企画小説
 祭りに行こうと、そう誘ったのは父だった。
 珍しいこともあるものだと思いながらもお祭りは楽しみで、母が用意した浴衣を着て家を出た。日が沈んで辺りは暗いが祭りとあって多くの人が神社へと続く道を楽しそうに歩いている。
 空を見上げれば満月が昇っていて、それを見ながら父の隣を歩く。二人きりで外を歩くのは久しぶりだった。

「母上へのお土産は何にしましょう」
「そうだなあ」

 人込みが苦手な母は元からお祭りには行くつもりはなかったようで、昨日のうちにお参りを済ませていた。

「何か、美味しそうな菓子でも売っていたらそれにしようか」

 そんな父の言葉に頷いて「お菓子なら……家族全員分、いいでしょうか」とお願いしてみれば、笑われてしまう。
 神社の鳥居が見えてくると、お参りに向かう人の数も一気に増える。こんな日でないと見られない量の提灯を見て、すぐ横を駆けていった子どもは歓声を上げる。昔は私もあんな風にはしゃいでいたなと思い出した。
 幼い頃にお祭りに連れて行ってもらった時は、はぐれないようにと父に手を繋いでもらった。人混みに埋もれて息苦しさを感じながら父の手を離さぬよう精一杯歩いたあの日は随分と昔の思い出になってしまった。

「それにしてもどうしてお祭りに?」

 ドッと増えた人の量に少し戸惑いながら、はぐれぬように歩けば父はちらりとこちらを見る。困ったように眉を下げて「変だろうか」と額を掻く。そんなことは、と首を振って「嬉しかったです」と言えば安心したような表情を作った。

「あと数日もしたら名前は学園に戻ってしまうだろう」

 父は「母さんも一緒に来られたらよかったんだが、こればかりは仕方がない」と照れ隠しをするように肩をすくめて笑った。
 忍術学園に入学して、いつの間にか五年生になってしまった。長期休みが終わりに近付くにつれ、家を離れる悲しさで泣いていた低学年の頃を思い出す。昔のように泣くことはなくなったはずなのに、父の本音を知った今、きゅっと胸が締め付けられた。

 元々行儀見習いとして忍術学園に入学した私は、いつの間にか学園を出ても問題のない年齢になった。
 くノ一になる予定はなく、他の女の子と同じようにいつか誰かのお嫁さんになる。けれど、学園にもう少しいたいと家族と先生に我儘を言ったのだ。何も知らないで誰かのお嫁さんになるより、この世の真実を少しでも多く知っておきたい。もう少し友達と一緒にいたい。先生からもっと多くのことを学びたい。頭を下げ、そんな風に両親に頼み込んだことを幼い頃の私が知ったら、びっくりするだろうか。

「そら、菓子よりまずはお参りだ」

 鳥居をくぐった父がそう言って手水舎の方へと足を進めた。

   〇

 紺地に朝顔の花が描かれている浴衣は、昨年母と選んで買った浴衣だった。
 白の輪郭で描かれた朝顔の他に模様はなく、色も紺と白のみという浴衣が大人っぽく見えて着ると背伸びをしたような心地になれる。
 お気に入りの浴衣を着れば気分も良くなる。
 父の本音も聞けて嬉しかった。
 けど。嬉しいものが続いて喜んでいたが、世の中そう甘くないことも私はよく知っていて。
 少しよそ見をしていたら、いつの間にか父とはぐれてしまった。この年齢で迷子はまずいと思いながらもどうすることもできない。本来であればはぐれた場所から離れない方がいい。けれども今日は人通りが多いためそうも言ってられず、人を横切って参道の端に移動することにした。

「不運だ……」

 何かあるごとに不運に見舞われげっそりした顔をしながら歩く保健委員を思い出す。今の私もきっと同じ顔してるはずだ。
 星々が輝くこの時間、自然溢れるこの神社の中での再会は難しいかもしれない。ここで待っていようか。それとも一度家に帰ってしまった方がいいのかな、なんて考えていたら突然「名前」と声を掛けられる。

