小説
※原作ゲームにない設定があります。






 神様はいない。
 神様なんて、いない。
 もしも目の前に神を名乗るひとが現れたら、それは神でない別の何かに違いない。

   〇

 祖父が亡くなった。
 平均年齢を考えれば、もう少し長生きしてくれてもよかったのにと思わずにいられない。しかし、そうは言っても祖父はもういない。

 花祭壇に飾られた沢山の白い百合の中央に祖父の遺影が飾られている。遺影の写真を決めたのは母で、祖父が一番生き生きとしたものを選んだらしい。その写真は、祖父が仕事仲間と一緒に撮った写真らしく、統一性のあるようでない集団に囲まれた祖父が口元を綻ばせてこちらを見ている写真だった。
 祖父は、審神者という職に就いていた。本丸と呼ばれる場所に住み、年末年始すら満足に帰ってはこなかった。年に二度会えれば良い方で、祖父との交流は手紙か電話での数十分の会話が殆ど。私が高校に入学して部活や勉強で忙しくなってからは、その電話も年に一度、私の誕生日の日のみとなっていた。

 それでも、私は祖父が好きだった。
 季節の変わり目に必ず送られてくる祖父の絵葉書が好きだった。水彩絵の具にはいつも野菜の絵が描かれていて、そこには「秋田が育てたさつまいも」やら「松井が採ってきたトマト」なんてコメントが書かれていた。文章に出てくる名が誰のことを言うのかわからなかったけれど、いくつもの名は祖父が前に話していた「仲間」なのだということは理解していた。
 昔、祖父が電話で「仲間」のことを「刀剣男士」だと教えてくれた。歴史を守るために戦ってくれる刀の神様で、美しく、強いのだと。その話を聞いたのは確かまだ小学生の時のこと。「神様が仲間だなんておじいちゃんはすごいね」と祖父に言ったら、祖父は優しい声で「おじいちゃんじゃなくて、刀剣男士がすごいんだよ」と言ったんだっけ。

 祖父は、神様と一緒に過ごしていたらしい。
 じゃあ、なんで祖父は死んでしまったのだろう。
 高校生の孫がいる年齢といえども、まだ長生きしてもいい年齢だ。けど、亡くなった。神様が傍にいたのに、どうしてと思った。その神様たちは、何もしてくれなかったのだろうか。神様なのに、たった一人の人間の命も救えないのだろうか。

 じゃあ、この世に神様なんていないんじゃないか。
 祖父と共にいたのは神様でなく、別のなにかだったんじゃないか。一生話すことが出来なくなった祖父の安らかな顔を見ながら、そう思った。

「名前、おじいちゃんはね、あなたに審神者を引き継いでほしかったみたいなの」

 昨夜、母がぽつりと呟いた。二人きりの家の廊下で、母は困ったような顔をしていた。そうなんだ、と返事をするも次の言葉は互いに出なかった。母が何を思っているのかわかっていて、けれどもそれを言ったらどうなるか、母も私も十分に理解している。
 遺言、なのだろう。祖父が亡くなったことを知らせてくれた政府職員がリビングで鞄から取り出した封筒は分厚く、様々な書類が入っているようだった。そのうちの一つにきっと祖父の言葉があってもおかしくない。祖父のことだ。何かあった時のためにと準備していたことは想像出来る。

 私は祖父が好きだった。
 祖父は博識で、話が面白くて、家族に甘かった。過ごした時間が短いからと言われたらそれまでだけれど、悪いところが見つからないのだから好きになるに決まっている。
 そんな祖父が、何故私に審神者を引き継いでほしいと思ったのかはわからない。孫なら私以外にもいるのだし、調べたところ、審神者というものは家で引き継いでいくものでもないらしい。
 けど、祖父がそれを望んでいるのなら応えなくてはいけないのだと思う。

 多分それは、罪滅ぼしの一種だ。
 疲れたから、やることがあるからと、祖父からの手紙に返事を書かなくなったこと。誕生日にプレゼントを送ってもらうだけして、電話で祝うだけ祝ってもらって、私は祖父の誕生日に何もしなかった。そういったいくつもの記憶が、今になって蘇るのだ。
 中学生になって以降、私は好きだった祖父からの愛情に何のお返しもしなかった。だからこれは、何も出来なかったと思う身勝手な、祖父の代わりにこれからを生きていく人間の懺悔の方法の一つだ。


 火葬が始まってすぐ、祖父か亡くなったことを知らせにきた政府職員と共にひとりの男の子が現れた。
 家族が形に則った挨拶を交わし、話を進めていく間、少し離れたところでガラス窓越しに澄んだ空を見ていると突然背後から声を掛けられる。

