!恵と付き合ってる
!パパに振り回されるだけ



「恵とまだしてねえの?」

ぶっ。
口をつけていたおたまから味噌汁が噴き出た。きたない。わたしは台拭きでキッチン周辺を拭いた。

「な、なんてこと言うんですか……」

引き気味に後ろを振り返ると、足をのばして夕方からビールを煽るだらしない男と目があった。伏黒甚爾。同級生の父親だ。
伏黒さんはわたしの何とも言えない視線をにやついた表情で受け止めた。

「あんだよ。何をとは言ってねーだろ」

何をとは言ってないけど、その下世話な顔は完全にその手の話題であることがわかる。おちょくられているのは明白なので、本気にするまいと話を流した。
酔っ払いの言うことなんてまじめに取り合うだけ時間のムダだと心底思う。
おたまを持ち直して、味を確認する。熱いので何度か息をふきかけて飲み込む。丁寧にとった出汁の味がほんのりと舌に乗った。恵くんが好みだと言っていた日の味を思い出して脳内で比較する。もう少し濃くていいかもしれない。
背後でカツンと音がした。伏黒さんが缶ビールをテーブルに置いた音だ。

「てかなんでウチの晩飯作ってんの」
「たまに作ってるんです。伏黒さん、この時間帯はめったに家にいないから知らなかったと思いますけど」
「俺がいない間に。ふーん」

自分から話を振ってきたくせにどうでもよさそうな反応だ。
流し台に置いたスマホに軽く触れる。時刻は17時半。恵くんが返ってくるのは18時過ぎだから、あと30分以上はある。
朝、任務に出て行った恵くんの顔を思い出してみる。早朝だったので起き抜けの眠そうな目をしていた。はやく会いたいなあ、と鍋を撹拌しながら想いを馳せる。
余韻を破壊したのは矢張り、伏黒さんであった。

「じゃあヤりたい放題じゃねえか」
「ヤッ……あのさっきからそれやめてくれます?!」
「十代男子なんてちょっとチラつかせりゃすぐ勃つだろ」
「もー!!」

流れるような性的な単語にとうとうわたしは声を大きくした。どういう理由があって彼氏のお父さんとこんな話をしなければいけないのか。抗議の気持ちを込めて勢いよく後ろを振り返る。伏黒さんはどうでもよさそうだった先ほどとは打って変わって、野次馬みたいな様子でわたしの顔を注視していた。
面白半分に反応を観察している。乗せられたと気づいて頬が熱くなる。怒りで。

「そういうことは話し合うので大丈夫です!」
「はあ? 誰と」
「恵くんに決まってるじゃないですか」
「恵と。は、はなしあう」

伏黒さんはゲラゲラ笑いだした。
ひいひいと苦しそうに呼吸する姿が腹立たしい。いつもは夕飯時に家にいないから、今日はせっかくだなんて思って作っておいた伏黒さんの一膳、どうしてやるべきか。おたまを持った手がわなわなと震える。
大人の伏黒さんからすれば高校生の恋愛なんて手ごろなネタなのだろう。だからといって冷やかされる側は堪ったものじゃない。
なぜなら図星である以上、反論のしようもないのである。

「話し合うもんじゃねえよ。ガキ」
「もうほっといてください……」
「息子の貞操の心配してんだぞ。いい父親だろうが」
「どこが?」

薄々は感じていたけどこの人めちゃくちゃすぎる。そういえば初めてこの家を訪れた時も、恵くん、「紹介したくねえ」の一点張りだったなと思い出す。
ため息をつきそうになって慌てて口を結んだ。人様のお父さんにこの態度はよくない。

「ん」
「何でしょうかその手は」
「ビール。なくなった」

ため息が出た。
わたしは冷蔵庫の中身を確認した。家の主を前に勝手に漁るのは気が引ける、なんて気持ちは薄れてしまっている。
一段目の奥に三本冷やしてあるのを見つけて一本を取り出す。残りが少ないから後で補充しようか。と考えて、住人でもないからそこまでしなくてもいっか、と楽観して扉を閉める。

「はいどうぞ」

差し出すと伏黒さんが手を伸ばしてアルコールを受け取った。いや、ちがう。
受け取るふりをして素通りした。硬い手のひらに掴まれたのはわたしの手首だ。伏黒さんに強く引かれてバランスを崩す。

