小説
 西広くんは野球初心者らしい。
 それを知ったのは、同じクラスになってから数ヶ月経った頃、夏休み前だった。少し恥ずかしそうに、困ったように西広くんは言った。それでも野球部の練習のきつさは彼以外からも聞いているし、きっと野球が好きなのか、それともチームが好きなのか……どちらにしても私には野球部の西広くんというイメージが作られていた。西広くんが、他の部活だったらという考えはあまりしたくなかった。彼はとても充実した部活動を送っているようだったからだ。

 西広くんから野球部の話や勉強の話はしてくれるが、彼自身の話はあまりしてくれなかった。彼がしたくないならそれでもいいと思っているが、彼と過ごしていくうちにどんどんと大きくなる彼への恋心は、それを欲した。
 誕生日の日に友人から祝われているのを見たらしい彼はその日、私に前々から私が大好きだと言っていたお菓子をプレゼントしてくれた。私は彼の誕生日も、好きな食べ物も知らなかった。彼がまんべんなく勉強ができることは知っていたが、好きな教科はわからなかった。

 西広くんのことが知りたい。彼が好きだからだ。

「西広くん」
 西広くんを呼べば、彼は笑って応えてくれる。どうしたって、教科書をとんと机の上に揃えた。次の授業までの休憩時間、それは彼と話せる特別な時間だ。

「今日雨だね、部活どうなるの」
 いつものように、部活のことを尋ねる。今日は朝から雨が降っている。天気予報も一日中雨は止まないと報道していた。
 彼の事が好きになったと気付いた時から私は天気予報は毎朝欠かさずに見るようになっていた。今日は雨だねとか、今日は暑いから熱中症に気を付けてねとか天気だけでも話の種となる。私には大事な朝の日課だ。

「今日は元々ミーティングだけだったから、変わらないかなぁ。直ぐに帰れるってなんか不思議だよ」
「おっ、それはいいね。いつも大変だもんね」
 私がそう言えば、また西広くんは笑う。大変だけど楽しいよってそう言いながら。

「でも帰ったらきっと妹の遊びに付き合うことになるから、今日も疲れるかも」
「えっ、西広くん妹さんいたんだ」
 何ヶ月も同じ教室にいて、少しずつ会話をしていって、少しずつ仲良くなっていった。そして今日、また新しい彼を知る。
「あれ、今まで話してなかったっけ」
「うん、でも西広くんはきっといいお兄ちゃんだろうなって今思った」
 そうかなぁと少し照れた西広くん。そうか、彼はお兄ちゃんなのか。だから頼りになって、気配りが出来て、優しいのかな。

「西広くんのこと、まだ沢山知らないことがあるね」
「俺も名字さんのこと、知らないことばかりだよ」

 そうなのかな、私はもうたくさん西広くんに自分のことを話したような気がしていた。好きな食べ物も、苦手な教科も。気になってる歌手とかいつも見てるドラマ。話してきたつもりだったが彼はそうだとは思っていないようだ。

「名字さんの話は楽しくて、いつまでも聞いていたくなるんだ」
 ドアが開いて次の授業の先生がゆっくりと入ってきた。西広くんはまたねと笑った。それに応えて自分の席へ戻る。心臓がばくばくとうるさい。あんな風に言われて、嬉しくないはずがない。
 これから私の好きな授業だ。でも、それどころじゃなかった。今の私には授業の内容なんか頭に入る気がしないのだ。

title by 魔女のおはなし
20130302
20150402 修正
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