卒業ぶりに訪れた高専東京校は、わたしが学生だった頃と何も変わらない景観で佇んでいた。
校門に立ち校舎を見上げると懐かしさが込み上げてくる。さて敷地内に足を踏み入れようとすると「やあ久しぶり」なんて軽薄な……いや、軽やかな声が聞こえて再び立ち止まった。
声の主は見ずともわかった。
ゆっくりと声のした方向を向き、会釈で返す。

「お久しぶりです、五条さん。またお世話になります」
「他人行儀だなあ。昔みたいに悟さん(はぁと)って呼んでくれていーんだよ?」
「ぶっ……」

不意打ちでそんなことを言われ盛大に吹き出した。高専の敷地内からふらりと現れた五条悟は茶化すようにへらりと笑うだけだ。

「冗談はやめてくださいよ……仕事で来たんだから」
「だって畏まってもやりにくいだけじゃん。ていうか今日だったんだね、京都校から異動してくんの」
「ええ」

頷いた。
今回の異動は楽巌寺学長直々の命令(しかも数日前)だ。学長室に呼び出されたことも含めていろいろと唐突すぎたけれど仕事なので仕方ない。この業界に常識が通用しないのは学生時代から思い知らされている。
幸か不幸か、東京校には顔馴染みである五条さんがいるので、頼れる存在があるのは心強い。
再会の挨拶もそこそこに五条さんは歩き出した。

「ナオ、こっち来な」
「や、わたし今から挨拶に行くので」
「夜蛾学長なら所用でいないよ。二時間くらい帰ってこないんじゃないかなあ。知らんけど」
「はあ」
「せっかくだし案内してあげる。君が副担任になる生徒達のとこ。顔くらい知っといたほうが明日ラクっしょ」

数年ぶりの再会だというのに、時間の溝を感じさせないフランクな物言いをしながら五条さんはさっさと歩いて行く。ラクっしょ、って。わたしまだ返事してないよ。
結局、荷物を詰めた大きなキャリーを引きながら追いかけることにした。

数メートル先を歩く背中をじっと見つめる。昔から背が高い人だと思ってはいたけど今も変わらないな。程よく男らしい肩幅も、飄々とした歩き方も。むしろ年を重ねた分余裕を感じる。わたしが知ってる五条さんはなんていうかもっと、生意気と負けず嫌いを足したような青い仕草をしていたのに。
五条さんがくるっとこちらを振り返った。

「ナオってば僕のこと見すぎ。視線が熱くて火傷しちゃう」
「えっ? いや違……っなに笑ってんですか! 腹抱えてないで案内してくれます?!」



異動初日はあっという間に暮れていった。連日急ピッチで引っ越し準備を進めたしわ寄せが今頃きたらしく、肩にドッと疲れが乗っている。
五条さんの計らいで顔合わせをした一年生たちと姿を思い返す。伏黒くんと釘崎さん。互いに野次を飛ばしながら自己紹介をしてくれた二人は何も知らずに見ると一般的な高校生そのもので、けれど呪術師らしく一癖も二癖もある性格を垣間見せていた。それから虎杖くん。社交的で、この業界じゃ珍しい明るい子だと思ってたらまさか宿儺の器とは。京都校にいた頃、楽巌寺学長がやたらと彼の存在を気にしていたのを思い出した。
といっても当の本人は知る由もなく、年相応の表情を浮かべて伏黒くんや釘崎さんといった同級生ととりとめのない話に興じていた。笑ったり呆れたりと表情の豊かさも相まって、その身体に強力な呪いを宿しているとは信じがたい。
ちなみに五条さんが「知らんけど二時間くらいで戻る」と言っていた夜蛾学長は結局戻らずじまいで挨拶をし損ねた。五条さんのテキトーっぷりは想定内なので、明日また訪ねることにした。

高専の敷地内を歩きながら、今日の残りの時間をどう使うか思案する。
部屋が荷物で散らかっているだろうから片付けをしてしまうか。高専関係者は活動拠点として校外にいくつか部屋を借りている人もいるが、わたしはとりあえず校内の寮だけ手配した。異動通知が急だったのもあるし、落ち着くまでは東京校に拠点を絞りたかった気持ちが大きいためだ。

