小説
※原作ゲームにない設定があります。





 加州清光は、豊前江が本丸に顕現して数日機嫌が悪かった。
 ああ、ついに来た。そう思ったのだ。
 持ち主に可愛がってもらいたいという物としての欲が刀剣男士の中でも高い方にあると加州自身認識しているが、豊前を前に抱いた感情は今までにない焦りと欲だった。

 初期刀として選ばれ、可愛がってもらえた。名前が頼ってくるのも、甘えてくるのも一番だと加州は自信を持って言える。けど、これからはどうだろう。そう思ってしまったのだ。
 名前が審神者になった理由は会ったその日に教えてもらっていた。初期刀として選ばれた理由を尋ねて「黒い髪と赤い目がそのひとと似てて、きっとこの刀となら頑張れると思ったの」と言われた時、この子はなんて残酷なことを言うのだろうと加州は思った。
 当時の名前はまだ高校を卒業したばかりの子どもで、審神者になれたことで浮かれていたのだろう。それは加州にも十分伝わっていた。しかし、だからこそそれが嘘偽りのない本音だということを理解した加州は泣きたくなるのを堪えながらも可愛がってもらえるような刀でいようと決めたのだ。

 初めて本丸に豊前がやってきた時、握手を交わした時のことを加州はよく覚えている。気さくな笑顔を向けられ「宜しくな」と言われた時、いいヤツなんだとすぐにわかった。
 加州よりも身長が高く、爽やかで頼れる兄貴という感じがもう嫌だった。絶対いいヤツじゃん。口を尖らせて大和守安定に愚痴れば「ね」と大和守はお饅頭を食べるだけで慰めるようなことは言わなかった。

「名前は俺のこと今まで通り可愛がってくれるって確信があるのにさ、一番じゃなくなるかもってだけでもやもやする」

 加州清光は、豊前江が本丸に顕現して数日機嫌が悪かった――が、その機嫌の悪さを表に出さないようにしていた。初期刀として本丸の空気を悪くするのは絶対に嫌だったし、何より機嫌が悪いのを名前や豊前に知られるのが嫌だったのだ。
 畑仕事は好きでない癖にひたすら本丸敷地内の雑草を抜いたり、掃除をしたり、念入りに身なりを整えることで数日気持ちを紛らわしていたが、暫くして大和守が呆れた顔で「清光、何してるの」と言うので漸く愚痴ることが出来た。

 名前が審神者となった理由も、初期刀として選ばれた理由も、眼鏡を掛けた豊前江しかなかった。最初はなんて残酷なことを言うんだろうと思った名前のことも、生活してみれば刀剣男士それぞれを可愛がってくれるし努力を怠らない真面目な審神者だと知った。共に過ごしていけば情が沸き、この人のために頑張ろうと心から強く思うようになっていた。
 人間はやっぱり残酷で、それでいてとても愛しいものだと加州は思う。

「最初から一番じゃなかったんだよ」
「は?」
「最初から名前の一番は眼鏡を掛けた豊前江だったんだよ。清光は僕と同じってこと、良かったね」
「何笑ってるの、その顔ムカツクなぁ」
「ははっ。だってそうでしょ? 人間って可愛いよね、可愛くてひどいよ。ひどくて残酷で、でも僕はそういうのも含めて好きなんだ」

 そんなことを言う大和守の顔は清々しいものだった。

「僕が、僕たちが名前を好きって気持ちが大切なんだよ、多分」

 語尾に「よくわからないけど」という言葉が付きそうな具合の大和守に思わず「なにそれ」と笑った。大和守の表情を見ていると、加州は次第にうだうだ考えているのが馬鹿らしくなっていった。
 まぁそうねと綺麗に塗ったばかりの爪を見る。手入れをすれば必ず気付いてくれる名前のきらきらとした瞳を思い出した。

「確かに案外そういうのが大事だったりするよね」

   〇
 
 体が震えてガチガチと歯が鳴る。
 人の形をとりながらも黒い靄に包まれたそれが一歩名前に近付いた。近付いた距離をまた離そうと後ずさりするも、ランドセルが後ろの壁についてしまって名前はもう逃げられずにいた。
 もうここで死んじゃうんじゃ。そう思って目を瞑った瞬間、花の香りに包まれる。

「……はじめっか」

 ザッと、何かが滑る音と共に風が吹いて男の声がすぐ近くで聞こえる。
 驚いて目を開ければ、数週間前に散ったはずの桜がさらさらと風に乗って舞っていて、若い男が名前に背中を向けて立っていた。

「守ってやっから、だから少しだけ目瞑っててくれ」

 名前をちらりと見て困ったように笑う男に頷けば、男は安心したような顔をする。
 さらさらと流れる桜の花びらの中で男が日本刀を持っていると気付いた時、名前はああこのひとが刀剣男士なのだと察した。
 赤い瞳と黒い髪、首元にあるほくろ。ひらりと靡いた赤い布と黒縁眼鏡を掛けたこのひとが、刀の神様なのだと。

「かすったか!!」

 金属がぶつかる音と息遣い、時々聞こえる男の声に名前は身を縮こませる。恐怖が無くなったわけではないが、名前は助けてくれようとしているらしい刀剣男士の迷惑がかからぬよう、少しでも邪魔にならないようにしようと努めているのだ。
 目を瞑れと言われたので今どんな様子なのかわからないが、音や声から判断するに男が優勢を保っていることは名前にも判断出来る。まだなのかな、と思いながら先ほど見た大きな背中を思い出した。


 豊前の言葉を聞いて体を縮こませて動かない幼い名前を見て、豊前は早く名前を安心させなければと思った。もう少しだからなと声を掛けるも名前から反応はなく、豊前の声は耳に入っていないかもしれない。
 まあいっか。そう思いながらズレて視界に入った眼鏡の縁に気付いて加州の言葉がよぎった。

