小説
 もう日は落ちて辺りは薄暗かった。風が髪を揺らす。はあと息を吐きながら冷たい地面に倒れこむ。布団が恋しい。草と土の匂いがする。手足が冷たくて、もう冬なんだなと実感する。
 お腹が空いて年下の友人であるしんべヱのように、ぐうとお腹が鳴った。誰か見つけてくれないかなぁなんて思いながらゆっくりと仰向けになる。既に月は昇っていた。星が空いっぱいにきらきらと輝いているのを見て、思わず溜息がこぼれた。

 自主練をしている最中に足を挫いてしまった。今更足掻いても仕方がないことはわかっているけれど、試験前につい頑張りすぎてしまった。一人空を見ていると、焦っていた気持ちが少し薄れていく。
 別に、歩けないことはない。ただ、誰か私を見つけて保健室へ連れて行ってくれないだろうか、なんて思ってしまったのだ。
 先ほどまで体を動かしていたため体にはまだ熱がある。寒さは気にならないが汗をかいたままここで寝ていたら風邪をひくかもしれない。そろそろ怠けずに動き出そうと思っていると、頭の方から足音がした。

「もしかして、名字か?」
「そうだよ」

 私の顔を覗き込んだのは友人である鉢屋だった。

「足挫いちゃってさ。ちょっと私を保健室に連れてってくれないかなぁ」
「ひどいのか」

 足のことを伝えると彼はさっと屈んで真面目な顔をして尋ねてきたが、私が違うと伝えると安心したように一つ息を吐いた。

「ちょっと心配した」
「でも痛いことは痛いから、連れてってくれると助かるなぁなんて」

 そう言うと、鉢屋は私の泥だらけの髪の毛を一度撫で、背中に手を入れて上半身を起こしてくれた。

「お前は本当に……」
「数日したら実技の試験だって周りの子がいろいろ言ってるの聞いたらさ、焦りだしたんだよ。その試験の評価、別に特別重要ってわけじゃないんだけど……」
「何かあったのか?」
「うーん」

 背中を向けて乗れと催促する鉢屋に従い、私は彼の肩に手をかけた。

「肩貸してもらおうと思ってたんだけど、まさかおぶってもらえるとは思わなかった」
「これなら、私に気にせず泣けるだろ」
「泣かないよ。本当に、そういう感じじゃないんだ。ただ、なんか焦ってる。季節のせいかな。何かあったわけじゃないからさ、大丈夫だよ」
「そうか」

 鉢屋はそれ以上何も言わなかった。

   ○

 保健室まで着くと、鉢屋は少し用があるからと部屋に入らずにどこかへ行ってしまった。
 新野先生に処置をしてもらっていると、先ほどまで地味に感じていた痛みが気にならなくなった。なんて不思議なことだろうかと先生に「痛みが無くなりました」と伝えると、先生は「名字さんは昔からよくそう言ってくれていましたね。ただ無理してはダメですよ」と笑った。きっと私は単純なんだろう。先生が見てくれたから、処置してくれたから、大丈夫だと思ってしまうのだ。

 ゆっくりと足を動かし、歩いても問題が無いのかを先生に確認してもらう。
 慎重に歩いてみると少し痛みを感じる。試験までに治るだろうか。
 結局、明日も保健室を尋ねることになったのだが、新野先生と話している最中に鉢屋が保健室に入ってきた。

「まだ夕食、食べてないんだろう」

 鉢屋はの声は随分と優しい。思わず頷くと、鉢屋は歯を見せて笑った。「大したことないけど、作ったから」と、手を差し出され、新野先生に頭を下げる。
 彼の手を取るために一歩踏み出す。
 さっき感じた痛みは、不思議と無かった。



 食堂に着くと、鉢屋は食事を持ってきてくれた。

「なんか、至れり尽くせりだね。有り難う。鉢屋様って感じ」
「本当にお前は調子がいい。ほら、味噌汁は先ほどまでいた四年が残してくれてたんだ」
「わぁ、有り難い」

 盛られたご飯の匂いによだれが出そうだった。大根の味噌汁すら、なんだか愛おしく感じる。お盆にはもう一皿、野菜炒めが乗っており、鉢屋がこれについて触れないところを見るにこれを作ってくれたのは彼なのだろう。彼は元々器用な人間だが、この野菜炒めもとても美味しそうである。

「鉢屋、本当に有り難う。なんて豪華なご馳走だろう」
「おおげさだなぁ」
「いただきます」

 手を合わせて、まず彼が作ったのであろう野菜炒めに手を出す。

「おいしい」

 美味しいものを食べると幸せな気持ちになる。目の前で私の顔をじっくりと見ていた鉢屋は嬉しそうに歯を見せて笑った。少し自慢げに「そうだろう」と言った鉢屋にもう一度美味しいと伝えた。
 美味しいものを食べていると、幸せでいっぱいになる。胸がきゅっと締め付けられるようだった。なんだか泣きそうになったが、ぐっとこらえて次にご飯を食べる。

「飯を食べたら、きっと元気になるさ」
「うん」
「怪我もすぐ治る」
「うん」
「だから、今は食べるんだぞ」
「うん」

 特別、何かあったわけでもない。でも周りの成長を感じると焦る。元々器用な人間ではないから、余計に。
 そういう時、彼や彼の友人はそっと背中を支えるように声をかけてくれる。鉢屋は普段から変装のために人を観察しているためか、私の少しの変化も気付きやすいようで定期的にこうやって心配してくれるのだ。

「ごちそうさまでした」

 再び手を合わせる。そして目の前の彼に対して感謝をしながらもう一度「おいしかったです。ごちそうさまでした」と言うと、彼は安心したように小さく頷いた。

「今度は、名字の作ったものが食べたいな。……ああ。ただくノ一の好きな、変なものを入れるのはやめてくれ」
「なっ、やらないよ。そんなことしませーん」
「その時は、また二人きりだ」

 照れ隠しなのか、私の顔に変装した鉢屋がそう言った。耳が真っ赤なのを見ると相当恥ずかしいのだろう。再び胸がいっぱいになる。幸せでいっぱいになるのだ。私が何度も頷くと、鉢屋は再びいつもの不破の顔になっておかしそうに笑った。

「やはり私は、名字が好きなんだなぁ」

title by 羊毛さん(深海メトロポリス)
20151219
- ナノ -