小説
「名前ちゃんってワルツとか踊れたりする?」
「えっ?」

 普段から良くしてくれている先輩審神者とお茶をしている最中のこと、パスタをフォークに巻き付けながら先輩がそんなことを言った。突然何を言っているのかと思っていたら、先輩は「政府から招待状来たって言ってたから……ワルツって、クリスマスのパーティーの話なんだけど」と何でもないような口ぶりでこちらをチラリと見た。
 クリスマスのパーティーと言われ、先日メッセージのやり取りをした際にそんな話をしたことを思い出す。

「あれ、私は行ったことないんだけどさ、噂ではワルツとか踊るらしいよ」
「ま、まじですか!? 私体育の授業でやるダンス経験しかないんですけど……」
「ドンマイ」

 普通ないよねーと、先輩はパスタを口に入れる。衝撃的な情報に私は一度手に取ったカップをコースターの上に置いた。
 十二月、年に一度の政府主催のパーティーがあるという話は審神者界隈では有名で、今年ついに私の本丸にも招待状が届いた。パーティーは誰もが招待されるわけではなく、政府がある一定の成績を残している本丸をランダムに選んで招待状を送っているらしい。
 審神者を労うためのパーティーという噂があれば、一般の人も招待していて審神者だったり刀剣男士を広く知ってもらうためのパーティーだという噂もあった。
 悪い噂はないから心配はしなくていいらしいけれど、ワルツに関しては、あまりにも招待される審神者の数が少ないことと、過去参加した審神者の殆どがそういうパーティーに慣れた人間だったことから今まで噂として流れなかったらしいと先輩は教えてくれた。

「なんで今年は私のような一般人を……」
「いろんな審神者を招待すべき、とかなったんじゃない? 今年は政府も審神者の待遇よくしようとしてるじゃん? まあ、知らないけど」

 雑な返しに「そんなぁ」と言うも、先輩はにやりと笑って「レポ待ってるね」と、語尾にハートマークでもついてそうな調子で言う。

「別に強制じゃないっぽいから平気だよ」
「そうは言っても、高級階級の人が行くパーティーって知っちゃったら行くの怖いですよ」
「今年はパーティーの内容も変わってる可能性あるし、知らないで行ってびっくりするよりはいいでしょ」
「……確かに」

 そうかもしれない、と思ってしまったけれど本当にいいのだろうか。
 泣きそうになりながら再度カップを手に取って丁度いい温度になった紅茶を口にする。
 近侍、誰にしよ。服、どうしよう。悩みは尽きそうにない。


 先輩とのランチから数日が経ったが、何かあるとすぐにパーティーのことを思い出してしまう。ダンスは強制ではないらしいという話が事実であれば救いだが、何があるかわからないのがこの世の中で。とりあえず動画サイトでワルツと検索してそれっぽいものを再生してみたが、余計に「無理でしょ、これ」となってしまった。
 手を取って、向かい合って、踊る。
 文字にしてみれば簡単に表すことが出来るそれが、自分で置き換えて考えれば「無理」の文字しか出てこない。そもそも過去のパーティーでのワルツって、どんなタイミングで誰と踊ってたんだろう。謎が多すぎるパーティーに唸りながら畳の上へ寝っ転がるも、暫くして気付く。

「待って、私がダンスに誘われるわけないじゃん」

 誰が誘うの、誰と踊るの。相手がいないでしょ。
 名も知らぬ人と踊る可能性があるのかとか、どういう具合に踊りに誘われるのかとか、そういうのも実際よくわからないけれど、知り合いは皆無と思われるパーティーである。ダンスに誘われる可能性が限りなく低いのではと気付けばなんだか妙にホッとしてきた。もしワルツを踊るような時間がやってきてしまったとしても、私は完璧な壁の花になればいいんだと安心する。悲しいかな、本来は喜ぶべきことではないのだろうけれど「壁の花」という言葉があるのだからそういう状況になる自分が簡単に想像出来た。
 近侍に予めダンスを踊るつもりはないと念押しておけば、壁の花になった私を哀れんだ男士がいたとしても私を誘おうとはしないだろう。そう思えばなんだか希望の光が見えた気がする――も、すぐに「ドレスは? ドレスは何を!?」と次の悩みが生まれた。改めて招待状を確認しようと体を起こして立ち上がろうとして、足がもつれてドタンと盛大な音をたてて畳の上に転んだ。

