小説
※原作にはない設定が多々あります。





 少し猫背になった背中で授業を受ける男の子のことを、今でも夢に見る。
 夢の中の彼は学ランだったり白いワイシャツだったり季節は様々で、けれどもいつも彼は後ろの席の私に申し訳ないような感じで授業を受けていた。

 高校を卒業して二年経った今でも、ふとした時に彼のことを思い出す。
 クラスの誰よりも背が高くて、日本史が得意で、本が好きで、時々先生たちよりもずっと大人みたいな顔をする男の子。
 二年の夏の終わりに初めて席が後ろになってから少しずつ話すようになって、二年間クラスメイトとして同じ時を過ごした。眠そうに授業を受けているかと思えば体育の授業で並外れた運動神経を発揮したり、食堂で山盛りのご飯を美味しそうに食べていたりする、一見どこにでもいそうな男の子。
 眉を下げて笑う顔がなんだかちょっと可愛いなと思ったあの時の私は、多分、彼に恋をしていた。


   〇


「あっ、御手杵ちょっといいかな」

 夜、風呂に入るために部屋を出た御手杵に声を掛けたのは審神者だった。御手杵の今の主は、来年中学を卒業する少年である。
 堀川国広とそれほど変わらない身長の審神者は既に入浴を終えたのか「まだ風呂入ってないの?」と笑う。「あんたの漫画を読んでたんだよ」と御手杵が言えば「あれ、今は御手杵が読んでんだ」と納得したような顔をさせた。
 しんしんと雪が降る冬の夜、半纏を着る審神者を見下ろして御手杵は「中に入るか?」と聞くも、すぐ終わると言うように首を振った審神者は「明日、ちょっと見てきてほしい時代があるんだ」と眉を下げた。


 御手杵がこの本丸に顕現した日の夜、審神者は一人で御手杵の部屋を訪ね、興味深そうにきょろきょろと周りを見渡しながら部屋に入った。
 この部屋には座布団が一枚しか置いていない。審神者に座布団を貸したために御手杵は畳の上にそのまま胡坐をかいた。
 畳の上に座ることはたいして問題ではないが、給金が出たら座布団でも買いに行こうかと御手杵は考える。審神者が部屋を訪れることが今後もあるかもしれないし、他の男士が部屋を訪れた時のことを考えたらやはり無いよりはあった方がいいだろう。そんなことを考えながら審神者に「で、どうしたんだ」と声を掛ければ、まだ中学に上がったばかりで背も低い審神者はまるで内緒話をするかのように「御手杵の服、ちょっと貸してよ」と言ったのだ。
 意味がわからなくて首を傾げながら「いいけど、どうしてだ?」と言えば、審神者はちょっと恥ずかしそうに「御手杵の服、学ランみたいでしょ。俺、学ラン着てみたかったんだ」と言った。

「中学の制服、ブレザーなんだよ」
「なるほど」

 と、言いつつきちんとは理解してはいない。けど、着たいなら着てみればいいという風に御手杵は上着を脱いで審神者に渡した。

「けど、学ランなら大倶利伽羅の方が俺のより制服っぽいだろ。黒だから」
「一度頼んだことあるんだけど、断られたんだよ」
「ふーん……けど、どうしてそんなに学ランに憧れんだ?」
「……笑わないって約束するなら言うけど」
「笑わない笑わない」
「……親戚にさ、めちゃくちゃかっこいいにぃちゃんがいるんだよ。俺が小さい時からよく遊んでくれてさ、そのにぃちゃんが学ランでさ、俺小さい時からずっといいなぁって思ってたから」
「そのにぃちゃんに借りたことないの?」
「ないない。言えないよそんな、恥ずかしいじゃん」

 そういうもんなのかぁと思いながら御手杵は審神者が学ランに腕を通すのを見る。
 本人も最初からわかっていたようだが、御手杵の上着は審神者には大きすぎる。袖から手が出ないで眉を下げる審神者見て御手杵は自分の今の主がまだ小さい子どもだと再確認させられた。

「あんたもさ、中学の終わりとか、高校生になったら似合うようになるよ」

 言いつつ、御手杵は戦闘着であるそれが審神者に似合う日は来てほしくないなぁと思った。背が高くなるのも体格が良くなるのも望ましい話ではあるのだが。

「高校は学ランの学校に行きたいなぁ」

 そうぼやきながら御手杵に服を返す審神者にへらりとした笑みを向けた御手杵が「だな」と言えば、審神者はくしゃくしゃした笑顔を御手杵に見せる。審神者の子どもらしい顔を見て、御手杵はやっぱり俺の服は似合わなくていいやと思った。

