。喫煙しているのだから二十歳は超えているのだろうが、そのヘビースモーカーっぷりが似つかわない童顔は下手すると十代にも見える。二本目を吸い終えた指先はすぐに三本目を箱から抜き取ろうとしている。
こちらに関心を払わない視線は相変わらず前方を注視したまま、声だけが甚爾に向けられた。物欲しげな視線と勘違いしたらしく、火をつける前の乾いた一本を人差し指と親指でつまみ、唇に押し当てている。

「煙草欲しいの?」
「いらん」
「あ、そ」

会話は短く終了した。
直後にジッポを擦る音が響き、車内の煙がより一層濃くなる。
(マジでくせぇな、)
仕事においては相方が喫煙者なので多少は慣れているが、狭い密室でこうも連続して吸われると思わず眉を顰める。ふと顔を逸らすと、暗い夜景の中に、さらに暗い、闇を煮詰めたような空間が見えた。直径数十メートルほどのそれは、空から俯瞰して見ると球体を半分にした形で街を覆っているはずだ。
……帳がおりている。
今まさにあそこで、どこぞの呪術師が仕事をこなしているのだろう。他人事感覚で一瞥したあと車内に視線を戻すと、女が同じように帳の方向を見詰めていた。その目に宿るのは未知への好奇心ではなく、帳の有用性への理解だ。
ああそうか、と甚爾は直感した。この女は見える側だ。

「オマエ、アレが何かわかるんだな」
「うん。まあね」

見抜かれた驚きを垣間見せるなら少しは可愛げがあるものを、女は動じることなく紫煙を吐いている。
それどころか煽り運転した挙げ句前に割り込んだ外車に対して「免許取り直せってんだクソ野郎」と悪態をついている。帳の存在など意にも介していない。

「そう言うあなたは術師なの?」
「いんや。違う」
「でも見えるんでしょ。それにすごく落ち着いてるわ」
「オマエだって同じだろが」
「わたし? わたしは一応、術師家系の生まれだもの。術式を持ってないから見切りをつけてさっさと家出たけど」
「は、そいつは詳しく聞きてぇな」

わたしもあなたに興味がある、と口にした女とルームミラー越しに視線がぶつかる。髪の毛と同じ色をした双眸が宵闇に静かに沈んでいる。
あの瞳に見覚えがある、と甚爾は思った。何処でだ? 逡巡したのちに思い当たる。
幼い頃、鏡の中に何度も見た、暗い瞳に似ているのだ。

「俺は別に。オマエと同じで家出ただけ」
「そうなんだ。名前は?」
「甚爾」

どういう意味を含むのか、煙草を咥えた口元がにやりと笑う。

「とーじ」
「オマエも名乗れよ」
「ナオ」

同じく名前だけを切り取ったナオがゆったりとハンドルを操り、知らない道をすいすいと進んでいくのに身を任せる。

「じゃ、ここではお互い、ただの甚爾とナオだね」

ちょっと窓開けるよ、と断りを入れたナオが運転席側の窓を全開にし、車内を満たしていたいがらっぽい空気を外に逃した。換気されると同時に全身を丸洗いするような冷気が流れこんでくる。だから寒いんだよ。文句を言うと軽やかな謝罪が返ってくる。

「ごめん。これ使っていいから」
「んだよ。このダッセェ犬柄の布団は」
「膝掛け。わたしの」
「いらん。オマエのだろ、自分で使えよ」

前方から目を離さず後ろ手に差し出していたナオは、甚爾の言葉を聞くと「あっそ。強がり」と口を尖らせて引き下がった。


* * *


年の瀬は入れ食い時だ。今夜もひっきりなしに客を乗せて走っている。いつもこうならいいのに、と内心思う。
大手とは程遠い個人経営のタクシーは、営業に乗り遅れ苦労することが多い。それが関係なく仕事にありつけるのだから嬉しい季節だ。
形式を重んじる昔ながらの旧家にいた頃は大晦日なんて苦痛でしかなかった。でも今は違う。高校を卒業すると同時に勘当同然に家を出て、以来、一般人として生きることを選んだ。好きな仕事をして好きに稼いで好きに暮らす。ナオは今の生活が気に入っていた。
場所と場所の中継地点に立つ仕事をしていると様々な人間と出会う。今夜もまた、そんな毎日の一つだ。

「そうだお客さん、明日のご予定は?」
「明日って何かあるっけ」
「大晦日」
「あー、女と過ごす」
「恋人、あ、それとも奥さんとか」
「どっちでもねぇな」
「好きじゃないの? その人のこと」
「んなこたねぇよ」

