企画小説
 気になる男の子に遊園地に行こうと誘われた。
 駅の改札口で待ち合わせをして、少し混んだ電車に乗って数十分。中学以来の遊園地にはしゃいで、いくつかのアトラクションを楽しめば隣にいる彼への気持ちはその日だけでもぐっと強いものになった。
 日が暮れ、最後は何にしようと二人で話をして、互いに照れながら観覧車に乗ることにした。カップルが並ぶ列に加わればまた互いに顔を見合わせ笑う。ゴンドラがゆっくりと動いているのを見ながら順番を待って、二人で赤いゴンドラに乗れば好きだという気持ちも、心臓の鼓動も大きくなっていく。向かい合わせで座ると、中は昔乗った時よりも狭く感じた。

 一周するのに掛かる時間はだいたい十五分らしい。少しずつゴンドラは動いていって、景色が変わっていく。
 二人きりのゴンドラの中では、彼との会話を他の人に聞かれる心配もない。手を膝の上にぎゅっと握りしめると指の間の汗が気になって、耳元で心臓が鳴っているようだった。チラリと彼を窺えば、彼は自分たちの住む三門はどっちだっけと柔らかな目を外へと向けている。その優しい目が、今日一日のうちに何度も私に向けられていることに私は気付いていた。その度にきゅーっと胸が締め付けられ、行きは恋人でなくとも帰りに恋人になれたら――そんなことを考えていた。
 ゴンドラが少しずつ頂上へ近付いていく間に今日一日のことを話しながら景色を見ていると、一度も触れたことのない彼の指がゆっくりと動いて三門の方面を指した。漸く分かったという嬉しそうな顔をさせて、あっちだと笑う彼の表情がちょっと可愛くて思わず笑ってしまう。私の反応に彼は笑わないでよと唇を尖らせた。

「――あ、もしかしてテッペンかな?」

 彼の一言に心臓が跳ねる。
 嬉しそうに笑う彼の顔を見て、ああ好きだという気持ちが込み上げてきて彼の名を呼ぶ。今日何度も口にした名は彼にしっかり届いたようで、どうしたのと彼は目を細めた。
 ああ、好きだ。止まらない気持ちが溢れて自然と口を開ける。

 好きだよ。

 今まで何度もその感情を伝えようと試みたが、恥ずかしく思う気持ちが上回って「好き」というたった二文字の言葉を口にすることは出来なかった。けれども、遊園地の魔法でもいつの間にか掛けられていたのか、その時は恥ずかしく思うことなく、どもることもなく、長く胸を焦がしていた彼への気持ちをすんなりと発することが出来た。
 その言葉を言えば、付き合ってほしいという私の気持ちは伝わるだろうと思っていた。友達としての好きではないことも勿論伝わるだろう、と。
 けれども、口から零れた言葉はあまりにも小さかったか、ナイトショーのために打ち上げられ花火の音に掻き消されてしまったらしい。


   〇


 夏の夜、祭りの日となれば夜を迎えた三門であっても人々は外へと足を向ける。
 楽しそうに手を繋ぐ親子や部活帰りの学生、浴衣を着た男女がどんどんと横を通り過ぎていくのを背中で感じながら、諏訪洸太郎はベンチの上で体育座りをする名字名前が雑に脱ぎ捨てたサンダルを見てこめかみの辺りを掻いた。

 防衛任務後の本部からの帰り道、作家買いしている小説家の新刊の発売日であることに気付いて諏訪が商店街へと向かえば、普段以上の人通りがそこにはあった。人々は帰路の途中という風ではなく、むしろこれから楽しみがあるような様子である。それを見て、諏訪は今日が近くにある寺の縁日だと気付いた。
 浴衣を着てはしゃいでいる子どもを見ながら本屋を目指せば、本屋まであと数メートルというところで歩道に設置されたベンチに座っている名前を見つける。
 多くの人が縁日の出店に意識を向けている中、一人膝を抱えながらぼーっとしている名前を見て、オイオイと諏訪は眉を寄せる。名前の頬は微かに赤みを帯びて、目はとろんとしている。明らかに酔っている様子だ。あいつは何を考えているんだと、諏訪は頭を抱えたくなった。

