小説
※少し不健全。原作にはない設定が多々あります。





 刀剣男士には皆平等に接するべし――なんて、政府からそんなことを言われているわけではないけれど、そんな気持ちでやっていると教えてくれたのは初めての演練で不安だった私に声を掛けてくれた先輩審神者だった。
 ふとした時にそれを思い出しては、机の上に項垂れながら呻く姿を近侍に見せてしまっている。つまり私は、皆等しく平等に、なんて出来ていないのだ。

 誰にも相談出来ずにいるのだが、私は源清麿を特にして以来一度も戦場に出すことが出来ないでいる。
 それがかなり個人的な理由だから、自分が駄目な審神者だと自覚しているのだ。それでも審神者という仕事を続けているのは、これまた私が駄目な審神者だからに他ならない。

 自分が駄目な審神者だと、それを強く意識させられる時は清麿と顔を合わせる時だった。
 清麿は、私と本丸内で鉢合わせても一度も文句を言ったことがない。他の男士に向けるのと同じ笑みを浮かべ、挨拶をしてくれる。それ以上の会話はないが、私のように変に力が入った声で返事をすることはないし、しどろもどろになることもない。

「おはよう、主」

 彼に大人な対応をされると、自分がどんどん嫌いになっていく。
 弁明をさせてもらうと、最初からこうだったわけではない。ちゃんと理由があって、人によっては「なるほど」と納得してもらえるかもしれない。それでもやっぱり私自身の失態が原因で、私が悪いのは変わらないんだけど。


 私の本丸では、月の最終日、普段は男士が利用する露天風呂をひと月頑張ったご褒美として午後八時から二時間貸し切りで使わせてもらえることになっている。
 普段は審神者専用の小さなお風呂に入っているのだが、私がお風呂好きと知った初期刀の蜂須賀虎徹が本丸の面々に話をつけてくれたのだ。最初は週に一度くらいは露天風呂を使えるよう考えてくれたようだが、既に本丸で過ごす男士の数が増えていたので月に一度が限界のようだった。
 蜂須賀は申し訳なさそうな顔をしていたが、月に一度だって有り難いことこの上ない。
 気にしないでと言ったものの彼の性分なのか、それ以降万屋で新しい入浴剤が発売される度にプレゼントしてくれるようになった。カラフルな入浴剤を貰う度に、私なんかのために優しいなぁといつも思う。

 だだっ広い露天風呂にたった一人で入浴するのは寂しいけれど、一緒に入ってくれる同性の友達が本丸にいるわけもないので仕方がない。
 露天風呂でのご褒美が始まって数ヶ月もすれば月に一度のご褒美タイムは説明せずとも覚えられているようになり、最終日になると夕飯後に「今日はゆっくりしてね」と言われるようになった。

 清麿との距離が出来る原因が生まれたのも、月の最終日のことだった。その日のことを、忘れることはないだろう。
 お風呂に入る前、廊下を歩いていると鉢合わせた大和守安定から「名前、お風呂楽しんでね」と声を掛けられた。既に入浴を済ませたらしい安定は、前の主からの仲である加州清光とこれから映画を見るのだと言う。
 うちの安定は、あまり映画を見るタイプではなかった。珍しいと思ったことが顔に出ていたのか、にやりとした顔の安定に「沖田くんが出る映画なんだ」と言われ、ああなるほどと納得したのだ。

 十一月の終わりの夜ともなると外は寒く、肩までお湯に浸かってしっかりと温まるように寛ぐ。男士に風呂を譲る時間にはまだ少し余裕があるので空を見上げれば、名も知らない星たちが輝いているのが見えた。
 露天風呂に入る度に思うが、本丸の空気は綺麗だ。周辺が自然に溢れているからかもしれないし、神である刀剣男士がこの本丸で暮らしているからかもしれない。昼間土いじりをする時よりも、この静かな夜の時間の方が空気が綺麗に感じるのは不思議な感じもするけれど。

 体が芯まで温まってぽかぽかしてきたのでのぼせる前に出ようとゆっくり立ち上がると、微かに物音がした。
 あれ、と思って音のした方に体ごと向けた瞬間「じゃあ先に行ってるよ」と声が聞こえ、脱衣所へ繋がるガラス戸がガラガラと引かれる。