「わっ」

倒れた先に伏黒さんが待ち構えていた。膝の上に乗せられたわたしは、呆気にとられて目の前の人物を見上げることしかできない。
わたしたちの横で、受け身を取るために思わず手放した缶ビールが床の上を転がった。

「ど、どうしたんですか伏黒さん。ビールは?」
「あーうん。後でもらう」

(後で? なんで?)と疑問が頭に浮かんだけど、何を考えているかわからない伏黒さんに身体の動きを制御されては意識が別の方向に向かってしまう。
体格のいい伏黒さんはいつだってわたしや恵くんを高い視線で見下ろしてる。その伏黒さんが、わたしを膝の上に乗せ、今までにないほど近い距離にいる。こんなに間近で顔を見つめたことはなかった。本当に恵くんに似ている。切れ長の瞳。影を思わせる黒い虹彩。すっと通った鼻筋に、薄い唇。造形ひとつひとつを取っても、血縁を感じさせるには十分だ。
食い入るようにじっと見つめてしまったのは無意識だった。どこに置けばいいのかわからない両手を空中で握りしめる。伏黒さんが聞き心地のいい音で薄く笑った。声音はちがうのに、どこか似てる。
さらりとしていて、だけどわたしの胸を一瞬でざわつかせる、低めの声。

「見過ぎだ」
「……似てますね」
「親子だからな」

言いながら伏黒さんはわたしの腰をするりと撫でた。
制服ごしに指の感触が伝わる。

「ちょっ、くすぐったいです、伏黒さん。やめて」

身をよじって逃れようとするけど、見た目通り感触も逞しい伏黒さんの手がそれを許してくれない。巻きついた腕はあやしい動きをしながら、制服の裾のあたりを行ったり来たりしている。
わたしたち以外に誰もいない部屋。密着した身体。まさぐる手を止めない伏黒さんはまるでわたしに何か言わせようとしているみたいだ。
あんな話題を吹っ掛けられた後だ。わたしの頭は伏黒さんがしようとしているであろうことの、その先を簡単に想像してしまう。
――恵くん。頭をよぎった恵くんの姿が、目の前にいる人と重なる。
いや、ちがうだろ、今の状況は。冷静になれ、と自分に言い聞かせたわたしの口からは思っていたよりすんなりと声が出た。

「離してください」
「なんで」
「なんでって。……これから先は好きな人とするものです」

手首を掴んで制止する。口を結んだ伏黒さんがわたしを見下ろした。
ハア、と心底面倒くさそうにため息をつく。ガキくさ、と言う悪口も聞こえたけど、中断してくれたのだから文句は言わない。
伏黒さんの腕から抜け出そうとすると、小さな笑い声が聞こえた。やっぱり似ている。恵くんに。女なら誰でも手を出そうとする軽薄さは似ても似つかないけど――と、そこまで考えたところで視界が反転した。
部屋の天井が見える。背中には床の硬い感触。真上にいる伏黒さんが、悪い顔して笑っていた。
押し倒された。抵抗しようとして、はっと気づく。
身動きがとれない。
混乱するこっち側のことなんてどうでもいいみたいに、伏黒さんはわたしの首筋に唇を寄せた。吐息が肌に触れて、とたんに熱が集中した。身体の芯がカッと熱くなる。

「強がんなよ。処女のくせに」
「しょっ……! 悪いですか?!」
「悪くねえ」
「ぎゃっ。や、やめてください、ホントに……」

覆いかぶさった伏黒さんに全身を押さえこまれる。体格のいい成人男性にそんなことされてはとてもじゃないが逃げ出せない。なんとか体の下から利き手を這い出して、抗議の意を込めて伏黒さんの背中を叩く。筋肉質な背中は気休め程度の力じゃビクともせず、いよいよわたしの中で警告を告げる赤信号が点滅し始める。

