小説
※合同戦闘訓練後(23巻)の話





 隣のクラスの心操くんは、来年ヒーロー科へ編入することが決まったらしい。
 自主練に励む心操くんからぼそりとそんな話を聞かされて驚いてしまった。ヒーロー科への転科を希望している話は前から聞いていたけれど、あまりにも自然に言うものだからすぐに言葉が出なかった。どうやら話がまとまったのは結構前のようで、いつ言おうかずっと悩んでいたらしい。

 クラスが違う心操くんとこうして二人きりで会話をするようになったのは、相澤先生が心操くんに操縛布の使い方の指導をしているところに偶然私が鉢合わせたのがきっかけである。
 先生は私を見るなり「俺がいない時にでも付き合ってやれ」と言ったのだ。「操縛布の練習に、名字の個性は相性がいい」と続けた先生の言葉通り、話を聞けば聞くほど私の個性はもってこいだった。
 心操くんと緑谷くんの体育祭での試合で心を打たれた人間としては、役に立てるなら喜んでこの身を差し出しますといった気持ちだったので頷いたけれど、これは決して、先生の顔がまるで(部活も入ってないしお前は時間があるだろう)みたいな顔をしていたから、という訳ではない。

 自主練の付き合いといっても、私は基本的に操縛布で捕まえられる練習台だ。
 ぐるぐる巻きにされた数はもう覚えていない。もしかしたら数百と捕まえられたかもしれない。いつか、縛られるのが好きになっちゃったらどうしようと思ったことがある。心操くんの操縛布がぎゅっと胸の辺りを締め付ける感覚が今までに体験したことのないものだったからだけど、少し前に相澤先生に捕まえられた時には何も思わなかったから、きっとそういうこと、なんだろう。


 星空の下、心操くんは私の名を呼んだ。
 自主練はいつも同じ場所で、決まった時間から始まる。そこは、あまり人が通ることがないので周りを気にする必要がなく、心操くんが練習するにはうってつけの場所だった。
 二人きりのこの時間が好きになったのは、いったいいつからだっただろう。

「早く伝えないとって思ってたのに、名字になかなか言えなかった、ごめん」
「そんな、別に、謝ることじゃないよ」

 おめでとう、やったねと言いつつなんだか寂しくなってしまった。
 彼がヒーロー科の生徒になったら、きっと私は必要ない。共に高め合える仲間たちが周りにいるから、私が練習台になることはない。科が違うから余計に交流はなくなって、今のように会話をする機会もぐっと減るだろう。

「本当におめでとう」
「あー、ありがとう」

 頭を掻いて視線を外した心操くんは照れくさそうな顔をしている。体育祭の日の彼のことを思えば、嬉しいに違いないということはすぐに理解できる。
 心操くんの努力を知っているから心からの祝福をしなければならないと思うのに、それが出来ない自分が嫌だなと思う。胸がチリチリと痛んで、自分のことが少し嫌いになった。


 心操くんから編入の話を聞かされ、モヤモヤした気持ちのまま寮へ戻る。
 いつものように寮まで送ってくれた心操くんに「おやすみ」と言って手を振った時、もう練習に誘われることはないかもしれないと思ってしまった。ネガティブな思考に気付いて雑念を振り払うように頭を振って、急いでお風呂に入った。

 交換――それが私の個性である。
 物と物だったり、人と人を入れ替えることが出来る。ただし、交換出来るものは一時間内に触ったもの限定で、目に見える範囲のものでしか個性は使うことが出来ない。便利な時もあれば、そうでない時もある。まあそれは、どの個性にもいえることかもしれないけれど。
 使いようによっては人を救う個性になるのかもしれないけれど、幼い頃と違って今はヒーローになりたいとは思っていない。私は、痛い思いをしてまで人を救うことは出来ない。いつの間にか、自分の命を懸けてまでヒーローになりたいとは思えなくなっていた。子ども心に憧れたようなヒーローになりたいと思う人がいるように、私は憧れたヒーローの活躍を見ているだけで満足出来る人間だったという訳だ。

 心操くんの自主練に付き合うのに、私は適役だった。
 操縛布の練習をしたい心操くんが個性で移動する私を捕まえる――それは、操縛布の扱いに少し慣れてきた心操くんのレベルにぴったりなのだと相澤先生は言った。ヒーロー科の生徒のように運動神経が良いわけでも、個性の扱いが上手いわけでもないからこそ、これまで動かない物を相手に練習してきた心操くんには丁度良い練習になるのだと。

 けれども、いやだからこそ、おかしなことになっている。
 私は本来、目に見えるものしか交換が出来ない。自分と何かを交換する場合でも同じである。なのにどうして、私は今、心操くんの膝の上に乗っているんだろう……!?

