小説
 へし切長谷部という刀剣男士をご存知だろうか。
 どんな刀か説明しろと言われたら、前の主のことだったり名前の由来を説明するだろう。
 じゃあ刀剣男士のへし切長谷部はというと、途端に私はわからなくなる。他の審神者であったならばスラスラと説明出来るに違いない。けど、もう何年も一緒に戦ってきたはずなのに、私は未だに長谷部についてわからない部分が多い。

 長谷部にそんなことを言ったら、何て言うのだろうか。
 困るだろうか、それとも「知ってますよ」とあっけらかんと言うだろうか。それとも悲しむだろうか。私を主として主命を果たしてきたことを後悔するだろうか。
 それすら、私にはわからないのだ。

 へし切長谷部は主の一番になりたい刀剣男士だと説明する審神者が多い。
 それを初めて知った時、へぇと驚いた。他はそうなのかと自分の長谷部の顔を浮かべた時、私の心の中の長谷部はまるで「はあ、そうなんですね」というような顔をした。実際に本丸に帰ってそれとなく話してみたら同じ顔を作ってみせたので、少しだけ笑ってしまった。想像していた表情と、まったく同じだったからだ。
 心の中で思い浮かべた長谷部と本丸にいる長谷部が同じ顔を作ってみせた時、私はひどく安心した。私は長谷部がどんな刀剣男士かわからないと思っていたけれど、長谷部の全てがわからないわけじゃないのだと思えたからだ。共に過ごした生活が無駄なものではなかったのだと思ったら、自然と笑っていた。
 当時はミスを連発して自信を失い、審神者を続けるかどうか悩んでいた時期だった。長谷部のなんとも思っていないような、けれども少しだけこちらの反応を窺うような表情を見て肩の力が抜けたというか、少し救われたのだ。
 刀剣男士に個体差があると知ってからは、私の長谷部と他の本丸の長谷部は少し違うのだと思えるようになった。きっと、私のへし切長谷部は「一番」に固執しない質なのだと。

『けど、そんな長谷部って存在するの?』

 友人の言葉に頷いた。
 だって、そうとしか考えられない。


 一番を望まないのだろうと思われる我が本丸の長谷部であったが、私の誕生日には必ず贈り物をしてくれた。
 最初の年に贈られたのはよく利用する万屋の近くにある和菓子屋の生菓子で、箱を開ければ季節にちなんだ花をモチーフにしたものがいくつも並んでいた。それを見て、思わず声を上げた。
 いくつもの可愛らしい花の生菓子に本当に食べていいのかと何度も長谷部に確認すれば、長谷部は少しだけ驚いた顔をさせながらも「勿論、主への贈り物なので」と小さな笑みを浮かべた。
 和菓子が好きな男士の付き添いで何度かそのお店には立ち寄ったことがあるけれど、今までに見たことのないものだった。こんな可愛らしいものがあったのかと思っていたら長谷部は予約でしか取り扱っていない商品だと教えてくれた。
 生菓子を食べる機会があまりないことを知っていたからか、紅茶にも合うと最近流行っているものを選んでくれたらしい。黒文字――和菓子を切り分ける楊枝のことをこう呼ぶのだと長谷部が教えてくれた――で一口サイズにして味わえば、自然と「美味しい」と口にしていて、今まで食べてきた和菓子の中で一番のものだった。

 次の年は、審神者になる前から知る有名スイーツ店のケーキだった。
 苺のショートケーキを始め、白い箱の中にはいくつものケーキが並んでいた。審神者になる前は誕生日といったらホールケーキだったため、少し珍しい気持ちでケーキを眺めていたら「様々なものを召し上がる方が、主が楽しめるかと」となんでもない顔をして長谷部は言った。

 その次の年も、その次も、長谷部はスイーツを贈ってくれた。
 それは可愛らしくてはしゃいでしまうようなものだったり、自分のご褒美に買うとしたら躊躇するようなものだった。一口食べただけで幸せが溢れるような美味しいものばかりで、長谷部は普段甘いものを口にしないのに、どうしてこんなに美味しいものを見つけるのが上手いんだろうと不思議に思う。

