小説
 個性を使うと触れている相手を元気にすることが出来るものの、その反動で私は胸にぽっかり穴があいたかのように悲しくなる。
 昔、個性を使っていた時に「名前ちゃんは個性を使って元気を分けてあげてるんだね」って言われたけど、どんなにヒーローになりたくたって個性を使ったが故に笑顔が無くなるヒーローなんて問題な訳で。ああなんでこんな個性に生まれてしまったんだろうって泣いたことがある。

 雄英に入学して、かつて私に「名前ちゃんは個性を使って元気を分けてあげてるんだね」と言った男の子と再会した。幼稚園が同じで、けれども学区の関係で小学校と中学校が別だった心操人使くん。
 ヒーローになりたいと言っていたから雄英にいるのはおかしいことではないけれど、まさか地元から離れた雄英でクラスメイトになるとは、入学して再会するまで考えたこともなかった。
 幼稚園児であった私にとって、彼は園の中で一番親しい男の子だった。初恋の人だった彼を下の名で「人使くん」と呼んで、よく一緒に遊んでいたのを覚えている。それでも卒園して小学生になればどこかでふらりと会うことはなく、連絡を取ることもなく疎遠となっていた。

 教室で彼と目が合って、彼が自分の知る「人使くん」だとわかった時、私は飛び跳ねる程喜んだ。久しぶりの再会に運命みたいなものさえ感じて、けれども声を掛けた後の彼の印象が昔と変わっていて、少し戸惑ってしまった。
 違和感を覚えて戸惑った私に、彼はきっと気付いたのだろう。彼は自嘲したような笑みを浮かべて、私のことを「名字」と呼んだ。「俺のこと覚えてたんだな」と頭を掻いて、まあ宜しくと視線を外して。

 そんな彼の態度を見て、はしゃいで声を掛けた自分がおかしかったのかもしれないと察した。
 卒園以来会っていない異性と、ずっと連絡すら取っていなかった人への挨拶ではなかったかもしれない。何年も会っていない異性から急に声を掛けられて、彼も戸惑ったのだろう。彼の反応に納得は出来たものの、それでも上手く表現出来ない気持ちが胸をぐちゃぐちゃにした。それは寂しいのか悲しいのか、はたまた恥ずかしいのか自分でもよくわからない何か、だった。
 彼の表情を見て、声を聞いて、知らない男の子と話しているような気分になってしまった。自分でもよくわからない感情を抱いたまま、他の男の子と同じように上の名で「心操くん」と呼ぶようになった。

   〇

 体育祭以降、少しずつ心操くんは変わっていった。
 クラスメイトと楽しそう話していることが増えて、毎日が充実しているようだった。相澤先生と一緒にいることを見かけるようになって、お昼をいっぱい食べて体がしっかりとしたように思う。
 けれども私は変わらず彼を「心操くん」と呼んでいて、クラスメイトとして同じ寮で生活しているのに交流らしい交流はない。心の距離は毎日一歩ずつ離れていっているような気がして、個性を使っていないのに時々妙に悲しくなることが増えた。

 個性を使うと、寂しくなる。
 胸の辺りが寂しくて、穴があいてしまったのかと思うくらい心許なくて、不安な気持ちでいっぱいになって何かに縋りたくなる。個性を使った時間にもよるけれど、元気になるまでだいたい三十分くらいかかってしまう。短いようで、悲しくて泣いてしまうほどの寂しさを感じるその時間は、永遠に続くのではないかと思うほど苦しくて長い。
 幼稚園の時の将来の夢は、皆を笑顔にさせるヒーローになることだった。個性を使えば人を元気にさせることが出来る。きっと力を使えば多くの人の恐怖心をなくすことが出来るだろう。けれども私は個性を使うと必ずといっていいほど泣いてしまうから、ヒーローになることは諦めることにした。
 助けてくれたヒーローが泣いて、自分を救ったが故に苦しんでいると気付いたら、その人は純粋に喜べるだろうか。助けてもらえて良かったと安心出来るだろうか。きっと、ヒーローのことを心配するだろう。
 人を笑顔に出来る個性なのに、使えば使うほど人を心配させる個性だなんて、そんなの意味があるのだろうか。意味がないと、私はある時思ってしまった。だから、ヒーローになるという夢を諦めたのだ。


