小説
※原作に描かれていない雄英施設について好き勝手書いています。





 高校受験をするような年齢になれば、自然と「東の雄英、西の士傑」という言葉を耳にする機会が増えていく。
 多くのヒーローを輩出した二つの学校に進学したいと受験をする中学生は数多いて、私もそのうちの一人で。昔からの夢を叶えるためにヒーロー科ではなく経営科を受験したものの、受験日に会場で見た受験生の多さにびっくりした。経営科ですらこれなのだから、ヒーロー科はどうなってしまうのだろうと必要のない心配すらしたものだ。

 そんなこんなで第一希望だった雄英に合格して雄英生となってすぐは、見るもの全てに驚いていた。
 憧れのヒーローが教鞭をとることや、食堂の食事の美味しさ。市立の中学に通っていたこともあり、雄英の様々な設備にも都度反応していた。
 四月の私は何を見ても驚いて、そして感動していた。けれども一番に感動したのは、雄英の図書館だった。

 学生の本文は学業だからか、雄英の図書館は大きく、そしてとても綺麗である。蔵書の数は中学と比べるまでもなく、家の近くにある図書館と比べても多かった。
 配架されている本は古いものでも丁寧に読まれてきたようで傷が少なく、これまで図書館を使ってきた生徒に大切にされていたことが伺えた。
 調べ物をしたくてカウンターで司書さんに尋ねれば、親切に対応をしてもらえた。どこそこの棚にこんな本がありますよと教えてもらった本が想像以上に面白く、印象深かった部分を引用して書いたレポートが先生に褒められるような高評価を得たこともある。
 その司書さんにも度々質問をさせてもらっていて、多分、いや確実にこれからもお世話になるだろう。

 そんな設備も司書さんも素晴らしい雄英の図書館には書籍の他にもヒーローを扱った映像ディスクも多く保管されていて、カウンターで申し込みをすればブースで視聴することが可能になっている。
 視聴ブースは個室になっているものの、ドアがガラスのため誰が何をしているのかが丸わかりになっている。目的外で使おうとする生徒は雄英には滅多にいないようだけれど、授業で疲れて寝入ってしまう生徒はたまにいるらしく、その際は司書さんに声を掛けられて優しく注意されると先輩から聞いた。

 そんな個室ブースで、私はヒーロー科A組の轟焦凍くんと二人で映画を見ようとしていた。
 二十年程前に作られた洋画で、気弱ながらも心優しい青年が立派なヒーローを目指す物語だ。日本でも話題になって、その年の興行収入一位を記録した作品らしい。
 そんな映画をどうしてクラスも違う轟くんと見ることになったのか。
 簡単に説明すれば、私が誘ったからだ。


 学科が違う轟くんと親しくなったのは、梅雨に入った頃に授業で出た課題がきっかけだった。
 課題にはどうしてもヒーロー科の生徒の意見を入れる必要があって、私は彼に意見を求めたのだ。どうして彼だったのかと聞かれれば、先生によって引かれたクジで私の担当が轟くんになったから。
 体育祭以降轟くんの雰囲気は変わったと聞いてはいたものの、最初は正直声を掛けるのも躊躇した。同じ学年だったために体育祭を生で見ていたし、親があのエンデヴァーだ。クラスメイトに「課題の相手が轟くんなんて羨ましい!!」と何度言われようとも、心はどんより雨雲のように重かった。

 それでも、課題を放棄する訳にはいかない。勇気を出して彼に声を掛ければ、想像していたよりもずっと彼は普通の男の子だった。課題のために助けてほしいと言えば、嫌な顔もせずに了承してくれたのだから。
 いくつか質問をすれば、轟くんは真面目に答えてくれた。考えを聞いてもらった後は、私の意見を聞いた上でヒーロー視点で抱いた気持ちを教えてくれた。
 彼と話して嫌な気持ちになることは一度もなかった。私の意見を否定せず、受け入れた上で彼の気持ちを教えてくれたのが良かったのだと思う。話しかける前に抱いていた不安はあっという間に消え去り、今まで考えもしなかった意見を聞くと視野が広がったようで、彼と話すことが楽しいとすら思った。

