告白されたのは初めてだった。五歳で潜在犯認定され、長年を隔離施設で消費し、執行官として首輪を繋がれ生きている自分に好意を寄せる女がいるとは。
しかも本人の立場はエリート刑事の監視官ときた。世の中どうかしている。
そんなことを考えながら縢は目の前の席でグラタンをつついているナオを眺めた。

「ねえ、ナオちゃんって俺のどこが好きなの?」

公安局内の食堂は午後七時という時間帯もあって人が多い。席待ちというほどではないが、勤務を終えた人間や、これから夜勤にあたる人間のほかにも、縢のように宿舎から出られない連中で適度に賑わっている。
そのど真ん中のテーブルで相席しているナオは縢の問いに迷惑そうな顔を持ち上げた。

「ちょっと待って。なんで今その話?」
「なんでって、気になったから。昨日の今日じゃん。教えてよ」

温もりの残るフライドポテトを口に放り込みながら縢は続けた。ハンバーガーセットのお供だ。
ナオの眉間には深い皺が刻まれていた。監視官の面々は基本的に饒舌とは反対の性質であることが多く、例に漏れない彼女が先日「わたし、縢くんのことが好きだよ」とわざわざ口にしたくらいなので、恋愛感情を持たれていることは理解しているのだが、この険しい表情は一体何を意味しているのだろう。そもそも好きって、もっと甘ったるい感情だと思っていた。
世の中から隔離されて生きてきた縢にとって恋愛は、たとえばあるものを可燃物と不燃物を分別するように、理解不能物としてカテゴライズされていた。
ナオはホワイトソースを掬ったスプーンを口に含む。

「職場でその話はなし。プライベートは区別したいの」
「じゃあ今度外でデートする?」
「んぐっ。あ、あのねえ。お情けみたいなデートしても意味ないんだよ」
「そういうもん?」
「そういうもん!」

言い返しながらも「ごちそうさまでした」とナオは律儀に手を合わせた。席を立ち、空になった食器の乗ったトレイを両手で持ち上げる。
聞きたかったことははぐらかされ、縢としてはやや不満が残るが、そういうもんだと言い切ったナオをこれ以上追求する気にはならなかった。
フライドポテトで小盛りされたケチャップの山をなぞる。
監視官が執行官を好きになるなんてあり得るんだろうか。
立場的な問題もあるだろうし、なにより自分たち執行官は同じ空間に居ることができても、蓋を開けばただの潜在犯なのだ。どこをどう好きになるというのか。
前に唐之杜が揶揄い混じりに「あたしシュウちゃんの強がりなとこ好きよぉ」と言っていたが、たぶんアレは別口だ。
フライドポテトを咀嚼する。飲み下してみても、胸の内にぶら下がった疑問は解消されることなく、少しずつ膨らんだ気がした。

ーーまっ、深く考えても分かんねぇもんは分かんねぇよな。

「じゃあ縢くん、わたし行くね。明日の当直よろしく」
「うーい」

手を振って応じる。仕事の顔をして去ろうとしたナオの背後を人が横切った。
その途端、弾かれたようにナオは肩を震わせた。
「わぁっ?!」悲鳴とともにトレイの上で食器ががちゃりと甲高い音を立てる。
何事かと思い縢はナオの様子を見た。彼女の背後にいた人物が立ち止まってナオを見下ろしている。何度か見かけたことのある男性局員だ。

「もう、やめてくださいってば。今度やったらあんたの部署にクレーム入れるって言いましたよね?」

振り向き様にナオが食ってかかった。声を荒げているが声質が柔らかいせいであまり怖くない。男のほうが随分と身長が高いこともあって、相手を見上げる格好のナオは威嚇する小動物のようだった。
ナオの怒りっぷりを男は本気で取り合うわけでもなく笑って流している。厭らしい動きをする指先が空中で何かを揉む仕草をした。その手がナオの臀部のあたりに伸びるのを見て、おいセクハラかよと縢はようやく合点した。
ナオが焦った様子で身を捩る。

「ほんっとに怒りますからね!」
「挨拶だろー」

あくまで冗談っぽくナオを躱す男に縢は内心苛立ちを覚えた。
いや、ナオに対してだろうか。
そんなセクハラ野郎、さっさと殴っちまえばいいのに。

「あー。ちょいと失礼」

尚も言い合う二人の間に縢は割って入った。ムカつくのが抑えられず乱雑な仕草になってしまったが構うものか。
正面に立った男の身長はやはり高い。狡噛と同じくらいあるかもしれない。

「誰だか知らないですけど、うちの上司の尻触んないでくれます?」

面と向かって言い放つと、男は怯むわけでもなく「おっ、」と物珍しそうな反応をした。

「なんだよ。番犬くんがついてるとは思わなかった」
「刑事課一係の縢っす」
「新入りか? あんま見たことない顔だな」

興味深そうにしげしげと顔を覗き込まれ、縢は舌打ちしたくなった。
新入り呼ばわりされるほどここに来て日は浅くない。縢は男の顔に覚えがあるというのに、男は縢に関してまったく知らないらしく、そのくせ急に馴れ馴れしい距離感が鼻につく。監視官であるナオとも、一方的ではあるがくだけた口調で話しかけていたし、もしかすると立場は縢に首輪をかける側なのかもしれない。
そんなことが頭を巡ったが、縢の苛立ちを抑える要素にはならなかった。
どうして自分がこんなにもイラついているのか。疑問に思うよりも先に、目の前の男に向けて刺々しい言葉を吐き出していた。

