企画小説
企画「涙の代わりにこぼれた言葉」後日



 好きと、言ってしまった。
 何故そんなこと、言ってしまったのだろう。その言葉を言った瞬間に彼の顔を見るのが、彼と一緒に過ごすことが怖くなった。もうあの瞬間からオレンジジュースもグラスも、私のものではなくなってしまうような気がした。もう、奉太郎の家には行けない気がした。
 中学まではただ一緒に過ごすだけで私は満足だった。奉太郎が良かったと言った本を読んだり、レンタルで借りたDVDを一緒に見たりするのが楽しかった。仲のいい兄妹のようねと言われてもそれは私にとって嬉しい言葉の一つだった。ただの友達ではない関係性の表れだと思っていたからだ。
 高校に入ってから彼が少し不満そうに愚痴を言う中、私は奉太郎が充実した学校生活を送っていると感じた。私がいなくても彼は薔薇色に近い生活を送れる。私ではなく、別の女の子がもたらした生活だった。

 嫉妬とは、なんと恐ろしいものだろう。
 学校で奉太郎と会わないようにすることなんて簡単だった。ただ、見る時はいつだって、あの可愛らしい女の子と一緒だった。

 彼は自らの言葉で否定をしていたつもりだったのかもしれないが、心のどこかできっと薔薇色を望んでいたのだ。


 一週間、奉太郎の家には行かなかった。別に普通の友達だったなら、おかしいことではない。夏休みに一週間会わないなんて、普通だ。
 今までだって、約束をしていたわけではない。ただ、小さい頃から夏休みは奉太郎の家にいた。だから、会わなかった一週間はすごく不思議な時間を過ごした気分だった。

 私だって、女の子と遊んだりする。……今週は、別に遊んでないけど。
 奉太郎だけと一緒にいるわけではない。私は花の女子高校生だ。夏休みを楽しまなければいけない。……今週はずっと家で宿題片付けてたけど。


 一人、家の居間で最後の宿題を終わらせていた。別に奉太郎の家でなければ宿題を終わらせられないわけではない。
 夏休みはあと少しある。友達と宿題が終わったらちょっと遠出をして服を買いに行こうと約束をしていた。このために私は一人で頑張ってきたのだ。もう秋物の服が売っているらしい。ワンピースとか、一着欲しいなぁなんて考えていると家のチャイムが鳴った。


 ドアを開けると奉太郎がいた。
 一週間ぶりなのに、たった一週間なのに久しぶりと言いたくなった。しかし、それよりも前回会った時の事を思い出してドアを閉めたくなった。どうして奉太郎は普段の通り、何もなかったような顔をしているのだろう。


「名前の家は久しぶりだな」

 本当にそう思っているのか疑問なくらい、彼は私の家の居間に馴染んでいた。何年も前に来た時と同じ場所に座っている。
 食器棚を開けると、今さらこの家にも彼専用のグラスがあったことを思い出した。今までそのグラスを見ても何も思わなかったのに、今日彼が家に来てようやくその事を思い出したのだ。
 母親が初めて彼にこのグラスを渡した時、なんて彼と不釣り合いな物を出したのだろうと思ったが、今考えると大人になってからも使えるようにするためだったのかもしれない。

 冷蔵庫の中にはリンゴジュースが入っていた。奉太郎は飲むのだろうか。無難に麦茶がいいのだろうか。
「リンゴジュースと麦茶あるけどどっちが飲みたい」
 そう言えば、名前が飲むのと一緒でいいと言われた。ならば、リンゴジュースにしようか。

「オレンジジュースはないのか」
 そうぽつりと奉太郎が尋ねてきた。心臓をきゅっと握りしめられたようだった。
「奉太郎の家でしか、オレンジジュースは飲まないよ」
 そう言うと、奉太郎は少しだけ不思議そうな顔をした。
「……そうか。それは、知らなかった」

 リンゴジュースの入ったグラスを渡せば、少しだけ嬉しそうに奉太郎は笑った。
「なんて言ったら、伝わるんだろうな。俺はあまり、そういうのが得意じゃない」
 奉太郎は少しだけ私の顔を見た後、ひとつ深呼吸をした。

「気持ちの伝え方には、たぶん俺が考えるよりも遥かに沢山あるんだ。だが、俺にはそんな才能がない。だから、その、だな。名前が……好き、だ」

 顔を赤くして、最初は早口だし最後は小さくて聞きずらいしで何を言っているんだと最初は思ったが、言葉を頭の中で繰り返し、言葉の意味を理解しようとすると、彼が何を言ったのか理解できた。どうして急に家に尋ねてきたのかがわかって私は次第に自分の心臓の鼓動が速く、そして大きく高鳴っていることに気付いた。ばくばくとうるさいくらいに動く私の心臓に自分自身で怖くなったほどだ。こんなにも嬉しいのに、壊れて死んでしまうのではないかと心配してしまうくらい。

「高校に入って、少し何かが変わった気がしたんだ。学校にいる時のお前は、いつも楽しそうだった。俺がいなくても、名前は楽しそうに笑うんだ。別にそんなこと、当たり前だって、わかっているのに」
 嫉妬をしていたのかもしれん。そう最後に付け足した奉太郎はちらりと私の顔を見た。相変わらず彼の顔は赤く染まっていた。

「私も、好き」
 そう奉太郎に言えば少しだけ嬉しそうに知ってると言って笑った。
 蝉はまだ鳴いている。高校一年の夏は、もう灰色ではないみたいだ。

夏休みとは「 」だ。(夏休み企画)
20130214 加筆
20150510 修正
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