「……えっ」
「っん!?」

 意識を向けたところで何も出来ないまま、脱衣所の戸を開けたままの状態で立つ清麿の赤みのある紫色の綺麗な瞳と目が合った。
 どうやら人は驚くと、固まるらしい。
 脱衣所の戸を開けて現れた清麿と目が合ったまま、私は足をお湯に浸けて立ち上がったままの状態で動けずにいた。もう男士にお風呂を明け渡す時間だっただろうかと思っている間に戸が激しい音を立てて閉められ、清麿の謝罪の言葉がガラス越しから聞こえた。

「いや、こちらこそ……」

 動けないまま、立ちすくむ。
 曇りガラスの奥で清麿が誰かと話している声がすると、突然「な、なんだって!?」と大きな声が聞こえてきた。その後の会話はよく聞こえないが、多分相手は水心子正秀なのだろうということが容易に想像出来た。
 バタバタと音がして、清麿が少し焦ったような声で何かを喋って、そして再び辺りは無音に戻る。

 互いに動揺していたのだろう。清麿が何を言っているのか聞き取れなかったし、私も混乱してよくわからなくなっていた。
 それであるにも関わらず、数秒の間見てしまったものは鮮明に記憶してしまっていたのだ。

 普段、にこにこと効果音がついていそうな微笑みを作る清麿は柔らかそうな髪とその口調も相まって優しいお兄さんのようだが、打撃の数値が高いのも納得の引き締まった体をお持ちだった。手足はすらりと長く、けれどもきちんと男のひと、だったのだ。
 見てしまったし見られてしまったあの日を私は忘れられずにいて、お風呂を出てすぐに清麿と水心子に一応謝罪はしたものの、以降、同じ本丸で過ごしているにも関わらず、まともな会話のない生活を送っている。

 少し前に特命調査で仲間になった彼らに私のご褒美のことを伝えていなかったのだから悪いのは間違いなく私で、それなのに彼ら二振りは謝罪の際にものすごく申し訳なさそうな声を出していた。まともに顔が見られなかったが、きっと表情も申し訳なさそうな顔をしていたに違いない。
 私のご褒美は本丸では既に恒例となっていたため、私が入浴しているとはっかりわかるような案内をここ数ヶ月出していなかったのもいけなかった。間違いなく、慣れが生んだ私のミスだったのだ。
 被害者は完全に彼らだ。特に、見たくもないだろう私の裸を見てしまった清麿には文句を言われてもおかしくないくらいなのに、彼には「確認しなかった僕が悪かったんだよ」と気を使われてしまった。

 清麿はきっと、優しい刀なのだと思う。優しくて、他の刀剣男士と同じく良い刀なのだと思う。
 それでも、ただ一度彼の裸を見てしまったばかりに私は彼の顔をまともに見られないし、まとも話せないし、近寄れなくなってしまったのだった。

   〇

 審神者業をこなしているとあっという間に月日が経っていく。忘れもしない冬の日から季節は変わり、いつの間にか本丸の桜が咲いて、そして新年度となってしまったのだ。
 清麿を出陣させてあげられなかったことを後悔しながら今年度こそはと頬を叩く。清麿だってもっと強くなりたいだろう。水心子と一緒に出陣したいと思っているかもしれない。だから頑張ろうと気合を入れるも、部隊を組み替えて清麿を出陣させることは出来ずにいる。

 このまま清麿と距離を置いたままでいていいはずがないのはわかっているものの、清麿を前にするとどうしてもあの日のことを思い出してしまう。
 自分の裸を見られた羞恥心でどうにかなりそうになる――というわけではない。それはもう仕方ないと思っていて、むしろ彼には貧相なものを見せてしまったことを謝罪したいくらいで。
 私が思い出してしまうのは、あの日見た彼の裸だった。自分でもまるで思春期の学生のようだと思うが、異性と付き合ったことのない私にとって、初めてしっかりと見てしまった異性の裸が清麿だったがために、その、もう……とんでもなく困っているのだ。

 人間でない彼らは美しく、一見細身の男士でも逞しい。
 戦場を駆ける彼らはどうしたって傷を負い、綺麗な顔と鍛えられた肉体は手入れの際に何度も見てきた。けれども、そうはいっても裸を見るのは上半身まで。もしあの日見たのが何も身に纏っていない上半身だけなら、私もここまで拗らせることはなかっただろう。