明日からは目も回るような日々だろう。いくら姉妹校といえど、学長が重んじるルールも顔ぶれも違う。慣れていた場所を離れたのは惜しかったけれど、だからこそこれからは母校として愛着のある東京校で頑張りたい。
さて寮に向かおうと顔をあげた。高専の敷地内が夕暮れに染まっている。燃える夕陽を、わたしもかつて、彼らと同じ制服を着て見ていた。

「相坂先生」

慣れない響きだなと一人苦笑する。京都では担任をしていなかったので先生、と呼ばれたのはこれが初めてだ。
声のした方向には、すらりと背の高い男が一人立っていた。

「……なんだ。あなたですか」
「僕じゃ不満?」
「いーえ」
「可愛いでしょ。僕の自慢の生徒達」

肩を並べた五条さんが夕陽の中でにやりと笑った。可愛いなんてものじゃない。五条さんが大切にしているあの子達はきっととんでもない呪術師になる。それだけの強さを秘めた眼をしていた。
高専の象徴である黒い制服に身を包み、それぞれが何かのために、何かを呪ってゆく。
隣に立つ男もそうだ。昔から抜きん出た実力を持っていた。飄々と歩くみたいに、多くのものを呪ってきた。

「悟さんも昔は可愛げがありましたけどね」
「え?」
「意地悪だし口も悪かったけど、たまーに抜けたことするから許しちゃうっていうか。惚れた弱みって言うんでしょうか……って、なに蹲ってるんですか」

なぜか五条さんは足元に座り込んでしまった。考え事をしているのか、前髪を掻きあげて「あー」と唸っている。
しだいに陽が暮れてきた。赤みを帯びていた影がだんだんと藍色に飲まれていく。

「急に名前で呼ぶとか不意打ちすぎるでしょ。ナオのそういうとこ変わってないなあ」
「そりゃ青春をここで過ごしましたからね。だんだんと感覚が戻ってきました」
「……あっそ」

そっけない返事を最後に会話が途切れた。
二人して黙って宵闇を見つめる。暗さに紛れた高専の建物は、まだ人が立ち入っているらしくところどころの窓に明かりが入っていた。
どのくらいの時間が経っただろうか、しばらくして五条さんが「単刀直入に聞くけどさ」と口にした。

「ナオは何のためにウチに来たの? 呪術師は絵に描いたようなマイノリティだし、京都校だって教師生徒込み込みで人材不足でしょ」

座り込んだまま五条さんは問う。

「さあ。詳しくは知らされてません。裏はあるでしょうけど」
「だよねえ。お爺ちゃんが意味もなく自分の駒をウチに寄越してくるとは思えない」
「今めんどくさって思ったでしょ」
「はは。まさか。僕は生徒思いのグッドルッキングガイだよ。生徒に危険を及ぼす種は早めに潰しときたいじゃないか」

五条さんは前を見据えている。
視線がこちらを向くことはないが、それが誰のことを指しているかなど明白だ。
わたしはため息混じりに笑った。

「心外ですよ」
「それを僕も期待してる」

呪術師同士を隔てる派閥。特に楽巌寺学長を筆頭とする保守派を五条さんが嫌悪していることは知っている。というかこの業界では周知の事実だ。
確かにわたしは学長のもとで、時には指示に従って仕事をしてきた。
今度はわたしが問いかける番だった。

「わたし、そんなに信用ありませんか?」
「んにゃ。信じてるさ。ナオが僕を裏切るとは思えない。惚れた弱みもあるようだしね」

くく、と闇に紛れて低い笑い声が聞こえた。

「……呆れた人。もしわたしが嘘ついてたらどうするんですか」

わたしを潰します?
言い切る前に五条さんの指がわたしの手首を掴んだ。力強く下方向に引っ張られて、踏みとどまることもできず膝をついた。
同じ目の高さに、古い馴染みで見慣れていたはずの、見慣れない男の顔があった。

「もう一回、僕のこと名前で呼んでよ。そしたら教えてあげる」



2019.10.5

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