小説
「名前、お誕生日おめでとう」

 部屋の明かりが消され、二人用のホールケーキに刺さった二本のロウソクに息を吹きかけると、響香ちゃんは優しい笑みを浮かべる。ありがとうとお礼を言えば、響香ちゃんはちょっと照れくさそうに歯を見せて笑って「ん、ケーキ食べよ」と腰を上げた。
 照明を点けて部屋が明るくなれば、響香ちゃんはケーキを切り分ける。丁度半分に切り分けたケーキを倒れないよう慎重にお皿に移した響香ちゃんにもう一度お礼を言えば、彼女は笑って「名前の誕生日なんだから当たり前じゃん」と言う。それでも、それが嬉しいんだよと思いつつ、それを口にしようとは思わなかった。響香ちゃんは私の気持ちなんてお見通しなのか、チラリと一瞬こちらを見て目を細める。

「ああ、けど……メッセージプレート、用意出来なくてごめん」
「こうして私のためにいろいろしてくれただけで私嬉しいからさ、響香ちゃんは……その、謝らないでよ」
「……毎年お祝いしてたからさ、今年から無しって落ち着かないじゃん?」

 だから来年こそはと響香ちゃんは口を少し尖らせる。来年はメッセージプレートもちゃんと用意するよと肩をすくませて。
 早く食べようと急かすように座り直す響香ちゃんに頷きながら、ローテーブルの向かいに座る響香ちゃん越しに彼女の部屋を見る。
 楽器が沢山置かれた響香ちゃんの好きが詰まったロックな部屋の中で、二人きりの誕生日パーティーが今年も開かれるとは思ってもいなかった私は、響香ちゃんを見て、そして響香ちゃんが切り分けてくれた半分になったケーキを見て、ちょっとだけ泣きそうになった。

   〇

 幼稚園から中学まで、ずっと一緒だった幼馴染の女の子が雄英に合格したと知った時、自分のことのように嬉しくなって思わず涙が零れた。

「お母さん!! 響香ちゃん雄英受かったって!! ヒーロー科!! メッセージあった!!」

 ボロボロに泣きながら、自分の合格結果を伝えるより先に響香ちゃんの合否の結果を伝えたことを、春になって塾の折込チラシが増えてくると呆れた顔で母は口にする。「本当に響香ちゃんが好きねぇ」と言って、けれどもまあ雄英に受かったって聞いたら興奮するのもわかるけれど、といった風に。
 あの日――冬の寒空の下、四月から通うことになる高校の前で一人突っ立ち、泣いて喜ぶ私を特別気にする人はいなかった。嬉しそうな顔を作る人や校門を出て家族にいち早く伝えようとしている人は私だけではなかったからだ。

 冷たい空気が熱い頬を冷やすのも構わず、高校で渡された入学手続きに関する書類が入った封筒をぎゅっと胸に抱えて母に電話したあの日のことを、私はきっと忘れはしない。
 もうずっと前からの夢に響香ちゃんは一歩近付いたのだと、そう思えば幸せな気持ちでいっぱいになった。響香ちゃんがずっと努力していたことを知っていたから、その頑張りが実ったのだと思うと自然と涙が零れていたのだ。響香ちゃんから受け取ったメッセージが、普段と少し違って興奮したような文面だったのも気持ちが高ぶるきっかけを作っていたように思う。

 遠い未来、おばあちゃんになったとしても、嬉しいと心から思ったあの時のことを忘れることはない。
 新しいことを覚えることが苦手になっても、耳が少しずつ遠くなっても、外に出るのが億劫になったりいろんなことを忘れてしまっても。

 ヒーローになるために努力した響香ちゃんが第一志望であった雄英に合格したことはすごく嬉しかった。それはもう、今までにない程泣いてしまったくらいに。
 嬉しくてたまらなくて、けれどもそれは同時に、私たちの未来が初めて別れることを意味していた。


 中学を卒業して高校に入学すると、響香ちゃんと顔を合わせることはほとんどなくなってしまった。
 雄英に決まったと聞いたあの日からわかっていたことだけれど、雄英は普通の学校とは何においてもレベルが違うのだ。
 登校時間も帰宅時間も、勉強量も違えば昔のようにふらっと会えることはなくなる。中学の頃は気軽に遊ぶ約束をしていたけれど、休日の過ごし方も変わってくる。響香ちゃんは忙しいだろうからと、連絡を取る頻度もぐっと減った。響香ちゃんの近況は、お母さんが響香ちゃんのお母さんから聞いた話で知るようになっていった。

