小説
 顔を掴んで引き寄せて、ちゅっと唇を合わせる。幸せな気持ちで胸がいっぱいになってもう一度、もう一度と繰り返すようにそれを啄んだ。
 頭がほわほわとして、気持ちが良い。ちゅ、ちゅ、と音をさせるのがまた楽しくもなってきた。キスは初めてだったけれど、永遠にしてられるような気がした。
 一度顔を離すも、なんだかまだ足りない。そんな気持ちが胸を占めて、もう一度というように背伸びをした。

   〇

 穴があったら入りたい――隠れられるような穴はないし、入ったところでこの気持ちはなくなってくれないだろうけれども。
 そんな気持ちになりながらどうにか普通科の寮に帰ってきたものの、耐えられずに共同スペースで倒れた私をクラスメイトたちが囲んだ。

「ああ、なんてことだ!!」
「この様はきっと、とんでもないことをしでかしてしまったに違いない」
「ほら耳が真っ赤だ。きっと顔もそうだろう。りんごのように、ね」
「でも仕方がない。何をしてしまったかは聞かないでおこう。きっと本人が一番恥ずかしいと思っているのだから」
「いや、しかし知りたい気持ちもある……こっそり教えてもらう方法はないだろうか」
「あー、もう!! 止めてよ!!」

 体を起こして、芝居がかったセリフを言うクラスメイトを睨むも「可愛い可愛い」と笑われるだけ。しかし、私が鼻をすすればすぐに表情を変え、クラスメイトたちは「あらら、本当に大丈夫?」と腰を下ろして心配する。
 というのも、私は偶然クラスメイトの個性に掛かってしまったのだ。
 放課後になり、寮に帰ろうとした友人がくしゃみをしたところ、隣にいた私は彼女の個性に掛かった。ブタクサの花粉症を持つ彼女はどうやら今が一番つらい時期らしく、毎日薬を飲んでいるようなのだが、どうやら薬を切らしていたようでくしゃみの拍子にうっかり個性を発動してしまったらしい。

「あの子も『名前に申し訳ないことをした!!』って泣きそうになってた」

 彼女だって花粉症になりたくてなっている訳ではないし、個性を掛けたくて掛けた訳でもない。気持ちが落ち着いたら気にしないでと、そう声を掛けに行こうと部屋に籠っているらしい彼女のことを思う。
 彼女は悪くなくて、個性が発動してしまったことに関しても仕方がない。それでも、私ががやらかしてしまったことはなくならない。A組の轟焦凍くんに、キスをしてしまったことは――

 クラスメイトの個性は「キス魔」だった。個性の名前から察することが出来るが、個性を掛けられるととにかくキスがしたくなってしまうのだ。
 この個性のすごいことは個性を掛けられた本人の感情に左右される点で、嫌いな人や苦手だと思っている相手にはその個性が発動せず、友好的に思っている相手や好きな人にだけ、とにかくキスがしたくなる……というものだった。
 私を囲って芝居がかった言葉を呟いたクラスメイトはもれなく個性に掛かった私にキスをされた人たちで、要はからかいながらも私が友人として好んでいるとわかって喜んでいたらしい。
 私が「キス魔」の個性の影響でクラスメイトの頬にキスをした後の、すぐにんまりと笑ったクラスメイトの顔が忘れられない。これ以上クラスメイトにキスをしてしまわないようにと、逃げるように慌てて教室を出たのでクラスメイトへの被害は最低限に出来たものの、「キス魔」の個性は友人の頬にキスをするだけでは終わらなかった。慌てて教室から出て、人と会わないように人通りの少ないところを選んで寮へ戻ろうとしたところで偶然、一人でいる轟くんと会ってしまったのだ。


「もう、なんて謝ったらいいんだろう……」

 花粉症で苦しむ友人に声を掛けてから自室に戻り、スマホを見る。何件もの着信とメッセージに頭を抱える。全て轟くんからだった。
 友人には頬にキスをするだけで満足出来たのに、好きな人となるとそれでは満足しないらしい「キス魔」の個性は凄まじい。轟くんと鉢合わせるなり私は彼とキスがしたくなってしまったのだ。理性なんてものはどこかに飛んでいってしまい、一気に体が熱くなったことを覚えている。
 轟くんの名を呼んで彼の顔を掴んだ私は、目を大きくして「お」と驚く轟くんのことなんて構わずにキスをした。ちゅ、と小さく聞こえた音が可愛らしくて、興奮した。それは、人生で初めてのキスだった。

 轟くんとのファーストキスにテンションが上がった。驚いた轟くんからの拒否もなかったため、二回目もすぐに出来た。気持ちが良くて、永遠にキスが出来るような心地になった。
 けれども時間が経つにつれ、次第に掛かっていた「キス魔」の個性は薄れていく。理性が戻ってくると恥ずかしさと恐怖で胸がいっぱいになり、轟くんの顔も見ずに謝りながら走って寮に戻ってきた。