「初めまして」

 襟の大きな服に帽子、紫色の髪をした男の子を見て、ああと察する。このひとは、祖父が「仲間」だと言った刀剣男士だ、と。
 赤みのある紫の瞳と目が合って、その人は微かに目を細めた。


   〇


「私は、神様なんていないと思ってる」

 本丸にやってきて早々、名前は源清麿にそう告げた。
 審神者の仕事や刀剣男士について政府職員から事前に伝えられたのは昨日のこと。着いて早々そんな話をする名前が、忘れっぽいわけでないことは清麿も十分理解している。
 無神論者というわけでもなさそうなんだけど――そう心の中で思いながら、清麿は警戒するような目を向けてくる名前の言葉に頷いた。審神者となった名前がいなかったら、この本丸は解体しなくてはならない運命を辿っていたのだから、丁重におもてなしをしろと清麿は言われていたからだ。

「この本丸が祖父の心残りなら、私は応える。祖父が残したものを悪いようにしたくはないから、神様なんていないと思っていても、私は、あなたたちと一緒に戦う」

 胸に手を当て、宣言するように清麿に言う名前を見て、清麿は可哀想にと哀れむ。「神様なんていない」と口にしているが、本当にそう思っているだろうか。名前の表情も、微かに震えている手も痛々しく見える。
 前の主が刀剣男士を刀の神様だと名前に話していたことを清麿は知っている。肉親を亡くしたばかりの今、もしかしたら名前は強がらないとやっていられないのかもしれない。そんなことを思いながら、清麿は柔和な笑みを浮かべて「うん」と手を差し出した。

「名前が何を思っていても、僕は構わないよ。君が審神者として働いてくれるのなら、僕たちの主でいてくれるのなら、それでいい」

 すぐに打ち解ける必要はない。志願して審神者になったわけでもないのだから、必要最低限の仕事をしてくれればいい。審神者を辞めたいと本丸からいなくなってしまう方が困るのだ。
 人の感情というのは物である清麿からしたら難しい。けれども名前が悪い子でないことは前の主から聞いている。だから、虚勢を張るような名前が少しでも安心するよう優しい声で「よろしくね」と言った。
 清麿が差し出した手を、名前は眉を寄せてじっと見てから握りしめた。白い手袋越しに触れた名前の手は、清麿が想像していたよりも小さかった。


 名前が主となってから、近侍が不定期に変わるようになった。
 気分なのか何か意味があるのかはわからないが、名前が審神者となって三ヶ月の間に清麿も何度か近侍を任されている。初めて出会った刀剣男士が清麿だからか、清麿は他の男士よりも近侍になる回数が多かった。

「――水心子がね」

 休憩にと大般若長光がプリンを持ってきたところで清麿が例の通り水心子正秀の話をすれば、名前は少しだけ清麿へ視線を向けるもすぐに「うん」と相槌を打ってプリンへと視線を戻す。数日前の、食事当番での出来事について「水心子はすごいんだよ」と続けるも名前の反応はいまいちで、少しの沈黙の後、清麿は「名前?」と声を掛けた。

「体調が良くないのかな?」
「……そんなことは、なくて」

 平気。と言った名前はやはり元気という様子ではなかった。
 話してはくれないのか、と清麿は思う。実際のところ、ひどく体調が悪いという風ではなく、名前は何か悩んでいるという風であった。仕事をしている間も別のことを考えているような集中していないような、そんな風に見えた。
 だが、わからない。名前は前の主とは違うため、以前なら確信の持てた場面でもそれが出来なくなっていた。生活のリズムも違うし年齢も性別も異なるのに加え、清麿は名前についてまだわからない部分が多かった。もう三ヶ月も一緒に暮らしているのに。

 前の主がよく家族の話をしていたので、清麿も名前の話を聞いていた。そのため名前のことを知っている気になっていたが、よくよく考えると名前が高校生で、今までにどんな生活を送っていたのか程度しか知らない。
 名前がこの本丸で好き嫌いを語ったことはなかった。何を好んで食べたいと思うのか、知らない。何に恐怖を感じるのか、知らない。
 戦場において、わからない状況をそのままにしておくのはとても危ういことである。孫子の兵法においても、戦において敵情を知ることは重要だといわれている。勿論名前は敵ではないが、生活を共にする上で得手不得手等の情報を知っていて損をすることはない。
 どうして知ろうとしなかったか、歩み寄らなかったか。中途半端に知っているような気でいたことがいけなかったのだろうか。清麿がそんなことを考える間も、名前は何か考えるようにプリンを食べていた。