 個体差があるとはいえ、へし切長谷部はへし切長谷部だ。
 仕事をお願いすればすぐに対応してくれるし長谷部の能力は他のへし切長谷部と比べても異常はない。私の長谷部が一番を望まない男士だったとしても、へし切長谷部であるが故に毎年誕生日プレゼントを贈ってくれるのだろう。
 話を聞くに、毎年贈られる品は長谷部がいろいろと調べて選んでくれているのだとわかる。ある年に贈られたものを調べれば、SNSで『二時間並んでもまだ店内に入ることが出来ない』なんてレポもあった。非番の日、長谷部が何時間も店の前に並んでいたのかと思うとこみ上げてくるものがあって、審神者として、こんなにもしてもらえて幸せだと思った。


 長谷部がどんな刀かと聞かれたら、上手く言葉に出来ない。
 近侍の仕事をしている時の様子を見るに仕事面で真面目な刀ではあるけれど、その一言で表すのはなんだかしっくりこない。他の本丸の長谷部のことを知っているからこそ、わからないのだろうか。
 嫌われてはいないということはわかるけれど、彼は私に対して一歩線を引いて接しているような気がするし、私の前で長谷部はあまり笑わない。本丸の仲間相手には、他の本丸のへし切長谷部のように砕けた態度を取ったりするようだけれど、私に対する態度だけは違うようだ。きっと、全ては「一番」に固執しないからなのだろうけれど。
 けど、私は彼のことが大切だし、とても大切な仲間の一振りだと考えている。


「でも、食べたらなくなっちゃうの勿体ないな」

 毎年、そう思いながら長谷部から貰ったスイーツの一口目を食べる。
 見ているだけでうっとりするようなスイーツはあっという間にお腹の中へ。
 一口食べてから長谷部をちらりと見るも、毎年表情は変わらない。少しだけ安心したように小さく息を吐くのみだ。

「主はおやつを召し上がっている時が一番幸せそうな顔をしているので」

 だからなのか、どうなのか。
 長谷部は決して、形に残るものを贈ってくれたことはなかった。

   〇

 深夜、出陣していた部隊が帰ってきた。既に日付を跨ぎ、自分の誕生日がやってきたのだと気付いたのは中傷を負って帰ってきた長谷部が、会うなり「お誕生日おめでとうございます」と言ったからだった。
 そんなこといいから、と言いながら手入れ部屋へ向かうために長谷部の手を引く。同じく手入れが必要な不動行光が静かに後をついてきているのを確認していると、ぽつりと長谷部が言った。

「主、俺は、一番にあなたにお祝いの言葉を言えましたか?」

 その言葉に驚いて思わず足を止める――と、手袋をしている長谷部の指がぴくりと震えた。
 ゆっくりと振り返ってみると、長谷部は驚いた顔をしていた。自分の発言に驚いたように目を丸くして、すぐに「しまった」というように眉を寄せ、顔を青くする。
 一緒に手入れ部屋へ向かっていた不動は「あーあ」というような顔で長谷部を見て、なんて時に居合わせてしまったんだ、とでも思っているような顔をしていた。
 改めて長谷部へと顔を向ければ、視線を彷徨わせて今までにない量の汗を額に浮かべていた。これまでにないはっきりした長谷部の表情に、私は何と返せばいいのかわからなくなってしまった。
 だって、長谷部の言葉は、まるで――

