「先輩ってキレイな声してんね」

振り返った虎杖くんがそう言って笑った。
本人に笑ったつもりはないのかもしれない。根が明るくて人好きのする虎杖くんは、いつ見たって自然な表情をしている。

「そうかな……自分の声ってよくわからなくない?」
「ホントだって。あ、今度カラオケ行こーぜ。俺歌うの好きー」
「虎杖くんうまそうだよね」
「んーフツウだと思うけど。伏黒と釘崎も誘う? こん前三人で行ったんだ」

釘崎がなかなかアイコ歌ってくんなくてさ、と歩きながら虎杖くんは続けた。
高専の建物を出るとくらくらするほどの陽射しにあてられ目を細めた。眩しい。暑い。この学校に入学して二度目の夏だ。

「なあ、自販機寄っていい?」
「うん」

日当たりの良すぎる一本道の突き当たり、建物の日陰に入ったところに自販機がある。
少し歩いただけでもう汗だくになった。手のひらで首筋をぬぐうとじっとりと肌が張りついて気持ちが悪い。
日向を歩くのは億劫だが日陰まで走る気も起きない。わたしと虎杖くんは同じペースで炎天下を歩いた。

「ふは」
「なに?」
「先輩、首のとこめっちゃ汗伝ってる。暑いもんね今日」
「やってらんないよ。午後から真希と鍛練する約束してるし……死ぬかも」

じとっとした視線を感じて顔をあげた。虎杖くんの瞳がこちらを見ている。

「……なんかわたしの顔についてる?」
「ううん。違うけど。……ここ」

手が伸びてきて、わたしの首筋をぬぐった。べたつく感触はわたしがしとどにかいている汗だ。虎杖くんの、一瞬だけ触れた指先が熱かった。
思わず、というか、その行動の意味が汲めず立ち止まった。ぽかんとして後輩を見上げる。そうしているうちにも、夏の熱気は四方八方からわたしたちを覆い囲む。この季節に逃げ場なんてない。
僅かに眉を寄せた虎杖くんが「や、なんかいっぱい汗かいてる先輩がえろくて」と言った。

「……ぶはっ。なにそれ」
「だっ、て! しょーがねぇじゃん! なんか目もとろんてしてっし!」
「それは暑くて気持ちがげんなりしてただけだよ……ていうか一旦日陰行こうよ。もーだめだ」

ふらふらと自販機へたどり着く。
最も下の段に追いやられながらもまだある『あたたかい』の文字は敬遠に値する。甘いものも気分じゃないな。わたしが指先をさ迷わせている横で、虎杖くんはさっさと五百ミリの炭酸飲料を取り口から出してしまった。

「んー……どれにしよう」
「そんなに悩むなら俺が選んでやろっか?」

虎杖くんがペットボトルに口をつけながら言う。喉仏がごくんと上下するのが見えた。

「虎杖くんに飲み物頼んだらほぼほぼ炭酸になるんだもん」
「あー、先輩、炭酸苦手なんだっけ」
「うん。きらい。あ、でもたまに飲みたくなるかな」
「どゆこと?」

ボトルから口を離してまた笑う。瞬間、わたしは、わたしの脳がどろりと音をたてて溶けたのがわかった。例えるならアイスクリーム。中途半端に溶けてカップから雪崩れ落ちるような。手首に甘ったるいアイスが伝って慌てて舐めとるのと同じで、わたしは自分のこぼれかけた思考を塞き止めるのに必死だった。
熱に浮かされた頭で虎杖くんの指の感触が反芻される。首筋の汗をぬぐいとった人差し指。あの指先を、わたしの汗を掬った指を、彼は口に含んではいなかっただろうか。

「じゃあ、飲む?」
「えっ、?」
「炭酸。たまに飲みたくなるんだろ?」

五百ミリボトルの口を、律儀にもキャップを外した状態でわたしに向けて差し出してくる。
四分の三ほど中身の減っているそれをわたしはどうにか受け取った。ごくり。虎杖くんの視線を感じつつも一気に煽った。泡の弾ける冷たい液体が喉を流れていく。

「ぷはっ」
「おお〜。いい飲みっぷり」
「そんな自棄酒みたいな言い方」

キャップは虎杖くんが持っているのでそのままボトルを返した。シュワシュワと心地いい刺激が落ち着くと、口の中に甘さが残った。果物のような爽やかな甘さではない、砂糖の人工的な甘みだ。
もて余すように開いた口に、虎杖くんが噛みついてきたのはその直後だった。「ごめん」と囁かれたような気もする。
こちらの意志とは関係なく、らしくない強引さで腕を引かれた。性急な動きで唇を塞がれる。「んん、」声が溢れた。
目を閉じて虎杖くんを受け入れる。勢いよく口づけられたのは最初だけで、あとは息を合わせるような触れるだけのキスが繰り返された。互いの汗が混じり合い、口の中が少しだけしょっぱい。

「……どうしたの? 急に。今日の虎杖くん、へんだよ」

僅かに隙間の開いたうちに言った。近距離で、虎杖くんは明らかな困り顔をしていた。
言いにくそうに口をもごもごとさせる。

「だから……その、言ったじゃん。俺」
「ええ?」
「……汗かいてる先輩がえろい」

ぶはっ。思わず吹き出した。

「あっ、また笑った! やめてよ、俺だけ恥ずかしいじゃん」
「ごめん。一日に二回も言われると思わなくって……ふふ。そんなこと考えるのは虎杖くんだけだよ」
「当たり前でしょ、そうじゃなきゃ困るって」

こつんと靴の先にあたるものに気づき、視線を落とした。虎杖くんが買った炭酸飲料のペットボトルが転がっている。さっきの拍子に手元から抜け落ちたらしく、キャップは離れ中身がぶち撒かれていた。
もったいないな、と思ったときには、虎杖くんの手がわたしの手を絡めとっていた。

「俺、めっちゃ手汗かいてるけどごめん」
「わたしもだって」
「あのー……不躾ですが、禪院先輩との約束は何時でしょうか。涼しいところに行きたいのですが」

反対の手で鼻の先を掻いている。顔が赤いのは、暑さのせいなのかそうでもないのか、お互いよくわからなかった。

「……二時間後です」

日向に出ると、相変わらず陽射しがぎらついている。正午に近くなった分、ますます照射は強くなったようだ。

「こんな暑いのに手ぇ繋いでるって、釘崎に見られたらボロクソに言われそう」
「野薔薇はそういうとこドライなの?」
「たぶん。知らんけど」
「知らんのかい」
「だってまだ出会ってちょっとだぜ。一緒に夏を過ごすの初めてだし。あ、先輩もか」
「そっか。そうだよね」
「先輩、好き」
「汗かいてるとこが?」
「ちがうって。ちがわないけど。なあ今度カラオケ行こうよ。二人で」
「うん」



「あんたアレ、やめてくんない」
「んえ? アレってなに?」
「だからアレよ……自販機んとこでナオ先輩としてたでしょ。暑苦しいったらありゃしないのよ」
「それは俺も思った!」
「だったら我に帰れよ!」


title 臍
2019.6.6

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