 今の世の中、男の人の体を見る機会は特別珍しいものではない。プールや海で、はたまた雑誌やテレビ等で水着姿の男性を見る機会は山ほどある。
 アイドルのコンサートで服を脱いで上半身を見せるファンサにキャーキャー黄色い声を上げたことがあるし、際どい水着を着た芸人を見たことも、ポーズを決めて筋肉をアピールするボディービル大会をテレビで見たこともある。
 けれども、何も身に纏っていない男性の体を見たことはなかった。初めて見るそれに動揺し、清麿の体をふと思い出してしまうようになった。

 いつしか、映画のラブシーンにドキドキするようになっていた。漫画や小説のえっちなシーンに動揺するようになった。
 そういうのが同じ年代の子にとって普通のことなのかもわからない。内容が内容なだけに、相談出来る相手もいなかった。

 異性と付き合ったら、異性とそういうことに発展したらこの思春期真っ盛りの中学生男子のような気持ちも自然となくなっていくのだろうかと一瞬思ったが、この仕事をしていると新しい出会いというものがほとんどない。異性どころか人間と付き合えることの方が稀だ。
 お付き合いの経験のない私にはキスをすることすら簡単に出来るものではなく、次第に、慣れたら平気になるのだろうかなんて考えるのも時間の無駄なように思えてしまった。
 そうして、そんなことをうだうだ考えるようになってから、清麿に対して不純な気持ちを抱いているようで自分に嫌悪感を抱くようになっていった。


 新年度を迎えて二週間が経った。
 清麿と普通に話が出来るようになりたいと思いながらも、その日も彼を部隊に入れることは出来なかった。一日の業務を終えてため息を吐きながら食堂に向かうと、同じタイミングで食堂に入ろうとする千子村正に声を掛けられたので今日は同じ席で食事を取ることにした。

 食事を前に手を合わせて「いただきます」と言った私の顔を見て、村正は首を傾げながら突然何か悩んでいるのかと尋ねてきた。
 新年度で忙しないのに加えて清麿のことを考えていたこともあり、もしかしたら彼には私が疲れているように見えたのかもしれない。村正は、いつもの良い声で脱いだ方がいいかと笑った。
 そのまま内番着を脱ごうとする村正を見ていたら、村正の裸を見ればいずれ慣れ、清麿とも普通に会話できるようになるかもしれないと気付いた。何かにつけて脱ごうとする村正に対しては、見てはいけないものを見てしまう罪悪感が正直なかったのだ。
 その手があったかと感動すらした。灯台下暗しとはこのことかと思ったくらいで、私が「それはいいかもしれない」と言えば、村正はきょとんと驚いた顔をし、先に食事を取っていた隣の席の肥前忠広は咳き込んで「何言ってやがる」と止めに入ってきた。

 正直、結構本気だった。
 それでも二振りの様子を見たら流石に申し訳なくなる。村正は、じっと私の顔を見て動かない。
 村正は、脱ぐ動作を取れども今まで一度も最後まで脱いだことはなかった。私を慮ってなのか、それとも必ず蜻蛉切が止めに入ってくるからかはわからないが、この本丸で彼がそれを良しとされたことはない。

「飯時に男の裸見ても飯は美味くなんねぇんだよ」

 肥前はそう言って、信じられないものを見るような目で私を見た。「男とか女とか、そこは関係ないのでは」と言えば鼻で笑われたが(本当に馬鹿にしたような笑い方だった)、肥前の言葉に納得はして、ごめんと謝れば肥前はフンとまた鼻を鳴らした。
 そんな私を見て、慰めようとしてくれたのか村正は「アナタが見たければ、いつでも脱ぎマスから」と笑ってくれた。

 今度こそちゃんと食事をしようと箸を持って、まずポテトサラダを一口食べる。
 美味しいねと肥前に言えば、ああと頷いて返事をしてくれた。綺麗に盛り付けられた料理を食べていると、肥前は唐揚げをパクパク食べながら「最近おまえの作る料理食べてねぇな」とそんなことを言った。