 それ以降、何かあると彼に話しかけるようになった。
 自分の意見はこうだが轟くんはどう思うかと、彼に聞くようになったのだ。食堂で彼に話しかければ、彼と一緒にいるA組の生徒の意見も聞く機会もあった。そうするとまたいろんな意見がポンポン出て、それが随分と面白かった。

 夏休みに入る前に連絡先を交換しても良いかと聞いたら了承してくれた。
 食堂で一緒に昼食を取りたいと言えばそれも問題ないと言われ、二人でお蕎麦を食べた。
 宿題でわからないところがあると言えば、答えではなく解き方を教えてくれた。それがまた、彼なりの優しさに思えて嬉しかった。
 ヒーロー科で忙しいだろうに、時々送るメッセージにも律儀に返事が返ってきて、轟くんは優しいなぁと思うことが増えていった。


 そんな優しい轟くんに、また私はお願いをしてしまった。課題のために図書館で一緒に映画を見てくれないか、と。
 今回のレポート課題は、過去と現在のヒーロー像を比較することで世の人にとってヒーローがどのような存在に変化していったかをまとめるものであった。何を扱っても良いしどんな意見も参考にしても良いとのことなので、私は少し前のヒーロー映画と最近のものとを比較してみたいと思ったのだ。
 昨年話題になっていたヒーロー映画は既にこの間の休みの日に鑑賞済みで、昨今のニュースやインタビュー記事も参考にして近年のヒーロー像は既にまとめてある。轟くんの意見をレポートで扱いたい訳ではなく、映画で見た自分の感想が経営科特有の偏った思考になっていないかを確かめてもらうために一緒に見てほしいと伝えていた。
 映画の感想と、その映画で描かれたヒーロー像についての意見を聞いてほしいとメッセージを送れば、彼は都合の良い日を教えてくれたのだった。

 返事を見た時は、やっぱり轟くんは優しいなと思った。けれども優しいというよりお願いを断らない性格なのではと気付いたのは、図書館に入ってすぐ、視聴ブースを使うにあたりカウンターで申し込みをしている時のことだった。
 視聴ブースを使うには、使用者全員の名を申込書に書くことが決まりになっている。そうすることで指定されたブースの鍵を預かる仕組みになっているのだけれど、申込書を記入している際に彼は紙を覗き込みながら私の名を見て「漢字でそう書くんだな」とぼそりと呟いたのだ。

「……ああそっか、最初自己紹介した時に名前は言ったけど、それっきりだもんね」

 私の言葉に轟くんは頷く。
 轟くんとメッセージのやり取りをする時に使うアプリも、表示名はカタカナで登録しているので彼は私の名がどの漢字を使うのか知らなかったのだろう。

「私はね、轟くんの漢字知ってるよ」

 そう言って申込書に「轟焦凍」と彼の名を書いて見せれば、彼は少し驚いたような顔をしながらも頷いた。

「しょうとって読むんだよね」
「ああ」

 なんだか轟くんが嬉しそうに微かに口角を上げたので、申込書を提出して鍵を取りに行った司書さんを待っている間に冗談で「焦凍くん、って呼んだら嫌だ?」と聞いてみた。そうしたら彼は首を振って、嫌じゃないと言ったのだ。
 そこでふと、彼に今までしてきたお願いが頭を過った。そして、これから二人で個室の視聴ブースに入ることを考えて、あれ、と思ったのだ。
 轟くん、なんでこんなにいろいろとお願いごとを聞いてくれるんだろう、と。

 彼との出会いのきっかけは授業の課題であったため、話を聞いてもらえなかったら困ったことになっていただろう。けど、それ以降にしてきたお願いは単純に私の我儘だった。
 きっとクラスメイトの、隣の席の男の子を誘ったら断られていたはずだ。好きな子がいるから、勘違いされるような場面を作りたくないと言って。前に申し訳なさそうな顔をして、そんな断り方をされたから想像がつく。
 ヒーロー科は忙しいから、他学科の課題に付き合う時間はないと言われても不思議に思わない。むしろ、付き合ってくれる轟くんの方が不思議なくらいだ

 そもそも、轟くんが本当にお願いされたら何でも応えてくれる性格であったならば、それはそれで問題だ。経営科の生徒として彼の将来を考えて、少し考えてしまう。
 ちょろいと思われて変な契約でもさせられてしまったらどうするんだろう。ヒーローになって、ファンに変なお願いされたら彼は応えちゃうんだろうかと、そんなことがふと頭を過る。