 今現在、日常において個性を使うことは滅多にない。
 それでもある冬の日の放課後、仲の良い友人が失恋したと聞いて、私は個性を使って彼女を慰めた。
 寮に戻ってきた友人にいつもの元気はなく、夕食も食べる気にならないと言うので話を聞きに部屋を訪ねれば、告白したものの相手には好きな人がいて付き合うことは出来ないとはっきり言われたと彼女は教えてくれた。絶対に上手くいくとは思っていなかったけれど、それでもやっぱり悲しいと彼女は綺麗な涙をこぼしていった。
 ぽろぽろと溢れる涙を隠すように顔を手で覆う彼女に気付かれないよう、そっと背を撫でて個性を使った。こっそりと、気付かれないように。
 個性によって気持ちが落ち着いたのか、涙を拭いながら「名前ちゃんに話したら元気出た」と、彼女はお礼を言った。久しぶりに泣いたから恥ずかしいと言って照れる彼女を見て、少しずつ痛み出す胸を抑えて急いで腰を上げる。

「そろそろ、行くね。何かあったらまた言ってね」
「ありがとう……本当に名前ちゃんがいてくれて、助かったよ」
「うん、良かった。おやすみ」
「おやすみ」

 ガチャン、と扉が閉じて彼女と別れた瞬間、涙が一気に溢れてくる。
 彼女に涙を見られなくて本当に良かったと思いながらとめどなく流れる涙を拭う。あと少し遅かったら、きっと耐えられなかっただろう。

「……」

 ここ最近個性を使ってこなかったからか、久しぶりに感じる寂しさが涙が溢れたのと同時にどっと襲ってくる。自分を落ち着かせるように胸を撫でて、平気だと呪文のように繰り返し口にする。不安で仕方がなくて、エレベーターに乗って一階へと向かうもそこには誰もいなかった。
 本当は、自室に戻るべきなのだろう。ぼろぼろと零れる涙を流すのを誰かに見られたら心配させてしまう。けれども絶対に一人になってしまう部屋に戻りたいとは思わなかった。誰かがいるかもしれない場所に行って、誰か一人でもいいから隣にいてほしかった。

 けど、ぼろぼろに泣いている私を見たクラスメイトはきっと驚くだろう。
心配して「大丈夫?」と問われるだろう。落ち着くまで隣にいてほしいとお願いしたら、きっと皆優しいから応えてくれるかもしれない。けれどもそれは、あまりにも我儘な願いだと気付く。
 それでも、一人でじっとしてはしていられなかった。一人で部屋に戻って、静かに耐えることは出来そうになかった。

 辛い。悲しい。苦しい。寂しい。
 一人になりたくない。けど人に迷惑を掛ける訳にもいかないと考え直し、部屋に戻ろうと玄関ロビーの前を通ったところでガチャンという音が辺りに響いた。
 驚いて顔を上げれば、滲んだ視界の中で何かが動く。

「……だ、誰?」
「……名字、どうして泣いてるの」
「し、心操くん……」

 入学してからずっと気にしていた彼の声を間違えるはずはなく、心操くんが日課のランニングから帰ってきたのだと気付いて思わず顔を背ける。
 なんでもないように振舞おうと「おかえりなさい」と口にした自分の言葉は震えていて、心操くんは再び「どうしたの」と動揺したように言った。パタパタとスリッパを履いた彼がこちらに近く音がする。
 さっきまで一人になりたくなかったはずなのに、気まずい気持ちになっているのはどうしてだろう。早く部屋に戻ってしまえば良かったと思ってしまったのは、どうしてだろう。