熱のこもらない声音で甚爾が応じる。

「籍入れろって最近うるせぇんだ。潮時かもな」
「結婚したくないのね」
「昔の家を思い出して胸糞悪いんだよ。碌な思い出もねぇし。オマエだってそうだろ」
「わたしは結婚したいし、子どもだって産みたいわ」
「はっ、よくそう思えるな。生まれてきたことを喜ばれた経験でもあんのかよ」

吐き捨てるように甚爾は言った。
粗方換気を終えたので窓を閉め、暖房の温度を上げた。走行音と空調の機械音に支配され互いの存在が途端に揺らぐ。車線変更しようと後方を確認すると、思い出したように切れ長の瞳と視線が交わった。
妙な雰囲気を持つ目元だ。鋭い眼光の中にうたかたの憂いが浮かんでいる。他人を寄せつけない一匹狼みたいな目力を持っているくせに、彼自身には刺々しさがなかった。自分で自分の存在を殺しているのかもしれない。

「女って打算的でしょ」
「んだよ急に。自己紹介のつもりか?」
「そう言わないで。自分を幸せにしてくれる男を見極めようとするのは女の本能よ」
「じゃ、あの女は見る目がねぇな」

甚爾は鼻で笑うと座席シートに背中を預けた。
ナオは少し悩んで、空調を調節しなおしてから窓を数センチ開いた。何本目かもわからない煙草に火をつけ浅く息を吸う。
メーターに目を落とすと上部に表示されたデジタル時計は23時55分を示していた。忘年会のシーズンだ、甚爾を送り届けた後にも客は拾えるだろうと頭の中で営業場所と時間をざっくりと計算する。道路の凍結が少し心配だ。

「行き先変更したいなら今のうちだけど」
「アテがねぇ」
「それは残念ね」
「先週までならもう一人いた」
「ええ? 呆れた……」

指定された住所まであと十分程度で到着する。確か単身者用のアパートが点在している地域だ。何度か仕事で行ったことがあった。

「子どもは嫌い?」
「嫌いっつーか扱い方がわかんねぇ」
「はは、わたしも」
「でも欲しいんだろ、ガキ」
「普通の家系じゃないし、不安は付き纏うけど、それが家庭を諦める理由にはならないと思ってるから」
「前向きだな」
「まあね。だから男選びは間違えられないの」

街明かりは後方へと消え、通りの少ない、幅の広いトンネルへと入った。頭上に等間隔に設置されたオレンジの照明がどこまでも行き先を照らしているが、遠くにぽつんと見える出口の先は漆黒に飲み込まれている。

「……オマエに産んでもらえるガキなら幸せかもな」

そっぽを向くように横を向いた甚爾が呟いた。
トンネル内は騒音がうるさいし、まさか聞こえているとは思わなかったのだろう。「は?」と呆気にとられたナオの様子を察知した甚爾は大袈裟な響きで舌打ちする。
ルームミラー越しに見ると露骨に嫌そうな表情をしていた。

「甚爾」
「うるせぇ俺は何も言ってねぇ」
「とーじってば」
「だからうるせぇって」
「その女の人よりわたしが先に出会ってたら、甚爾のこと口説いてたかもしれない」
「ああ? 意味わかんねーよ」

トンネルを抜けた。鼓膜に貼りついていた耳障りな雑音が一気に剥がれ落ちる。
開けた視界に夜のしじまが再来する。ナオは言葉と一緒に煙の輪っかをプカッと吐き出した。

「いい男ってこと」
「……単純すぎねぇか。男選びは間違えられないっつったくせに」
「人の男は御免だけどね」
「俺だって煙草くせぇ女は御免だ」

言い草にムカついたので吸い込んだ煙を顔に吹きかけてやると、甚爾は古傷の残る口元を迷惑そうに歪めて咳き込んでいた。



目的地であるアパートについたのは0時を少し回った頃だった。12月31日。世間は今年最後の一日に忙しい。
しばらく止んでいた雪がまた降り始め、視界に白いものがちらついていた。

「短いご縁だったけど話せて楽しかったわ。それじゃ」

甚爾が降車するのを見届けてギアを操作する。
開きっぱなしの後部ドアから、宵闇に立つ甚爾の姿が見えた。自動開閉の装置に触れる直前、ふと思い立って声をかけた。

「生まれてきてくれてありがとう、」
「はあ?」
「ふは、変な顔。子どもができたら真っ先にその子に言おうと思ってたけど、甚爾にあげる」

さよなら、と手を振ってドアを閉めた。アクセルを踏み込むと車体は快調に夜道を滑り出す。
そこの角を曲がってしばらく進めば繁華街に行き着く。雪の舞う大晦日、仕事はまだまだありそうだ。昔からある居酒屋の前で両手を擦っていた二人組が手をあげている。路肩にタクシーを寄せると寒さを凌ぐように乗り込んできた。

「お客さん、どちらまで?」



2021.12.31
とーじくん誕生日おめでとう!
表題のパロディでした


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