 雄英での生活が楽しいと聞いた。優秀なクラスメイトと切磋琢磨している響香ちゃんの姿が簡単に想像できた。
 響香ちゃんの楽しそうな姿を簡単に想像できるくらい私たちは今までずっと一緒に過ごしてきた。けれども、今の響香ちゃんの隣にいるのは私ではない。
 私の中で一番大好きな友達は今でも圧倒的に響香ちゃんだけれど、もしかしたら響香ちゃんは違うかもしれないと、いつの間にかそんなことを思うようになっていった。

 自分の高校生活がつまらないという訳ではないけれど、休みの日に響香ちゃんの家に行って楽器を演奏する姿が見られなくて残念だと思うことも、響香ちゃんの歌が聞けないことも、昔、響香ちゃんのお父さんが作った私たち二人のための曲を一緒に演奏することも、なんでもないことで笑い合うことも出来なくて寂しいと思うのは、きっと私だけなのだと思った。
 だって響香ちゃんは強くて、いつも前を向いている女の子だから。
 私のことを忘れるようなことは決してないだろう。けれど、どんな環境でも自分の出来ることをして、努力して、楽しむことが出来る素敵な女の子だから。
 だから……

 雄英を、受験しようとも思わなかったのは私だ。
 響香ちゃんが雄英を受験すると聞いた時からこんな未来が来ると想像していたのに。

「名前は真面目で勉強出来るから、実は雄英受けると思ってたんだ」

 中学三年の、受験の日が刻々と近付いていた頃――年が明け、二人で神社にお参りをした帰り道、響香ちゃんがボソッとそんなことを言った。勘が外れたと、そう笑う響香ちゃんに「ごめん」と言えば、彼女は「なんで名前が謝るの」と肩をすくめた。

「お互い頑張ろうね」
「うん」

 頑張ろうと、二人並んで歩きながら口にした。
 あの時は本当に、ここまで会えなくなるとは思ってもいなかった。

 じゃあ、過去に戻れたとしたら志望校を雄英にするかと聞かれたら、やっぱり私は雄英を選ぶことはないのだと思う。私が今学びたいことは雄英ではなく今通っている学校にあって、そして今学んでいることが私の望む未来に繋がるから。
 だからこそ、余計に響香ちゃんに連絡を取りにくくなっていた。響香ちゃんと会えなくなって寂しいと思うのに、そう選んだのは自分で、何度過去に戻ったとしても響香ちゃんと同じ道に繋がる未来を選ぶ気はいないんだから。
 響香ちゃんに寂しいなんて言える道理はないと、そう思ってしまうのだ。


 だから、だから――

「……久しぶり、名前」

 夜、いつものように布団に入って次第に意識が遠くなってきた頃に名を呼ばれ、目を開けたらいつの間にかすぐ傍に響香ちゃんがいて驚いた。
 辺りを見渡せば以前は毎週のように遊びに行っていた響香ちゃんの部屋で。Tシャツにショーパンという恰好の、これまたよく知る響香ちゃんがローテーブルを挟んで向かいに座っている。

「お誕生日おめでとう」
「……え?」
「今日、名前の誕生日だよ」
「……え、えっと、そうなんだけど……えっと、えっと……これは、夢……!?」
「あはは!! そう、当たり。間違いなく夢だよ」

 おかしそうに笑う響香ちゃんが事態を説明してくれた。
 どうやら私は、響香ちゃんの夢の中に遊びにきているらしい。
 響香ちゃんが音楽を通じて知り合った雄英生に、好きな夢を見せることが出来る個性を持った人がいるようで、その人に個性を掛けてもらって私を夢の中に招待してくれたらしい。「夢に登場させたいものの写真を枕の下に置いておくって言われた時、冗談かと思ったけど」と響香ちゃんは言った。
 出来て良かったと笑う響香ちゃんはすぐに「だから、名前の誕生日パーティーをしよう」と机の上に置かれたケーキに立てるのであろうロウソクを二本、私に渡してきた。

