小説
 夏の終わり、近くの町に買い物に出たところ、店先で一人立ちすくむ不破雷蔵を見つけた。
 彼はいつものようにうんうんと唸るように顎に手をあて、悩んでいるようだった。
 何を悩んでいるのだろう。
 声を掛けようとしたところ、その店が主に女物の小物を扱う店だと気付いて心臓が大きく鳴った。

 もしかして雷蔵、未だに試験に合格出来ていないのでは……?

 慌てて物陰に隠れ、雷蔵の様子を窺う。雷蔵の周りに彼と親しい友人たちの姿はない。雷蔵は一人で町に出たようで、店先に出ている商品を真剣に見ている表情から疑念が確信へと変わった。
 というのも先日、私は鉢屋三郎から贈り物を貰ったのだ。前々から食べたいと口にしていた菓子をなんでもないように「実は偶然手に入った。前に食べたいと言っていただろう?」と渡され、驚きつつも喜んだら実のところこれは試験だったんだと三郎は種明かしをした。相手の喜ぶものを贈り、受け取ってもらえたら試験は合格。先生の合図があったのでネタ晴らしをしたが、試験期間が長いため今回のことはどうか他言無用で頼むと付け加えて。
 くじ引きで決められた相手の喜ぶものを見つけ出し、与えることを課題としたこの試験は、貰い手が全学年を対象にした大がかりのものになっているらしい。三郎は試験を早々に終わらせることが出来たが、人によっては時間が掛かりそうだとぼやいていた。

 三郎が言っていたそれが、雷蔵なのでは?
 随分悩んでいるようだけれど、店の品物で考えたら贈る相手はきっとくの一教室の誰かだろう。無意味かもしれないけれど、普段以上に悩んでいる様子の雷蔵を影から応援するように念を送る。雷蔵頑張れ、と。
 三郎から試験のことを聞いているため、下手に声を掛けて雷蔵の評価を下げる訳にはいかない。学園からほど近いこの町は、普段から学園の生徒や先生を見かける場所だった。誰がどこで何を見ているのかわからない場所なのだから、今は声を掛けて変に干渉すべきではないだろう。雷蔵を心配する気持ちはあれど、気持ちをぐっと抑えてその場を離れた。

   〇

 なんだか最近、今まで以上に雷蔵と話しをするようになった。
 それはお昼休みにのんびりしている時だったり、放課後に廊下で鉢合わせた時だったり、食堂で昼食を食べている時だったり。会う頻度が増えたのは雷蔵が試験の相手の調査をしているからかもしれないし、ただ単に気晴らしかもしれない。
 それと、最近雷蔵は一人でいることが多い。声を掛けられる時は決まって私も雷蔵も一人の時で、不思議だなと思いつつも珍しいねとは言わなかった。委員会の仕事があるのかもしれないし、それこそ試験に関係があって一人なのかもしれないからだ。

 ちなみに、今現在もそういう状態である。
 放課後にのんびり廊下を歩いていたら食堂のおばちゃんに声を掛けられ、食堂で留守番をしてほしいと頼まれた。近くの農家さんに食堂まで野菜を届けてもらうことになっていたが、おばちゃんに用事が出来て少し学園を出なくてはいけなくなったらしい。代わりに農家さんから野菜を受け取ってもらえないか頼まれたので、いつも美味しい料理を作ってくれるおばちゃんのためならばと快く話を引き受けた。
 胸を張って「まかせてください」と言えば、おばちゃんは嬉しそうな顔をして「名前ちゃんの好きな料理の時はおまけするからね」と言って詳細を話してくれた。手を合わせてごめんねぇと謝るおばちゃんに気にしないでくださいと言って門まで見送り、そのまま食堂へと向かったところ、一人食堂でお茶休憩をしていた雷蔵を見つけたのだ。
 食堂へやってきた理由を話せば、雷蔵は「じゃあ僕もおばちゃんが帰ってくるまで一緒に留守番をするよ」と笑った。委員会は平気なのかと聞けば、今日はお休みらしい。
 そんな経緯で二人雷蔵と話していけば、最近くの一教室の子が町で楽しそうにしているのを見かけたのだと雷蔵は少し身を乗り出す。