「――すごい音がしたけど大丈夫かな?」

 なんなんだ、といった顔をした山姥切長義が開きっぱなしの襖戸から顔を出したのを見た瞬間、彼のことを文字通り神様のようだと思った。

   〇

 紺のフレアワンピースはデコルテと袖部分がレースになっていて「上品でありながら可愛いですね」と篭手切江が褒めてくれた。これは、本丸の皆がクリスマスプレゼントとして贈ってくれたものだ。
 髪をアレンジしてくれた篭手切が付けてくれたパールのネックレスは江の皆からのクリスマスプレゼントらしく、それと揃いのバレッタは兼定からのプレゼントだった。バックは貞宗と村正から、パンプスは長船から、自分ではなかなか買わない高いマニキュアは太郎太刀と次郎太刀からプレゼントされて次郎太刀が綺麗に塗ってくれた。
 朝、朝食のために向かった大広間でラッピングされた沢山の箱を見て驚いた。既に待ち構えていていた男士の多くが頬を綻ばせて私が箱を開けるのを楽しみにしていた。長義が「皆で選んだんだ。一番手前に置いてある箱を開けてごらん」と言ったので銀のリボンを解いて黒い箱を開けると中にはパーティードレスが入っていて、有り難いやら申し訳ないやらで朝から泣きそうになった。服飾の準備はこちらでしておくから、とは言われたけれどまさかここまで準備してくれるとは思ってもいなかったのだ。全て、長義が本丸の皆に話をつけてくれたのだという。

「あ、ありがとう長義」
「いや、ただ、政府主催のパーティーなんだから中途半端な恰好では浮いてしまうと思っただけだよ」

 夕方、パーティーの準備を終えて玄関で待っていた長義に礼を言えば、当然だといった顔をされる。コートを広げて持って「これは三条から」と言う長義にお礼を言いながらコートの袖に手を入れれば、ほのかに香水の香りを感じて顔を上げる。いつもとは違う長義の匂いにドキドキするも、彼はいたって普通なのでこちらもあまり気にしすぎないように努めようと静かに息を吐いた。
 パンプスを履こうとワンピースの裾を丁寧に持ち上げて玄関の上がり框に座れば、長義が「いいよ、俺がやるから」と目の前でしゃがむ。

「えっ!?」
「君、今日は自分がお姫様だと思っておきなよ」

 パンプスのストラップを外し、長義は「触るよ」と私の足を手に取った。「そうしていれば、存外パーティーなんて平気なものだよ」と言われ、もしかして緊張を解そうとしてくれているのではと気付く。

「ありがとう」
「どういたしまして」

 小学生の時に招待された友達の誕生日パーティーとは比べ物にならないレベルのパーティーに長義と一緒に参加出来ることは緊張で精神的に落ち着かない部分は確かにあるけれど、かなり嬉しいことだった。
 監査官と呼ばれた彼が本丸の仲間になってもう二年が過ぎた。最初こそいろいろとあったが、もう彼は本丸に欠かせない一振りとなっていて、信頼を寄せる彼が隣にいれば今日のパーティーはきっと大丈夫だと思えた。

 師走の中旬、クリスマスまであと少しという日の夜。
 久しぶりにビル街を歩いて少し浮かれている。クリスマスツリーやイルミネーションを見れば子どものように心が浮き立つ。電飾の飾りによってどこもかしこもキラキラと輝いて見えて、隣を歩く長義に「すごいね」と言えば「そうだね」といつもより少しだけ優しい声が返ってくる。
 会場となるホテルへ辿り着いてエントランスへ入るとまず大きなシャンデリアが見えた。天井が高く、大きなクリスマスツリーも飾ってある。今までに泊まったことのないレベルのホテルだと気付けば途端に緊張して手汗がにじみ出てきた。
 恐る恐る周りを見渡せば刀剣男士を連れた審神者が何人かいたが、皆良いとこのお坊ちゃんやらお嬢さん、ボディーガードとかがついてそうなご老人ばかりで、自分の場違い感に何度も唾を飲み込む。

「名前」
「は、はい」
「手を」

 パーティーって何時に終わるんだろう。
 始まってもいないのにそんなことを考えていたら長義から声を掛けられた。何、と顔を向ければ腕を軽く上げた長義がこちらを見て「腕に捕まって」と言う。
 正直なんで、と思ってしまった。頭が働かなかった。そうしたら長義は「もうここからの君は、お姫様になるしかないんだよ」と私に進むことを促したのだ。