「ひぇっ」

 背後から、もそりと低い声がしてびっくりしてしまう。しかしその声が耳馴染みのあるものだったので胸に手にを当てて振り返る。

「な、中在家長次先輩、突然声を掛けないでください」

 ゆっくり息を吐いて顔を上げればいつもと変わらず無表情な中在家長次先輩が立っていた。よく見る私服姿に「あれ、中在家先輩のお家はこっちではなかったですよね」と聞けば、先輩は軽く頷いて「昼間、近くできり丸のアルバイトを手伝っていた」と返事が返ってきた。

「ああ、お祭りの日は昼間も賑やかですもんね、確かにアルバイト日和かも……」

 中在家先輩が潮江文次郎先輩と七松小平太先輩ときり丸とで時々アルバイトをしているという話は以前聞いていた。
 どういった訳でその面々が集まったのかはわからないけれど、夏休みという時期をきり丸が利用しないはずがない、ということは私でも察することができる。今日はその面々でアルバイトに勤しんだのだろう。

「お疲れ様です」
「……いや」

 太鼓の音が聞こえる。鈴の音が聞こえる。人の話す声も、下駄が砂利を踏む音も、風が葉を揺らす音も。
 そんな中でも、中在家先輩のもそもそとした小さな声を聞き取ることが出来ている。それが不思議で、嬉しくて、胸の辺りが幸せな気持ちになる。

「……皆好き勝手動いて、はぐれてしまった」
「じゃあ、私と同じですね」

 そう言えば、少し目を見開いた中在家先輩が「平気か?」と尋ねてきた。まるで小さい子に尋ねるような優しい声だった。

「平気です。父と一緒に来たので、もう少し待ってみようかなと。帰る時には必ずここを通ると思うので」

 夏とはいえ、夜はだいぶ過ごしやすくなってきた今日この頃である。ずっとここに立っていても平気だ。そんな気持ちで言えば、中在家先輩は小さく頷いた。

 中在家先輩と私は、忍たまとくのたまであり、先輩と後輩であり、そして学園に入学する前からの知り合いである。
 父親同士が親しく、初めて会ったのは私が五つの時だった。中在家先輩はお父上と一緒に遊びに来て、私に沢山のお話をしてくださった。先輩は当時から多くの書物を読み、知識が豊富だったのだ。

「そういえば、初めてお会いした日にもお祭りに来ましたね」
「名前は家にいる時は静かだったのに、祭りに来たらはしゃいであっという間に迷子になったな」
「あの年以来、大勢の人がいる場所では迷子にならぬよう手を繋ぐように言われ続けました」
「……もう少し待ってもお父上を見つけられなかったら、わたしと祭りを楽しむか?」
「手を繋いで?」
「名前が望むなら」

 冗談で言ってみれば、なんでもないように中在家先輩は頷く。
 私と先輩が出会ったのが随分と昔だったからか、先輩は私に対して幼い子どもを相手にするような言動を取ることがある。忍術学園に通って三年ほどは、兄が出来たような心地になれて嬉しかった。けど、愚かしい私は昔は安心していたその「兄のような先輩」に対して反抗心を抱いてしまう時があるのだ。
 大人っぽい浴衣を着ても、中在家先輩の低くて落ち着いた声を聞けば自分が幼い存在のように思えてしまう。それが悔しかった。まるで、私は今後一生、子どものようにしか見てもらえないんじゃないかって。

「もう、いいですよ。冗談です。私はもう『五つの名前』ではないのですから」
「……そうか、残念だ」

 そんな返事に驚いて顔を上げるも先輩の横顔はいつもとちっとも変わっていなかった。何なんだと思っていれば遠くから私の名を呼ぶ父の声が聞こえる。

「あ、父上!!」

 手を挙げて自分の存在を主張すれば、父の安心したような顔が人混みに紛れてちらりと見えた。


「名前は勘違いしているが、わたしは最初から名前を子ども扱いなんかしていない」

 多くの音に紛れて聞こえたその言葉に思わず振る手を止めて横を見る。提灯の明かりのせいか、いつもより熱を帯びた瞳が私を見ていた。

20(二十万打企画)
20200823
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