小説
 恥ずかしくて消したい過去がある。そういうのを黒歴史と呼ぶそうだが、まさに言葉通りだなと思う。
 幼い頃、よく遊んでいた男の子がいる。それが、所謂幼馴染という言葉に当てはまるのならば、彼は私の幼馴染なのだと思う。といっても、漫画にあるような幼馴染という関係とは少し違う。家が隣とかではないし、お互いの家を普段から行き来していたわけでもない。
 幼稚園の頃、一番仲が良かった男の子が彼なのだ。彼の家に遊びに行ったことはあるし、彼も私の家に遊びに来たことがある。だけど、女の子の友達とさして変わらない頻度だったことから、いまいち幼馴染という認識は持っていない。

 けれども、小学生になってから一緒に遊ぶことは無くなった。
 高校生になった今、彼と同じ烏野高校に通いながらも挨拶をすることすらなくなっていた。学校ですれ違っても気付かないふりをした。何故って、私は彼を見かけると、消し去りたい過去を思い出すからだ。

 小学校に入ると、幼稚園の時と同じような距離感でいると周りにからかわれた。それも原因の一つだけど、きっかけの一つだったにすぎない。私が徹底して彼を避けるようになったのは、私が彼にしたキスが原因だった。

 幼稚園の頃、彼にキスをした。
 寝る前に読み聞かせられる童話や何度も見たアニメ映画に出てくるお姫様は、キスによって目覚め幸せになっていた。綺麗なドレスや可愛い動物たち、優しい王子様と笑顔が可愛いお姫様。幼い頃の私は、そういうきらきらとしたものが好きだった。
 恥ずかしいことに、当時の私は眠っている人にキスをすれば目を覚ましてくれると思っていた。だから、遊び疲れて寝てしまった彼にキスをしたのだ。彼の家に行って、彼の母親が台所に行ってしまっていた間に。
 しかし彼は起きなかった。
 起きなかった彼を見て、物語とは同じにならないことを知って、それ以降そういうコトはしなかった。しかし、それから様々なことを知って、キスは簡単にするものではないと知った。恋愛感情を持つ男女がするものだと知った時、彼とのキスを思い出して恥ずかしくなってしまったのだ。

   ○

「ねぇ、名前ちゃんって隣のクラスの縁下くんと幼稚園からずっと一緒なんだね」
「えっ」

 昼休みに友人とお昼ご飯を食べていた時、突然そんな話をされた。思わず出た声は思ったよりも大きく、周りの視線を感じ恥ずかしくなる。

「昨日の委員会でね、クラスごとに並んだから縁下くんが隣だったの。それで――」
「なんで私の話になったの」
「うーん、なんでだっけ。確か、縁下くんの方から『名字とよく一緒にいるよね』って、声掛けられたような」

 何故、彼はそんな言葉を彼女に掛けたのだろう。私たちは、ここ数年まともな会話をしたことがないのに。
 どきどきと心臓がうるさくなるのを感じ、なんて言えばいいのかがわからなかった。気持ちを落ちつけようにと彼女から視線を外し、教室のドアの方へ顔を向けると何故か彼がいる。

「あれ、縁下くん」

 縁下力――彼を見ると、過去の無知な私を思い出す。眠っている彼にキスをしたことを思い出して恥ずかしくなる。彼を見ると顔が熱くなるようになったのは小学校中学年頃からだ。
 幼稚園の頃は同じくらいの身長だったけれど、彼を避けてから随分と月日が経ってしまった。私と彼の身長差がどのくらい出来てしまったのはも、今の私にはわからない。
 知らない間にバレーを始めていて、知らない間に逞しくなっていった。もう彼は、私の知る力くんではなくなってしまったようなのだ。
 彼のことは嫌いではないし、いってしまえば初恋の人である。
 あの時はわかっていなかったが、私は彼が好きだからキスをしたのだと思う。眠っている人なら誰でも良かったわけではない。好きな彼だから試したのだ。

 幼い頃の彼はとても優しく、困ったことがあるといつだって助けてくれた。彼はとても良い人だ。避けられているのを気付いているだろうし、不思議だと思っているに違いない。けれども彼は良い人だから、私とすれ違っても怒るような態度を取らないし、悪く言う人でもない。そういうことを私はよく知っていた。
 良い人だと知っていても、あの日の出来事を思い出してつい避けてしまう。どうしようもないくらい、過去の自分が恥ずかしいのだ。
 彼はきっと知るはずもない。どうして私が彼を避けているのかなんて。そもそも、知られたくないから避けているのだけれども。

「昨日配布出来てなかったプリント、回ってきたら渡すね」

 自分のクラスではないのに構うことなく簡単に教室に入ってきた彼は友人にそう言ってプリントを渡す。委員会関係の話を少しした後、彼はすぐに教室を出ていった。
 しばらくの間、全く動けず、息をするのも忘れていた。彼が閉めたドアの音を聞いてようやく息を吐くことが出来た。

