「おっせーよ伏黒」

悠仁が手を振った先で伏黒があくびを一つ漏らした。急ぐわけでもなくマイペースを崩さず待ち合わせ場所に現れた伏黒は、顔を合わせるなり「来るの早いな」と言った。ちなみにわたしと悠仁がここへやって来たのは時間ぴったりである。

「早くはないね。伏黒が遅刻するなんて珍しいじゃん。仕事が終わんなかったの?」
「ああ。一級呪霊二体に派遣されたの俺だけ」
「さっすが、二級から飛び級して一級術師になった天才は任せられる仕事が違うね」
「そういう相坂はどうなんだよ」
「わたし? んー……ひみつ」

ひらりと手を振って伏黒の質問をはぐらかした。
待ち合わせ場所で合流もできたことだし、三人並んで歩道を歩いた。暦では九月に入っているが、まだまだ気温は高く空気は蒸し暑い。雲もそれらしく湧き上がっている。快晴に浮かんだ入道雲はまるで空を割いているようだ。
次に地上を見渡してみると、あまり来たことのない土地だから風景は見慣れない。先まで続く歩道は緩やかな弧を描きつつカーブしている。わたしの隣に伏黒がいて、さらに隣はガードレールを挟んで車道になっている。都市部から離れた土地ではあるが車通りは多いようで、さっきから排気ガスを吹かしながら多くの車が走り去って行く。

「釘崎は?」

伏黒の歩きながらの問いに、わたしと悠仁は不満げに口を揃えた。

「現地で合流するって。タクシーで来るんじゃない?」
「でもこの暑さじゃ釘崎が正解だわ。俺らも駅前で捕まえりゃよかったな」
「ね。三人で割れば大した額にもなんないし」
「三人?」
「あー……うん」

伏黒が怪訝そうな表情を浮かべたので、わたしは曖昧に相槌をうった。
足場はアスファルトから石畳に変わった。通りから一本奥に入ったためだ。年季の入った大きな鳥居を潜るとその先は目眩がするような長階段がわたしたちを待ち受けている。
伏黒がゲッと顔を顰めた。悠仁は余裕そうに足首を回して準備体操を始めている。ネットの情報によるとこの階段は三千段だ。散歩気分で登れないのは明白である。
げんなりした表情を浮かべた伏黒を悠仁は笑い飛ばした。

「何だよ。伏黒、こんなんも登れねぇの?」
「こっちは仕事終わりなんだよ……」
「はは。残念だったね。目的地はこの階段の先だから、伏黒もちゃんと登ってね」
「はいはい」

合図をしたわけでもなく、なんとなく三人で一段目に足を乗せた。
わたしたちが学生だったのはもう数年前の話だ。今では学生の肩書きがとれ、単身の呪術師としてそれぞれ活動している。もちろん高専は呪術師の数少ない拠点なので、今でも母校に帰ることはあるしタイミングが合えばお互い顔を合わせて近況報告をしたりもする。
十代で負った怪我は癒えたし呪術の扱いにも長けた。黒い制服を着て駆け巡っていた時間はとっくに昔の話だ。それはわかっている。だけど。

「あっちぃ……誰だよ、こんな山奥に行こうなんて言った奴」
「野薔薇ですよ。ああ見えて仲間想いだから」
「その張本人がいねえってどゆこと」
「おい相坂遅ぇ、置いてくぞ」
「あんたらが早いのよっ。今何段?」
「まーだセンニヒャクだぜ」

最後尾をわたし、その先を伏黒、先頭に悠仁がいる。
わたしだけやたらと遅れをとっていた。日頃から呪霊を追っかけてはいるけれど、この持久力のなさは学生の頃から向上していない。長い階段を登りつづけているせいで暑くて息苦しくて、額に浮かんだ汗が頬から顎へと伝い、ぽたりと落ちた。

「ちったぁ体力つけろよ。昔っから変わんねーなあ」
「一応、並くらいはあるもん。悠仁が体力オバケなんだよ」
「否定はしない」

先を歩く伏黒の横顔が微かに笑った。
高専のことを思い出しているのか、ドライな伏黒にしては珍しく、懐かしさを汲んでいるような表情を浮かべていた。

「ほらナオ、ここまで登って来いよ。頑張れ頑張れ!」

数十段上で悠仁が手を叩いて囃し立てているのが無性に悔しい。
身体中が疲弊しているのも構わず、わたしは悠仁のもとへ走り込んだ。彼の場所に追いつきたかった。
二段飛ばしで駆け上がるとすぐに息が弾んだ。膝が折れそうになる。上がりにくくなった脚をなんとか動かして階段を登る。途中で横をすり抜けた伏黒が「何やってんだお前」と呆れた声を出した。