 神様はいないと言った名前ではあるが、清麿が見るに名前は一度も男士に強い言葉を向けることはなかった。怒ることも、我儘な言動をすることもない。
 基本的に名前は本丸でよそよそしい態度を取っていたが、何かあれば礼を言い、困ったことがあれば質問をする素直な女の子だった。

 名前は高校生ということで、審神者となった今でも本丸から高校へ通っている。テスト前になれば任務の遂行は最低限になり、夜遅くまで部屋に灯りが灯っていたりする。
 前の審神者とは違う生活スタイルに男士は興味があるようで、清麿はよく風呂場で名前について男士が話題に挙げているのを聞いたことがあった。「テストはまだ続くのか? 明日はなんて教科なんだ?」「ねえ、主さんって学校に好きな人とかいるのかな」「明日は部活で遅くなるそうですね」そういった様々な会話を、前の審神者がいた時には出なかった会話を耳にすると、清麿は少し不思議な気持ちになるのだった。

 名前は、少しずつ本丸の男士と距離を縮めていった。本当に、少しずつ。
 男士に向ける笑顔が増え、学校から帰ってくると男士に聞こえるように「ただいま」と言うようになった。同じ卓で食事をする際には学校で起きたことを話すようになり、男士も名前の担任だったり親しい友人の名を覚えるくらいには会話の量が増えていった。
 それでも、悩みを口にすることはなかった。


「清麿、聞いてくれ! 今日、初めて名を呼ばれたんだ」

 その日、内番終わりに風呂に入ろうと廊下を歩いている清麿の腕を掴んだ水心子がそう言ってきた。
 背景にほわほわと可愛らしい花が咲いていそうな笑顔を向ける水心子に驚きつつも話を聞けば、名前が水心子の名を口にしたのだという。「今まで一度も呼ばれたことがなかったから」と照れくさそうに目を細める水心子に清麿は「良かったね」と伝える。
 考えてみれば、名前はその刀を前にして直接名を口にすることがなかった。近侍の仕事中は「すみません」という風に呼びかけられることが多く、清麿だけでなく他の男士も特に不便に思うこともなかったのであまり気にしたことがなかった。
 しかし、主に名を呼ばれて喜ばない者はない。水心子も嬉しそうに清麿に語る。緊張したけれど、いつもより長く話が出来たと安心したように胸を撫でおろすのを見て、清麿はもう一度「それは良かった」と笑う。

「名を呼ばれるのは嬉しいな」

 前の主も、優しい目で、優しい声で名を呼ぶ人だった。それを水心子も思い出したのだろう。清麿は、いつ名を呼ばれる日がくるのだろうと思いながら「水心子がすごいからだよ」と心からの思いを伝えた。

   〇

 審神者が学生である場合、審神者は刀剣男士の紋が入ったお守りを身に着けて外出することが義務付けられている。
 これは審神者と刀剣男士とを繋ぐ媒介となるもので、お守り袋には紋に対応した男士の名を書いた紙が入っている。緊急時に審神者を守るためのもので、学校等に男士を伴うことを禁止されている故の処置だった。
 名前も勿論のこと、毎朝お守りを持って高校へ通っている。
 ちなみに、政府の資料によると、遡行軍が審神者の生きる時代に出現した形跡は残っていないようだ。

   〇

「ノートが無くなったので万屋に行ってきます」

 小さなショルダーバッグのショルダーベルトをぎゅっと握って言った名前に、御手杵は「あんた、本当に一人で行くのか? もうちょっとしたら手が空くんだが」と困り眉を作る。
 調理場の入口で名前は小さく頭を振って「申し訳ないし、もう万屋への道は慣れたから」と言った。今週の料理当番の御手杵を始めとして皆心配したように名前を見るのは、今は内番や遠征で多くの男士が仕事をしており、万屋へお供する男士が見当たらないのだ。

「今まで何もなかったし……」

 平気、と口にする名前に「何もなかったのは私たちがいたからかもしれないよ」と石切丸が言う。優しく諭す言葉に「はい」と弱々しく返事をした名前だが、すぐに「けど、お守りがあるし、すぐに帰るから」と言葉を続けた。
 その言葉に調理場にいた皆が戸惑う。既に調理場の窓から見える空は薄暗くなりつつあり、本音を言えば皆頷きたくはなかった。しかし、それと同時に皆名前が口にした「ノート」が学校で必要なものだということを知っていた。