「こ、個性、使ったの」

 心操くんの問いにそう答えれば、彼は少し納得したように「ああ」と一言呟く。もしかしたら、私の個性を覚えていたのかもしれない。寂しいのか尋ねられ、頷きながらごしごしと涙を拭えば擦らない方がいいと彼は慌てる。

「名字の個性って、人から貰うことは出来たんだっけ?」
「えっと、私から元気を分けることはできるけど、貰うことは出来ないよ」

 そう言えば、彼はふうんと一言。
 何か考えているような、少しの間が生まれる。

「どうしたら名字は元気になるの?」
「時間が経てば、元に戻るよ」
「他に方法は?」
「……わからない」

 今までずっと、ひたすら耐えてきたから他にどんな方法があるのか知ることはなかった。首を振れば心操くんは困ったように「困ったな」と言って、その後続けてどうして個性を使ったのかと聞いてくる。
 友達の失恋が原因でと正直に伝えるのも憚られて、友達が泣いてたからと言えば彼は変わらないんだなとぼそりと呟く。驚いて顔を上げれば、心操くんは少しだけ口元に笑みを浮かべていた。

「個性を使えばこうなるってわかってるのに、使わなきゃって名字は思ったんだな」

 そう言った心操くんの声は今までで一番優しくて、なんだか急に恥ずかしくなってきた。

「俺の個性使って、余計辛くなっても嫌だしな……」

 彼がそんな独り言を呟くのを聞いて、涙がどんどん溢れてくる。彼は、やっぱりヒーローになる人なんだなぁと思いながら「あと少し堪えればいいだけだから、平気だよ」と涙を拭って笑ってみせる。
 心操くんは、私と違って個性関係に悩みながらもヒーローになることを諦めなかった人だ。すぐに諦めた自分が無性にちっぽけな人間なように思える。けれども雄英に入学した日に変わってしまったと思った彼に、昔好きだった小さな「人使くん」の面影を感じたような気がして嬉しいような気持ちにもなった。
 高校生になった私たちが、何も知らなかったあの頃と同じような関係でいられる訳がなかったのだ。再会した時、私が彼に戸惑ったように、きっと心操くんだって私の変化に戸惑ったところがあっただろう。私が気付かないだけできっと私自身も変わっているところがあったのだろうから。

 今からでも、また彼と仲良くなれるだろうか。
 ふと抱いた気持ちを口にするために顔を上げれば「名字」と、優しく呼ばれる。

「昔の話だけどさ、俺に個性を使って名字が泣きだす度に、俺は名字に俺の心をあげられたらなってずっと思ってたよ」

 今日話してさ、そう思ってたこと思い出した。変わってないんだなって気付いて嬉しかった。
 そう続ける心操くんは、少し悔しそうに「もっと早くこうして話してれば良かったな」と口篭もる。
 その言葉を聞いて、そういえば彼は二年生になったらヒーロー科に転科するんだったと思い出す。春に再会したのにあまり交流することもなく、いつの間にか冬になってしまった。もっとお互いのことを知る機会があれば、何かが今とは違っていたのかもしれない。
 それでも、過去に戻って再会したあの日から何かを変えていくことは出来ない。

「わ、私、ずっと、心操くんに笑っててほしかったの。あの頃、心操くんが元気になるなら、私の心が、元気が、なくなってもいいって思うくらい」
「うん。嬉しかったよ」
「入学してからも、本当はずっと心操くんが気になってて、けど、もうすぐ春になっちゃうから、遅いかもしれないけれど」
「……」
「心操くんと、前みたいに話がしたい」
「うん」
「また、仲良くしてください」
「こちらこそ」

 薄暗い玄関ロビーで、泣きながら右手を差し出す私に心操くんは呆れなかった。困った顔をすることもなく、笑って私の手を優しく握ってくれた。

「また、沢山話そう」

 昔よりずっと大きくなった心操くんの手と握手すれば、胸を占める寂しい気持ちが少しだけ和らいだような気がした。

20211002
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