「ほら、お願い」
「……うん」

 毎年、響香ちゃんは私の誕生日パーティーを響香ちゃんの家で開いてくれた。
 二人が食べきれる大きさのケーキを、響香ちゃんのお母さんが用意してくれるのだ。小さな頃からずっとロウソクは二本。その数は、小さい頃の私の我儘がきっかけだった。ロウソクはそれぞれ私と、響香ちゃんを意味していた。ずっと一緒にいたいという、我儘の象徴なのだ。
 響香ちゃんにその意味が知られているとは思っていないけれど、今年も変わらず二本のロウソクが用意されていた。嬉しくて、けれどもちょっとだけ胸が痛い。

「――じゃあ、部屋暗くするよ」


 いつものように響香ちゃんが英語で歌を歌ってお祝いをしてくれた後、ケーキを食べ終えると響香ちゃんはいくつかの話をしてくれた。
 雄英でのこと、定期的に送られてくる家族からのメッセージには私の話もあること、そして響香ちゃんの家族が愛している音楽について。

「名前は? 名前は、どんなことがあった?」

 教えて、と響香ちゃんは眉を下げて笑う。
 その表情を見て、私はまた胸にきゅっと痛みを感じた。ああそっか、響香ちゃんも何も思わなかった訳ではないんだと気付いたのだ。それに気付くと一気に目頭が熱くなる。何年も、それこそ十年以上遊んできた響香ちゃんのことを理解していたつもりだったのに、私は自分のことだけ考えていたばかりに響香ちゃんの気持ちを察することは出来なかったのだ。

「……さ、寂しかった」

 響香ちゃんと会えなくて、と言えば響香ちゃんは驚いたように目を見開いて口を微かに開ける。
 家族ですらずっと一緒にいることは出来ないんだから、大好きな友達であってもいつかは「そういう時」がくる。大人になるということはそういうことなんだろうことも、頭では理解出来ている。けれども、寂しいとずっと思っていた。
 自分のやりたいことをやりたくて、けれども響香ちゃんとも一緒にいたい。どちらも選ぶことは絶対に出来なくて、私は、やりたいことを選んだ。

「響香ちゃんと歌を歌ったり、遊んだり、そういうのしたいって、ずっと思ってた」

 高校で友達も出来て、楽しくて、ちょっとかっこいいクラスメイトもいて、その人が気になって……そんな話もしたいのに、口から出るのは響香ちゃんへの気持ちばかり。
 わざわざ誕生日に個性まで掛けてもらってこの場を設けてお祝いしてくれる響香ちゃんは困惑するだろうけれど、本音を零せば涙が溢れてきた。涙を拭って少しすれば、心の中は少しずつ整理されていく。

「けど、今日、響香ちゃんが誕生日パーティーを開いてくれて、嬉しかった。会えて、話せて、私、本当に嬉しかったよ」
「うん。なら、良かった」
「沢山話したいことがあって、沢山聞きたいことがあって、多分、今日だけじゃ足りないよ。だから、また、響香ちゃんが落ち着いた時でいいから、今度は直接会って……その時はまたいつかみたいにパジャマパーティーして、沢山話そう」
「うん」
「いつも我儘言って、ごめんね」
「別に、ウチは名前のそれ、我儘だって思ってないし」

 響香ちゃんはパンパンと手を軽く払って、壁に立てかけられていたアコースティックギターを取る。

「ねえ名前、まだ時間はあるよ。いつもみたいに歌って、楽器弾いて、それで落ち着いたら、ちゃんと名前の高校の話聞かせてよ」

 ウチばっか話すの、ハズいじゃん。
 そう笑う響香ちゃんを見て、もう一度涙を拭って頷く。

「うん!」

 私の頷きに響香ちゃんは目を細めてアコギを構えて弦を鳴らす。
 まずは何が聞きたいかと聞かれ、ちょっと恥ずかしく思いながらも、もう一度お誕生日を祝う歌を聞きたいと言えば「いいよ」と響香ちゃんは笑った。

 優しいアコギの音と一緒に響香ちゃんの歌を聞く。少しゆったりとしたリズムで歌われる歌を、目を閉じながら味わうように。
 私のためだけに歌われる響香ちゃんの歌を、来年も聞くことは出来るだろうか。聞けたらいいな。来年も、変わらずに。

20221007
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