小説
「漫画みたい」

 思わず口から出たその言葉に目の前の男子生徒も笑った。薄暗い廊下の壁際を歩いていたため、角から人が飛び出してくることにぶつかるまで気付くことが出来なかった。互いにゆっくり歩いていたことが幸いし、転ぶこともなく怪我の心配はなかった。

「あぁ、確かに漫画みたいだ」

 大丈夫かと心配されたため、どこも痛いところはないと伝えると、それは良かったと彼は笑った。彼の黒い柔らかそうな髪が揺れる。

「ごめんなさい。あなたも怪我ない?」
「ああ、大丈夫。怪我はない。……漫画といったら、ここにもし食パンがあったら完璧だったかもな」
「確かに、そうしたら運命の出会いだったね」

 私が冗談めかして言うと、彼は「でもそれはお互いに初めての出会いの場合だろ?」と笑った。

   ○

 あれから時は経ち、互いに三年生になった。あの出来事がきっかけで私たちは親しくなり、青八木くんを交えて話をしたり時々一緒に昼食を食べるようになった。部活での悩みを相談したり、励まし合ったりするうちに私の中で彼の存在は少しずつ変化していっていた。
 最初は「手嶋くん」と呼んでいたのに、次第に「手嶋」と呼ぶようになった。手嶋は最近「そろそろ純太って呼ばないか」と笑いながら言うようになった。青八木くんは少しだけ嬉しそうに頷いていた。


「名字にとってはあれが初対面でも、俺は名字のことをそれ以前に知ってたからな」

 お昼休み、あの日と同じ場所で鉢合わせた私たちは、つい懐かしくなってあの時のことを話していた。そんな中、手嶋は何もないようにそう言った。どこで私を知ったのだろうと思い彼に尋ねると彼は目を細めて笑うだけだった。

 手嶋は変わったなと、隣りを歩いて思った。髪は少し伸びたようだし、なんだかかっこよくなった。最近は目をきらきらさせて部活の話をすることが多く、充実している生活を送っていることがわかる。

「部活、頑張ってるみたいだな」

 手嶋からそう言われて、私は嬉しくなった。頑張っていることを褒められるのは好きだ。嬉しくなって、もっと頑張ろうと思えるから。

「そう、そうなの。新入生も去年より入ってきたし、私も結構頑張ってて……」
「ああ」
「手嶋に褒められると嬉しい。手嶋も頑張ってるから私も頑張ろうって思うよ」

 私がそう言うと、嬉しそうに手嶋は笑って「俺もだよ」と小さな声で呟いた。


「さっきは言わなかったけどさ、俺が名字を初めて見たのは入学式の日だよ」
「えっ、そんな前なの!?」
「門のところでさ、がちがちになりながら写真撮られてたの見て、すごく印象に残ってた。可愛いなって思ったよ」
「なにそれ、恥ずかしすぎるでしょ」

 確かに入学式は緊張していたことぐらいしか覚えていない。同じ中学の友人を自ら探すことすら出来なかった。そのくらい緊張していたのだ。今でも家族にはあの時の写真で笑われる。高校生であんなに緊張してる子は周りに一人もいなかったと。

「その次に見かけた時はさ、すごく楽しそうにしていたのを見た。話したこともなかったけど、『あぁ、馴染めてよかったなぁ』って」
「何目線なのそれ」
「それでその次が、あの日だ。俺たちはぶつかって、そこからこうして今に至る」
「食パンは無かったけど、運命だね」
「まぁ、確かにな」

 そんな中、後ろから大きな声がした。振り返ると赤い髪の男の子が手を振っていた。どうやら手嶋を呼んだらしい。
「女子と一緒なんて珍しいっすねー、彼女ですかー?」
 驚いて手嶋の方を見上げると、あいつ大声で何言ってるんだと言いつつも、怒っているのではなく、困ったように笑った手嶋がいた。

「悪い。後輩だ……。悪いやつじゃなくて」
「わかってるよ。だって、手嶋、怒ってないし、嫌な顔もしてないもん」
「そりゃあ、だって名字……。いや、ちょっと行ってくるわ。じゃないと部活でもいろいろ聞いてくるし」
「うん。いってらっしゃい」

 また、と手を振ると手嶋も同じように手を振ってくれた。そして一瞬何か考えたようにした後、私の腕を優しく掴んだ。

「初めて名字を見た時、可愛いって思った。今は、綺麗になったなと思うよ」

 まさか今そんなことを言われるとは思わず私は驚いて、明らかに狼狽えているとわかるおかしな声を出してしまった。顔が一気に熱くなる。きっと顔は真っ赤になっているだろう。恥ずかしいなと思いながら、照れていると思われるのがなんだか恥ずかしくて、私はついつい何それ意味わかんないと返した。すると手嶋は待ってましたと言わんばかりに嬉しそうな顔をした。

「本当はわかってんだろ。俺は名字が好きなんだって!」

title by 魔女のおはなし
20151028
20161211 修正
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