「い、いや、あの、主の誕生日というおめでたい日ですから、臣下の一人として、主が今日という日を迎えて初めて出会った刀剣男士は祝いの言葉を伝えるべきではないかと」

 視線を合わせることなく早口で言う長谷部に再び驚いていると、長谷部は気まずそうにしながらも触れあっていた手を繋ぎなおして「手入れ部屋に行きましょうか」と言った。


   〇


『特別扱いって、最初は嬉しいけど困っちゃうんだよね』

 顕現して間もない日の夜、くつろぎながらドラマを見ていた主が呟いた言葉を聞いてから、俺は胸に占める気持ちをどうにか隠すことにした。
 陸奥守吉行を探している最中に聞こえた主のその言葉は衝撃的だった。人とは皆、特別扱いを喜ぶものだと思っていたからだ。主がどんなドラマを見ていたかはわからなかったが、他の連中と感想を言い合いながらも『失望されるのが怖いの』と眉を下げて言うのを見て、俺が主を失望する未来なんてありはしないけれど、悩みの種になるのは臣下としてあってはならないと思った。
 主を困らせることは避けたかった。だからなるべく主に対してなんでもないような態度を取って、お節介にならないように、でしゃばらないようにした。特別扱いをされているなんて思われないように、まるで一番なんて望んでいないかのような態度を取った。

 けど、主の誕生日だけは、一年にたった一日だけは、この気持ちを形にして表現してみたかった。きっとこの日であれば主も俺の気持ちを自然に受け取ってくれるだろうと考えたからだ。
 幸せそうに菓子を召し上がる主はいつも愛らしいから、ついつい上等なものを贈りたくなる。最初の一口を食べた後の幸せそうな主の表情のためならば、俺は何時間だって何日だって店の行列に並ぶことが出来る。瞳を輝かせて箱を開ける主の顔は期待と興奮とで溢れていて、頬を染め、照れくさそうにこちらを見て礼を言われると、幸福感で満たされるのだ。
 本丸の中で、主を好まないものなどいない。俺もその一振りだ。主にはその気持ちが伝わっていないかもしれないが、それでも構わなかった。主が望む俺を演じることが、俺にとって一番の仕事のように思うから。


 名字名前様へ――大切な主の名を記した手紙と共に、何年も仕舞っておいてあるものがある。藤色をした髪留めだ。普段使い出来るようなそれを見た時、ああきっとこれは主に似合うに違いないと思った。
 出会って初めての主の誕生日に菓子と一緒に贈ろうとしたが、結局菓子だけを贈って髪留めは何年経っても渡すことが出来ていなかった。自分で選んだはずのその髪留めにすら、嫉妬してしまう自分を想像してしまったからだ。
 だから、何年も俺は主に菓子を贈ってきた。主の幸せな顔を見られる上に、形の残らない菓子は俺の満足感を満たすものだった。

 使われない髪留めに、何も思わないわけではない。用途を考えれば、本来であれば失くさぬよう仕舞われるより使われた方が髪留めも喜ぶと理解は出来る。それなのに、俺は心を持ってしまったばかりに、主に懸想してしまったばかりに、主に似合う髪留めに申し訳ないことをしている。
 贈りたいと思う気持ちは変わらない。きっと誰よりも主に似合うであろうものだと自信を持って言える。髪留めをつけた主はきっと可愛らしいだろうとこれまでに何度も想像して、そうして最後には結局嫉妬するのだ。贈ってしまったら、髪留めが俺よりも長く主と共にある存在になってしまうのだと考えて。

 けれども、いつか。
 そう思いながらどのくらい経ってしまっただろう。
 手伝い札を使っていただいたことであっという間に手入れ部屋を出ることになった俺を待っていた主は、困ったように、けれども少しだけ嬉しそうにして「長谷部」と俺の名を呼んだ。
 途端、手入れ部屋に入る前、主の望む俺であれば言うべきでなかった一言をつい漏らしていたことを思い出して体が固まった。

「は、はい」
「長谷部、いつも誕生日祝ってくれてありがとう。今年も一番にお祝いしたの、長谷部だったよ」

 石のように固まっていた体の力が抜けて誉を取った時のように高揚感が胸を支配する。
 一片の桜の花びらが視界の端に見えたので気を引き締めるよう背筋を伸ばした。

 自室にある小型冷蔵庫の中には、ここらでは購入することが出来ないプリンが冷やしておいてある。今年も例年通り朝一番の挨拶と共に渡そうと思っていたものだ。
 目を細めて笑う主を見て、ありがとうともう一度礼を言う主を見て、ああ今年こそはと藤色の髪留めのことを思う。
 小さな贈り物を、今年こそは主のもとへ。

title by 魔女のおはなし
20201007
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