「町で新しいお店が出来たらしくてね、何人かで楽しそうにお茶をしていたんだけれど名前はもう友達と行った?」
「えーっと、話には聞いてるんだけどタイミングが合わなくて行けてないの。おしげちゃんがしんべヱから聞いて、ユキちゃんとトモミちゃんと行ったって話は聞いたんだけどねぇ」

 雷蔵が贈り物をする相手は、私と仲が良い子なのだろうか。そういえば最近雷蔵と話す内容と言えば、くの一教室での出来事だったり授業のことが多いことに気付く。少しでもその子の情報を得ようということなのか。
 ということはつまり、雷蔵の試験はまだ終わっていない可能性が高い……?
 それならば、私は彼のために出来るだけ情報を与えるべきかもしれない。頭の中でいろいろ考えながら不自然にならないよう雷蔵との会話を続けていけば、雷蔵は少し不思議そうな顔をしながらも「じゃあ、今度一緒に行こうよ」と少し恥ずかしそうに笑った。


 ここ数日、秋の気配を肌で感じる日々が続いている。
 放課後に空を見上げていつの間にか空が薄暗くなっていることに驚くことが何度かあったし、夜は薄ら寒く秋の虫が鳴いている。少し前まで蝉が鳴いていて夏休みの宿題云々でいろいろあった気もするけれど、気がするだけでもう季節は秋になっていたのだ。季節が移り変わるのはあっという間で、そうこうしているうちに冬が訪れ、新しい年を迎えるのだろう。気が早いと言われそうだが、光陰矢の如し、である。

 雷蔵は相変わらず町で一人悩んでいるようだった。試験は本当に大丈夫なのかと心配になるも私からは何も言えず、雷蔵を見かけた時は必ず「雷蔵が上手くいくように」と背後から念を送っている。むしろ私の念が邪魔をしているのかと悩んだこともあるほど、私は町で雷蔵を見かける度に彼に強い念を送っていた。
どうしてこんなにも雷蔵が心配なのかといえば、まあつまり、私は彼が好きなのだ。

 彼を好きになったのは二年前、読みたかった本を見つけてもらったことがきっかけだ。
 探している本がなくて困っていたら、雷蔵が一緒に探してくれたのだ。どこを探しても見つからなくてその日は諦めたのだけれど、暫くしたら雷蔵が本を持って現れた。名前が探してた本、これで合ってるかなと、嬉しそうな顔をした雷蔵が。
 雷蔵にお礼を言えば、これも図書委員の仕事だよと首を振る。名前の名で借りておいたけど平気だったかなと笑った雷蔵に勿論と頷けば、期限内に返却してねと言って彼は図書室に戻っていってしまった。その時はただ単に読みたいと思っていた本が見つかって嬉しいなーと思っただけだったのだが、本を返した時に当番だったきり丸の言葉を聞いて驚いた。雷蔵は、当番でない日も図書室に通って本を探してくれたらしい。

「不破雷蔵先輩、名字名前先輩が本を借りることはあまりないから、どうしても見つけてあげたかったって言ってましたよ」

 その言葉を聞いた時、きゅんと胸が鳴った。
 きり丸の言葉から、図書室で雷蔵が真剣に私の話を聞いてくれた時の表情が思い浮かんだ。
 ここかなと私が届かない上段の棚を探す横顔を思い出した。中在家長次先輩ならわかるかもしれないと、先輩に話を聞きに行ってくれた雷蔵の背中を思い出す。
 先輩に聞きに行った雷蔵が図書室に戻ってきた時に、先輩もすぐにはわからないらしくてと、しょぼくれた声を思い出す。
 それら全てが私のためだと気付いて胸がときめいた。彼からしたら委員会の仕事の一つだったかもしれないけれど、それでも嬉しかった。沢山探してくれたのに、苦労を吐露することなく本を渡してくれたことも彼の優しさを感じて好きだなと思った。雷蔵は優しくて、そしてかっこいい。
 雷蔵をいつ好きになったのかと聞かれたら、間違いなくその時だ。

