企画小説
※現パロ、転生要素あり





「バイト先でお世話になっている人の結婚式だったんだ」

 帰り道で偶然久々知先輩と会った。大きな紙袋を持ったスーツ姿の先輩はいつもよりも少し表情が柔らかくて、初めて見たスーツ姿にときめいたのと同時に少しだけ胸が切なくなった。
 先輩とは同じ電車に乗っていたようだ。改札を出た所で懐かしい後ろ姿を見つけて思わず先輩の名を呼んでしまったのだが、振り返った先輩は随分と驚いた顔をしていた。地元駅といえど、知り合いに出会うとは思ってもいなかったらしい。


 中学、高校とお世話になった久々知先輩は豆腐好きの優等生として有名だった。
 文武両道という言葉は先輩のためにあるのではないか、と考えたこともあるくらい優秀な方で、図書館で勉強をされている時や部活動で表彰されている時の姿は見てるこちらが背筋が伸びるほど凛としていた。真面目で勤勉、だからといって近寄りがたい雰囲気を漂わせているわけでもなく、友達と楽しそうに話している姿もよく見かけた。
 食堂では必ず豆腐料理の入っているメニューを頼み、幸せそうに食事する姿が可愛いくてギャップだと言われていて、でも時々何を考えているのかわからないような表情で遠くを見ていることもあった。

 塾帰りの私は制服を着ていて、結婚式帰りの先輩はスーツを着ている。シルバーのネクタイはよく見るとドット柄が施されていて、これから家に帰るのだと言った先輩は少しだけネクタイを緩めた。それを見て、再び胸元がきゅっと苦しくなる。
 先輩は昔から大人っぽかったけれど、大学生になった今は前よりも一層大人の男の人ように見える。

 満天の星空の下、隣を歩く先輩がかっこよくて、でも自分の遙か先の、手の届かない人になったような気がした。
 花が咲く季節といえどまだ少し肌寒い。けど、コートを着るほどではなかった。今更遅いけれどブレザーの裾を手で払っておく。少しでも良く見られたいと思うのは、おかしなことではないはずだ。先輩が大人なら、尚更。

「キャンパスライフは、どうですか?」
「楽しいよ」

 昔よりもずっと柔らかくなった表情の理由は、出席していた結婚式の余韻のせいなのか、それともそうさせる人が大学にいるからか。
 わからないけれど、こちらを見る先輩の表情は今まで見たこともない優しい男の人の顔をしていた。


   ○


「名字名前先輩……?」
「ん?」

 忍術学園の食堂で割烹着を着ている女性といえば食堂のおばちゃんと相場は決まっている。だが不思議な事に、今日は桃色の制服を着たくの一教室の名字名前が割烹着を着て料理の乗ったお盆を久々知兵助に差し出している。

「何故先輩が?」
「はは、ちょっと趣味の料理をね」
「先輩に料理の趣味なんてありましたっけ?」

 人が全くいない食堂に一瞬眉をひそめたものの、盆に乗った豆腐の味噌汁を見た瞬間兵助は心を奪われ、席に移動する間も視線は豆腐から外すことが出来ないでいた。豆腐小僧と呼ばれる兵助を慮ってくれたのか、豆腐の量がいつもよりも多めである。

「……先輩、もしかして何か危ないモノでも入ってます?」
「うん。入ってるよ」

 おかしなくらい静かな食堂と割烹着を着た名前を見て兵助が気付かないはずはなく、それでも豆腐を前に肩を落としながら手を合わせた。

「へぇ、何が入ってるのかわからないのに食べるんだ」
「食堂でお残しは許されませんし、豆腐を残すなんてありえません!!」
「君は良い男になるねぇ」

 割烹着を着たまま兵助の前に座って煮物を食べ始めた名前はうんうんと頷く。湯気のあがったお茶を飲んで「熱い」と顔をしかめた名前を見て、兵助はなんでこの人は最上級生になれたんだろうと首を傾げた。


 兵助が名前の料理を残さず食べたあの日から、名前は頻繁に兵助に話しかけるようになった。
 可愛い後輩だと背中を叩く姿は体育委員会の某委員長に似ていると兵助は思ったが、名前のはっきりした性格に勇気づけられることも多く、少しずつ兵助は名前に惹かれていった。

 名前は意外にも優秀なくのたまであった。実習で名前と組んだ兵助は普段と違う真剣なまなざしに随分と驚かされた。物事を判断するための知識と思い切りの良さに助けられ、この人はきっと素晴らしいくの一になるに違いないと思ったものだが、ある日突然他愛のない会話をしている最中に名前は学園を辞めると言いだした。

「本気なんですか?」
「本気だよ。元々そういうつもりだったんだ。先生方には随分前から伝えていたの。知識は多いに越したことはないからここまでやってきたんだけど、流石に家に戻らなきゃいけなくなってしまってね」

 家業を継ぐのだと、いつものようにからからと笑う名前の気持ちが兵助には信じられなかった。名前の決めた道にとやかく言う道理が無いことは理解していたが、その時兵助は裏切られた、と思ったのだ。
 子供のようだと思いつつ、兵助は心のうちを吐き出した。