 絶対に嫌われた。そう思うと泣きそうになった。いや、正直に言うと、ちょっと泣いた。
 会った瞬間理由も言わずにイノシシのように突撃してキスしてくる女の子なんて嫌われるに決まっている。
 ヒーローになるために頑張っている彼を応援して、必要のない悩みを増やしたくなくて告白するつもりは最初からなかったけれど、あんなことをしてしまっては普通の友達という立場にももう戻れないような気がした。けれども流石に、あんなことをしてしまったのだから、きちんと謝れていない彼にちゃんと謝罪をするべきだろう。
 心臓がばくばくと煩く、スマホを持つ手は震えている。それでも轟くんから送られたメッセージを確認するために画面をタップすると、私を心配する言葉がそこにはあった。

「名字大丈夫か」
「いつもと様子が違ったが」
「話がしたい」

 大丈夫かどうか聞かれれば、大丈夫ではない。けれどもこちらを気に掛ける轟くんの言葉に涙腺が緩んだ。彼はいきなりキスされた被害者であるのに、こちらを気に掛ける優しさがある。こういうところが好きなんだよなぁと胸が苦しくなった。
 なんと返事をすればいいだろうかと悩んでいる間に、彼から新たなメッセージが届く。

「いつものところで待ってる」

 そのメッセージを見て、なんだかずるいなぁと思った。だって、これは、どうしたって行って顔を合わせなくちゃいけない気持ちになる文章だ。多分、本人はそういう力のある言葉だってわかってないんだろう。
 彼は私が「いかない」と返事をすれば仕方ないと思うだろうし、返事をしなくても怒らないような気がする。心配した気持ちを持ち続けるだろうけれども。

 逃げる方法はあると知りつつも、謝るべきことをしたと思っているので逃げることは出来なかった。了解ですと、そう一言返事を返して再び部屋を出る。迷惑を掛けたために謝罪の品なんかを持っていった方がいいだろうかと一瞬考えつつ、そんなものを用意出来る時間もなかった。
 日によって秋の気配を感じる季節となったものの、まだコートは必要ない。制服のまま再び寮を出て、少し歩く。


 普通科の私が轟くんと知り合ったのは入寮してから一週間もしない、ある夏の日の夜のことだった。
 彼がストレッチをしていた所に偶然鉢合わせ、私が彼に声を掛けたのだ。
 ランニングをしていたという轟くんに、自販機で間違って購入してしまったスポーツドリンクを代わりに飲む気はないか問えば、彼は少し考えるような仕草を取った。轟くんは一年生だけでなく他学年の間でも有名ではあるが、私の名を知っている人は他学科には殆どいない。ヒーロー科の彼にとって私は「初対面の女子生徒」である。知らない相手からそんなことを問われて、即答する人間がいないのは承知の上だったが、それでも、私は荷物になるスポーツドリンクを一本でも減らしたかった。罰ゲームで、一人で何本もの飲み物を友人たちの代わりに買いに行っていたからだ。
 ボタンを押そうとしたタイミングで突然飛んできた蛾に驚いて買ってしまったのだと説明すればそういうことかと納得され、勿論キャップは開けていなかったが、信用ならないなら受け取らなくて良いし、飲んでも代金はいらないと伝えた。その時はまだ制服だったため、私の存在そのものを不審に思うなら生徒手帳を見せてもいいと言えば、彼は首を振った。

「俺は、そんなに不審そうな顔をしてたか?」
「えっ?」
「疑ってるつもりはなかったんだが……」
「いや、ただ私が……知らない人から物を貰う立場だったら断るのに自分がそれをしてるから――勿論私は轟くんのこと知ってるけど、轟くんは私のこと知らないでしょ? それに、A組はいろいろとヴィランと遭遇してるって聞くし、こういうのも気を付けるのかなって」
「なるほどな」

 納得したのか、彼は小さく頷いた。そして眉を下げて、口の端を少しだけ上げた。

「……じゃあ、おまえが本当に良いなら、貰う」
「ううん。こちらこそ、ありがとう。重かったから助かったよ」

 けど、私が言うのもなんだけど、他ではちゃんと用心した方がいいよと言ってペットボトルを差し出せば、轟くんはちょっと困ったように笑ってスポーツドリンクを受け取った。
 名前はなんと言うのかと聞かれ、自己紹介をした。普通科の一年の名字名前ですと胸から生徒手帳を出すと、それを一瞥してから名字は変わってるなと彼は肩をすくめた。

 それがきっかけで、私たちは知り合った。
 その数日後、偶然校舎で会って話しをすることがあり、なんかのタイミングで料理が趣味だということを伝えた。将来ヒーローの健康管理に携わる仕事がしたくて大学で栄養について学びたいと言えば、彼はすげぇなと感心するように頷いた。運動後に良いとされていたスムージーを作って友人に飲んでもらったと言えば彼は少し興味があるような顔をしたので、今度試してみるかという話になって以降、度々夜に会うようになった。