   〇

 一時間前にネガティブ拗らせていたのに、これである。
 互いに石になったように動けなくて、私は今も心操くんに跨ったままである。

「……」
「……」

 心操くんもお風呂上りらしく、良い匂いがするし普段見えるおでこが下した髪で隠れている。それを見て、いつもと違う心操くんだぁなんて胸がときめくも、すぐにそれ以上にとんでもないことが起きていることを思い出す。
 なんでこんなことになっているのか、この状態に至る前の出来事を思い出すとまぁ当たり前のように個性を使った自分がいるのだけれど、こんなところに来るつもりはなかったのだから戸惑っている。

 クラスメイトがサポート科の友達から貰ったというジュースを、私たちは寮の談話スペースで飲んだのだ。「一時的に個性が強化されるかもしれないジュース」と「一時的に人類モテするかもしれないジュース」という、どうやったら作るのかわからないそんなジュースが入った小瓶をいくつも見せたクラスメイトは「サポート科の寮に遊びに行ったらさ、中身がわからなくなったからって丁度捨てようとしてるところでね、面白いから貰ってきた」と言ったのだ。
 運が良ければ一時的に人類モテを体験出来るかもしれないし、個性が強化されて危ないことが起きそうな個性の持ち主はその場にいなかった。そもそも「かもしれない」ジュースである。当たったら面白いね、という気持ちで話を聞いていると、あっという間に話が進んでいった。
 心操くんのことで少し気分は落ちていたものの、クラスメイトの楽し気な顔を見ていると少しずつ気分は前向きになっていた。いや、今思うとむしろ、ジュースを飲むことを選んだ私はヤケクソになっていたのかもしれない。
 普通科の私では到底生み出せなさそうな代物を前に、勢いのままに半透明な液体を皆で同時に飲んで、個性を使った。

 そうしたら、これである。
 どうやら私は個性強化のジュースを飲んでいたらしい。自主練の際にはどうしたって彼と触れる機会が増えるので、個性を使って心操くんの私物と自身を「交換」してしまったのかもしれない。少し離れた場所に置いてあったブランケットと持っていたタオルを交換するつもりで個性を使っていたのに、まさか強化されてこんなことになるとは思わなかった。ということは、今現在私の寮にはきっと心操くんの私物があるのだろう。何と交換したのかはわからないけれど、この現状はどう考えても私のせいである。

「ごめんなさい。個性で心操くんの部屋に来ちゃったみたいで……」

 ベッドの側面に背を預け、床に座っていた心操くんの上から慌ててどいて謝れば、彼は暫くの間黙った後「でも、名字さんって見える範囲のものにしか個性使えないんじゃなかったっけ?」と言う。「そ、そうなの!」と膝立ちした勢いのままに近い距離で事情を説明すれば、彼は困ったように視線を外してこめかみの辺りを掻いて「そう」と小さく頷いた。

 嫌われてしまっただろうか、それは嫌だなと思いながらもう一度謝りながら彼から少し距離を取れば、心操くんは「別に、名字さんのせいじゃないでしょ」と言う。
 いや、全然私のせいですと思いながら自分のTシャツの裾を掴んで気付く。パジャマにしているTシャツが、めちゃくちゃ可愛くないやつだ、と。寮では構わず着ていたけれど、胸の辺りにまあまあ下手な字で「パジャマ」と書かれたTシャツを着ている女子を可愛いと思う男子っているのだろうか、いやいないに決まっている。好きな人に初めて見せる(しかも今後一生こんな機会はないかもしれない)パジャマがシュールなTシャツって何。泣きたい。
 Tシャツを脱ぎたい。いや脱げないけど。とりあえず上に着ていたパーカーのファスナーを上げてTシャツを見えないようにする。心操くんを窺えば、彼は未だにそっぽを向いて何か考えているようだった。