 年齢は一つ違うが、諏訪と名前は何年も前からの知り合いであった。
 諏訪から見た名前は、一言で表すと「ひたむき」である。真面目な性格だが、だからといって遊びがない訳ではない。時々、力が入って周りが見えていないと思うことはあったが、大学でもボーダーの隊員としても、諏訪は今まで一度も名前を不用心だと感じたことはなかった。ただ、今の名前は明らかに無防備である。
 辺りを見渡すも、周りに知り合いがいる風でも名前が人を待っているという様子にも見えない。名前は、明らかに一人で酔っ払っているようだった。

「はぁ〜」

 縁日を楽しむ人々で賑わうこの商店街の中で、諏訪のため息を気に留める人はいない。皆一様に楽しそうな顔をして、諏訪の横を通り過ぎていく。
 目的地である本屋の亭主が店の外に出てきたのを眺めながら、諏訪はもう一度ため息を吐いてベンチに座る名前へと近付いた。


「――で、結局そのタイミングで付き合えないんなら……もうそういう運命だと思って」
「距離を置くようになった……と」
「そう、です……」

 商店街にある小さな本屋の閉店時間は諏訪の想像よりも早かった。シャッターが完全に閉められたのをチラリと見やった後、諏訪は名前を見る。体育座りをしたまま、名前は自身の足の爪に触れ、小さく「爪塗り直さなきゃな」と独り言を呟く。
 名前に声を掛けた先に待っていたのは、今まで聞いたことのない名前の過去の恋愛話だった。話している相手が大学でもボーダーでも先輩でもある諏訪であることは名前も理解しているはずなのに、異性で年上の諏訪相手にそんな話をするのはやはり名前が酔っているからに他ならない。

 高校の時のことなんですけどと最初に言った名前の話が、まさか告白に失敗した話だとは諏訪も思わなかったが、酔っ払いの相手には慣れている。
 身内のそんな話を聞いてしまう気まずさが時間を経るごとに増していくも、名前を放置するわけにもいかず、諏訪は酔っ払った名前にこの時の記憶が残らないことを願いながらベンチの隣で話を聞いてやった。


「少しの間距離を置いたら彼から話しかけられることはなくなりました。結局、私だけが好きだったのかも……って、そうでなくとも、互いにその程度だったのかもって……」

 結局、どうして名前が一人酒に酔っ払った状態で商店街にいたのか、諏訪は聞かされることはなかった。酔っ払った状態でもそれだけは口に出来ないのか、はたまた諏訪に聞いてもらう必要がないほどどうでもいいことだったのかもしれない。
 うつらうつらしながらも名前が寝入ってしまうことはなく、いくつかの話をすれば満足したようで、いくらか表情が明るくなった。

「――にしても名字、危ねーから酒飲んで酔っ払うなら一人は止めろ」
「名字了解」

 諏訪の言葉に承知するようにへなへなと敬礼の姿勢を取った名前はゆっくりと右手を下ろして足を崩す。脱ぎ捨てられたサンダルに足を入れる名前を見ながら本当に大丈夫かとため息を吐いた。
 恋愛話を聞かされている間、名前にこの時間の記憶が残らないことを諏訪は願ったが、それだとまた同じことを繰り返す可能性があることに諏訪は気付く。どうして名前が一人で酔っ払っていたのか、それを名前本人が言わないがために今回限りであると判断が出来ないからだ。
 名前が一人酔っ払って三門の町を徘徊したとしても、本来であればそんなこと諏訪には関係ない。けれども名前に何かあってそれを聞いたら、諏訪にとっては後味が悪いどころではない。
 二十歳になって間もない名前が飲み慣れていないのは明らかで、少しの間考えて諏訪は自身のボディバッグから財布と一本の黒いボールペンを取り出した。

