企画小説
 母親がパートを始めたのだという。
 長期休みに家に戻った時はそんなそぶりなんて見せなかったというのに。
 ヘムヘムから渡された手紙には、週に三日、お昼の時間にお城の厨で働いていると書かれていた。料理好きの母のことを考えたら納得の選択である。
 忍術学園の生徒となり、立派なくの一になるために勉強していたらあっという間に最上級生となってしまった。長期休みに家に帰る度に母が内職をしていたことを思い出す。どうやら、参観日に山本シナ先生を見てから働く女性に憧れを持ったようなのだが……。

「けど、どうして職場がドクタケ城なのよー!!」

 小松田さんに外出届を渡し、いざドクタケ城へと学園を出ようとしたところ、門のそばで一年は組の乱太郎、きり丸、しんべヱが箒を持ってこちらを見ていた。
 三人は不思議な顔をして「どうしたんですか? 名字名前先輩」と首を傾げる。掃除の当番らしい。制服の所々が土で汚れているので払ってやれば、三人は有り難うございまーすと元気にお礼を言う。

「実はね、母親がパートを始めたらしいんだけど、ドクタケ城で働いているらしいの」
「えぇ!!」

 母が働く女性に憧れることに不満はない。私だってシナ先生に憧れている一人だ。けど、ドクタケと聞いたら黙ってはいられないのが普通ではないだろうか。
 ドクタケといったら町の人からも戦好きの城として有名ではなかっただろうか。
 何故、母はドクタケ城で働いているのだろうか。

 ドクタケ忍術教室のドクたまの子たちと何度か話をしたことがあるから“ドクタケ”の全てが悪いと言うつもりはないけれど、戦好きの城の厨で自分の母親を働かせたままにするわけにはいかない。
 そんな話をしてから三人組と別れてドクタケ城を目指す。

 私服に着替えた私は山菜取りをしている若い娘にしか見えないはず。
 背負った籠の中には途中で見つけたいくつかの山菜を入れ、急ぎ足でドクタケ城へ向かう。
 暫くするとドクタケ城が見えてきた。

 午後の授業が無くて本当に良かった。
 そんなことを考えながらドクタケ城の近くまでやってきた所でふと気付く。
 ここにやって来たものの、私はどうやって母親に会えばいいのだろう。そもそも、母は今どこにいるのだろうか。
 手紙によれば今日もここで働いているはずの日だが、お昼に働いていると書かれているだけで実際の勤務時間についてはわからなかった。

「突発的な行動は危険だ」
「その言葉――」

 勢いに任せてきた結果、城を前にして不安になった。
 どうしようかしら――そんな不安を抱いてしまった時、背後から声がした。
 注意するようなその声は学園の先生のように厳しさと優しさがあって、男の人の声にも関わらず思わずシナ先生の顔を思い出した。つい先日も、そんな注意をされたのだ。

 ゆっくりと振り返れば、赤いサングラスと赤い忍装束を身に纏った男が立っていた。その赤い色を見て、目の前の男がドクタケ城の忍者だと気付く。

「こ、こんにちは」
「やぁ」

 とりあえず、と挨拶をすれば、目の前のドクタケ忍者は呆れたような声で挨拶を返してくれた。その仕草が妙に気にかかって胸の辺りが少しもやもやする。



 赤い色のサングラスによって目の前の忍者の瞳がどこを見ているのかがわからなかった。
 呆れた目で私を見ているかもしれない。それとも視線を外してやれやれと思っているのか、目を瞑って考え事をしている可能性もある。
 実際には見えていないのに何を思っているのかは十二分に伝わる。私に対して呆れているのだ、と。でも、どうしてこの人はこんなにも私に呆れているのだろう。

「君、もしかして私が誰だか気付いていないのかな?」
「えっと、ドクタケの、お城の……どこかでお会いしてましたっけ?」

 赤いサングラスを掛けていて、赤い忍装束を着ているドクタケ忍者の区別ってそんなに簡単につくものなのだろうか。けど、向こうは私の事を知っているらしい。

 思案していると、目の前の忍者は大きくてわざとらしい溜息をついて赤いサングラスを外した。

「わー!! 利吉さんじゃないですかぁ……」

 さらりと靡く髪と整った顔立ち、きりっとした目を見て思わず手を叩く。が、すぐにまずいと気付いた。
 仕事でドクタケ城に侵入しているのだろうか。利吉さんは仁王立ちをして私を見下ろしている。