「じゃあ、こんのすけを連れて行けばいい」

 何かあった時、すぐ政府や本丸に連絡が取れるだろうからと鶯丸の発言により、名前は漸く万屋に行く許可が貰えた。


 近道を使えば、どうのんびり歩いたって本丸から万屋街まで十分もかからない。だから名前は、四足歩行でぺちぺちと隣を歩くこんのすけがいても三十分もかからず本丸に帰ることが出来ると思っていた。

「……」

 既に空は暗い。
 店で買い物を終えたところで腕時計を確認すると、本丸を出て十五分も経っていなかった。日が完全に沈むまでには帰ることが出来そうだと思いながら万屋街を出る門を名前が通り過ぎると、突然辺りが暗くなった。

 さっきまで遠くに夕日が見えていたはずなのに、今は夜中のように辺りが暗い。ここまでずっと話をしながら歩いていたこんのすけも突然いなくなってしまった。
 おかしなことになっていることに、名前も気付いている。けれども明らかな異変を前に、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。審神者になったとはいえ、今日まで名前に不思議な出来事が降りかかることはなかったからだ。
 辺りを見渡しても誰もいない。けれどもよく見れば、暗いだけでよく通る本丸への道だと気付く。じゃあ、ここを進めば本丸に帰ることが出来るかもしれないと思った名前は、ショルダーベルトをぎゅっと握って進むことを選んだ。

 どうしよう、という言葉は誰にも届かない。
 四十分以上休まず歩いたにも関わらず、本丸に辿り着くことが出来ないのだ。歩けば景色は少しずつ変わっていくのに、いつの間にか元の場所に戻っていた。じゃあ戻って万屋街に行ってみようかと思っても、万屋街に入る門にも辿り着けなかった。

 人の姿もなく、虫の鳴き声も、鳥が飛んでいる姿も見当たらない。
 風がそよそよと吹き、葉を揺らす音が聞こえて、川のせせらぎが聞こえる。
 こんのすけと離れてから一時間近く歩いていたせいで足は重く、本丸に帰ることが出来ないかもしれないという不安で名前は泣きそうになった。

   〇

「名前はいるかな?」

 遠征から帰ってきた清麿が調理場に顔を出すと、宗三左文字が「十分程前に万屋に出かけましたよ」と皿にサラダを盛りつけながら返事をした。「こんのすけと一緒に」と、ため息を吐きながら言う宗三は何か言いたげな顔である。

「男士が一緒じゃないの?」
「はい。早く行きたいという風で……でも、誰か一緒に行こうと言われたら、ここは他に任せて僕が共に行くのにと思いはしましたけどね」

 それは、文句を言うような口調ではなかった。残念に思うような、悲しいような声色だった。
 名前はまだ高校生の女の子で、男士とも完全に打ち解けた訳ではない。前の主に言えたことを名前に言っていいのか男士もまだわからないのだ。
 主、もっと我儘を言えばいいのに、とソハヤノツルキが風呂場で呟いていたことを清麿は思い出す。何故ソハヤがそんな発言をすることになったのかは忘れてしまったが、すぐ近くにいた清麿と目が合ったら歯を見せて笑って『もっと仲良くなりてぇんだけどな』と言ったことは覚えている。きっと宗三も、あの時のソハヤと同じ気持ちなのだろう。

 清麿は未だに名を呼ばれていないものの、水心子とは少しずつ距離を縮めているようだった。水心子は真面目で素直だから仕事がしやすいのかもしれないと清麿は納得である。だから、清麿は名前のことを考えて己を近侍にするならば水心子を近侍にした方がいいと勧めておいた。そちらの方がきっと互いのためになると、心の底から思ったからだ。

 遠征の報告をしようと名前を探していたが、名前が不在なら仕方がない。調理場の面々に忙しいのに時間を取らせたことの謝罪と礼を伝えてその場を後にし、清麿は玄関で名前の帰りを待つことにした。


  〇


 歩いて歩いて、歩き続けるも本丸は見えない。
 心細くなって涙が溢れて止まらなくなって、漸く無くさないようにと大切に仕舞っていたお守りを取り出した。

 ぎゅっと握ってバックから取り出したお守りは薄い紫色をしていて、金色の糸で刺繍された紋は間違いなく源清麿のもの。
 本当は、使うのは憚られた。一人で行けると言ってこの有様だ。男士に何を思われたって不思議じゃない。本丸に辿り着けないだけで、それだけで使っていいものかとお守りを手に取った今でも迷っている。けれど、不安で胸が張り裂けそうなのだ。怖くて怖くてたまらない。何が起きているのかわからないけれど、本丸に帰りたいと心から思った。


 審神者となって半年経ったにも関わらず、私は未だに男士の名と顔が一致していなかった。
 元々人の名前を覚えるのが苦手なのに加え、男士の名は聞き慣れないものだった。似たような名がいっぱいあって、みんな整った顔をしているから話すのも緊張する。
 仲良くなれなくて、名も呼べてないひとが沢山いて、それなのに助けてもらう時だけ助けてもらうって、それって都合が良すぎるんじゃないか?