 そうなると、急に自分のお願いが問題のあるものなような気がしてきた。
 司書さんから受け取った鍵を持って視聴ブースの鍵を開けて、プレイボタンを押す辺りまでは本当に付き合わせて良かったのだろうかと不安に思ったりした。
 けれども映画が流れ始めたら思考は一気に課題へと切り替わってしまう。
 画面を見ながら、ただひたすらにルーズリーフに思ったことを書き綴っていった。


 エンドロールが流れ始めたところでふと意識が現実に戻る。想像以上に良い映画で、途中からメモを書く手は止まっていた。
 終盤、ヒーローとそのヒロインの言葉に涙する程めちゃくちゃ好きなタイプの映画だった。想像以上に恋愛色が強かったものの、王道ヒーロー物であったことには間違いがない。今まで見ていなかったことを後悔してしまうくらいで、当時話題になった理由も十分理解出来た。

 記憶が残っているうちにバインダーを下敷きにしてルーズリーフにゴリゴリ意見を書いていく。
 あのシーンのあれは、このシーンが……と頭の中の考えを整理するように書いていけばまた映画の様々なシーンを思い出して自然と口角が上がっていった。すると、隣からふっと笑う声が。
 あ、と思った時には遅くて、横を向けば「楽しそうだな」と轟くんに笑われる。

「!!」

 映画に夢中になって、一人で楽しんで、隣に轟くんがいたことを私はすっかり忘れていた。
 轟くんがあまりにも静かに映画を視聴していたからといって、誘ったくせに酷いものだと自分のことながら思う。彼に意見が聞きたくて変なお願いをしてしまったかしもしれないと、映画を見る間際まで考えていたのに。
 好きなものを見ると、いつもこうだ。恥ずかしさと申し訳なさで思わず轟くんから視線を外す。

「あっ、轟くん、ごめんね、一人楽しくなっちゃってて」
「ん? 焦凍、じゃないのか?」
「えっ!? え、えっと……」

 私の態度なんて何も気にしないかのように轟くんは首を傾げる。下の名で呼ばないのかと疑問に思ってそうな表情は、しょんぼりとした小さな子どもを思わせた。なんだか少し胸が痛い。
 轟くんになんて言えばいいのだろうかと困っているうちに、コンコンコンと、ガラスのドアがノックされる。

「――ごめんなさい。もうすぐ閉館の時間なので、視聴が終わったら片付けをお願いします」

 そう司書さんに申し訳なさそうにそう言われ、私たちは急いで片付けをして図書館を出た。
 外に出れば既に空は暗く、吐いた息は白い。風が吹き、思わず「さむっ!!」と首を縮こませた。
 中学と比較するまでもなく雄英の敷地は広いものの、図書館から寮までは歩いて十分も掛からない。そのため今日はコートを着てこなかったが、流石にこの時間にもなると上着が必要な季節になっていたようだ。轟くんを窺うも、個性の関係なのか、彼は特別寒そうな顔をしていない。目が合えば、思わずドキッと心臓が跳ねた。


 寮までの道を轟くんと共に歩いていると、先ほど見た映画のメインテーマが頭の中で流れ始めた。
 ああ楽しかったと思いながら隣を歩く轟くんに映画の話をしても良いかと尋ねれば、彼は微かに笑みを浮かべて小さく頷く。

「――最近のヒーロー映画ってオールマイトからの影響が強いように思えてたから、あの映画は気弱な主人公にした上で恋愛を絡めた話になってて昔の映画だけど逆に新鮮だったかも。けど、だからこそ比較対象にもっと映画見た方がいいかもなーって思い始めてる」
「ああ。同じ年代であと何本か、有名なやつがあるって聞いた」
「うん。昔一回だけ見たヒーロー映画も確か同じ年代に作られてたような気がするから、それも見てみようかな……明日また図書館行ってみる」
「……明日は、俺は行けねぇな」
「えっ? あ、うん。平気だよ、明日は一人で見るよ。今度はちゃんと考えまとめなきゃだし」
「……そうか」

 なんだかちょっと寂しそうに見えるのは勘違いなんだろうか。
 忙しいのに今日はありがとうと言えば、轟くんは別にそんな忙しくねぇよと言う。そんな訳ないはずだと思いながらもう一度お礼を伝えれば、彼はちょっと視線を外して口を尖らせるような仕草をした。