「招待状が届いたんだ。君にはパーティーに参加する資格がちゃんとある。大丈夫だよ」


 パーティーの開始時刻になれば司会の挨拶が始まり、その次には政府のお偉いさんの挨拶に移り変わる。例年とは異なり云々と長いスピーチが終われば親よりも年上の人々に声を掛けられた。刀剣男士が隣にいれば審神者と決まっているからだろう。興味深そうに本丸や刀剣男士について聞かれた。
 マナーは合っているか、敬語は間違っていないか、少しでも優秀な審神者に見えているか、背筋を伸ばし頭を働かせて精一杯努力する。心臓が忙しなく働き一息つきたいと思ったところで長義が上手いこと話をつけてくれたので会話を終えることが出来た。

「ありがとう、長義」

 グラスを持ってきてくれた長義にお礼を言えば「いや」と長義は静かに首を振る。
 壁際でなるべく目立たないよう一人でいれば誰にも声を掛けられなかったよと、ちょっと冗談めかして言えば困った顔をさせてしまった。

「君の好きそうなケーキが向こうにあったから、持ってこようか?」

 食事を取っていたら話しかけられる頻度も減るだろうからと付け加えた長義の気遣いにお願いをしようとしたところで「それでは」と司会の女性の華やかな声がスピーカーから聞こえてきた。
 いつの間に準備していたのか、会場の奥に楽器を構える人たちを見つければ普段生で聞く機会のない優雅な演奏が始まった。すると、流れるように男女が楽しそうに踊り出す。
 まるで当然だというような具合で自然に始まったダンスに圧倒される。あの中央にいる人たちにとって、手を取り笑みを浮かべ、足元を見ないで踊ることは造作もないことなのかもしれない。くるくる回る女性のドレスの裾が広がる姿に思わず「綺麗」と口に出してうっとりしてしまう。自分が踊るのは遠慮したいけれど、見るのは楽しいかもしれない。フィクションのようで、まるで絵本の中に入りこんだみたいだ。

「もし、そこの素敵な方、私と踊ってくださいませんか?」

 優雅な音楽を耳にうっとりして、照明に当たってキラキラ光るドレスを見ていると突然声が掛かった。え、と思って顔をそちらに向けると声を掛けられたのは私ではなく、長義の方だったらしい。
 目を見開いた長義が可愛らしい女の子に声を掛けられていた。二十歳前後のその子が「一度でいいんです、ね」と目を細めて長義と私へ顔を向ける。声は少し遠慮気味に、けれども期待しているように頬を染めて言う可愛らしいお願いは同性の私からみても魅力的なお誘いのような気になった。

「このようなパーティーは、きっと一生に一度でしょうから……」

 そんな風にお願いをしてきた彼女の話を聞けば、どうやらご両親と共にパーティーに参加したらしく、刀剣男士を見るのは初めてのようだった。少し話がしてみたい、出来たら踊ってみたい。そんな好奇心を胸に声を掛けてきたという。長義は少し困ったように「だが」と視線を外す。断ろうとしているのだと察して、私はつい「踊ってあげなよ」と口にしてしまった。

「え?」

 こちらに顔を向けた長義は明らかに困惑している。

「私の心配だったら平気。長義がさっき言ったみたいに、食事をしてたら声を掛けてくる人もいないだろうから」
「けど」
「それに、そんなに言ってもらってるんだから、応えてあげなきゃ」

 持てる者こそ、と彼は言う。
 その言葉を私は口にこそしなかったけれど、彼は私が考えていることがわかったのか短いため息を吐いて「わかった」と頷いた。

「では、一曲だけ」
「ありがとう。その、審神者さんも」

 嬉しそうに頬を染めたその子は、長義が差し出した手にそっと可愛らしい手を乗せる。
 それがまたすごく絵になって、まるで映画のワンシーンみたいだなんて思ってしまった。

