小説
※原作にはない設定が多々あります





 この本丸には、教会がある。教会がある本丸というのは少し珍しいらしいが、ない訳ではないと聞いた。どうして教会があるのかと聞かれたら、前に住んでいた審神者が建てたから、というしかない。
 ここに昔あったのは、別の審神者を主とした本丸である。会ったことはないが、審神者は結婚を機にこの仕事を辞めたらしい。当時の刀剣男士は、今は政府で働いていると聞いている。
 私の本丸は、一般的にいう「引き継ぎ本丸」とは少し違うとこんのすけは言った。本丸にいる男士は全て私が顕現させたので、引き継いだと言えるものは本丸の設備とこんのすけだけだからだ。
 比較的新しい本丸なのに設備が十分に整っていたことがお得に思えて、政府が募集していたものに名乗りを上げたのが引き継ぎ本丸の審神者となったきっかけだ。資材も少しオマケがついていたので個人的にラッキーだと思っていたが、少し特殊な募集故に私以外の新人審神者は怪しんで問い合わせることすらなかったと聞いたのは、本丸で生活して半年程経った時だった。

 敷地内にある小さな教会は、男士によって定期的に掃除がされて使われているらしいのだが、私が足を踏み入れることは少ない。
 審神者になる前から教会に縁のある生活をしていたら違っていたのかもしれないと思うものの、神聖な場所だという認識があるからこそ、理由もなく訪れるのが憚られていた。

「寒いな……」

 本丸にある教会は、あまり大きいものではないのだと思う。必要なものは用意されているが、最低限という感じだ。
 小さく、最低限な教会なのかもしれないけれど、それでも扉を開けてすぐに目に入るのは様々な色を使ったステンドグラスだった。薄暗い教会の中で上を見上げると、日の光で美しく光るステンドグラスは信仰心の薄い私でも他のことを考えることが出来なくなるほど心惹かれるものだった。滅多に訪れないからこそ、足を踏み入れる度にその美しさに神聖さを感じるのかもしれない。
 そんなステンドグラスを見に行こうと言ったのは、とある冬の日。事務作業の息抜きにと、近侍の山姥切長義を誘った。彼は最初、普段はしない私の提案に訝しげに眉を寄せたものの、最後には頷いて承諾してくれた。
 暖房を入れていない教会は寒く、明かりも付けていないから薄暗い。中に進めばステンドグラスが今日も美しく輝いて見えた。

「それで、何か俺に用があるのかな?」

 こんな場所に案内するほど重要なこととか。
 そう口にした山姥切に、緊張を解すように一度小さく息を吐いてから「いやあ、実はさ」となんでもないような演技をして言う。
 心の中では一世一代の告白のつもりでも、それをなるべく悟られないようにしたい訳で。

「ここ、綺麗でしょ。だから、お願いがあって」
「お願い……?」
「結婚式の、真似事……してほしい」


   〇


 審神者に好意を向けられていることには気付いていた。
 気付いた上で、その感情に応じようとしたことはない。審神者のことを嫌いだと思ったことはないが、恋愛感情を抱くことは一生ないだろうと思っていたから中途半端なことはしない方がいいと判断したためだ。
 それでも、どうしてか。突然審神者は息抜きにと教会に誘い、結婚式の真似事をしてほしいと言ってきた。意味がわからなかったが、恥ずかしさと緊張とで少しだけ泣きそうな顔をしているのを見てしまったら、意味のわからないそれに応じてしまったのだ。

 どうして審神者がこんな願いを口にしたのか、わからない。突然、一生に一度の願いを叶えてもらおうとするその心は人間であれば理解出来るのだろうか。
 結婚式の真似事とはどういうことかと聞くも、審神者もあまりよくわかっていなかったようだった。それらしいことをしてみたいだけなのか、指輪なんてものも持っていないので誓いの言葉でも言えばいいのかと聞けば、照れくさそうに頬を染めて笑う。その顔が、子どものようだと思った。

 小さいながらも美しい教会の中は寒い。厚着をしていない審神者を長くこの場所に留まらせるのは避けた方がいいかもしれない。そう思いながら向かい合えば、審神者はそわそわとして俯いた。やりにくいなと正直思ってしまったが、審神者のつむじを見ていたらなんとなく、そう、なんとなく今日一度も使用していない白いハンカチを思い出してポケットから取り出した。アイロンがかけられているハンカチを広げて審神者の頭に掛けて、俺よりも小さな審神者の手を取る。
 ベールを被ったように仕立てた審神者を、彼女本人は見ることが出来ない。子どものままごとのようだと思いながらも、嬉しそうな口元を緩ませる審神者を見たら満更でもない気持ちになる。

 ここに牧師なんているはずはなく、そもそも俺は結婚式に参加した経験がなかった。どうしたものかと思いながら、真似事なのだから出来る限りのことをすればいいのだろうと手に取っていた審神者の左手の薬指の付け根を撫でる。

「新郎となる私は、あなたを妻とし………病める時も健やかなる時も、喜びの時も悲しみの時も……命ある限り、真心を尽くすことを誓います」

 記憶の端にあった言葉を無理やり絞り出して口にすれば、審神者は驚いたように口を微かに開けてこちらを見ている。真面目に真似事をするとは思ってもいなかったのか、しかし目と目が合えば潤んだ瞳が細められて「私も、命ある限り、あなたを愛すことを誓います」と囁くように言う。
 瞳に溜まっている零れそうな涙を見ないようにして軽く頬に唇を寄せれば、審神者から小さな礼の言葉が聞こえた。


