企画小説
※mhyk夢。not賢者(前回同様捏造アリで本当に好き勝手書いてます)。ヒースクリフ「私の最期を知る人へ」のその後の話。






「あれ、名前じゃないか?」

 ネロの使いで魔法舎からそれほど遠くない街にやってきたシノとヒースクリフは、ネロから頼まれた食材を買い終え魔法舎に戻るところだった。ヒースクリフが箒を取り出そうとしたところで突然シノが声を上げて懐かしい名を口にしたので人混みの中、シノの視線の先にいるであろう女の子の姿を探す。
 シノの言う名前とは、シノとヒースクリフの幼馴染の女の子である。二人と同じ年で、ケーキ職人になるために中央の国まで修行に出ていた。もう二年も会っていない幼馴染の存在にシノは興奮気味にヒースクリフへと顔を向け、すぐに「髪が前と違うけど、絶対そうだ」と少し大きな声を出す。

「オレが間違えるはずがない。声掛けてくる」

 どんどん人の波をかき分けて行くシノの後をヒースクリフが追っていくと、シノは「名前!」と名前と思われる女の子へ言葉を投げかけた。

   〇

「シノ、これ作ってみたの。食べてみて」

 小さな皿に乗ったクッキーを差し出された日のことを、シノはよく覚えている。
 魔法舎で生活するようになってすぐの頃は寝つきが悪かったため、ベッドで横になりながらブランシェット城での思い出を振り返ったりもしていたが、これはそのうちの一つであった。

「この間奥様にレモンパイを頂いたでしょう。美味しくて、私も何か作りたくなって作ってみたの」

 初めてだから上手に出来たかわからなくて、だからシノに食べてもらいたくて。
 そう言って差し出されたクッキーを一つ摘まんでシノはじろじろとクッキーを見る。

「これ、ヒースにもあげたのか?」
「まさか!!」

 初めての手作りをヒースに食べさせるわけにはいかないと言った名前の考えは至極真っ当で、シノは名前がそう答えると知っていながら質問をした。顔を真っ赤にして首を振る名前を見ながら手にしたクッキーを口に入れる。
 サクサクとした触感とほどよい甘さが丁度いい。シノはもう一枚、皿からクッキーを取って口に入れた。

「美味い。まぁ、奥様のレモンパイには程遠いけど」
「もう、そんなことわかってるよ。それにレモンパイとクッキーは別でしょ」

 その時の名前の笑った顔が嬉しそうで、シノは少し驚いた。頬を染めながら「本当に? 本当に美味しい?」とシノに問う名前が可愛く思えた。
 魔法が使えない人間の女の子である名前のことを、シノは友達になってからずっと守ってやる対象として見てきた。ヒースクリフのことが好きで、いつもヒースクリフを目で追う名前のことを前からずっと可愛いと思っていた。けれどもその気持ちは、花やリスを見る時と同じだったはずだった。それなのに、この笑顔から、名前を見て思う「可愛い」が変化していたことにシノは気付いた。
 だから、この思い出はシノにとって特別なものの一つだった。


 ブランシェット家はシノにとって一番特別なもので、何よりもかけがえのない大切なもので、守るべきものである。
 そのブランシェットが縁で出会えた名前という幼馴染も特別な女の子だった。
 なのに――

「シノ、久しぶりだね」

 ネロの使いのために出た市場で偶然再会した名前は、シノの声に振り返ると驚いた顔を作り、そしてすぐに俯いた。
 終始困ったような顔を作り、視線をあまり合わせない名前に後からやってきたヒースクリフはシノの腕を掴んだ。名前も用事があるんだろうし、と言ったヒースクリフも気まずそうに視線を彷徨わせた。ヒースがいるんだぞ、久しぶりに会ったのにとシノが言うも、名前は固い声でごめんと繰り返した。

「そうだ、これ、良かったら食べて。私が作ったものなの。前よりは上達したと思うから」

 無地の紙袋をシノに差し出した名前は、やはり俯いたまま「二人には二年も誕生日プレゼント贈れなかったから」と言って、すぐに「じゃあ」と人混みに紛れて行ってしまった。

「名前!!」

 シノの呼びかけに名前は反応しなかった。

 魔法舎に戻ってからもシノは不機嫌だった。
 賢者は最初例の如くヒースクリフと喧嘩をしたのかと思ったが、シノの隣に座っていたヒースクリフの落ち込みようを見ていつもの二人の喧嘩ではないと気付く。
 不機嫌な顔で箱から何か取り出すシノは一先ず置いて、賢者はヒースクリフに声を掛ける。

「二人とも、どうしたんですか? 何かありました?」

 賢者が少しゆっくりな口調で声を掛ければヒースクリフは顔を上げて「あっ、賢者様」と目を大きくさせた。椅子に腰かけて「二人とも朝と様子が違うので」と言えば、ヒースクリフは実は、と口を開く。

「俺とシノが幼馴染だってことは以前賢者様に伝えたと思うんですけど、もう一人幼馴染がいるんです。人間の女の子で、中央の国でケーキ職人になるために一人で修行に来ていて……けど、前と様子が違ってなんだかあまり俺たちと話したそうじゃなくて……」

 名前から渡された紙袋に入った白い箱はリボンでラッピングされ、まるで誰かに贈るために作られたもののようだった。シノとヒースクリフから離れたいがために渡されたのではないかとヒースクリフは顔を青くする。