「縁下くんがね、最後名前ちゃんのこと見てたよ」
「まさか」
「えー、本当だもん」

   ○

 部活が終わった放課後、友人とも別れ、一人で帰宅していた時、後ろから声を掛けられた。

「名字!!」

 思わず振り向いてしまった。
 振り向いた時、少し後悔をした。なんで今日に限って彼と会ってしまうのだろう。

「ああっと、えっと……危ないから送ってくよ」
「えっと、部活の人とかは?」
「寄りたいとこがあるらしくて」
「……そっか」

 送っていくと言われたら、断ることが出来ない。学校からの帰り道、彼は私の家の前を通って帰ることが一番の近道だからだ。
 不自然な態度にならないようにお礼を言うも、ついつい彼の口元に視線を動かしてしまう。


「ねぇ、俺が、昔……」

 道の途中で立ち止まった彼につられて足を止める。
 彼は突然話し出すも、その後の言葉は続かなかった。何か考えているように私の顔を見ていて、私もつい彼の唇を見てしまう。
 彼の薄く、形の良い唇は目に毒だ。

「名字、幼稚園の頃、お、俺が……キスしたのが気持ち悪くて避けてんの?」
「え、はっ!?」

 突然の言葉に思わず変な声が出てしまう。

「いや、えっ? き、キスしたのは私の方、だよ!?」

 何を言っているんだと混乱した私は、つい隠していた過去を言葉にしてしまった。言ってしまったことに気付いて慌てて自分の口に手を当てる。
 どんどんと顔が熱くなり、恥ずかしくて涙が出てきそうになる。
 彼は、ポカンとした顔をして私を見ていた。



「つ、つまり、お互いに寝ている間にキスしてたってことか」

 彼も私も、真っ赤になりながら互いの話をした。
 家の近くの公園で、知り合いに見つかったら不思議に思われるような状態で。
 恥ずかしくて泣きながら話す私に彼は綺麗なタオルを渡し、安心させるように背中を撫でてくれた。彼が今も変わらず優しい男の子だと気付いて胸が騒いだ。

 話を整理すれば、どちらが先かはもうわからないけれど、寝ている時にキスをしたのは互いに卒園が近い頃だったようだった。
 彼がそんなことをしたのは、私の家に来て、私が彼にそういう絵本を見せ、一緒にアニメを見たのが原因だった。彼も私と同じように、寝ている相手にキスをすれば起きると思ったようだ。

 小学生になり、周りのからかいがあり、力くんと呼んでいたのに縁下くんと呼ぶようになり、名前ちゃんと呼んでいた彼はを私を名字と呼ぶようになった。
 からかわれるのがイヤで距離を置き、起こそうと思ってしたキスが実はそんな簡単にするものではないと知った時、私は彼を避けだした。
 そして私が彼を避けだした時、彼は勘違いをした。彼がしたキスのことを私が覚えていて、そのキスが気持ち悪くて避けだしたのだと。

「気持ち悪いとか、思わないよ。ただただ恥ずかしかったの。顔見ると思い出しちゃうんんだもん。何もわかってなくて、簡単にそんなことした自分のこと」
「じゃあ、俺のこと嫌いじゃないってこと?」
「うん。黒歴史が恥ずかしいだけ」

 タオルを握ってそう言うと、顔を真っ赤にした彼が嬉しそうに笑った。
 背中を撫でていた手はゆっくりと離れ、私の手を握る。自分の手と比べると随分彼の手は大きくて、しっかりとしていることに気が付いた。

「よかった。俺、名字のことずっと好きだったよ。あの頃から、ずっと」
「えっ?」
「キスしたのも、本当に起きたらいいのにって思ったから。だって、童話のお姫様は王子様のキスで起きるだろ? もし君がキスで起きたら、俺は、名字の……特別かなって」

 彼の唇が、少し近付く。「まぁ、そんなおとぎ話ではなかったんだけど」と軽く笑いながら言う彼の唇から目を離すことが出来ない。

「もう一度、キスしてみる? キスして目が覚めるなんてことはないけど、一応ハッピーエンドみたいだし」
「……わ、私の気持ち、まだ何も」
「うん、教えてよ」

 キスしたら、もう恥ずかしい過去じゃなくて可愛らしい過去になるよ。忘れさせてあげないよ。あれがあったから、名字は俺のこと強烈に意識するようになったってことだし。
 そんなことを言ってしまう彼に悔しいと思いながらもドキドキしてしまう。

 知らない間に心身ともに逞しくなった彼に心臓は一層うるさくなる。
 それがなんだか悔しくて、一泡吹かせたくなって彼の腕を引っ張ってキスをした。
 二度目のキスは思い切った結果、歯が当たって痛いしムードも何もなかったけれど、縁下くんの鳩が豆鉄砲食ったような顔も見れたし、私は物語のお姫様にはないけど、彼の“特別”なようだからいいかなって思ったのだった。
 
title by 魔女のおはなし
20160918
20191224修正
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