 雷蔵のことが好きだ。だからこそ、雷蔵が試験に苦戦しているのなら、私に手伝えることはないにしても応援したい。けれども、そんな私の思いなど露程も知らない雷蔵は、廊下で偶然会った際に「次の日の休み、前に言ってた新しいお店に一緒に行こうよ」ときらきらした笑みを浮かべて言ってきたのだ。

「私と?」
「うん」

 秋風に髪を揺らす雷蔵にもう一度確認すると、彼は頷いて「もしかしてその日、予定でも入ってた?」と困った顔をする。いやいやそんなことはないけれど、と言いながらもいいのだろうかと雷蔵を窺う。
 あれから日にちも過ぎたから、試験もさすがに終わったということだろうか。

「雷蔵がいいなら、一緒に行きたい」
「なら、決まりだね」

 不安を抱きつつも雷蔵が好きなので、誘われたらホイホイ乗ってしまう。
 これが惚れた弱みってやつなのかもしれない。

   〇

 約束の日、雷蔵と一緒に外出届を出してから町へと向かい、くの一教室でも話題となっている店へとやってきた。雷蔵と一緒に出掛けるということもあって私は朝から緊張して着物を選ぶのにもいつも以上に時間がかかった。
 普段はつけない紅もうっすらつけてしまった。見る人が見れば浮かれているのが一目でわかるような状態だ。しかも雷蔵がそれに気付いて「あ、可愛い」とほわほわとした笑顔で言ってくれたので心臓が破裂して死んでしまうかと思った。
 二人きりで町に出るのは実は初めてで、自分でも浮かれているとわかっているからこそ嬉しいことを言われると動揺してしまう。普段なら平常心でいられるはずなのに、今日は駄目かもしれない。私の気持ちに雷蔵は気付かないから、さっきから「可愛い」とか「似合ってるね」とか「今日一緒に出掛けられて嬉しい」なんて言ってくれるのだ。
 雷蔵と一緒に小松田さんに外出届を出した時、小松田さんに「名前ちゃん嬉しそうだね」と言われてしまったくらい気持ちが表に出てしまっているこの状態で私は無事学園に戻ることが出来るのだろうか……?


 今日のお目当ての店は、中に入るまでもなく繁盛しているのがよくわかった。賑やかな声が聞こえ、外で立っているお店の人も明るく気さくなのだ。
 店が出来てから少し月日は経ってはいるものの、人は絶えない様子でほぼ満席の状態だ。清潔感があって入口も少し広い店だから、入りやすいのもあるかもしれない。
 席に案内され、壁に貼られたいくつもの短冊の品書きを見たら雷蔵はきっと迷ってしまうだろうなと思ってしまった。短冊はどれも美味しそうな品名が書かれていて、迷い癖のないはずの私ですら迷ってしまった程だったからだ。少し考えて私が雷蔵に「羊羹にするね」と言えば、彼は驚くことにすぐに手を挙げてお店の人を呼んだ。にこやかにやってきたお店の人に雷蔵は栗羊羹を二つ頼んで、楽しみだねと笑って。

 少しして机の上に運ばれた羊羹の断面には、栗が見える。向かいに座る雷蔵は「今はこれが一押しらしいよ」と早速私に食べるよう促した。
 美味しそうだねと雷蔵に言えば、彼は「実は名前が選んだものを食べようって最初から決めてたんだ」と照れたように頬を染めた。「いつもはそんなことないのに、どうしたの」と尋ねると「今日は特別な日だろう」と笑う。一緒が良かったんだと言う雷蔵の頬は赤らんでいて、それがどうしてなのかわからなくて「特別な日?」と首を傾げれば、雷蔵は目をぱちくりと瞬かせ「え、名前、もしかして自分の誕生日忘れてないよね?」と体をのけぞらせた。