 寮生活となってから、放課後に敷地内でのランニングが習慣となった彼と会うようになった。定番の蜂蜜レモンやスムージー、軽食を作って持っていったこともある。
 場所は決まって初めて会った場所の近くにあるベンチだった。人通りが少なくて、話をするのに丁度良かったのだ。
 出会って何度目に彼のことが好きだと気付いたのかは覚えていないけれど、簡単に出来る料理であっても感謝の言葉を忘れない轟くんが好きだと思った。美味しいと、眉を下げて目を細めて笑う表情を見ると幸せな気持ちになった。

 個性が絡んでいたとはいえ、好きな人とキスが出来て嬉しいという気持ちがないとは言えない。けれども、それでも友達という関係ですらいられなくなってしまうのはやっぱり悲しい。
 個性に掛かったとはいえ、意識がなかった訳じゃないんだからなんとか理性で留まることが出来たんじゃないかと今さら思う。せめて――そうせめて頬にキスをして満足出来なかったのだろうか。いや、まあ、出来なかったんですけど……一発目から唇に向かっていっちゃったんですけれども。
 今まで生きてきて、そこまで我慢が出来ない性格だと思ったことはなかった。案外私ってそうなのだろうかと思っているうちに、いつも轟くんと会うベンチまでやってきてしまった。

 轟くんは私に気付いて腰を上げ、私の様子を窺うようにじっと目を合わせてきた。少し前まであの綺麗な顔を掴んで好き勝手キスしていたのかと思うと目を逸らしたくて仕方がない。けれどもそうも言ってられず、私は轟くんの前に立って深く頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。

「轟くん、さっきは本当にごめんなさい。実はいろいろあってクラスメイトの個性に掛かっちゃったの。『キス魔』っていう、とにかくキスしたくなっちゃうやつで……だから、その、言い訳っぽく聞こえちゃうかもしれないけれど、ゆ、許して……ほしいです」

 今までのように、また普通に話しをしたい。そういう気持ちで伝えた言葉を聞いた轟くんは「そうか」と一言呟いたあと、私に頭を上げるよう、囁くような声色で言った。
 顔を上げれば、少し頭を傾げて私の表情を窺う轟くんとまた目が合う。轟くんは、優しくて、そして少しだけ残念そうな表情をしているように思えた。そして彼はチラリと視線を外して、個性だったのかと、そう呟く。その声は、なんだか少し落ち込んだようにも聞こえて――

「あの時――名字が個性に掛かってたっていう時、確かになんか、違和感があったんだ。ほんの少しの違和感を感じて変だと思いつつ、それでも俺は名字に顔を掴まれたまま、それを受け入れた。名字は、それがどうしてかわかるか?」
「……驚いた、から?」
「……まあ、それも少しある。けどあの時、顔を掴む名字の手を離そうと思えば簡単に出来たぞ」
「……」

 首に手を当てた轟くんは、その後も続けるように口を開く。

「そもそも俺は名字からキスされた時、少しも嫌だと思わなかったんだ。名字は申し訳なさそうな顔してるが、そんな顔しなくてもいい――なあ、途中から俺が、名字が背伸びしないでいいよう屈んでたの、気付いたか?」
「……え?」
「名字が変だと知りつつ、目の前で嬉しそうに笑ってキスしてくるのが名字本人だとわかったから、受け入れた。好きな子からキスされて、拒むヤツいねェだろ」
「えっ!?」

 なんでもないように言う轟くんの言葉に衝撃を受ける。どんどん顔に熱が集まって、混乱して何度も「えっ?」と繰り返した。

「俺は名字が好きだから……だから別に、名字が謝ることじゃない」
「いや、いや……えっと、けど、合意ではなかった訳で……」

 しどろもどろになりながら私が一歩後退すれば、轟くんが一歩こちらに進む。しかもその一歩は、足の長さの関係で私のよりも大きい。私たちの距離は開くどころか、さっきよりも縮まってしまった。心臓はまた太鼓が鳴ったように煩くなる。

「名字は嫌だったか? 個性に掛かってせいで、無理やり、好きでもない俺にキスしたのか?」

 そう問う轟くんの表情は、とても真剣なものだった。いつもより少し大きな声が、教えてほしいと、そう求める気持ちの表れのようにも思えた。

「嫌じゃない!!」

 好きな人に好きと言われて、キスが嫌だったのかと問われたら、その気持ちに真面目に応えるのが正しいはずだ。
 恥ずかしくて泣きそうになりながらも「キス魔」の個性の説明と、轟くんへの気持ちを伝えれば彼は「そうか」と、嬉しそうに笑った。

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