 困ったような笑顔を作りながらも綺麗に踊る長義を、壁に背を預けながら見る。
 楽しそうに長義を見上げる彼女の瞳も、髪留めも、ピアスも、ドレスも全てが輝いて見えた。
 踊りながら他の人とぶつからないように上手く導いた長義が曲の最後に笑いかけたのを見て、胸が苦しくなってしまう。すごく様になっているなと感じながらも、ああこれダメなやつかも、なんてシャンパンを飲み干す。どうしてこんな気持ちになるのだろう。嫉妬みたいなチリチリとした胸の痛みに戸惑いを感じだ。

 自分で取りにいったケーキを食べて、シャンパンを飲んで、いつの間にか帰ってきた長義とはなんとなく視線が合わせられなくなって、暫くしてパーティーは終わった。お土産にもらった紙袋の中に何が入っているのか興味はなくて、ホテルを出たらあんなにもキラキラして見えたイルミネーションがただただ眩しいだけのものに見えた。
 胸をチクチクと刺激する子どもみたいな気持ちを長義に向けたくなくて、ここまでしてくれた彼を不快にさせたくなくて、胸の痛みを感じながらも自然な風を装って彼に話しかける。
 ありがとう、楽しかった。素敵な時間だった。
 そう言えば言うほど、自分でも嘘っぽいなって思ってしまう。きっと長義にも私の気持ちは伝わってしまっているのだろう。

 まるで、魔法が解けてしまったかのような気持ちになってしまった。身に着けているものも、髪も、みんなからの贈り物で最初から魔法なんてものは掛けられていなかったのに。馬鹿みたいにテンションが上がっていたけれど漸く現実を見ることが出来た。
 本当の私は紛れもなく今の私だ。お姫様になるような魔法なんて最初からなかった。キラキラしたものに憧れつつも絶対に自分はそうはなれない。遠くから見て楽しむのがぴったりだと、そういうのは自分でもわかっていたけれど。

「――名前、寒くない?」
「うん、平気だよ」

 冬の夜の空気に包まれて本丸を目指せば長義は「ねえ、帰ったら少しいいかな」と声を掛けてきた。
 時刻は既に二十二時を過ぎている。長義の言葉に少し意外に思いながらも、少し迷う。未だに彼と目を合わすことが出来ていないからだ。

「今朝はいろいろと忙しかったみたいだから言っていなかったけど、道場横に江が提案していた練習場が完成したんだよ。江は『すたじお』と言っていたかな」
「ああ、踊ったり歌ったり、筋トレに使うって言ってたやつ……」

 レッスンに使える練習場を作りたいと申し出たのは篭手切だった。
 壁の一面を鏡張りにして、なんて計画を話した篭手切は、他の男士もトレーニングルームとしての使い道があると様々な男士にプレゼンし、本丸の経理担当の男士が指定した小判を集めて施工へとこぎ着けた。篭手切が本丸にやってきてすぐに切り出された話題だったから、三年物の悲願が叶ったということだ。
 そんな日に、篭手切は何も言わず私の髪を飾り立ててくれた。私が着たワンピースを褒めてくれた。私がパーティーで頭がいっぱいだったから、余計な話はしないでおこうと思ったに違いない。それを知って何も思わない主がいるだろうか。帰ったらすぐに練習場を見て、篭手切に良かったねって、沢山使ってねと言いたいと強く思った。

「長義、良ければ練習場に連れて行って」

 その言葉を言って、漸く長義の顔を見ることが出来た。
 彼らが私へ向ける感情は綺麗で優しくて、私はどうしたら彼らに報えるのだろうと縋りたくなる。

「仰せのままに」

 冬空の下、赤くなった長義の耳と鼻を見てまた胸がきゅっと苦しくなった。

   〇

「すごい」

 本丸に戻って早速向かった練習場は、既に江の面々が使ったのか私物がいくつか置かれていた。真新しい匂いのする練習場は篭手切が願った通り壁一面が鏡になっているので改めて自分の全身を見てみる。数時間ぶりにパンプスを脱いだことで足の疲れをドッと感じたりもするけれど、スプレーで固められた髪は未だ綺麗な状態でまとまっていて、なんと化粧も崩れていない。鏡に映る私は、多少疲れた顔をしつつも自分に合ったものを選んでもらえたおかげで普段よりも良く見えた。
 コートを脱いでスカートの裾を軽く持って広げる。くるりと一回転すると、ワルツを踊っていた人たちのことを思い出す。