「男士の数も増えたからなかなか難しくて……けど、バレンタインにお菓子作れなかった分、仕事が少し落ち着いたらお菓子作る予定だよ」
「へぇ、そりゃ楽しみだ」

 私の言葉に村正も興味深そうな顔をする。「何を作るんデスか?」と聞かれ、まだ考えている最中だと言えば目を細めて楽しみだと言ってくれた。
 そうして食事を進めていくと、ふと清麿と水心子の二振りとは同じ机で食事を共にしたことがないことに気付く。特命調査を経て本丸に顕現した男士は他にもいて、彼らと食事をした覚えはあるのに二振りだけないことに今更気付いてしまう自分がまた嫌になる。一気に肩に重しが乗ったようだった。
 二振りを探せば、仲良く並んで食事をしていた。彼らと同じ机には粟田口の脇差がいて、楽しそうに食事をしているようだった。

   〇

 肥前に話していたように、仕事が少し落ち着いたので彼らにお菓子を作ってみた。あまり手間のかかるものは作れないから、ホットケーキミックスで作るお手軽マフィンである。
 普段から江の面々が休日になるとお菓子作りをしていて、それらと比べると私が作ったものは随分簡単でありきたりなものに思えた。男士も正直こんなものを貰っても嬉しくないだろうと思ったが、それでも一つずつラッピングして一振りずつ手渡しをすれば、彼らは嬉しそうな顔をして喜んでくれた。

 そう、そしてこのお手軽マフィンをきっかけに、私は清麿と水心子に自分から話しかけ、近いうちに二振り揃って部隊に入れて出陣してもらうことを伝えた。口約束をすればもう逃れられない。自分で退路を断つことで漸く一歩前進したような気がした。遅すぎる一歩だが、間違いなく前に進む一歩だった。

 話している最中は何度もどもり、私は明らかに不審であった。けれども、彼ら二振りは嫌な態度を取ることもなく、嬉しそうに喜んでくれた。
 彼らと話しをしたことでこれから少しずつ変わっていけるような気がした。近いうちに村正にも協力してもらって、清麿とも普通に話せるようになったら、と――
 そう、あの時は確かに、そう思っていたのだ。


「――審神者さま、これはあなたが対処せねばなりません」

 普段書類仕事をしている和室で、これは主のあなたがする他ないのだと、そうこんのすけは言った。

「一刻も早く、源清麿にこの薬を飲ませてください」

 こんのすけはそう言って、畳の上にシンプルな形のガラスの小瓶を置く。これを飲ませなければ、源清麿は丸一日苦しむことになるでしょう、と付け加えて。
 春の暖かな日差しが差し込む部屋とは思えない程、和室の空気は冷たかった。近侍であった数珠丸恒次が席を外している部屋の中で、私はこんのすけの次の言葉を待つことしか出来なかった。

 事の始まりは、いつかのイベントで貰った一口団子だった。
 お手軽マフィンを渡した時の約束を果たすため、私は久しぶりに清麿と水心子を部隊に入れ、出陣と相成った。マフィンを渡してから既に一週間が経ってしまったが、出陣した彼らが舞わせた桜を見ていると、私はまた一歩前進出来たような気がしたのだ。

 しかし、やはり私は駄目な審神者なのだろう。疲れた時のためにと男士それぞれに持たせていた一口団子のうち、清麿が食べたものがリコール対象のものだったらしく、団子を口にして暫く経ったところで彼に異常が出たのだ。
 年度末にリコール情報が政府から出ていたのだが、忙しくて情報をちゃんと確認出来ていなかった。こんのすけからメールを確認するよう言われていたことも覚えていたが、政府から届いていたメールはいくつもあり、該当のメールは既読状態にはなっていたものの、ちゃんと頭に入っていなかった。
 言い訳なんてしようとも思っていないが、それは間違いなく私の見落としが原因で起こってしまったことだった。

「源清麿は今、一口団子の異常ともいえる効力により、戦闘による高揚が普段以上に高まって抑えることが出来ない状態です」
「はい」
「状態異常をより早急に回復させるためには、この薬を飲ませる必要があります。そしてこの薬は、審神者さまの――つまり、あなたの体液を加えることで完成するよう作られています」
「は、い」
「この薬を口に含み、源清麿に飲ませてください」