「心操くん、本当にごめんね。あの、個性で交換しちゃった心操くんの私物も気になるし、帰るね」

 プライベートな空間でゆっくりしていただろうに、彼をこんなひどいことに巻き込んでしまったことを反省する。
 明日は休日だから部屋でくつろぎたかったかもれないし、夜更かしをして何かする予定だったかもしれない。それなのに何で私は長居しているんだと気付いて立ち上がろうとすると、彼は「待って」と私の腕を掴んだ。

「心操くん……!?」
「ごめん」

 彼は戸惑うように謝って私の腕を掴んでいた手を離した。自分自身のした行為に驚くような表情をして、けれどもきゅっと眉を寄せた彼は、ゆっくりと私の手に触れた。さっきとは違って、今度は明確な意思を持ったように手を握ってきた心操くんに驚いていると、彼は「戻るにしても、それじゃあ寒いでしょ」と言う。

「ああ、あー、そういうことか。えっと、平気だよ、寮は隣だし」

 季節は冬である。部屋の中が暖かくてこんな格好でいられるけれど、外に出るとなればTシャツにパーカは寒い。だからきっと心操くんは心配してくれたのだろう。彼は優しいから、手を引いて引き留めたに違いない。
 けれど、寮と寮はそこまで離れていない。走れば平気だと言うも心操くんは納得がいかないように繋がっている手を軽く引く。触れている手から伝わる感触を意識すればするほど、心操くんは優しいなぁと思う気持ちと、なんでこんなことをするんだろうとドキドキする気持ちで頭の中が混乱してくる。
 彼に恋をする私はこの状態を嬉しく思っていて、つい聞いてしまいそうになる。どうしてそんなに優しいのか、こんなことになって私のことを迷惑には思っていないのか、そして、私のことをどう思っているのか、とか。

「風邪ひくよ」
「じゃあ、どうすれば心操くんは満足してくれる?」

 心操くんの手はさっきよりもしっかりと私の手を握ってくる。
 この部屋は、当たり前だけれど心操くんの私物で溢れている。心操くんの持ち物でいっぱいのこの部屋の主は勿論彼な訳で。
 彼の部屋にいる限り、彼は王様で私は何も持たない臣下となったように思えた。個性を使われているわけではないし、彼からそんな気配は全くしないけれど私は今、彼の言葉に従うために彼の言葉を待っている。プライベートな空間に足を踏み込んだ私は、王様に従順な態度を取るように静かに腰を下ろし、彼を見上げる。
 今まで一度も彼に対して「王様」だとかなんだと思ったことはない。彼は優しくて、自主練に付き合う私を気に掛けてくれている。だからこそ、私は今、ちょっとドキドキしているのだ。

「もう少し、ここにいてよ。ちゃんと寮まで送るから」

 帰る時は俺の服を貸すし、俺のものは別に後回しでもいいし。
 そう言った心操くんの頬はいつもと違って赤く染まっている。

「……うん」

 私が頷けば、彼は一瞬目を見開いて数秒俯く。

「……名字さん、こういう時は帰るって言わなきゃだめだよ」

 こちらに顔を向ける心操くんの眉は困ったように下がっていて、ゆっくりと息を吐いてから繋がっていた手をそっと離して立ち上がった。クローゼットを開けて「これ着れる?」とカーキ色のモッズコートを差し出され、借りてもいいのかと尋ねれば彼は勿論と頷く。

「心操くん優しいね」
「全然。優しいヤツだったら、さっきみたいな質問しないよ」

 別のコートを取り出して腕を通しながら言う心操くんに「そうかなぁ」と返せば「そうだよ」と言われた。



 入った形跡がないのに突然現れた私に驚く彼のクラスメイトに「個性の関係で……」と何度も説明しながら寮を出る。
 冬独特のひんやりとした空気を吸い込んで、彼に借りたサンダルで一歩踏み出す。
 大きなサンダルと大きなコートを着た私の後ろ姿が面白いのか、彼の笑った声が聞こえる。