「名前、君は昔馴染みの顔もわからないのかな?」
「すみません」

   ○

 父も母も、忍者ではない。そんな私が忍者になることを目指すようになったのは、利吉さんの影響が強い。
 私がまだ五つくらいの時のこと、今よりもずっと小さな利吉さんと出会った。
 一人、家の近くにある花畑で遊んでいた時、泣いている男の子を見つけた。話を聞けばお使いの帰りだと言う。
 転んだら腕に怪我をして、怪我から流れた血を洗い流そうと川の水音を頼りに歩いていたら迷子になったと唇を噛む男の子の悲しそうな顔を見て、私は勢いのままに男の子の手を掴んで自分の家に連れて帰った。

 怪我の手当てをし、白湯を飲ませた。自分のおやつとして残しておいた団子を渡した所で私は冷静になる。家に連れてきてしまったけれど、どうしたらいいんだろう、と。
 泣き止んだ男の子は考え込んでいる私に気を使ってくれた。多分もう大丈夫だと、私は男の子だからと。無理をしているのはわかったから、とりあえず家のある場所を聞いて、場所がわかりそうな人の所に案内することにした。

 手を繋いで歩こうとすると、男の子は急に恥ずかしがった。来るときは手を繋いだじゃないのと言えば、あれは違うのだと顔を真っ赤にして首を振った。けれども私は、また迷子になったら困るから、ここら辺は私の方が詳しいのだからと無理やりに手を繋いで歩き出した。

 家から少し歩いた所に住んでいる老夫婦は、村一番の物知りだった。
 男の子が家に帰るにはどの道を行けばいいのかと尋ねれば、少し驚いた顔をして地図を書いてくれた。
 途中までは知っている道だったため、念のためにと一緒に向かうことにした。彼と出会った花畑を再び通ったので、彼にもう泣かないまじないだと言って一本の花を贈った。彼は驚いた顔をして、でもちょっとだけ不満そうな顔をしながら受け取ってくれた。

 歩きながら多くの話しをした。その時にようやく名前を教えてもらった。
 助けてくれたから教えてあげるけれど、という前置きをして将来は父上のような忍者になりたいとこっそりと教えてくれた。周りには誰もいないはずなのに、私の耳に口を近付けて秘密だといって控えめな声で彼は言った。くすぐったくて、でも嬉しかったのを覚えている。

 彼があまりにも嬉しそうに父親の話をするので、羨ましくなった。
 どうしたら私も忍者になれるのかと尋ねたら、彼は忍者になるための学校があるのだと教えてくれた。
 名前ちゃんは女の子だから、くの一だよ、と付け加えて。

   ○

 あの出会いから、私の人生は変わった。
 後日、利吉さんがご両親と一緒にお礼にやってきて、以降山田家と交流するようになった。それにより、私はくの一を目指すようになった。


 学園に入る前から利吉さんのことを知っている。そういう縁のおかけが、利吉さんは学園に来る度に私のことを探してくれる。嬉しくて、でも最近は挨拶程度で話を切り上げてしまう。ちょっと先生に呼ばれていて、お使いに頼まれていて、宿題があって、等々の言い訳をして。
 利吉さんはすごい人で、尊敬する人で、私が学園に入るきっかけをくれた人だ。だからこそ、自分の未熟さをひしひしと感じて胸が苦しくなる。



 利吉さんは、持っていた赤いサングラスの縁を触りながら私に一歩近付いた。

「先ほどお母上にお会いしたよ。名前のお母上は今月でパートの仕事を辞めるそうだ。戦好きのお城だとは知らなかったの、と困った顔をしていた」
「えっ!?」
「娘がくの一になりたいと言ったから、忍者を抱えるお城について知りたいと思ったのだと仰っていた。名前の突発的な行動はお母上譲りなんだと改めて思わされたよ」

 淡々と話す利吉さんの話に未だ頭がついていかない。
 利吉さんがドクタケに侵入したのは個人的な仕事の関係なんじゃなかったのだろうか。どうして母の仕事のことを知っているのだろう。

「あの、利吉さんがドクタケ忍者の格好をしてるのって――」
「勿論、君のお母上に会って話をするためさ」
「だって、私、母の仕事のこと、今日知ったんですけど」
「学園で話をしていただろう? それを聞いてね」
「でも、学園には山田先生にお会いするためにいらしてたんですよね?」
「ああ。だからもう学園に帰ろう」