 こんのすけはいくつか説明をして口を閉じた後、私を見上げた。黒い目が、確認を怠った私を責めているように見えた。
 考える時間すら、勿体ないと言われているようだった。すべきことはただ一つ。説明の通りに源清麿を助けるのだ、と。
 こんのすけの視線を感じながら、ピンク色の飲み薬の入ったガラス瓶を手に取る。手のひらから滲み出た汗で瓶を落とさないよう両手でしっかりと持って、静かに部屋を出た。

「……ご武運を」

 背後から投げかけられた言葉と共に、ちりんと鈴が鳴った。

 足を進める度、情けなくて悔しくて涙が溢れた。
 今一番苦しんでいるのは清麿なのに、泣いている自分がまた嫌になる。
 失敗ばかりで後悔を繰り返して、それでも彼らの主でいたいと思ってしまう自分が嫌だった。
 清麿と碌に話が出来ないくせに、彼の主でいようとし続けるのは我儘でしかない。彼の活躍を願って、他の本丸に譲ることだって出来たはずだ。水心子と一緒がいいと言われたら、一緒に送り出すことだって出来た。けれどもそれをしなかったのは、結局彼らを自分の刀だと思って誰にも譲りたくなかったからに他ならない。
 駄目な主の癖に所有権だけは主張するような自分の醜い心が嫌になる。

 どんなに自分が嫌いで嫌になっても、今は清麿のことを一番に考えて清麿を救わなければならない。それ以外に優先させるべきことはなく、やるしかないと思えばなんとか前を向くことが出来た。


 清麿が使っていると聞いた手入れ部屋の一室の前に立つも、中の様子は窺えない。手入れの際に男士がゆっくり休めるよう、障子戸には特殊な障子紙が使われていて一般的な障子戸よりも防音効果が高くなっているためだ。
 明かりが点いていないようだが、眠れる状態ではないと聞いている。念のために一応声を掛けてから障子戸を引けば、部屋の奥で音がした。

「っ、あ、るじ……?」

 中に入り、後ろ手に戸を閉める。
 こんのすけから話は聞いてはいたが、いつもの手入れ部屋と違う匂いに気付いてまた泣きそうになった。ごめんなさいと自然と口に出た言葉に、清麿は呻く。

「清麿、ごめんなさい。本当に、私のせいで……ごめんなさい」

 薄暗い部屋の中で彼に近付けば、彼は苦しそうな声を出して後退した。どうして来たのと、泣きそうな声を出されて胸が苦しくなる。
 清麿に事情を説明すれば、清麿は「水心子や、他のみんなに異常がなくて……本当に良かった」と荒い呼吸の中、絞り出すような声でそう呟いた。
 リコール対象になっていた一口団子は本丸に一つだけで、それを食べたのは清麿のみだが、清麿と共に出陣していた男士は念のため私室で経過観察をしてもらっている。
 こんのすけの話からすると彼らに異常は出ていないようだが、清麿の言葉を聞いて彼らも不安になっているだろうことに気付かされた。必ず後で謝りにいかなくては。

 障子紙は廊下からうっすらと光を入れ、部屋の暗さにも慣れた私の目には、今の清麿の姿をはっきり見て取れた。
 外套やベルト等の装飾品が横に脱ぎ棄てれられ、シャツがズボンから出ている。顔は赤く、そして襟元から覗く肩口もうっすら色付いているようだった。とろんとした目が、こちらに向いている。

「私のミスでこんなことになってしまったことを、許してください」

 そう言って、彼の前に膝立ちになる。
 清麿は一口団子のせいで体が熱いのか、肌には汗が滲んでいる。赤みのある紫色のうるんだ瞳から涙が零れるのを見ながら、こんのすけから受け取ったガラス瓶の蓋を慎重に開ける。そしてまずは、そのうちの半分を口に含んだ。
 心臓がバクバクと煩く、残り半分の薬が入ったガラス瓶を持つ手も震えている。それでも私は次の行動を取らなければならない。一度ガラス瓶を横に置き、ゆっくりと息を吐いてからほてった彼の顔を両手で包み、顔を近付ける。