 顕現当時のことを思い出したのは、審神者からとある時代の高校に潜入してきてほしいと言われたからだった。
 長期間の潜入を求められる任務で、目的は歴史認識についての調査だった。基本的には学生として学校教育を受けることで当時の歴史認識を調べ、歴史修正が行われていないことを確かめるらしい。当時の教育環境を政府が知りたいというのもあるらしく、小学校からカルチャーセンター等の歴史講座にまで潜入するらしい。
 平野藤四郎、厚藤四郎、水心子正秀、御手杵、松井江、南海太郎朝尊の六振りはそれぞれ審神者に指示された場所に潜入することになった。御手杵は名を呼ばれ、高校に潜入すると聞いて思わず声を上げた。

「俺は高校に行くのか」
「だって、御手杵は学ラン似合うからさ」

 白い歯を見せてちょっとおどけてみせた審神者に「まあ、いいけどさ」と言えば、審神者は笑う。各々説明を受けながら準備を済ませ、二日後に任務に向かうことになった。



 御手杵にとって、きっと最初で最後である学生生活も一年があっという間に過ぎてしまった。審神者とそう変わらない年齢の子どもと一緒に勉学に励むことは不思議なもので、主も普段こんな生活をしているんだなと思うと御手杵は少しだけ楽しくもあった。

「ねぇ、本読むの好きなの?」
「ん? ああ、まあそうだな」

 夏の終わりのある日、後ろの席の名字名前が御手杵に声を掛けてきた。昼休みに図書館で借りてきた本を鞄の中に入れていた時のことで、御手杵は少し驚いた。毎朝挨拶はしているが、特に親しく会話をしたことがなかったからだ。
 背の高い御手杵は、入学早々注目を浴びた。多くの運動部から勧誘を得たが、部活には入らず放課後は学校の図書館や地域の図書館に通い詰めている。御手杵は任務に出るまで、背が高いというだけで運動部に勧誘されるとは思ってもいなかった。
 話は少し逸れるが、水心子も高校に潜入している。在籍している学校は異なるが、同じ地域にある高校で弓道部に入部していた。学校に潜入するにあたり高校には二振りの刀剣男士を潜入させよと指示を出した政府は、歴史認識だけでなく学校教育を知るために一振りは部活に入部するよう審神者に伝えていたらしい。
 部活の勧誘を受けたという御手杵の話を聞いた水心子は、本丸を出発する前にあみだくじで部活に入るのか図書館で調べ物をするのか決めるべきではなかったと後悔したようだ。
 閑話休題。御手杵は、毎日のように図書館に通い膨大な量の書籍を読み込んでいた。しかし、数日前に行った席替えによって御手杵の後ろの席になった名前は、そのことを知らずハードカバーの古そうな書籍を持つ御手杵が意外に見えたらしい。

「どんな本を読むの?」
「日本史を扱った本が多いが、たまに時代小説なんかも読むな」
「へぇ、意外」
「そうか? 小説も漫画も、読むのは嫌いじゃないんだ。ある……えーっと、家族が本好きなのもあるかもな」
「へぇ」

 そうなんだ、と言って名前は頷いて次の授業の準備を始めた。そこまで興味がある話題だった訳ではないらしく、次の質問が投げかけられることはないと察して御手杵はゆっくり前を向いた。
 御手杵は、クラスメイトの男子とはだいぶ親しくなったが女子とはからっきしである。背が高いから怖がられているのかもしれない。御手杵自身、女子と何を話せばいいのかいまいちよくわからなかった。
 審神者が女だったらまた違ったのかなと御手杵は考えたが、それもまた違う気がした。他の本丸の御手杵ならばそうかもしれないが、俺はあの主じゃなきゃ楽しくないなと考えながら御手杵も次の授業の仕度をする。
 御手杵は、ちょっとだけ本丸が恋しくなった。


「名字はよー」
「あっ、おはよう」

 朝、席に着いて早々、焦りながらプリントにシャーペンを走らせる名前を見て御手杵は「名字宿題忘れてたのか?」と声を掛けた。あの夏の日から少し日が経ち、御手杵は名前と少し親しくなったのだ。
 リュックを机の上に置いて椅子に座れば名字が「朝起きて存在思い出して……でもわかんないとこがちょっとあって」と唸るように言ったので「どこだ?」と御手杵は机の上に広げられたプリントを覗く。

「ここ」
「……ああ、ここはさ」

 名前がわからないと言った箇所を見れば、応用として出された問題だった。教師も板書ではなく言葉のみで説明したところだったので名前が悩むのも納得だと御手杵は説明を始める。

