企画小説
※mhyk夢(変換主≠賢者で男賢者が登場します。好き勝手書いているので注意)







 ここ最近、同じ夢を見る。
 夜、森の入口に立って立ち尽くす夢だ。家族が待っているから早く家に帰らなくてはいけないのに、どうやって帰るのかわからなくなって迷子みたいになる夢。
 毎日その繰り返しで嫌になる。周りには誰もいなくて、大きな月が辺りを照らしていて、森の草木が風に吹かれてカサカサと鳴る音を聞きながら足が貼りついたみたいに動けない夢。
 そんな夢を、私はずっと見ている。

   〇

「この感じ、夢で見たような……?」

 辺りに何もない森の入口に私は立っている。どうしてここにいるのかわからないけれど、空を見上げれば満月が存在を主張するようだった。
 野良猫すらいないこんな場所で、遠くに微かに町が見えるこの場所で、私は何をしているのだろう。
 何度も繰り返し見た夢が、まるで今日この日のためにあったような気さえしてくる。本来であれば家にいる時間で、でも家への帰り道が思い出せないでいた。森の前にいるということは、この森を突き抜ければ家に辿り着くことが出来るということだろうか。しかし、こんな時間に一人で森に入る勇気は持ち合わせていない。

「どうしよう……」
「おや、悩み事かい?」

 突然の声に驚いて振り返ると、優しい風が吹いて空から人が降ってきた。「久しぶりだね」と私に声を掛けてきたその人は、箒から優雅に下りるとこちらへゆっくりと歩いてくる。いつの間にか箒はどこかへなくなっていて、その人の後にも二人、空から下りてきた。
 月明かりの下、目の前に立った男の人の肩に掛かった白衣がぼんやりと光っていて、優しそうな、けどこちらを判断するような笑顔を見せた男の人は「ひどいなぁ。俺のこと忘れちゃったの名前」と言った。
 名前と呼ばれて、そこで初めて自分の名すら忘れかけていたことに気付く。そういえば、私は名字名前という名であった、と。

「名前の初恋の男で、優しくて頼れるフィガロさんだよ」
「……!! ああ、フィガロさん、お久しぶりです」

 本当に久しぶりだね、とフィガロさんは昔のように目を細めた。随分会っていない気もするし、つい最近会ったような気もする。けれども、フィガロさんが「久しぶりだね」と言ったのだから、きっと久しぶりなのだろう。

「こんなところでどうしたんだい? 何か探し物かな、それとも家出とか」

 フィガロさんの後ろからこちらを見る男の人たちに疑問を持ちながらも首を振る。大好きだった人を前に迷子になってしまったことを報告するのは恥ずかしいと思いながらも、きっとフィガロさんなら「名前は変わらないなぁ」なんて肩をすくめてくれるんじゃないかと思った。

「帰り道がわからなくなってしまったんです」
「へえ」
「こんな時間だからきっと父も心配しているはずなんです」
「うん」
「フィガロさん、申し訳ないのですが家まで送っていただけませんか?」
「俺は優しいからね、名前のお願いならなんでも叶えてあげたいんだけど……」

 一歩近付いたフィガロさんが私に手を伸ばす。
 風がフィガロさんの白衣の裾を揺らして、髪を揺らして、大好きなフィガロさんの匂いを感じたような気がした。

「その前に、名前一つ教えて。その指輪、誕生日プレゼントに俺が贈ったものだよね? ずっとしてくれてなかったのに、どうして今になってしてるの?」

 右手の中指にはめられたシルバーの指輪をフィガロさんは指差して言う。
 フィガロさんは昔から少し意地悪なところがあって、自分のペースに人を乗せることを好む。だから私のお願いは少しだけ横にどけるようにして、自分の聞きたいことを聞いてくる。

「えっと、フィガロさんに貰った指輪だから失くしたくなかったんです。お守りだって言われていたけど、けど、だからこそどこかにやってしまったらフィガロさんに失望されるかなって。けど、今は……えっと、本当だ、どうして私、これ……」
「覚えてない?」

 本当に?
 フィガロさんの端正な顔が近付いてくる。困ったような、けど嬉しそうな顔をしていた。

「フィガロ……」

 突然フィガロさんでも私でもない声がして驚けば、フィガロさんの背後にいた男の人が私たちを見ていた。
 黒い帽子を被り、丸いサングラスを着けた男の人は目が合うなり視線を外して何か言いたそうにしながらも眉を寄せるだけで、その横にいた白い上着を着た男の人はこちらの行く末を見守るように静かに立っていて、私は少しだけ居心地の悪さを感じ始める。

「ああ、わかったって」

 帽子の人の言葉に、フィガロさんは諦めたように、けれどもわざとらしく肩を落とす。「久しぶりに会えたのにね」と私を見たフィガロさんはゆっくりと息を吐いて「名前と会えて嬉しかったよ」と言った。

   〇

 北の国にほど近い中央の国にある森の入口で、夜になると女の幽霊がじっと立ってぶつぶつと呟いているという話を聞いたのは南の国の魔法使いのルチルだった。
 中央の国で買い物をしていた際にルチルが耳にした話はすぐに賢者伝えられた。ルチルは〈大いなる厄災〉の影響と考えたし、その女が呟くのが「家に帰らないと」という悲しそうな言葉なのだと知り、可哀想だからなんとかしてやれないかと思ったのだ。
 街で聞いた話を賢者に話せば、出来るだけ早く対処できるようにしようということになった。実害こそ出ていないものの不安に思う住人が近くにいたからで、それから数日もしないうちに賢者はフィガロとファウストと共に夜の空を箒で飛んだ。

 フィガロを苦虫を噛み潰したような顔をして見るファウストに対し、フィガロは少し酒に酔ったような上機嫌な雰囲気を漂わせていた。
 今回のことを話してくれたルチルは参加せず、賢者と共にやってきたのはフィガロとファウストのみである。それはフィガロの希望だった。
 ルチルから話を聞いたのであろうフィガロは昨夜突然「今回は俺に任せてくれないかな」と賢者の部屋にやってきた。そんな風にやってきて言うフィガロに賢者は勿論と頷くしかない。
 賢者は不思議に思いながら魔法舎への帰るフィガロに声を掛けた。

「フィガロ、あの人は、フィガロのお知り合い……だったんですよね?」
「うん、そうだよ。名前は人間だけど、父親が魔法使いでね、結構強くて、すごく家族を溺愛してた。俺はそれを見るのが、うん、結構好きだったよ。……あの森を通ってずっと北に進むと父親の故郷に辿り着く。名前のお墓もそこにあるよ」

 ファウストの後ろに乗る賢者はへぇと少し驚いた。フィガロが強いと言うのなら、そうなのだろう。

「名前、僕のことすっかり忘れてたな……」
「仕方ないよ。最初自分の名すら忘れてたような状態だったんだから」

 ファウストとも知り合いだったのか、と思いながら夜風に吹かれているとフィガロは胸ポケットから小さな指輪を取り出して月にかざす。それは、彼女が消えた後、唯一残ったものだった。

「俺はさ、気まぐれでこれをあげたんだ。名前の好意は知っていたからね」
「……それ、怒られませんでしたか? その、お父さんの方に」
「ああ、あの時はすごかったよ。俺がそんなつもりないって知ってるから尚更ね」

 笑ってそんなことを言うフィガロに賢者はうわーと顔が引き攣った。

「けど、それでもあいつは名前が可愛かったから俺があげたこの指輪に魔法を掛けてたみたいだ。ぶつくさ文句言いながら呪文を唱える姿が目に浮かぶよ。それが年月を経て〈大いなる厄災〉の影響を受けて、ちょっと変わった形で出てきてしまったんだろうね」

 もう何百年も前に名前は死んでいるし、父親も石になってる。
 そう静かに口にしたファウストの言葉に賢者は「そうなんですね」と言うしかなった。

 賢者は、嬉しそうにフィガロを見た名前の顔を思い出す。「もう、帰りたいのに帰れない夢を見なくていいのね」と安心した名前の顔を思い出す。フィガロが呪文を唱えた瞬間、幸せそうに笑った名前を思い出す。
 あの時、フィガロがどんな顔をしていたのか賢者には見えなかった。しかし、音を立てて落ちた小さな指輪を大切そうに拾ったフィガロの目は優しく、照れくさそうな顔をして笑っていた。

20(二十万打企画)
20200602
- ナノ -