「んんっ……」

 微かに開いていた清麿の口に自身の唇を合わせ、含んでいた薬を慎重に彼の口に移す。彼は体をびくりと震わせながらも吐き出すことなく薬を飲んでくれたようだった。
 顔を離して清麿の口の端から零れた薬を掬うように指の腹でなぞれば、清麿は私の手首を掴んで指を舐める。熱い清麿の舌が、私の人差し指を這うように舐め上げた。
 驚いた。けれども、そうしなければならない程に清麿は辛く、薬を求めているのだろう。そう思うと胸の辺りが切なくて、それなのに清麿の舌の熱さとその感触に変な気分になりそうだった。

「清麿、まだ半分、あるから」
「……うん」

 苦しいだろうに私を罵倒することも拒絶することもない清麿の姿は、彼が心底優しい刀であることの証のようだった。そんな清麿に、これまで私はなんてことをしてきたのだろう。
 時々体を震わせ、小さく声を漏らす清麿は私の手首から手を離すと次に私の服の裾を掴んだ。苦しそうに呼吸しながらもゆっくりと動いて膝立ちだった私の胸元に顔を埋めて熱い息を吐く。

「こんな姿、君に見られたくなかったのに、胸の辺りが……寂しくて、たまらない」

 縋るような清麿にごめんなさいと謝罪の言葉を告げるも、自分の情けない声はあまりにも小さく、清麿には聞こえていないようだった。
 置いていたガラス瓶を手にして残り半分を口に入れる。胸の辺りに顔を埋める彼の顔をそっと上に向かせれば、熱を帯びたとろんとした瞳がこちらを見ていた。

 再び口を合わせるためにゆっくりと顔を寄せ、唇を合わせる。先ほどと同じように薬を移せば、唇を離す前に清麿は薬を求めるように舌を伸ばしてきた。
 熱い吐息と共に口の中に入ってきた舌が私のそれに触れる。驚いて動けずにいれば、清麿はそのまま舌を絡めてきた。
 無意識のうちに息を止めていたようで、流石に苦しくなって清麿の肩を押せば彼はハッとしたように勢いよく距離を取る。

 ごめんと清麿は眉を下げた。
 彼は右手で口元を覆うようにして、もう一度謝罪の言葉を口にする。私が呼吸を整えて平気だよと言うも、清麿の悲痛そうな表情は晴れない。そこまで謝られると私も悲しくなると言えば、清麿は視線を外してからゆっくりと頷いた。

「……清麿に、その、ちゃんと謝らなきゃって、ずっと思ってた。それなのにまたこんなことになってしまって……本当にごめんなさい。あの日も……お風呂の説明をしなくて、清麿に見たくもないものを見せてしまって、ちゃんと清麿に謝らなきゃって思うのに清麿を見るとあの時のこと思い出してしまって、その、いろいろと、思い出してしまって……ふとした時にえっちなことを考えて、それで、恥ずかしくて、申し訳なくて……だから、全部私が悪くて……」

 やるしかないと薬を口移ししたおかげもあるのか、変に度胸がついたような気がする。清麿に対して必要以上に恥ずかしいと思う気持ちはなくなっていた。
 謝るのならば今しかないと、たどたどしくも自分の気持ちを伝えれば、薬が効いてきたのか清麿の呼吸音も落ち着いている。何を言えばいいのかわからなくなって後半いらないことを言ってしまったような気がするも、とにかく謝ろうという気持ちでいっぱいだった。
 ごめんなさいともう一度言って清麿を窺えば、驚いたように目をまんまるにしてこちらを見ていた。

「えっと、僕に裸を見られたのが嫌で君は距離を置いてたんじゃないの……?」

 清麿の言葉を聞いた時、正直最初は清麿の言っている意味がわからなかった。
 頭の中で清麿の言葉を反芻して、頭を抱える。もしかしてと、もう一度清麿を見れば、パチパチと瞬きを繰り返して彼はやはり驚いたような顔をしていた。
 そんな清麿に、自分の身がそんな貴重なものだとは思ってもいないと伝えれば、ちょっと怒ったような声で「主!」と叱られた。