「――だから、私は、私は……」
「久々知は私が思っていた以上に私を買ってくれていたわけだ。有り難うね」

 私は良い後輩に恵まれたのだね。
 その言葉を聞いた時、胸の奥が痛んだ。胸の奥を鋭いものでえぐられたような痛みだった。それは内側にあるものを吐き出させようとするかのようで、兵助の口は勝手に開いた。

「名字先輩が好きだからですよ!!」

 名前を止めることは出来ないということは兵助も理解していた。けれども一度口にしてしまった言葉は止めることは出来ず、募り募った気持ちを言葉にすればするほど、兵助の頬は濡れていった。
 そんな兵助を見て、名前は優しく手を握る。申し訳なさそうに、丁寧に言葉を選ぶ名前の顔を見て、兵助は名前との年齢の差を今まで以上に痛感した。

「久々知」

 最も隠したかった感情を思わぬところで吐露してしまった兵助に、名前は優しく声を掛けた。名を呼ぶ声は優しく、少しだけ喜びが含まれているようにも聞こえた。

「有り難う」

 だが、それ以上の言葉は言わなかった。

   ○

 もしも生まれ変わったのなら、名字先輩とはもう出会いたくないな。……けれどももし何の因果か先輩と再び出会ったなら、今度は俺が年上でいたい。そうしたらきっと、あの時のようにはならないはずだ。
 先輩が俺を「良い後輩」だなんて思うことはないし、年下だからって好き勝手されることはない。それに再会した時俺が先輩よりも年上になっていたのなら、先輩を前にして己が子供みたいな態度を取ることもないだろう。

 次に名字先輩に出会ったら、先輩を好きになんてならないように努力しよう。苦しくて悲しい想いをしないために、決して好きにならないように、俺は絶対に先輩よりも先に生まれて「年上」になるんだ。

   ○

「久々知先輩」

 兵助はその人に名を呼ばれると、胸の奥がぎゅうと締め付けられる。
 なんの因果か、また学園と呼ばれる場所で兵助は名前と出会った。死ぬ前に願った通り、今度は兵助が名前よりも先に生まれ「先輩」となって。

 後輩である名字名前は、距離感はやたら近くないし後輩らしい可愛げのある少女であった。兵助の背中を昔のように叩くことはないし、兵助を前にしてからからと笑うこともない。だが、兵助の名を呼ぶ時の声は昔と同じで優しかった。
 名を呼ぶと嬉しそうに目を細めるところとか、困った時の仕草とか、真面目に考え事をしている時の横顔が昔と同じであった。だから最初はひどく困ったものだ。つい「名字先輩」と呼んでしまいそうになるのだから。

 名前がクラスメイトと話している姿を偶然見かけた時、笑い方が昔と変わらないことに気が付いた。兵助には見せてくれないその表情を偶然見た時、兵助は泣きそうになった。

 名前と再会したばかりの頃の兵助は「後輩である自分」と「先輩である自分」がごちゃまぜになっていたが、高校に入る頃には気持ちの整理がついた。「後輩である自分」は過去の存在であり、あの頃の「先輩である名字名前」も同じく過去の存在だと思うようになったのだ。
 例え後輩の名字名前があの時の名前と同じ顔をしても、同じ声をしても、だ。

 心の整理はついた。
 だがやはり、兵助は名前のことを好きになった。



 お世話になっている人の結婚式から帰る途中、駅の改札を出た所で後ろから懐かしい声を聞いた時、兵助は少しばかり動揺してしまった。
 きっと――もう名前には会わないだろうなと思っていたのだ。

 スーツを着た自分と制服を着た名前の姿を店のガラス越しに見た時、兵助は結局この世でも差が生まれてしまったなと思った。
 兵助自身が望んだことではあったが、昔の俺はかなりひどいやつだと自嘲した。
 決して好きにならないと誓ったはずが、高校を卒業するまで名前の姿を見るとつい声を掛けていた。関わらなければ好きにならずにすんだかもしれないのに良い先輩風を吹かせた。
 その時の兵助は、昔の名前に似ていた。嬉しそうに名を呼び、普段よりも明るい表情をして話しかけるのだ。けれど、決してそのことに気付く者はいない。昔の名前と兵助を知る者は、その学園にはいなかったからだ。



「キャンパスライフは、どうですか?」
「楽しいよ」

 隣を歩く名前にそう尋ねられた時、兵助の心臓がどくりと音をたてた。
 昔、名前が学園を去ってから一度だけ名前の噂を聞いたことを思い出したのだ。元気でやっているらしい、という噂を聞いた時、兵助は安心した。だが正直にいうと、残念にも思った。噂でなく、名前本人に直接を尋ねたかったのだ。今は何をしているのか、元気でやっているのか、顔を見て話したかった。会って名前を呼ばれたかったのだ。

「名字はどう? 楽しい?」
「はい」

 兵助は、過去に縛られて毎日生きているわけではない。毎日名前のことを考えているわけでもない。けれどもやはり、名前のことを忘れることは出来ないだろうと思っている。

 昔尋ねることが出来なかった言葉を思い出し、それを漸く口にすることが出来た時、兵助は胸の奥底に眠らせていたはずの「後輩である自分」が喜んで泣いているような気がした。

   ○

 桜が舞い散る春のとある日、スーツを着た名前に再び兵助が声を掛けられるのはまだ少し先のこと。

Thank you from the bottom of my heart.(十万打企画)
20180316
20181121修正
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