「ちげーよ」

冷たい声が降ってきた。

「口。開けてみろ」

低い声が直接耳に注がれて、妙な気分だ。胸がざわざわしている。

「……いや、です。もういいから離れてください」

手のひらで口を押えて防御の姿勢を見せる。
伏黒さんが何を考えているのかわからない。わたしとそういう関係になりたいのか、ただ反応を面白がってるだけなのか。どちらにしてもタチが悪い。そうは思うけど、恋人のお父さんに対して本気で抵抗したら最後、穏便にすませることはできない気がする。
それに、わたしが本気で抵抗できない、なによりも悪質な点が一つある。
伏黒さんはわたしの顔を覗き込んだかと思うと、唇を寄せ、躊躇うことなく手の甲にキスをした。
息が詰まった。唇を重ねているわけではないのに、この距離、顔の角度。前髪のかかった切れ長の瞳が、わたしのことをじっと見つめる。
息を潜めた。本当にキスしているみたい。
恵くんとそっくりな顔立ち。生活空間も同じだからまとっている匂いも似ている。こんな状況、ほんとに恵くんと触れ合ってるみたいに錯覚して、その甘さにくらくらしてしまう。
抵抗できない最大の理由は、心地よさのせいで本気で抵抗できない、自分自身にあった。
伏黒さんがわたしの手の甲に口をつけたまま至近距離でささやく。軽く触れる唇の輪郭がくすぐったい。

「そのままでいい。口開けとけ」
「な、何で……」

尋ね終わる前に、腰を支えていた手がするりと移動して脇腹を撫でた。
ぞわぞわとした、形容しがたい感覚が全身を貫いた。
中途半端に開いていた口から声が漏れた。

「ぁ……ッ」

慌てて引き結んだ。開けとけ、って、まさかこのため?
満足そうに舌なめずりした伏黒さんは立て続けに首筋を舐めとった。確かな熱を持った舌がぬるりと皮膚の上を這う。耳朶に到達したそれはゆっくりと柔らかい部分を甘噛みした。

「……っ」

零れそうになった声を必死に押し殺すが、初めての感覚に身体はついていかない。こちとら経験値ゼロの処女高校生だ。女の身体をどう扱えばいいか知っている大人の男にいいようにされては勝ち目なんてない。
胸のふくらみをやんわりと揉みしだかれる。びくんと跳ねた脚を伏黒さんは見逃さなかった。わたしの両足の間に身体を割り込ませる。それだけで身体を開かれたような感覚に陥った。
同時に伏黒さんの下半身、ちょうどわたしの太ももにあたりに、何か硬いものを感じた。もしかして伏黒さん。嫌な予感がしてヒッと息を飲んだ。恐る恐る視線を下へと向ける。動きを察知したらしい伏黒さんは、わたしの太ももの内側に大胆にそれを押しつけた。

「勃っちゃったァ」

にこ、と笑いかける顔は、息子の彼女に手を出そうとするめちゃくちゃな性格とは裏腹に無邪気そのものだ。

「恵とする前の予行練習だと思えばいいだろ」
「そんなのいりません、恵くんだけでいいですっ」
「話し合うとか言ってたな。お前にンな余裕あんの? 想像してみろよ、処女ちゃん」

今、わたしの身体を火照らせている指や舌が、恵くんだったら。
目の前にいるその人と、脳裏に浮かんだあの人と、二人の面影が重なり合っていく。
――めぐみくん。
恵くんと、したい。
それは初めて抱いた劣情だった。

「む、むりです。ダメです。ふしぐろさん。ごめんなさい、わたしが悪かったからやめて……」
「もう一回言えよ」
「え?」
「処女のごめんなさいってそそるわ」
「信っじらんない。最低」
「俺で処女喪失しとくのもアリだな」
「ありえませんってば! わたしが好きなのは恵くんです……!」

――その時。
ガタン、と物音がした。
玄関からだ。
もしかして、と直感して顔を向ける。同じタイミングで伏黒さんも顔を上げたので、帰宅したその人は同時に二人の視線を受けたはずだ。
怖い顔をした恵くんが立っていた。足元には通学に使ってる高専の鞄が落ちている。
「あーあ、もう帰ったか」のんきな声は伏黒さんのものだ。

「何してんだクソ親父……」

伏黒さんの力が緩んだ隙に腕の中から抜け出した。息を切らせて恵くんに駆け寄る。
「おいお前、」険しい表情で何か言いたげな恵くんの腕を強引にとった。

「恵くん、しよ」
「は? 何言ってんだオマエ」
「したいの。今。……だめ?」

目を白黒させる恵くんを引きずっていく。脈絡のない告白を受けたのだから当然の反応だ。自覚はあるし、帰宅したばかりのところで悪いけど、身体の火照りはまだまだ収まらない。
ほんとにめちゃくちゃな人だ。こうなってしまったのも全部、伏黒さんのせい。


title cry
2021.6.26

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