小説
※原作にはない設定が多々あります(所謂霊力供給ネタ)。
なんとなく体の調子が良くないなーと思いながらも、普段以上に食欲があった。
体のどこがどう悪いのか、明確に言葉にすることが出来ない程の些細な違和感が続くまま、いつ医者に掛かろうかと考えているうちにいつの間にか時間が過ぎていき、一ヶ月が経っていた。
そんなある日、審神者になったばかりの頃からお世話になっている政府の職員さんから突然連絡があり、体調の件を尋ねられた。パソコンのモニター越しにいくつか質問が続いた後、職員さんは『早急に対処しないと入院することになります』なんて。
聞けば、どうにも審神者としての力が乱れまくっているらしい。普段ならしない小さな失敗が続いたことを不思議に思ったこんのすけが職員さんに調査をお願いしたことで状況が明るみに出たというので、こんのすけには後でお礼をした方がいいだろう。
私が持っている審神者としての力がどんなものなのか正直よくわからないが、とにもかくにもこのままにしておくと疲労で倒れる可能性が高いとのことだった。
違和感がなくなるまで、刀剣男士との触れ合う時間が必要だと職員さんは言う。
『よく言われている言葉に置き換えると、霊力供給ですね。解決方法として、資料によると同衾すべしと書かれていたんですが、これは手っ取り早く解決する方法ですかねぇ』
「ど、同衾!?」
『精を体内に取り込むってのが良いみたいです。ちなみに男士との間に子どもは出来ませんので安心してください。いやはや、大切ですよね、こういう情報は』
ずっとお世話になっているその職員さんは、私よりも一つ年上のお姉さんだ。仕事は出来るが調子が軽い。「安心してください」ではないですが……と思いながらもあまりにも想像していなかった言葉に何も言えなかった。
『刀剣男士と付き合っている方でしたらいいんですが、こればかりは難しいですよねぇ』
「は、はあ。それしか方法はないんですか?」
『キスとか、添い寝での解決方法も書かれていました。薬とかないのかなって調べてみたんですけど、安全で回復率が高いのが男士から力を得る方法みたいです』
「……その方法を取る場合の注意点とかってあるんですか?」
『いろいろ調べましたが、特になかったんですよ! 一番安全な方法が男士との接触らしくて、こっちもびっくりしましたが勉強になりました。不安な点があったらすぐこっちで入院してもらうつもりだったので、男士すご〜ってなりました。これで安心ですね!』
「は、はぁ……」
いくつかの話をし、職員さんとのやり取りを終えてからゆっくりと息を吐く。
どうしよう。頭の中を占めるのはそればかり。
昼過ぎの本丸は、本来であれば平和なはずなのに。この部屋は平和とは程遠い空気でいっぱいだ。
「……」
「……」
もしも、この話を一人で聞いていたら、私は冷静に判断が出来たのだろうか。そんな「もしも」はなく、背後にはここ一ヶ月程、近侍として働いている水心子正秀が控えていた。何かあってもすぐに対応できるようにと、彼は今日も真面目に部屋に待機していたので今の話も聞こえていただろう。
彼にお願いすべきなのだろうか。それが、わからない。
もしも、改めて今の話を彼にしたとして。彼は真面目だから、本当は嫌だと思っても刀剣男士の務めだと承諾しそうな気がする。そういうのは、良くないだろう。決して、してはいけないことだ。だから、困っている。
刀剣男士には、今までいろんなお願いをしてきた。けれども今回は簡単に言うべき問題ではない。特に彼のような刀剣男士には――
「我が主」
その時、静かに彼の声が部屋に響いた。
水心子は基本的に、私が仕事をしている間は集中できるようにと私の視界に入らない位置で待機している。そのため、先ほど彼がどんな顔で話を聞いていたのかわからないし、振り向くことも出来ずにいる今だってどんな表情で声を掛けてきたのかわからない。