「男に顔を覚えられても嬉しくないんで構いませんけど。そんなことより、俺はナオちゃんに気安く触らないでって言ってんの」
「かっ、縢くん!」

後ろから腕を掴まれた。ナオが信じられないという顔で首を小さく横に振っている。止めろと言っているのだ。
「つーか誰だよコイツ」声を憚ることなくことなくナオに尋ねると、今度は太ももを抓られた。

「バカッ、知らないの? 三係の監視官よ。わたしの三歳年上の先輩」

ナオが縢に耳打ちする。
やっぱり監視官だったか。
わたしの先輩、という部分に、話はこっちで片付けるからお前は引っ込んでろ、と暗に諭されている気がして縢は余計につまらなくなった。
ナオは基本的にお人好しだ。だからどう言い繕ったって、この男に強く言うことなどできないだろう。それができるならこう何度も被害に遭うわけがないのだし。

「知らねーよ、こんなセクハラ野郎」

腕をぐいぐいと引っ張られ後退させられそうになるのを押し留め、言い切った。
ナオの口が金魚みたいにぱくぱくしている。きっと先輩監視官に弁明する言葉を探しているのだろう。もし宜野座にこんな口を叩いたら大目玉だ。というか大目玉で済まないかもしれない。
ここまで言って後に引けないのはわかっている。ナオを押しのけ、庇うような格好になりながら、縢は男を睨んだ。
沈黙が三人の間に落ちた。
無関係の喧騒ががやがやと耳に痛い。やべ、言い過ぎたな。監視官に対する侮辱を口走った後悔が少しだけ湧き上がり、いや、でもやっぱ許せねえわ、と苛立ちの嵩が勝る。
ナオに握られた腕が妙に熱い。
どうしてこんなにイラついてんだろ、と再び疑問に思う。上司にちょっかい出されたくらいで。ナオに触られたくらいで。
もし、仮に、例えば、これが別の女だったら、俺はこんな暴挙に出たんだろーか。
くく、と笑い声が聞こえた。
笑い声?
沈黙にそぐわない、可笑しそうな声音に、縢は怪訝な表情で相手を見上げた。

「いや、本当に悪かった。相坂の部下がこんなに忠犬だとは知らなかったよ」
「え?」
「縢っつったっけ? お前に免じて相坂にはもう触らないことにする。その代わり今後は、」

男の手が、呆気にとられるナオと、縢の間に滑り込んだ。
次の瞬間、悲鳴をあげたのは縢だった。

「ギャッ!」
「野郎のケツで勘弁してやるよー」

にこにこと笑いながら去って行った。
縢は撫で上げられた部分を、スラックスの上から何度も擦った。
あんの野郎、気色悪い触り方しやがって!
ムカつくやら悔しいやら、だけど縢の暴言を咎めるわけでもなく颯爽と退散していく潔さに惚れ惚れ、いや恨めしさがごちゃごちゃと渋滞し、結局言葉にならなかった。
「くっそぉ、」と歯噛みする縢の袖をナオが引っ張った。

「ん?!」
「いや、あの、なんていうかさ」
「なに?!」
「縢くん、意外と可愛い声出すんだね……」

困ったような、照れてるような、複雑な顔をしたナオがそう言う。
そんなこと言われたって嬉しくもなんともない。可愛いって、くそが、男に言う言葉じゃねえだろが。

「ナオちゃん……なんか別の扉開いてない? ていうか、やっぱ俺のこと男として見てないでしょ」

ついと視線を逸らす。
なんでだ?
なんで今、俺は視線を逸らした?

「見てるよ。好きだって言ったじゃん」

ナオの言葉が聞こえた瞬間、どくんと心臓が跳ねた。
監視官が執行官を好きになるなんてあり得るんだろうか。
好きって、もっと甘ったるい感情だと思っていた。
今まで考えていたことが急激に渦を巻いて頭の中をぐるぐると回る。甘ったるいなんて、そんな可愛い表現じゃない。さっきまでイラついていた心臓が今度は早鐘のように動いていた。
こんな感覚は知らない。
こんなに苛立って熱くて息苦しい感覚は。

「いや、正直冗談だと思ってたっつーか」
「冗談でこんなこと言わないよ。それで、返事は?」
「えっ、今? ちょい待ち。ほんとに。心臓痛くてこれ以上は死ぬかもしんない」

逸らしていた視線をナオに戻す。
視線に気づいた彼女は、まさかこちらの内心を読んだわけではないだろうが、確信犯的な笑顔を浮かべて「素直になりなよぉ」と言った。


そんなやりとりを食堂のど真ん中でしたせいで、まだ付き合ってもいないのに狡噛や唐之杜におちょくられる羽目となり、三係の監視官からは尻を狙われる日々となった。



2021.10.3

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -