企画小説
 黒い髪に合う黒とオレンジのユニフォーム。
 見慣れないその姿を見た時、私は思わず下唇を噛んだ。



 汗ばんだ肌はライトに照らされていて、髪を流れる汗の粒はユニフォームに落ちていく。喉元から鎖骨のラインを流れる汗を見て、思わず視線を外した。
 体育館の中で双眼鏡を使っているのは見た所私だけのようだ。周りの観戦者は純粋に試合を楽しむためにやってきたようで、ボールの行方を追うようにコートへと視線を向けている。
 セッターの――飛雄の変化に戸惑っているのは私だけかもしれない。試合展開も確かに見ものなのだが、私はずっと、飛雄から目が離せなかった。


 高校生になった飛雄を見たのは、今日が初めてだった。
 及川さんから突然連絡があって青葉城西と烏野の試合を見に来たわけだけれど、飛雄と顔を合わせたら何と声を掛けたらいいのががわからなくて軽く変装をしてきた。
 帽子と眼鏡を掛けて体育館に入った途端、テンション高めの及川さんに見つかって写真を撮られたのは謎だけど、未だに飛雄とは鉢合わせにならずに済んでいる。
 試合が始まってしまえば飛雄がギャラリーの二階席に意識を向けることはないとわかっているので帽子と眼鏡を外す。そうすると、視界が開けて昔よく見た世界がそこに広がっていた。

「名前ちゃん、そろそろ飛雄と仲直りしたら?」
「喧嘩してたわけじゃないですよ。私が勝手に避けてたんです」

 体育館の入り口で再会した及川さんは先輩風を吹かせてそう言ってきた。けれど、私と飛雄が疎遠になっていることが知られているとは思わなかった。
 及川さんの隣にいた岩泉さんに頭を下げて挨拶をすれば、岩泉さんは私がいることに驚いたような顔をしながらも「元気か?」と声を掛けてくれた。
 白と水色の爽やかな青葉城西のジャージは、及川さんと岩泉さんにぴったりだった。

「金田一から聞いたけど、途中からバレー見に来なくなったんだってね」

 そう言った及川さんの言葉は、決して私を責めるような調子ではなく、むしろ心配したような声色だった。バレーが嫌いになった? というように首を傾げる及川さんに、私は小さく首を振る。

「……中学の途中から、バレーをしてる飛雄が怖くなって」

 今でも“王様”になった飛雄を思い出すと胸が苦しくなる。バレーが好きで、うきうきした様子で練習に向かう飛雄を知っていたからだ。
 飛雄とは小学生の時からの仲で、家が近いこともあってバレーの練習にも時々付き合わされた。ジャンプをして振りかぶると、飛雄から上手い具合のトスが上がるのが気持ちよかった。レシーブで腕が痛くなっても、転んで膝を擦っても、彼に付き合って練習をしたのは、その気持ちよいトスが上がるからだった。
 運動神経はあまり良いとはいえないけれど、レシーブだけは今でも得意だ。これは、彼との練習の成果だといえるだろう。

 中学校は飛雄と一緒の北川第一に入学して、セッターとして活躍する彼を応援した。北川第一のユニフォームは青色だったから、自然と周りには青色のものが増えていった。飛雄は、青い色が似合うと思っていた。

 けれども、彼がバレー部の言う“王様”になっていくにつれ、話す回数はどんどんと減っていった。試合を見るのが怖くなっていって、彼を避け始めた。


 北川第一のユニフォームを着て試合に出た飛雄を初めて見た時は、とてもかっこよく見えた。セッターとして活躍する飛雄が誇らしかった。
 いつからか、及川さんと同じ青葉城西に進学して、あの白と水色のユニフォームを着るのだと思うようになっていった。あのユニフォームを着た姿を想像したことだってある。その時の私は、青葉城西のユニフォームは飛雄によく似合うなと思った。
 けれども、現実はそうはいかなかった。
 黒色とオレンジ色のユニフォームは私の知っている飛雄のイメージとは違って、でもとてもよく似合っていた。背が伸びて体ががっしりとした彼にぴったりで、青葉城西のユニフォームを着た飛雄なんてもう想像できない程。

 くりくりした目を輝かせてバレーをしに行った昔の飛雄とは比べられないほど、彼は男の人になっていた。
 ネットの向こう側を見る時の視線は相変わらず厳しくて、けれども真剣勝負が出来る高揚感で楽しそうにも見えた。
 双眼鏡を覗けば、私の知らない飛雄がいて、悔しくて、でも嬉しくて仕方が無かった。

   ○

 一回戦を突破出来たら御の字な弱小バレー部のある高校に入学した私にとって、烏野と青葉城西の試合は刺激的であった。昔はバレーと身近だったこともあり、懐かしくて仕方が無かった。帰宅後、久しぶりに家に仕舞っておいたバレーボールを取り出したほど。
 バレーボールを抱えると、悲しい気持ちがぶり返す。けれども飛雄がチームメイトと充実した高校生活を送っているのだと知って、嬉しくもあった。


「飛雄」

 烏野が青葉城西に負けたあのインターハイから数週間が経ったとある日、私は偶然飛雄を見つけた。そこは、コンクリートで舗装された坂の途中だった。私と飛雄が練習した体育館でも、母校の小学校でも、中学校でもない。なんてことない、道の途中。

 ランニングの途中らしい飛雄に勢いのままに声を掛けると、随分と驚いた顔をされる。
 部活のジャージを着た飛雄は、動揺したように視線をあちこちに向けた後「久しぶり」と小さく反応してくれた。
 飛雄の隣には不思議な顔をした小柄なミドルブロッカーがいる。小柄といっても私よりも背が高い。けれども勿論飛雄と比べたら背が低くて、密かに感動を覚えた。バレー部の中でも小柄な彼から、あんなエネルギッシュなプレーが生まれるのか、と。
 あのインハイの試合を見て、烏野に入学したから飛雄は中学の時のような“王様”ではなくなったのだと気付いた。飛雄は烏野に行って正解だったのだと思った。

「インハイ、お疲れ様」

 私のその言葉に、飛雄の体は微かに震える。

「あの日、久しぶりにバレーを見に行ったの。楽しかった。興奮した。飛雄がバレーしてるの見て、すごく嬉しかった。また、次も絶対行くから。応援するから」
「……ああ」

 負けた試合についての言葉は、いつだって難しい。
 昔も、何と声を掛ければよいのががわからなくてめちゃくちゃ言ったような気がする。なんで今わざわざ飛雄に声を掛けてそんなことを言うのかと、自分でも思う。けれども、あのインハイについて触れないと、私が声を掛ける理由がまるで無いように思えた。私と飛雄を繋いでくれる唯一のものが、あの日の試合になってしまったように思えたのだ。

 北川第一のジャージでもなく、青葉城西のジャージでもなく、烏野のジャージを着た飛雄と向かい合わせになると、視界が微かに滲んだ。
 王様から逃げたのは私なのに、いきいきとバレーをする飛雄を見てちょっと悔しくて、でもバレーを続けてくれていたことが本当に嬉しかった。

「春高、見に行くね」
「ああ」

 前に進んだ飛雄とは、もう応援することでしか関わり合えないのだと実感する。昔のように、放課後にバレーの練習に付き合うようなことは、もう一生ない。
 頭の上にクエスチョンマークを浮かべているミドルブロッカーの十番君に「お疲れ様です。おとり、かっこよかったです」と伝えて頭を下げて立ち去ろうとすると、背後から飛雄の「おい」という少しドスの効いた声がした。

「名前、また練習に付き合ってくれ」

 その言葉に、思わず振り返る。
 風が足下から吹いて木の葉ががさがさと鳴る。
 
 昔と違って、今の私が彼の練習の役に立つ訳がない。飛雄も高校生になって冗談が言えるようになったのだろうか、と思って顔を上げると、至って真面目な顔で彼が私をじっと見ていることに気付く。

 試合を見たあの日、二階席から飛雄を見て、小学生の時の飛雄と、王様になった飛雄と、今の飛雄はまるで違う人のように思えた。きっと彼は変わってしまったのだと思ったけれど、実はそうではなかったのかもしれない。

 私は思わず手を挙げて「うん」と承諾する言葉を投げかけた。
 彼の提案が実際に実行されるのかどうかは置いておいて、その言葉だけで心が軽くなった。
 改めて背を向けて、彼らから離れるように歩き出す。
 坂を下っていけば鼻の奥がつんと痛くなって、気付いたら涙が溢れて止まらなかった。

Thank you from the bottom of my heart.(十万打企画)
20180729
20181121修正
- ナノ -