「――それじゃあそろそろ帰ります。諏訪さんありがとうございます」

 諏訪と話したことで名前は満足したのだろうか。ゆっくりと立ち上がりながら呑気にそんなことを言う名前に諏訪は思わず「はぁ!?」と声を上げる。
 諏訪の反応を気にも留めずに「おやすみなさい〜」と口にした名前が行ってしまわないよう、諏訪は咄嗟に名前の腕を引っ張って「家まで送ってくからちょっと待ってろ」と名前をベンチへと戻す。
 いいんですかと首を傾げる名前に諏訪が適当に返事をすれば、名前は諏訪の言葉に従うようベンチに座り直した。

「……」

 名前の腕を掴んだ時、諏訪はその細さに一瞬驚いた。それはつい先日、酔っ払った風間蒼也の腕を引っ張ったことを思い出したからだが、風間が如何に年相応に見られない外見をしていたとしても、風間は紛れもなく男で、名前は女である。名前の腕が風間の腕よりも細くて当たり前だと納得しつつ諏訪は少し変な気持ちになった。
 財布の中から名前に見られても問題のないレシートを一枚取り出し、何も印字されていない裏側にボールペンで文字を書く。財布を下敷き代わりにするも、字を書こうとするとレシートに穴が開きそうで諏訪の眉間には皺が寄った。
 隣に座っていた名前は諏訪の行動が気になるようにぐっと近付いて諏訪が何を書いているのか覗き込もうとする。酒の匂いと一緒に名前から甘い香りがして、諏訪はより強く眉を寄せる。

「っと、ほら、もうこれ持っとけ」

 暑いんだからもう少し離れろと言った諏訪は、ため息と共に名前にレシートを差し出した。買った商品が印字された面は裏にして、つまり諏訪が書いた文字が名前によく見えるようにして。

「『晩飯を奢ってやる券』……?」
「そーだよ」

 何をしているんだと諏訪自身思っているが、これも互いに一人であった時に出会った縁である。
 例えこの時間を名前が忘れてもレシートが残っていれば名前はレシートの意味を考えるはずで、文字を見ればそれが諏訪の書いたものだと理解する程度には諏訪と名前の関係は悪くなかった。

「また何かあったら聞いてやるから、一人で変な飲み方すんなよ」
「……はい」

 ありがとうございますと、そう言った名前はレシートを見て顔を綻ばせた。


 名前を家まで送る間、諏訪は酔っぱらいの質問を面倒だと思いながらもきちんと答えてやった。
 ペディキュアの色は何が良いと思うか聞かれた時は流石に「知らねーよ」と口にしたが、名前は楽しそうに笑っていた。「諏訪さんに何奢ってもろおう」と何度も口にする名前に、奢られるのが目的になってんな、と諏訪は笑う。まあ別に、元気になったんならそれでいいか、とも思った。

「そうだ、諏訪さん。観覧車に乗って告白に失敗したことありますか?」
「ねーよ」
「ふふふ、ですよね。けど、そんなに悲観することでもなかったのかも。それがあったから今度諏訪さんに奢ってもらえるんだし」

 名前は、諏訪に何度も礼を言った。奢ってもらうのが楽しみだと心の底から楽しそうに笑いながら。

 商店街から離れていけば住宅街はひっそりとしているが、どこか家の窓でも開いているのか、数年前に上映されていたミュージカル映画の劇中歌が微かに聞こえてくる。
 街灯が道を照らす中、名前はまだ酔っているのか諏訪の前を踊るようにスキップをする。それが丁度スポットライトに照らされたような具合で、ミュージカルの一場面のように楽しそうな名前を見て諏訪は笑いながら「転ぶなよ」と小さく声を掛けた。

Thank you very much!(10周年&30万打企画)
20220603
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