「――ってことだな」
「なるほど! ありがとう。説明わかりやすくて有り難かったし、何より私、話し聞いて初めて古文が楽しいって思えたかも」

 照れくさそうに笑う名前に御手杵はぽかんと口を開ける。そんな風に言われるとは思ってもいなかったからだ。「そんなこと言ったら、先生きっと困ると思うぞ」と御手杵が肩をすくませれば、名前は面白そうに笑って「そうかもしれない」と頬を染めた。
 当時の歴史的背景を含みながらわかりやすい言葉で説明した御手杵に、名字は瞳をキラキラさせた。

「古文得意なんだね」

 またわからないところあったら聞いてもいいかなと名前に聞かれ、俺のわかる範囲ならいつでもと御手杵が返せば、名前は嬉しそうに笑った。

   〇

「写真を撮っても、卒業アルバムに記録が残ることはない。卒業式前にここを発つ。記録も記憶も、最後には何も残らない」

 夜、銭湯からの帰り道に御手杵と水心子はゆっくり歩きながら話した。あっという間に月日が経ち、三年の秋を迎えていた。水心子は少しだけやるせないような声を出して「それが少し、寂しいと思った」と呟いた。
 任務の説明があった時に聞いていたことだが、政府からの指示で行っている特殊な任務であったとしても刀剣男士の存在を後世に残すようなことはしない。男士が写った写真は消え、人々の記憶から徐々に存在は消えていく。本来出会うことのなかった縁のため、男士の存在を消しても歴史修正には当たらないのだと政府は説明をしたのだとか。

 それでも、である。
 水心子も御手杵も、この時代にやってきた男士にはこの三年で少なからず親しい人間が出来た。けれどもその人間たちもいずれ己の名を忘れ、顔を忘れ、思い出すこともなくなっていく。それが寂しいと、水心子は初めて口にしたのだ。

「――うん。そうだな」

 御手杵も、その気持ちがわからないでもなかった。
 静かな夜の街を歩きながら口を噤む。仕方ないとわかっているからこそ、どうしても心を吐露したかった水心子の気持ちを考えると御手杵は胸が少し痛んだ。
 人間と親しくなればどうしたって感情が揺さぶられる。本来人間に語り継がれてきたからこそ刀剣男士となった存在が、刀剣男士として在るために存在を消されるのだから当たり前だ。
 己を覚えていてほしい、別れても時々思い出してほしいと願うのは変なことなのだろうか。そんなことを思いながら、御手杵は月を見上げた。

「みんな、主とそんな変わらない年齢だもんな。そんな子たちに忘れられるってのは、やっぱり嫌だよな」

 年齢は本当のところをいうと関係ないかもしれない。それでも最近、御手杵はクラスメイトを見ると中学の制服を着て本丸から登校する審神者の後ろ姿を思い出す。
 約三年会っていない審神者が学ランを着た姿を夢に何度見ただろう。時間の流れが違うため、この任務を終えて本丸に戻っても審神者は中学生のままだということは御手杵も頭では理解している。それでも、同じ年頃の男女が成長する姿を見ると御手杵は胸が切なくなるのだった。

「――後ろの席でさ、授業受けるの好きなんだ」

 昨日の席替えで御手杵の後ろの席が名前だと知った時、御手杵は名前に「この席順、懐かしいな」と言った。そうしたら名前は照れくさそうな顔で御手杵の名を口にして、そんな風に言ったのだった。
 御手杵は、当たり前だがこの三年で容姿に変化が起きることはなかった。背は伸びないしどんなに食べても太ることはない。けれども名前は、あの夏の終わりの日から少しずつ大人の姿へと変わっていった。

「一緒に授業受けたってことも、忘れるんだもんな……」

 任務が嫌になることはない。期限まですべきことをする。けれどもやっぱり、御手杵はそれまでのことを思い出して寂しいと思った。


   〇


 少し猫背になった背中で授業を受ける男の子の夢を見た。
 夢の中の彼は学ランを着ていて、その後ろ姿を見てなんだか懐かしい気分になるけれど、どうしても顔は思い出せなかった。

 その背中を見ると、おはようと言ったら間延びした声で返事を返してくれそうな気がして、背中に軽く触れたら振り返ってくれそうな気がして、わからないところがあったら丁寧に教えてくれそうな気がして、顔を見たら彼の全てを思い出せるような気がした。けれども授業中だからそれが出来なくて、ああ早く授業が終わればいいのに思いながらも、それは叶わなかった。

20210506
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