「……笑っちゃうくらい、似合わないとか?」
「そうじゃなくて、可愛いなって思ったんだよ」

 隣を歩く心操くんが手を差し出した。転ばないように、ということだろうか。やっぱり優しいなと思いながら彼の手に自分の手を乗せれば、優しく握られる。
 寮と寮の距離はたった数十歩。あっという間に着いてしまうのが惜しい。

「心操くんがヒーロー科の生徒になってもさ、またこうして話したい」
「うん」
「食堂とかで会ったら、話しかけてもいい?」
「うん」
「……良かった」

 否定されなかったことが嬉しくて、心が浮き立つもあっという間に自分の寮に着いてしまった。
 扉を開けて、寒いから中に入って待つよう彼に言えば、少し戸惑ったような顔をしながらもゆっくりと私の後に続く。そういえば、いつも寮の前で別れるので心操くんが中に入ったことはなかったかもしれない。
 彼のサンダルを脱いで談話スペースに戻ると私が座っていた椅子には操縛布が置かれていて、一緒にジュースを飲んだ友人がにやにやした顔で「あっ、戻ってきた」と言ってきた。

「効果があったの、結局名前だけだったんだよ」
「で、戻ってくるのがちょっと遅かったように思うんですが、どこに行っていたんですかぁ?」
「あらら、そこにあるのは隣のクラスの心操くんのものでは? あらら、あらららら?」

 顔に熱が集まって赤くなっているのに気付きながらも「しっ!! 今、心操くん待ってもらっているから!」と友人たちの声を抑えるよう言うも友人たちのにやにやとした表情は変わらない。
 感情が顔に出るとよく言われるが、今ほど恥ずかしいと思ったことはない。女子のみならず、親しい男子にも心操くんへの恋心を気付かれている有様なのでもうどうしようもないのだけれど。

 けれど、それで気付く。
 わかりやすいと言われる私の好意を、心操くんが気付かないはずはなくて。もしかして、ずっと、私の気持ちは――


   〇


 名字さんに、今までに何度「優しい」と言われただろう。
 そんな良いヤツじゃないよと言っても、いつも不思議そうな顔をされるけど、もしも俺が優しい人間だったら、編入が決まったその日のうちに自主練に付き合ってくれている名字さんに話をしているだろう。

 名字さんは思っていることがすぐに顔に出る。
 だから「来年からヒーロー科に編入する」と言ったらどんな顔をするんだろうとずっと考えていた。嫌われてはいなくて、むしろ好かれていることは実感していても言うことは簡単じゃなかった。お役御免だと喜ばれたらショックだし、おめでとうと喜ばれるだけじゃ物足りない気持ちになる自分が想像出来たからだ。
 多分俺は、趣味が悪いかもしれないけれど、おめでとうと言いつつちょっと悲しそうな顔をする名字さんが見たかったのだ。漸く言えた時、願っていた通りの顔を作って見せた名字さんに喜んでいる自分がいたことを名字さんに伝えたら彼女は何て顔をするんだろう。

 俺は清廉潔白な人間じゃない。ヒーローを目指していても、心の底まで清いわけじゃない。好きな子と二人きりになったらドキドキするし、手を繋ぎたいと思う。彼女が俺を「優しい」と思う気持ちは、ただ単に彼女の判定が甘いだけだ。上手くそう思わせているだけの俺はちっとも優しい人間なんかじゃない。
 それでも、彼女を好きだという気持ちに嘘偽りはなく、その気持ちは多分どこまでも清いもので出来ている。例え、その感情にどんな思春期的欲がくっついていても、だ。
 断ってもいい自主練にずっと付き合ってくれる彼女が、ちょっと困った顔をして笑う彼女の顔が、俺を見て笑う彼女の顔が、俺の名を呼ぶ声がたまらなく好きだ。

 操縛布を手に顔を赤くしてこっちに戻ってくる名字さんが小さく俺の名を口にする。彼女が俺を呼ぶ度に速くなる心臓の音を、いつか彼女が聞く日は来るのだろうか。

title by サンタナインの街角で
20210410
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