いつもの彼だったら想像出来たかもしれない。
声がどもっていたら、動揺しているとわかったら、私自身の気持ちが焦っていなかったら、わかったかもしれない。それなのに、彼の声があまりにも静かでしっかりしていたから、水心子が何を思っているのか、どんな顔をしているのか、ちっともわからなかった。
「――我が主に心を決めた男士がいないのであれば、私が貴方を助けたいと思うのだが、どうだろう」
ふと思い出したのはもう十年も前の夏休みの日こと。
小学生の頃はお盆の時期に祖父母の家で数日過ごすのが常だったのだが、ある日、居間でごろごろ寝っ転がっていると祖母が「罰当たりだねぇ」と少し怒ったような声を出した。その声が自分に向けられているものではないのはわかったのは、居間に置いてあるテレビから絶えずニュースが流れていたからだった。祖母はテレビを見ている時にいちいち反応する人だったのだ。
「賽銭泥棒なんて、何考えてるんだろうねぇ」
夕方のニュース番組で、どこかの神社の賽銭泥棒が捕まった話題が出た報道がされていたようだ。その時の私は特に何も思わなかったのに、ふと、今になってあの日の祖母の声を思い出した。
罰当たりだねぇ。
何故そんなことを思い出したのかなんて、自分が今、罰当たりなことをしているんじゃないかと思ってしまったからに決まっている。祖母の言葉を思い出して、少しだけ胸の辺りがきゅっと締め付けられた。
「我が主」
水心子の右手が私の左手に触れた。夜、自室に彼がいることを、今も不思議に思う。
これから何が行われるのかわからないけれど、変に意識をしてしまった私は普段よりも長風呂をしてしまった。霊力を供給する手段はいくつもあるらしいけれど、昼間彼は「時間になったら我が主の部屋に向かう」としか言わなかったからどうやって霊力を供給するのか話していないのだ。
けれども、何をしたって私は罰当たりになるのかもしれないと思ってしまった。純粋で、真面目な彼が近侍だった時にタイミング悪くこんなことになってしまったことを申し訳なく思いながらも未だに謝れていない。こっちも結構いっぱいいっぱいで、どうにもタイミングが掴めなかった。
水心子の布団も用意した方が良かったのだろうか。
そんなことを考えたのは、膝と膝が触れあう程近い距離で向かい合い、無言で手を握っている状態になってから三分程経った頃だった。
確かめたいことがあると言った水心子の言葉通り手を握ることになったが、添い寝がアリらしいし、これは既に霊力を供給してもらっているということなのだろうか。
力が漲る感じは特に感じないのでわからないが、もう少し強く握れば何か変わるのだろうかと水心子の手をそっと握り返せば、水心子は少し驚いたように肩をびくりと震わせた。
「!?」
やっぱり、罰当たりな気がする。
「ご、ごめん!」
耳が赤くなった水心子の反応を見て、つい大きな声を出してしまった。
伏した水心子の長い睫毛を見ながら「私はどうすればいいかな」と聞いてみれば、彼は下唇を噛んでより深く俯いてしまう。
やっぱり彼を頼るべきではなかったかもしれない。罪悪感が増してごめんともう一度謝る。こういうのはやっぱり他の男士にお願いをしようかと口にしようとしたところ、握られた手を水心子がより強く握ってきた。
「わ、私は、貴方にどこまで触れていいのだろうか」
「……えっ?」
「い、いや、今のは卑怯な言い方だったかもしれない。ただ、我が主が嫌に思うことはしたくないんだ」
真っ赤な顔で水心子は顔を上げた。エメラルドグリーンの綺麗な瞳がこちらをじっと見て訴える。どうすればいいのかと、水心子も困っているようだった。
「と、とりあえず添い寝で」
そう言ってから、キスと添い寝ってどっちが初心者向けなんだろうと疑問に思った。