「その、本当に急ぐ用事があったのかもしれませんよ。お仕事の何かとか……」
「それなら、言うだろう。今は無理だからって。今はグランヴェル城を通してオレたち魔法使いとも連絡が取れるって知られてるだろうし」

 賢者の言葉にシノが反論する。机の上に広げられた名前の菓子を、眉を寄せながらも「美味い」と言って一つ一つ食べている様子を見て賢者は苦笑いを作った。

「賢者様もどうぞ召し上がってみてください。名前のお菓子、本当に美味しいんですよ。今紅茶も用意しますから」
「ありがとうございます」

 ヒースクリフに言われてマドレーヌを手に取った賢者を見て、シノは「いつか名前を魔法舎に案内しようと思っていたんだ。賢者に、ファウストやネロにも紹介したかった。オレとヒースはこんなとこで生活してるんだぞって魔法舎を案内してやって、名前の菓子を食べてもらって……」と呟いた。
 拗ねたような声に賢者は目を見開いてヒースクリフへと視線を向ける。そうすると、ヒースクリフは目を細めて笑った。

「俺もシノも、名前が大好きなんです」


   〇


 栄光の街で購入した群青レモンを使ってレモンパイを作る。お店で出しているレシピで、今の私が出来る最大限美味しいものを目指して。

「よしっ」

 最後にミントの葉を乗せて完成した大きなレモンパイを二個箱に詰め、紙袋に入れる。
 父から貰った時計で時刻を確認して、そろそろここを出なくちゃとエプロンを取る。服を着替えて髪を整えて、荷物をまとめて家を飛び出す。
 今持っている服の中で一番上等なワンピースの裾が歩く度に揺れる。この間買ったばかりのパンプスは汚れ一つなくて、両手に持った紙袋はずしりと重い。朝起きてからずっと、自分のためであって、大好きな人たちのための準備をしてきた。だから、今日は朝からずっと心臓が煩い。


 幼馴染との再会は本来は喜ぶべきことだ。それなのに、この間の私は嫌な態度を取ってしまった。ろくに話を聞かなかったし、しなかった。いつもお世話になっている大家さんに贈ろうとしていたお菓子を渡して逃げるようにあの場を去った。きっとあの日のシノは長く不機嫌な状態だっただろう。
 けど、シノの顔を見たらパレードの日を思い出してしまって、ヒースの顔を見たら消えてくれなかった恋心が疼いたのだ。

「お嬢さん、オズのシュガーはどう?」

 そう、結局好奇心で購入したシュガーを食べてもヒースへの恋心は無くならなかった。保障はしないと言ったあの人の言葉をまるっきり信じていた訳ではなかったけれど、小さなシュガーだけで感情をどうにか出来るなんて上手い話はないよなぁと当たり前のことを実感した。
 この気持ちはきっとずっと残る。諦めに近くとも、それに漸く気付いたら何故だか一気に気持ちが楽になった。それが陽気な栄光の街の人との交流で育まれた感情なのかはわからないけれど、恋心が消えてくれなかったのはもう仕方ない、そういうものなんだと思ったら二人に悪いことをしたなぁなんて改めて思って、その日のうちにグランヴェル城に手紙を送っていた。賢者の魔法使い宛てでヒースクリフ様、シノ様と書けばなんとかなるだろうと思ったのだ。
 謝罪と、迷惑でなければもう一度会いたいと手紙をしたためたらあっという間に返事が届いて休みの日に魔法舎を訪れることになった。

 届いた手紙に入っていた地図を頼りに魔法舎を目指せば大きなお城が。
 やっぱり二人がなった「賢者の魔法使い」というものはすごいものなんだなぁと呆然としていると「名前」と声を掛けられる。

「名前、久しぶり」
「名前、この間ぶりだな」

 優しいヒースの声とわざとらしいシノの言葉に少しだけ泣きそうになる。

「ヒース!! シノ!!」

 持っているレモンパイが崩れないよう気を付けながらも二人のもとへ急いで駆けよる。この間はごめんと何度も言えば一瞬驚いた顔をさせながらもすぐに笑顔を作った二人が呪文を唱えた。

「なあ、これレモンパイだろ名前」

 両手にあった重さが無くなって紙袋が宙に浮くと、シノが言う。

「名前、名前が何を思ってあの日あんな態度を取ったのか知らないが、オレもヒースも、名前のことを見かけたら声を掛けるし話がしたいと思ってる」

 シャーウッドの森ではぐれた相手を見つけることが出来たら生涯千切れることのない絆が結ばれるって伝承を名前も覚えてるだろ? オレが何度シャーウッドの森で名前のこと見つけたと思ってるんだ。
 そう顎を上げて言うシノの言葉に何度も頷けば、シノはふふんと笑った。

「ほら名前、オレが魔法舎を案内してやる。まずオレの部屋、次にヒースの部屋だ」
「名前に会わせたい人が沢山いるんだよ」

 レモンパイが入った紙袋が魔法で宙に浮いているおかげで自由になった私の手を二人が優しく掬い上げる。
 まるで子どもの頃に戻ったようにシノが私の右手を取ると、今度は私の左手をヒースが取った。そして優しく手を引いて魔法舎へと導くのだった。

20(二十万打企画)
20200925
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