「えっ……?」

 羊羹を一口の大きさに切ろうとしていた体がぴしりと固まる。
 日付を頭の中で確認し、ああそういえばと思い出して恥ずかしくなった。

「そういえば、そうでした」
「本当に忘れていたのか……」

 肩を落とし、しかしすぐに破顔した雷蔵は「変だなーってちょっと思ってたけど」と頬を掻く。
 最近ちょっとだけ、様子がおかしかったからと雷蔵はぼそりと呟いてから「改めておめでとう」と目を細めた。ありがとうとお礼を言えば、雷蔵は首を振る。

「今日は名前にとことん付き合うから、沢山楽しもうよ。日暮れまで、まだまだ時間はあるだろう」
「日暮れまで?」
「うん」

 次は名前が好きそうな小物屋さんがあったから、そこに行こう。良いのがあったら買ってあげるよ。実はずっと何にしようか悩んで、決まらなかったんだ。
 町を出て少し歩いたところには綺麗な花がいっぱい咲いていたし、そこに行くのもいいね。
 そんな話をしながら羊羹を食べて、けれどもそこまでしてもらっていいのだろうかという気持ちになっていく。

「名前に喜んでもらいたくて、ずっと考えていたんだ」
「えっ?」
「町に何度も通って、名前が好きそうなお店を探して」
「……えっと、それは試験のためじゃなくて?」
「試験……?」
「うん。実は少し前に三郎がお菓子をくれて、それは全学年を対象にした試験だって教えてくれたの。相手を喜ばせる必要があって、大変な生徒もいるだろうって」

 それで、丁度同じような時期に町で悩む雷蔵を見つけたから、と説明すれば雷蔵は目を大きくして「ああ、あれかぁ」と手をポンと叩いた。
 何かを納得したような顔をした雷蔵は「心配してくれてたんだね」と微笑む。

「僕はすぐ終えたよ。相手がしんべヱだったから、食堂のおばちゃんに頼んで一緒に料理を沢山作ったんだ」

 私の念は結局意味のなかったものだったのかぁと思いつつ、雷蔵が試験に苦しんでいなかったのならそれは良かったとホッとする。
 詳しく聞けば、三郎が言っていたのは竹谷八左ヱ門のことだったらしく彼は苦笑いを作った。話したことのないくのたまがくじで当たってしまったらしく、苦戦していたらしい。その八左ヱ門も既に試験に合格しているらしいので心配する必要はもうないと言った。

「ずっと僕の心配をしてくれて、ありがとう」
「町に出る度に見かけてたから……」
「嬉しいな」
「えー、試験にずっと受からないと思ってたんだから雷蔵は私のこと怒ってもいいんだよ」
「そんなことないよ。だって僕のこと、そこまで考えてくれてたってことでしょう」

 嬉しいよ、それは。
 そう言った雷蔵はへへと笑って切り分けた羊羹を口に入れる。私も彼に倣うように羊羹を食べれば、目の前の雷蔵は目を細める。
 美味しいねと笑い合った後、雷蔵は他のお客さんに聞こえないような小さな声で「僕、名前のそういう優しいところがすごく好きだよ」と言ってきた。
 賑やかな音に紛れて聞こえた言葉が自分の良いように解釈した言葉だったらどうしようと思うのに、目の前で笑う雷蔵の頬が今日一赤く染まっているからきっと間違いじゃないはずで。それでも夢だったらやっぱり虚しいから、確認のために自分の頬を強くつねれば痛くて泣きそうになった。

「な、何してるの!?」
「いや、夢かなって」
「夢じゃないよ、僕も夢だったら困るし……ねえ、頬痛くない? 平気?」
「頬は痛いけど、平気。けど、胸が破裂しそうで、駄目かもしれない」
「そ、それは困るなぁ」

 けど僕も胸が破裂しそうなんだと言った雷蔵の困った顔も可愛くて胸がきゅんと跳ねる。
 胸が幸せな気持ちでいっぱいで苦しいくらいで、とくとくと早い心臓の音を聞きながら、やっぱり今日はいつも通りの顔をして学園に戻ることは出来ないなぁなんて思ってしまった。

20211007
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