それでも水心子は緊張が少しほぐれたように「わかった」と笑うので、選んだ選択肢が間違いでなかったことを知って少し胸が軽くなったようだった。
〇
「水心子はさ、キスしたことある?」
「ひぇえ!? な、ないよ!! なんで今そんなこと言うの!?」
明かりを消して、添い寝の選択肢を選んだことで同じ布団の中に入った私たちは天井を見ながら少しの間、話をすることにした。
布団の中で手を繋いでから、ふとした疑問を口にすれば水心子は慌てる。見えないけれど、きっと顔は真っ赤になっているのだろう。
ごめんごめんと謝ってから水心子の方へ顔を向ける。
「キス、私はしたことないから。水心子がしてたら話を聞いてみたかったの」
「……」
「じゃあ他の人に霊力供給とかもしたことない? 政府にいた時とか」
「そういうのは、ない。政府で人間と関わることは随分と少なかったんだ」
その言葉を聞いて、彼らが特命調査の前に何をしていたのか聞いたことがなかったことに気付く。基本的に彼らと話すことといえば、この本丸で起こったことや出陣先での話が多かったのだ。
彼らの全てを知っているとは思ってもいなかったけれど、知らないことが沢山あることに気付かされた。優しく握られた手をゆっくりと解いて体を水心子へと向けて、声を落として聞いてみる。誰に聞かれることもないのは重々承知だけれど、少し恥ずかしかったのだ。
「――じゃあさ、水心子はキス、してみたいと思ったことはある?」
それまでずっと天井を見ていた水心子が、向き合うようにゆっくりと体を動かす。水心子は気まずい話をするように視線を外した後、普段よりも低い声で「……ある」と言った。
まさか答えてくれるとは思わなかった私は、水心子の発言を意外に思いながらもテンションが上がって「嘘!」と声を上げてしまった。学生時代、彼氏が出来たと報告してきた友達の話を聞いた時のことを思い出した。
「水心子でも、そういうこと思うんだね!」
「……言わなきゃよかった」
「何でよ、聞かせてよ。恋バナしようよ」
「そういうのは、私の専門ではない」
「えー何それ」
ケチと呟けば、眉をぎゅっと寄せた水心子の顔が近くに寄ってきた。
「しかし我が主、寝食を必要とする刀剣男士の体に、他の欲がないと思っていたのか?」
「っ……」
「どうして子孫を残す必要がない刀剣男士に性欲があるのか、私も知りたいくらいだが――」
少し怒ったように話を続ける水心子を見ながら、水心子って性欲あったんだと衝撃を受ける。そもそも刀剣男士って性欲あったんだ……今まで露程気付かなかったのは彼ら刀剣男士が私に気付かせないよう気を使ってくれていたからなのだろうか。なんだかごめん。
「そもそも、貴方は霊力供給として私に触れられても本当にいいのか?」
衝撃的な出来事に驚いたまま水心子の話を右から左に聞き流していると、突然そう尋ねられた。話を聞いていなかったのでどういった流れでそんな質問をしてきたのか全く見当がつかないが、私が上の空でいたことに気付いていないらしい水心子の言葉は普段よりも少し、強い口調だった。
さっきまで手を繋いでいたのに今更ではないかとも思ったが、それを言う気にはなれなかった。水心子の声はいたって真面目で、何か意味を含んでいるようだったからだ。
「いいよ」
今の今まで、嫌だとは思わなかった。それが彼の言葉の答えになるのかはわからないけれど、しっかりと彼の目を見てそう答えた。
エメラルドグリーンが微かに揺れて、再び逸らされる。
「うん」
聞き逃してしまう程小さな声で、水心子の「良かった」という独り言が聞こえた。
水心子と添い寝をするにあたって、罰当たりかもしれないと思っていた気持ちはどこかへいった。水心子が、人間と変わらない欲を持っていると知ったからかもしれない。でも、欲を持っていると知りながら安心して同じ布団の中にいる状態ってどうなんだろうと、そう思わなくもない。