 歩きながら感想を口に出して言えば、気持ちは少し落ち着いてくる。時々轟くんの感想も聞いていると、なるほどと思うところもあった。
 実りある時間に満足しつつ、また何か気になることがあったら連絡をしても良いかと聞けば彼はまたもや考える素振りもせずに「ああ」と頷いた。
 そう言えば、と冷たい指先をマッサージしながら先ほどの映画の一場面を思い出す。映画にも「お願い」が描写されているシーンがいくつかあったのだ。

「『ヒーローになるために恋を我慢しなくちゃいけないって、誰があなたに教えたの?』」

 ふと思いついて轟くんの前に立って映画のヒロインのセリフを言えば、彼は首を傾げた。
 モノマネは失敗したらしい。そりゃそうだと思いながら「映画のここからのシーン、好きだなって思ったの。このシーンが最後の対比になってるし」と言えば、轟くんは漸く意味がわかったというような顔をした。

「『君が何を言っているのか、わからない』」
「『……あなたは頭も良いし優しいのに、私のことは全然わかってくれないのね』」

 轟くんが乗ってくれたことが嬉しくて、けれどもやっぱり轟くんなんでもやってくれるんだなという気持ちが増していく。
 そんなことを考えているうちに、轟くんは「俺は、ここのシーンはよくわからなかった」と呟いた。
 主人公がうじうじしているシーンだったから、感情移入しにくかったのだろうか。

「あの後、ヒロインは泣きそうな顔で寂しいから抱きしめてほしいって言うだろ? 俺はなんでしてやらねぇんだって思った」
「あー、なるほど。轟くんはそうなるのか……」

 映画の最後、躊躇なくヒロインを抱きしめるシーンはこのシーンがあったことでより意味のあるものになっていたと私は思ったが、こればかりは見る側の性格で抱く感情が変わるのかもしれない。

「映画として考えれば、そのシーンの意味はわかるから悪いとは思わねぇけど、俺だったらって自分に置き換えて考えることは普通にあるだろ?」
「うん。それは勿論」

 私がそう言えば、轟くんは目を細める。

「俺は、名字に言われたらどうするかなって考えた」

 それで、俺だったら抱きしめるのになって思った。
 名字がそんなこと言う想像はつかねぇが、なんて普通に言う轟くんに衝撃を受ける。寮に帰るために再び歩き始めていた足が固まるようにして止まれば、それに気付いた轟くんも足を止め、こちらに身体を向けてどうしたと不思議そうな顔をした。

「いや、あの……轟くんは優しいしヒーローになりたいからそう思うのかもしれないけど、簡単にお願いを聞いちゃ駄目だよ。私が言うのもなんだけど、これから嫌なことは嫌って言ってほしいって、今日思って」
「……なんの心配してるかわからねぇが、嫌だったら別に普通に言うぞ……けど、基本的に名字のお願いは聞いてやりてぇ。好きな女の子のお願いは、叶えてやりてぇって思うだろ」

 何でもないように言う轟くんの言葉が最初理解出来なくて、無言で私たちは見つめ合った。
 そうして頭で何度か繰り返した言葉をようやく理解出来た時、轟くんは嬉しそうな顔をして「顔が真っ赤で可愛いな」なんて言ったのだ。

「あ、うん……あ、ありがとう」

 寒かった身体は一気に沸騰したように熱く感じ始める。びっくりして、冗談でも言われているのかと思った。けれども轟くんがそんな悪趣味な冗談を言う人ではないことは私自身がよく知っていた。
 彼の言葉は頭の中で理解は出来たものの、心の整理は出来ていない。変にお礼を言うだけで固まったままの私を、轟くんはじっと見つめてくる。

「ああ、あと俺もお願いをしていいなら、やっぱり焦凍って呼んでほしい」

 そんな肩から力が抜けそうな可愛らしいお願いに、私はただ頷くしかなった。
 満足そうな顔をする轟くんを見ながら、私は寮に帰るまでの時間を頭の中で計算する。ずっと気付かないふりをしていた轟くんへの気持ちが熱と共に全身を駆け巡っていて、それを彼に伝えるための勇気を出す時間が少し掛かりそうだったのだ。

20221224
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