小説
「奉太郎ってさ、むっつりだよね」

 そう彼の背中に向かって言う。少しだけ強めに、わざととげのある言い方で言えば奉太郎は飲んでいた水を拭きこぼしそうになっていた。奉太郎が持っていた透明なグラスは飲み口が広く、奉太郎が動いたせいで半分は彼のポロシャツにダイブするが如く飛び込んでいく。

 グラスに入っていたのがジュースでなくただの水で、彼が今日着ていたのが去年も着ていたポロシャツでほんの少しだけ、私は安心した。

「わかりやすい……。しかしそうか。自覚があるのか」

 私がそう言えば奉太郎はない、と顔を横に向けた。拗ねてしまったようだ。
 奉太郎の家に来て夏休みの宿題を終わらせる。それは何年も前から夏休みでは習慣のようになっていた。彼はほとんど家で涼しく過ごしているし、図書館よりも学校よりも近い彼の家は私にとって自分の家よりも緊張感があり、図書館よりも自由に出来る素敵な場所だった。

 昨日、彼はバイトだと言って一日出掛けていた。そんなこと今までに一度もなかったからひどく驚いた。それを聞いた時すぐに天気予報を確認したほどだ。天気予報では一日中晴れだと出ていたけれど、私には今に雪でも降るのではないかと疑わずにはいられなかった。しかし私の予想に反してその日一日は驚くほどに暑く、青い空が綺麗な一日だった。

 今日、彼の家のインターホンを押す時私は自分の指が震えているのに気付いた。
 今年に入って奉太郎が、今までの奉太郎と違う人のように感じることが多くなってきた。部活で何かあったのだろうか。私は彼の学校生活に全く介入していない。だから尚更、高校に入ってから彼は変わったように思えて仕方が無かった。いつか知らない人のように思えてしまうのではないかと感じるくらい、私は彼の変化を知りたくなかったし、見つけたくなかった。だから彼の所属している部活には関わらないようにして、学校で会おうともしなかった。


「奉太郎。変わったね」

 奉太郎は女の子なんて興味ないんじゃないかと思っていた。しかし最近部活の子といるのを見かける。距離が近くて、奉太郎は時々顔を赤く染めている。そんな彼を見てから奉太郎は男の子なんだと改めて実感した。
 奉太郎は男の子だ。知っていたのに、長く一緒にいたせいかそういうことを忘れていた。男の子なのに、他の男の子のように下品な言葉も行動も取らないからかもしれない。異性として好きなはずなのに、異性だと感じさせなかった。
 奉太郎は濡れてしまったポロシャツをどうしようか考えているようで、グラスを机の上に置いて着替えてくる、と部屋を出ていってしまった。

 奉太郎は、知らないんだろう。私が彼を好きなことを。
 彼への気持ちに気付いてから、家を訪ねることに緊張するようになった。電話をする時なんか、彼の声が耳元でするのがくすぐったくて、恥ずかしく思うようになった。本当は学校でも話がしたくて何度も声をかけようとした事とか、そういうことは何にも知らないんだろう。
 奉太郎は、ずっと彼女なんかいないでぼけーっと学園生活を過ごしていくんだと思っていた。だから私は、同じように隣りにいれば幸せなんだと思っていた。


「捗ってるか」
 文庫本片手に戻ってきた奉太郎の様子からはもう勉強する気は感じられない。
「助平くん。私も今日は終わりにしようかと思ってね」
 まだそれを言うのかと軽く文庫本で頭を叩かれた。
 奉太郎はすぐ隣りに座る。

「名前」
 奉太郎に名前を呼ばれるのは好きだ。いつもくすぐったくて、嬉しくて笑ってしまう。
 何故私は奉太郎にむっつりだの助平だの言ったのだろう。なんだかふと、言いたくなったのだ。からかって奉太郎に構ってほしかったのかもしれない。昨日だって結局部活で集まっていたと言っていた。ちくりと、胸が痛い。好きで好きでたまらないくせに、私は奉太郎といると苦しくてたまらない。嬉しいはずなのに、泣きたくて仕方ないのだ。


「お前は……」
 奉太郎が近付いてきた。床に置いていた手が触れ合い、肩がくっつく。こんなに奉太郎との距離が近いのは久しぶりだった。
 幼稚園の時、恋愛ドラマの真似をして彼の頬にキスをしたことをふと思い出した。何故こんな時にそんな恥ずかしいことを思い出すのだろうか。顔を背けたい、しかし動けない。奉太郎自身からか着替えた服からかわからないが、いいにおいがした。
 キス、出来るほどの距離だ。

 もしもこれが夢なら、そして私がもっと幼くて、素直でいたなら私は自分から彼の頬にキスをして、告白をしていたかもしれない。

「奉太郎……」
 彼の瞳は、綺麗な色をしていた。吸い込まれそうだ。


 急に、電話が鳴った。心臓が口から出るのではないかと思うくらい驚いて私の口からは裏返った声が出てしまった。
 奉太郎もなんだか決まりが悪そうに立ち上がって受話器を取る。なんであんなことしたんだろう。なんであんなに近かったんだろう。奉太郎は、何がしたかったんだろう。
 頭の中はごちゃごちゃで、心臓はばくばくとうるさい。

「やっぱり助平じゃない」
 今度は彼に気付かれないように、小さな声でそう言った。

title by 確かに恋だった

20150402 修正
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