それにしても、水心子がキスをしたいと思ったことがあるというお相手は誰なんだろう。政府ではあまり人間と関わらなかったようだが、無かったわけではなさそうだし万屋街にも人間はいる。
水心子って綺麗なお姉さんにリードされるような恋愛しそうだよなぁなんて思いながら、先ほど繋ぎ直した手にそっと力を込めてみた。すぐ隣に誰かいるという感覚が久しぶりで、修学旅行の夜を思い起こさせる。なんだか楽しくなってきて「ねえ」と天井を見ながら隣に声を掛けた。
「十分な睡眠が霊力の質を高めるんだからちゃんと寝てくれ」
「それ本当? ただ寝たいから嘘言ってるんじゃないの?」
「……我が主、本当に寝てくれ」
「だってまだ日付跨いでないよ? もしかして水心子は普段からこんな時間に寝てるの?」
そう静かな声で尋ねれば、水心子はため息を吐きながら「いや、普段はまだ寝てないけど……」なんて言う。じゃあいいじゃん、と思いながら「ねえ、今好きなひととかいる?」と聞けば、わざとらしいため息で「それ恋バナじゃん。さっき専門外だって言ったよね?」と素が出てきた。
「刀剣男士ってどんな恋をするの?」
「教えたら寝てくれるのか?」
「水心子はどんだけ私を早く寝かせたいの――けど、恋バナしてくれるなら静かにするよ」
「じゃあ、約束だ」
「うん」
緊張したような声で、水心子は繋がった手をぎゅっと握る。その強い握り方に少しだけ心臓がドキドキと鼓動を速めていく。
こういった話をするのは、本当に久しぶりだった。
学生時代に友達と恋愛話をするのが好きだったかと聞かれたら実のところそうでもないのだが、審神者になってから恋バナをする機会は一度もなかった。もしかしたら、同年代の友達ときゃーきゃーと楽しく騒ぐような時間に飢えていたのかもしれない。夜中なので楽しく騒ぐことは出来ないが、外見年齢で見ればそれほど変わらない水心子と、仕事とは全く関係ない話をすることが出来るとわかって楽しくなっているのだろう。興奮した心が、水心子の次の言葉を待っている。
こっちを見ないで聞いてくれ、というのでわかったと力強く言えば、すうっと水心子が息を吸った音が聞こえた。
「私がキスをしたいと思ったのも、恋をしているのも、貴方だ」
意を決したような水心子の声は、昼間の時のようにしっかりとしていた。
「霊力供給の必要があると知った時、貴方が他の刀剣男士と同衾するなんて、考えたくもなかった。触れるのも、何をするのも、私を選んでほしかった」
貴方が主だから恋しいのかと、考えたこともあると水心子は言う。
「けど、主にキスをしたいなんて、思わないだろう普通。だから、この気持ちが恋なのだと知った」
いつから名前に惹かれていたんだっけ、という小さな独り言を耳にして彼が心の中で私を下の名前で呼んでいることを知ってしまった。
「……つ、つまり、貴方が知りたがってる『刀剣男士の恋』なんて、欲だらけということだ」
これで貴方の疑問は解決しただろう。
そう言って水心子は少し雑に「おやすみなさい」と呟いた。
衝撃的な発言の数々を聞いて、私は無意識に息を止めていた。
びっくりして声を出さなかったことを褒めてほしいくらいだ。煩い心臓の音を水心子に聞かれているんじゃと思いながらも「もう一つ、最後の質問をしていい?」と尋ねた。自分の口から出た声があまりにも頼りなくて頬が熱くなる。
良いとも悪いとも言われなかったが、この一瞬で彼が寝た訳ではないことはわかる。注意されなかったので緊張しながらも最後に一つだけ、聞いてみることにした。
「今も、キスとか、その、そういうことしたいって思ってる?」
「……」
答えは返ってこなかった。
けれど、隣でもぞもぞと音がしたかと思うと熱を帯びたエメラルドグリーンが視界に入ってきて、その後すぐ唇に柔らかいものが軽く触れた。
「言っておくが、私が触れてもいいかと尋ねた時、了承したのは貴方だ」
20210617