 眼鏡を掛けた豊前江に再会した時、豊前江は眼鏡を差し出してきた。なんだ、と思って顔を上げれば「この間会った時、ずっと見てた」と言うのだ。
 眼鏡に付けていたカメラが壊れてしまってもう使うことが出来ないのだと笑った豊前江に何も言えずにいると「映像は常に南海せんせーの持ってるヤツに送られるようになってっからいいんだ」と肩をすくめた。なんでもないように「時間遡行軍と戦った時に投石がかすっちまったんだ」と付け加える豊前江に加州はうわーと、場面を想像したような顔をさせた。

「俺は主から勘は大事にしろって言われてんだ。刀剣男士のそういうのは馬鹿に出来ないって、だからあんたにやる。あんた、これが欲しかったんだろ」
「はっ……!?」

 豊前江の言葉に顔に熱が集まる。
 加州はじっとこちらを見て目を細めていたが、豊前の視線に気付いたのか顎を上げて早く眼鏡を受け取れというような表情を作った。

「怒ってるような、悲しいような、でも憧れてるような顔をしてた。同じだからな、わかるよ」

 俺も豊前江だからな。
 当たり前のことを胸を張って言う豊前江のその表情に思わず笑う。ここ数日、もやもやとしたもので悩んでいたのが少し馬鹿らしく思えた。柄にもなく、嫉妬していたのだと豊前は気付く。
 縁が少し擦れてしまっている眼鏡を受け取れば、加州が笑う。すごく嬉しそうな顔してるねと言って。

「豊前、お前が名前を助けるんだよ」


 刀を振って漸く仕留めた時間遡行軍は瞬く間に消えていった。
 もう平気だよ、と振り返ればゆっくりと顔を上げる名前と目が合う。急いで駆け付けたためにベルトに付けていた匂い袋を落としてしまっていたらしいが、名前から聞かされていた話に繋がっていることに気付いてこういうことかと納得した。

『豊前が名前を助ける。それが正しい歴史なんんだよ』

 名前を助けに行く前に加州に投げかけられた言葉は、豊前の士気を高めるのに十分な言葉だった。
 満足感で豊前の周りは桜が舞い、ピンク色に染まっている景色を名前は不思議そうに見上げる。

「ありがとう、ございます」
「ああ、怪我はねーか?」
「……はい」

 名前はお礼を言えていないと思っているようだが、動揺して忘れてしまっただけだったようだ。豊前は少し屈んで名前の頭をこれでもかと撫でた。

「無事で良かった」

 本当に。心からそう思った豊前の言葉に名前は瞳を潤ませた。

   〇

 豊前が落とした匂い袋を持ってやってきた篭手切江を始め、時間遡行軍を倒した面々が集まったことで今回の特別任務は終了ということになった。
 篭手切から匂い袋を受け取る前に名前に別れの挨拶をすれば「審神者になったら、会えますか」と言われた。怖かったけど嬉しかった。そう口にした名前に頷いて「会えるぞ」と言えば、名前は今と変わらない笑顔を作った。



「小さい主君、可愛かったですね」

 本丸に帰る準備をしていると、秋田が声を掛けてきた。
 顔を上げる際にズレた眼鏡に気付いて躊躇しながらもそれを外せば、秋田が「豊前さん」と優しい声で囁く。

「主君にはお伝えするんですか?」

 眼鏡を掛けた豊前江の正体について言っているのだと気付いて豊前は首を振る。そうすると、秋田は少し意外だというような顔をさせ、どうしてですかと豊前に少し顔を近付ける。内緒話を聞こうとするような仕草に豊前は目を細める。

「名前はさ、眼鏡を掛けた豊前江が心の支えなんだなって、この間の話聞いて思ったんだ。大切なもんだよ、そういうのは。だから、それを大切にしてほしーから、言わねぇんだ」
「主君が会いたがってるのに?」
「ああ、綺麗な思い出は、綺麗なままにしといた方がいいだろ?」
「僕は、このお話も綺麗だと思いますが……」

 秋田は首を傾げるも、すぐに真面目な顔をして「でも、豊前さんがそう仰るなら僕も秘密にします」と言った。

「……あー、悪い、本当はさ、ちょっと恥ずかしいだけなんだよ」

 豊前がそう頭を掻いて言えば、秋田はぱちぱちと何度か瞬きを繰り返してから頬を赤くさせて嬉しそうに笑った。

「やっぱり素敵で綺麗なお話ですよ、豊前さん」

 春の日差しのような優しい笑顔を作った秋田に豊前もつられて笑っていると、少し離れたところにいた加州から声が掛かる。「帰るよー」という言葉に返事をすれば、秋田は毛利と愛染が話しているところへ駆けていった。

 集まって忘れ物や異常がないか最終チェックをしている間、隣に立った加州は豊前が手に持っていた眼鏡を指差して「それどうすんの」と言った。

「名前に気付かれないよう、大切に取っとくよ」
「あー、まぁ、名前にバレないようにって捨てるわけにもいかないしね」
「ああ」

 付喪神である刀剣男士が物を粗末に扱うことはない。
 眼鏡を掛けていた豊前江は何も言わなかったが、必要なくなったから処分する、なんてことをしないと判断したから差し出してくれたのだと豊前は理解している。

「……あー、心の支えにすっかな」
「はぁ? かっこつけんな」

 冗談めかして言った豊前の言葉に最初は眉を寄せてありえない、といった風な顔をさせた加州だったが、言葉の割に声は随分と穏やかなものだった。

「あー、早く本丸に帰って名前に会いたいなー」
「だな」

 豊前が見上げた空は、桜の花でいっぱいになっていた。

title by サンタナインの街角で
20200423
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