 審神者と教会で結婚式の真似事をした次の日、刀剣男士が大広間に集められた。前に立った審神者は横に並んだこんのすけを見て頷いた後、一週間後に審神者を辞めると宣言した。
 聞けば、審神者として本丸を運営する力が底をつくからだという。審神者を続ければ体調に影響が出てくるらしいが、それは霊力が影響しているため。審神者を辞めれば特に問題はなく、現世に戻ったら不都合なく生活していけるらしいので辞めることにしたときっぱり言う。
 最初は政府と話をして審神者を続けるための方法も探そうかと思ったらしいが、男士に迷惑を掛けるのは本意ではないとこの決断に至ったらしい。
 何度も謝りながら、それでも納得してほしいというように審神者は言葉を続ける。男士の今後については、政府で働くか、別の本丸へ移るか自分で決めて良いとのことだった。

 審神者の話が終わり、多くの男士が審神者を囲う中大広間を出る。昨日のあれはそういう経緯があったからかと思いながらも、やはり納得は出来なかった。

   〇

 名字名前を、嫌いかと言われたらそうではない。それでも一生恋情は抱かないだろうし、きっと人間に恋するという選択肢は俺の中にないのだろうと思っている。
 それでも、どうしてか。不思議なことに、たった一人の人間のことを未だに心に引きずるように夢に見ていた。

 政府管理の刀剣男士となって一年が経った。かつて同じ本丸で過ごした男士と会えば、あの子の夢を見る。大抵は、幸せそうにして知らない男の向かいで食事をする場面だった。正直、面白いとは思えない。
 そんな夢を見たある冬の日、あの本丸が取り壊されることを知った。引き継ぎ審神者を募集したものの応募がなく、研修施設としてに使っていくのはどうかと施設を増設するために政府の職員が足を踏み入れて大がかりな調査をしたところ、どうやら霊力を異様に食う本丸だとわかったらしい。前の審神者は、霊力に影響が出る前に審神者を辞めたので政府も気付かなかったという馬鹿みたいな話を聞いて俺は正直怒る気も起きなかったが、それでも共に戦った男士の中には憤る刀もあった。あの引き継ぎ本丸でなかったらもっと主と一緒にいれたかもしれないと、そう考えたらしかった。


 雪が降る夜、現世にやってきた。
 土産である菓子が入っている紙袋を持って、住宅地の中を歩く。吐く息は白く、目的地であるマンションへと辿り着けば自動ドアの前に人が立っていた。
 一年ぶりのあの子だ。

「部屋番号は聞いていた。寒かっただろうに、どうして部屋の中にいなかったのかな」
「へへ、久しぶりに会えるから、ちょっと楽しくなっちゃって。山姥切の現世用の服、初めて見た。へへへ、かっこいいね」

 話は既に政府から通していた。
 あの本丸が、霊力を異様に食う本丸であった説明をすることになっていることも、既に伝えてある。特段面白い話ではない。それなのに、彼女は鼻が赤くなるのも構わずに、寒いだろうこんな冬の日の夜に俺を待っていた。
 嬉しそうに俺を見つめる視線は変わらない。ロビーに入って俺を案内する時の声も、寒かったでしょと俺を気遣う瞳も、一年前と何一つ変わっていなかった。一年前と変わらないそれに気付けば胸の辺りが痛んだ。俺を部屋に入れ、土産を嬉しそうに受け取る手も変わらず小さかった。俺の話を聞く真剣な表情も、何も――

「――以上だ。質問はあるかな」
「いいえ。むしろ、ご丁寧にわざわざありがとうございました。政府にはそんな気はなかったのかもしれないけれど、うまい話には裏があるってこんなことを言うのかなって……すごく勉強になったというか」
「あれから研究も進んだ。もし君が望むなら、再び審神者となることも出来る。政府には君が顕現した刀も多く残っていて、君が望めばその刀は再び君の力になるだろう」
「……そっか。でも……うん。もう、いいかなって。とっても嬉しいお誘いだけど、ごめんなさい」
「……意外だな」
「みんなのことは今でも大好き。けど、だからこそ、また辞めなくちゃいけない選択肢を提示されたらって考えただけで辛いから……」

 だからやらないと彼女は言った。なるほど、そういう考えもあるのかと思いながら胸の辺りが痛むのに気付かないふりをしながら腰を上げる。もう帰るのかと驚く顔を見ながら、勿論と頷く。

「そもそも、内容が内容なだけに君の部屋を訪ねることになったけれど、本来こんな時間に女性の部屋を訪ねるのはあまり良い気がしなくてね」
「……」
「君も、俺だからいいものの……今後男を部屋に上げる機会があるのならば十分に気を付けることだ」
「……」

 目の前には、あの時のように泣きそうな顔をしている女が立っている。
 コートを着て、マフラーを巻いて、泣きそうな顔を見ないようにする。鞄を手に玄関へと向かえば後ろから「山姥切」と俺を呼ぶ声がした。

「それじゃあ。もう会うことはないから言うけれど……」

 靴を履いてドアノブに触れる。ガチャリと扉を押せば、寒い外気が中に入ってくる。

「名前、君のことは嫌いじゃなかった」

 振り返ることはしない。あの子がどんな顔をしているのかもわからないまま、扉が閉まる音がした。

 あれは、あの子にとって呪いの言葉になる。
 真似事とはいえ、神聖な場所で誓いを求めてきた人間が共に在ることを断ったことに対する八つ当たりだと言われたら否定は出来ない。猫殺しくんが知ったらドン引きするであろうことをした自覚はあった。
 あの子から向けられる好意ははっきりしていたが、好きだと言われたことはない。それなのに馬鹿なことをしていると、思わなくはないけれど。
 けれども、いずれ彼女にかけた呪いを解く人間が現れるだろう。呪いなんて得てして解かれるためにあるはずで、人間は人間と結ばれた方がいいに決まっている。

 だから――俺との誓いを忘れるほどの人間と出会って、君はいずれ幸せになればいい。

20211126
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