――わかってる。どんなに今が辛くても、どれだけ過去に後ろ髪を引かれても、結局は目の前の道を一歩一歩進んで行くしかない。



「おっそい! チンタラしてんじゃないわよ」

やっとの思いで三千段を登りきると、最上段横に設置された灯篭の横で野薔薇が待ちくたびれていた。涼しげな夏服だ。ロングスカートの裾がふわりと揺れる。
一方でわたしは膝に手をついて息を整えた。疲労困憊である。さすがに伏黒も疲れたらしく肩で息をしている。一人だけケロリとしている悠仁はやっぱり体力オバケだ。

「一人だけタクりやがって。野薔薇ずるい」
「そんなこと言っていいのかしら。誰がここまで荷物運んだと思ってんの?」

野薔薇がふふんと得意げに腕をあげた。大きめの紙袋を持っている。中身を覗くと、確かに必要なものばかりが入っていた。この荷物を持って階段を登れと言われたら猛抗議するだろうと思うくらいには。

「わかればいいのよ。さっ、行きましょ」

足取りの軽い野薔薇の後ろを、わたしと伏黒がやや疲れた調子でついていく。
三千階段の後は平面の一本道だ。高度のせいか肌寒いくらいある。汗がすっと引いていく感覚を、隣の伏黒も感じているだろうか。

「ねえ、伏黒。どうして悠仁はこんな場所を選んだんだろうね」
「知るかよ。あいつのことだからこっちの体力の心配なんてしないんじゃねーの」
「はは、そうかも」

一人だけピンピンしてるしね、とは口にしなかった。
今この一本道を歩いているのは、野薔薇と伏黒と、わたしだけだ。

「もーすぐよ。頑張れ、お二人さん」

振り返った野薔薇が軽快に声をあげる。
野薔薇の言った通り、しばらく歩くと、目的の場所は目の前に現れた。
一本道はここで途切れている。代わりに二十段ほどの下り階段と、学校のグラウンドほどの面積の広場が眼下に広がっている。
広場には長方形の石が整列していた。
どこからともなく、線香の香りが漂ってくる。
わたしたち三人は黙ってその風景を見下ろした。

「ついたな」
「……うん」

虎杖家之墓。そう刻まれた墓石を見つけるのに少し苦労した。五条先生にあらかたの場所の位置は教えてもらっていたけれど、何百と数のある墓碑はどれも似たり寄ったりで、わたしたちは「これも違う」「あっちじゃね?」などとグダりながら探し回った。
悠仁のお墓は黒ずみ、ところどころに苔が生えていた。あまり来客はないらしい。

「来てあげたんだから感謝しなさいよ」

野薔薇はそんなことを言うけれど、扱いによっては傷みやすい生花や線香を「あんたらの荷物になるから」とわざわざ持ち寄ってくれたのは彼女だ。手桶や箒、新品の雑巾まで荷物に加えられていて、例の紙袋はなかなかの容量になっている。
わたしと伏黒は顔を見合わせた。伏黒が一歩前へ進み、ここへ来る途中に買い出ししてきたお供え物を備える。悠仁はまだ未成年だからお酒ではなくスポーツドリンクだ。

「……来るのが遅くなって悪かったな」

最後の一つを置いた伏黒がポツリと呟く。顔を伏せた際に、まるで遠くを見つめるような瞳が前髪の下から覗いた。
記憶にある悠仁の姿は高校生のときから変わらない。両面宿儺の器として秘匿死刑が執行された最期の日でさえ悠仁は明るくて、だからいつも思い出すのは、真剣な表情より、みんなで駄弁っている時の緩い笑顔ばかりだ。
今のわたしたちよりも幼い、あどけなさを残した彼の姿は、きっとこれからも成長することがない。
生きていれば悠仁も二十歳を迎えていた。できれば彼と一緒に年をとりたかった。高専の思い出を笑って語り合って、最期は「おばーちゃんになったなあ」なんて冗談を言いながら皺くちゃの手を握り締めてほしかった。

「さって、掃除開始しますか」
「だね」
「あっ、待て待て伏黒、先にこれで水ふっかけちゃいなさい」
「おう。つうか釘崎、お前こんなに準備いい女だったっけ?」
「るっさいわよ」

昼下がり、三人でごちゃごちゃと言い合いながら悠仁の身の回りを片づけていく。あの頃より少しだけ伸びた髪と、とうとう伝えそびれた言葉を胸にしまったまま。
そっちで会えたらまた四人で話そうよ。でも、まだまだ遅くなりそうだから、気を長くして待っていて。
心の中で話しかけると、少し離れたところで悠仁が笑って頷くのが見えた。悠仁の影は陽炎みたいに、ゆらめき、消えてしまう。
また一つ、夏が終わろうとしていた。


虎杖の幻を見続ける同級生
2019.10.30


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