「清麿が嫌だったんじゃないの。私、清麿を見ると変なこと考えちゃって、それが恥ずかしかったの……そんな変な理由で清麿を遠ざけてたから、それを謝りたくて……」


 落ち着きを取り戻した清麿は、簡単に身なりを整えて「すぐに戻るから換気して待っててくれないかな」と、急いで手入れ部屋に隣接したシャワー室へ行ってしまった。

 シャワーの音が聞こえてきてからゆっくりと立ち上がる。
 彼の言う通り換気するため、部屋の照明をつけて窓を開けると心地よい風にそっと頬を撫でられた。
 一人になってしまった手入れ部屋を振り返るとなんだか不思議な気持ちになる。謝ることが出来たからか、随分と身体が軽い。
 これから清麿と膝を突き合わせて話すことになるだろうが、不安に思う気持ちもなかった。むしろ、これから清麿と、そして水心子とちゃんと話せるようになるのではないかと思うと嬉しさすら感じた。


 シャワーを浴びた清麿は、内番着に着替えて部屋に戻ってきた。完全に乾かしきっていない髪をかきあげる清麿と目が合うと彼は一瞬驚いた顔をして、それでも何も言わずに困ったように眉を下げながらも笑顔を作ってくれた。
 楽な姿勢で座って清麿と向かい合ったところで私が口を開けば、彼は真剣な目をこちらに向けて話を聞いてくれた。
 これまでの失敗と後悔と、そして男の人の裸に慣れるために村正に協力してもらった方がいいんじゃないかとうだうだ考えていたことを伝えれば、清麿は私たちが互いに勘違いをしていたことに頭を抱えたような顔をしながらも、話してくれてありがとうと呟いた。

「僕はずっと勘違いをしていて、そして君もずっと悩んでいたんだね。お互い、もう少し歩み寄ればよかったのかもしれない」
「うん」
「君が彼に裸を見せてってお願いをする前で良かったよ」
「や、やっぱり私、変なのかな」
「ううん。違うよ――あのね、主、人間は欲を持って当たり前なんだよ。えっちなことを考える自分がおかしいって、そう思わなくていいんだよ」
「……」

 清麿から「えっちなこと」なんて言葉が出てくるとは思わなくて、思わず唾を飲み込んでしまった。ちょっと、いや正直驚いている。視線を外せば、清麿に小さく笑われてしまった。
 恥ずかしくて、そしてなんだかちょっと変な感じだ。今の状態は、付喪神に保健体育を教わっているようなものなのだから。

「君はおかしくなんてないよ。だって、人間じゃない僕だってそういう気分になるんだから」
「……えっ?」
「あははっ。嘘じゃないよ、もしかしたら僕の方がえっちかもしれないな」

 優しい笑顔を作りながらとんでもないことを言う清麿に何て言えばいいのかわからない。私の不安を紛らわせるための冗談なのかどうかがわからないのだ。そうしているうちに清麿はまたおかしそうに笑った。

「ねえ、主。今日は助けてくれてありがとう」
「えっ!? えっと、ううん。こちらこそ、ずっと、ごめんなさい」
「――ねぇ、もう謝らないで。それと……主、これからは沢山話をしよう。何を思って、何をしたか。どうしたいか。会話をして、分かち合おう。そうしたらきっと、少しずつ自分を認められるようになるし、君は自分のことを好きになっていけると思うよ」

 清麿は「ね?」と目を細めて首を傾ける。優しくて、ちょっと子ども扱いをされているようにも思えたけれど、その落ち着いた声を聞いたら自然と頷いていた。
 例のことがあったことで清麿と会話をしてきた数は少ないが、私が彼を顕現させたことに間違いはない。そのためか、今のたった少しの会話だけでも彼は私の心のうちを理解したようだった。
 自分のことを悪く言わないでと、清麿は優しい言葉を掛けてくれる。

「あの……私、今からでも良い審神者に、なれるかな」
「なれるさ。沢山の刀と話してごらん。きっと主を助けてくれる。それに、君の気持ちを知ると、君の刀は嬉しくなるんだから」
「それは……清麿も?」
「勿論」

 そう言って、清麿は手を差し出してきた。
 内番着のため清麿は手袋をしていない。素の状態で差し出された手にそっと触れれば、優しく握られた。

「……」

 触れ合う肌を見ていたら、なんだか少し泣きそうになった。
 ずっと、彼とこんな風に普通に話すことが出来たらと、そう望んでいたのだから。

20230101
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