 利吉さんは一瞬の間に変装を解き、いつも学園へやってくる時に着ている私服に着替える。そうして私の手を取って「帰って、一緒に父上を説得してくれないか? 次の長期休みには家に戻ると」と付け加えた。
 変装を解いた時にサングラスもどこかへ仕舞ったのか、赤い色はもう見えなくなった。

「門のそばで三人と話をしているのを聞いて、急いだよ」

 楽しそうに利吉さんは笑った。「名前は何をしでかすかわからないから」と言って私がここへ来るまでに背負っていた山菜の入った籠を持ち上げる。たいして中身の入っていないそれを持ちながら利吉さんはくつくつと笑って「名前の好きなものしか入っていないね」と言った。

 繋がれている手が、妙に熱い。

「学園の道くらい、わかりますよ」
「そうだろうね」
「だから、手、繋がなくても大丈夫ですよ」
「でも、手を繋がないと名前は逃げてしまいそうだから」

 そんなことは、という言葉は音にならなかった。

   ○

 忍術学園の鐘が見えた所で自然と手は離れた。
 利吉さんは「名前」と優しく私の名を囁く。

「学園へは父上に会いに行っているけれど、名前とも話がしたいんだよ」

 歩みは止めずに利吉さんの方へ顔を向ける。利吉さんはこちらへは顔を向けず、まっすぐと学園の方を向いていた。
 今日の青い空は、利吉さんの着物の色に似ているなと思いながら「はい」と頷けば、利吉さんは嬉しそうに「うん」と呟いた。


 私にとって、利吉さんという人は特別だ。でも、利吉さんは皆にとってもかっこよくて優しいお兄さんだ。私だけが彼とお話しするわけにはいかないし、我が儘なんて言ってはいけない。

 山田先生は私を贔屓しない。皆と同じように、可愛い生徒の一人として接してくれる。でも利吉さんは忍術学園の先生ではないから、少しだけ私を贔屓してくれる。それが嬉しくて、でも少しだけ恥ずかしくて、そして胸の辺りが少しだけおかしくなる。

 学園内で会っても話を途中で切り上げてしまう私に対して、利吉さんは一度も怒ったことがない。不快だというような態度を取られたこともない。きっとそれは、利吉さんが優しいからだ。
 魚が餌を求めてパクパクと水面で口を開けるように、私は利吉さんの優しさをどんどん求めてしまうような気がして怖かった。


 利吉さんが好きだ。
 それを意識するようになってからの私は、利吉さんが優秀なプロの忍者であるということを痛感するようになった。優しくて、かっこいい。強くて、冷静で、でも時々子供っぽいところを見せてくる。

 利吉さんに優しく笑いかけられると、私の体に流れる血が熱くなるように感じた。他の人の笑顔を見ても、そんな風にはならないのに。
 人として尊敬していて、忍者として憧れていて、男の人としてとても好きだった。だから沢山話をしたいのに、話すと気持ちのボロが出そうで避けていた。
 昔は手裏剣を投げる所を見てもらったり、火縄銃の使い方を教えてもらったりしていたのにな、と思い出す。
 利吉さんが、いつもドクタケ忍者がしている赤いサングラスをしていてくれたらいいのに。そうしたら、私の熱くなった頬の色に気付きはしないだろう。そんなバカげたことを考えながら一つ息を吐いた。


「利吉さん、今日は有り難うございました」

 学園の門のすぐそばで、勢いに乗って利吉さんの手を掴んでそうお礼を言った。私が手を掴んだために利吉さんは歩みを止め、驚いたような顔で私を見る。

「本当にいきなりだな、名前は」
「すみません。でも、あの、今日だけじゃなくて、いつも有り難うございます。最近お話出来てなくて、でも本当は利吉さんの話とか、忍術の話とか、沢山したくて、でも心の準備がですね」
「……よくわからないけれど、ここでお別れする感じはよしてくれよ。さっき言っただろう。一緒に父上を説得しようって」

 おかしそうに笑った利吉さんは最後にはにかんで肩をすくめる。
 学園の門を叩けば小松田さんののんびりした声が聞こえて、利吉さんは「さぁ、名前」と私の手を引いて学園内に導いたのだった。

Thank you from the bottom of my heart.(十万打企画)
20180417
20181121修正
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