 未だに名が呼べないあのひとに、ひどいことを言ってしまったあのひとに、私は助けてもらう資格なんてあるはずもないのに。
 それでも――

「た、助けて、源清麿 かみさま!」

 今日だけでなく、多分、私はずっとこのひとに助けてもらいたいと思っていたのだ。

   〇

 あの後、私は無事本丸に帰ることが出来た。
 お守りを強く握って彼の名を口にすれば、以前説明された通り、桜の花びらが視界を覆うほど舞い散って彼が現れた。腰を抜かしながら「清麿」と彼の名をもう一度呟けば、背中を向けて立っていた清麿が驚いたような顔をして振り返ったのがもう随分前のように思えるのは、本丸に戻ってから今までにない数の男士と会話をしたからだった。

 清麿とこんのすけの話によれば、私は妖の悪戯でこの世界とは少し違う世界に迷いこんでいたらしい。清麿の登場により、妖もこれはまずいと思ったのか、間もなく元の世界に戻れたみたいだった。
 清麿に会えて泣き、本丸が見えて泣き、帰ったことに気付いた男士が掛け寄ってきてくれたのを見て泣いた。
 食事当番だった面々の顔を見たらもう涙が止まらなくて、謝罪の言葉を繰り返した。彼らが皆、困った顔をして少し距離を取って私を見ていたからだ。
 私が一人でいいと我儘を言ったのに、それを許した彼らが後悔しているのかもしれないと気付いて頭を下げた。頭が痛くなるほど泣いて、ごめんなさいと何度も言ったら御手杵は「無事でよかったなぁ」と言い、石切丸が「怖かったね、もう大丈夫だよ」と優しい声で慰めてくれた。顔を上げれば宗三が「そんなに泣かれたら、怒れないじゃないですか」と困った顔をしていて、最後に鶯丸が「こんな思いはもう、したくないな」と私の手を取って存在を確かめるようにぎゅっと握った。

 いつも彼らは私の心配をしてくれていた。それなのに、歩み寄らなかったのは私だ。
 神様はいないと清麿に言って彼らと祖父を蔑ろにしていたことに気付いたのは、この本丸にやってきて二週間程経った頃だった。私の言葉は彼ら刀剣男士を傷付け、大好きだった祖父を否定するものである。なんてことを口にしてしまったんだと思いながらもなかなか謝ることが出来なかった。
 毎日後悔が生まれ、寝る前に祈った。明日はどうか、神様と仲良くなれますように――と。

「名前」
「はい」

 沢山の男士と会話を交わした夕食を終え、お風呂から出て部屋でゆっくりしていると突然声が掛かる。今までに男士が私室を訪ねることはなかった。
 それなのに、清麿がやってきた。少し緊張していることが声から伝わってくる。もう寝支度を済ませているけれど、変じゃないかなと思いながら戸を引けば、清麿が「こんな時間にごめんね」と言ってお守りを差し出してきた。

「名前が今日持っていたものは、使ったせいで無くなっただろう? だから、これを」
「ありがとう」

 前と同じ色をした袋のお守りを清麿から受け取る。顔を上げれば清麿が眉を下げてこちらを見ていた。

「僕のお守りを持っているとは思わなかった。だから名を呼ばれて、すごく驚いたよ」
「わ、私、ずっと清麿のお守りを持っていたの。私にとって清麿は、初めて会った神様、だから」

 そう言えば、清麿の目が大きく見開いた。彼が口を開く前に私は畳み掛けるように伝える。ずっと謝りたかったことや、今までのお礼を。
 清麿は、近侍に水心子を勧めてきたけれど、時々清麿も近侍になってほしいと言えば、清麿は口に手を当てて視線を外した。頬が微かに染まっていて、照れているのだと気付けば私も恥ずかしくなってくる。

「祖父が、どうして私に審神者を引き継いでほしかったのか今でもわからないけど、私、審神者になって良かったって思うよ。ありがとう、清麿」


 いつか、祖父の気持ちを理解出来る時がくるのだろうか。
 答え合わせはそれこそ祖父のもとへ行った時で、随分と先になるだろう。祖父に再会するその時までに、刀の神様と共に生活することで結論を出すことが出来たらいい。

20210101
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