「用意すれば、音楽もかけられるんだよ」

 長義がそう言うと、照明が少し落ちて名も知らないクラシック音楽がスピーカーから流れてきた。
 鏡の前でターンしていたのを見られていたことに恥ずかしくなりながらも設備に驚いていると、長義が背後にやってきて鏡越しに目が合った。優しく手が触れて、ゆっくりとターンをするように向きを変えられる。向かい合った長義は少しだけ困ったように眉を下げ「名前」と私の名を囁いた。

「君が踊りたくなかった理由は、ああいうダンスを踊ったことがないから? それとも周りに多くの人がいたからかな?」
「どっちも、かな」
「今は俺と名前の二人きりで、俺が君に簡単なステップを教えると言ったら、名前は俺と踊ってくれるのかな」
「……」

 首を少し傾げた長義と、ぐっと体が近付く。長義の右手が私の背中に触れた。

「あの日、君にパーティーのことをお願いされてから、俺は君をお姫様にする魔法使いになるつもりでいたよ」

 えっ、と口にしそうになるも長義が私の右手をそっと取って肩の高さまで上げた。「君の左手を俺の肩の辺りに乗せて」と言われ魔法にかかったように彼の言う通りにしてしまう。悪戯が成功したような、そんな子どもっぽい笑顔を作った長義が珍しくて驚いていると、また名を呼ばれた。

「けど、残念なことに俺たちは魔法使いではないだろう。だから君に魔法を掛けることは出来なかった。君が喜ぶ姿が見られて嬉しかったけど、あれは正真正銘、君だよ名前。君はあのパーティー会場で俺たちの主として相応しい姿で在ってくれた。ありがとう」
「そんな、違うよ、全然、私は……」
「名前」

 顔を上げればこちらをじっと見る長義と目が合う。そっと触れあっていた手をぎゅっと握りしめられた。

「俺は誇らしかったよ」


 一曲だけ踊ってみようよと長義が言うので、私は彼の提案に乗った。滅多に出来ない恰好をしているのだから楽しまなきゃ勿体ないと思えるようになっていたのだ。
 基礎の基礎となるステップの踏み方を教わるも、最後に長義は「けど、今は俺と二人きりだから好きに踊ろう」と言って見様見真似のワルツを踊った。長義の足を何度も踏んでしまったのに、長義はお酒に酔ったように頬を染めて楽しそうに笑っていた。時々くるくるとターンをして、恥ずかしくなりながらも楽しい時間を送った。一曲だけのダンスはあっという間で、幸せだった。
 練習場の真ん中で、手を取り合って笑う。楽しかったかと聞かれ、ゆっくりと頷く。

「楽しかった。本当に」
「うん」

 目を細めた長義は小さく頷く。言葉にされていないのに、好きだと言われているようだった。心臓がばくばくと動いているのを感じながら「長義」と彼の名を呼ぶと彼はゆっくりと顔を近付けてきて、そっと頬に唇を寄せた。

「俺は刀で、君は人間で、俺は魔法使いでもなければ王子様でもなくて、君もお姫様じゃない」
「うん」

 紛れもない事実を伝える言葉に、胸が痛むことはなかった。
 あのパーティー会場で、他の人には私はどんな風に見えただろう。場違いだったけれど、それでも今思えば良い経験が出来たと言える。多分一生に一度の経験で、世の中にはあんなきらびやかな世界があって、あの眩しい世界を守ることも私の仕事の一つなのだと知った。

「けど名前、今日の君はとびっきり素敵な女性だったよ」

 いつもの君も嫌いじゃないけど、なんて言って笑う長義がゆっくりと手を離す。眉を下げて笑う長義の顔を見て、残念ながらこの時間が終わりなのだと察する。

「ほら、江の彼に会いに行くんだろう?」

 いってらっしゃいと優しい声で言われ、頷く。「荷物はちゃんと部屋に置いておくから、気にしなくていいよ」と言うのでお礼を言いながらコートを着て、綺麗なパンプスを履いて、練習場を後にした。

「おやすみ、長義」
「おやすみ、名前」

 冷たい北風が足元を抜けるも、長義の唇が触れた頬は熱があるように熱かった。

「……キスされるのかと思ったな」

 残念、だなんてそんな気持ちに気付いて自分で恥ずかしくなる。
 その気持ちがどういう気持ちからやってくるのかなんて知らないはずもなく、それでも胸の痛みを誤魔化すように「ただいま」と言ってパンプスを脱いだ。

20201020
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