小説
※原作ゲームにない設定があります。






 初めて審神者という職があることを知ったのは、小学三年生の時。図書室にあった怪談話を集めた本がクラスで流行ったのと同じくらいの時期だった。

 洋式トイレが当たり前だった私たちには花子さんよりも付喪神の方が現実感があって、夜中に動き回る人体模型よりも時間遡行軍と呼ばれる悪い敵を倒す刀剣男士の方が魅力的に思えた……なんて彼らに言ったら同列に扱うなと言われてしまうだろうか。
 当時、時間遡行軍がどんな姿をしているのか知らなかったからオバケや幽霊みたいなものを想像して、時間遡行軍に会ってしまったら刀剣男士が助けてくれるんじゃないかと考えたこともある。
 実際、似たような噂も流れたのだ。着物を着た髪の長い幽霊に追いかけられたところを日本刀を持った美しい男の人に助けてもらった、とか。

 幼かった私たちは会ったこともない刀剣男士に夢中だった。
 隣町の中学生が刀剣男士に助けられたとか、すぐ近くにある高校に刀剣男士が転校してきたとか。事実かどうか怪しいそんな噂話にも夢中になれた。けど、耳にする話はいつも曖昧で、刀剣男士を実際に見た子なんて周りにはいなかったせいか、一ヶ月ちょっとで友達の興味は別のものへと移っていってしまった。

 刀剣男士は審神者と共に歴史を守っている。
 審神者になることが出来るのは、刀剣男士に選ばれた人だけ。

 いつか聞いたそんな噂話を思い出したのは小学五年生になったばかりの春のこと。
 葉桜を見上げながら下校していた私の前に時間遡行軍が現れたのだ。当時それが時間遡行軍なんて思ってもいなかったけれど、おどろおどろしい見た目をした化け物に立ち向かえるはずはなく、逃げることすら出来なかった。
 そんな私を助けてくれたひとが突然現れて、いつか聞いた噂話を思い出した。きっと、このひとが刀剣男士なのだとランドセルの肩ひもをぎゅっと握りしめて確信した。

 赤い瞳と黒い髪、首元にあるほくろ。ひらりと靡いた赤い布と――黒縁眼鏡を掛けた豊前江。それが、私が初めて見た刀剣男士だった。

   〇

 刀剣男士にも個体差があると知ったのは審神者になって数ヶ月経ったある日のことだった。
 演練で知り合った先輩審神者の近侍が豊前江だったのをきっかけに「眼鏡を掛けた豊前江」の話を聞いてもらうことが出来たのだ。
 聞けば、今のところ豊前江は視力の悪い刀剣男士とは確認されておらず、演練でも見たことがないという。
 先輩の豊前江は一度だけ篭手切江の眼鏡を掛けさせてもらったことがあるそうだが、度が入った眼鏡にすぐにギブアップして「これじゃあ俺は戦えねーな」と思ったとか。

「だから、名前ちゃんが見た豊前江って珍しいと思うの。もし演練とか万屋で眼鏡を掛けた豊前江がいたら、きっと名前ちゃんを助けてくれた豊前江だわ」


 幼い頃に助けてくれた豊前江という存在に心惹かれ、私は審神者の道を選んだ。
 審神者になったからには自分の本丸に豊前江を迎え入れたいと思ったし、どこかにいるであろう眼鏡を掛けた豊前江にいつかお礼を言いたいとも考えていた。

 いつか先輩と話した日のことを思い出したのは「名前は何で審神者になったんだ?」と豊前が話しかけてきたからだ。

「……そんなこと聞かれるとは思わなかったな」
「そうか?」
「うん」

 ずっと聞いてみたかったんだよ。
 そう言って笑う豊前はお酒の入ったグラスを机に置いた。首を少し傾けて目を細める仕草に心臓が鳴って思わず視線を外す。

 新しい刀剣男士を迎え入れたために今日の夕食はご馳走である。歓迎会も兼ねているため、普段はお酒を飲まない刀たちもお祝いだからと酌み交わしているように見える。
 こういった日の夕食は必ずくじ引きで座席を決めていて、今回私の右隣には豊前が座ることになった。机の端に座る私の向かいには秋田藤四郎が、豊前の向かいには膝丸がいたが、秋田はおかわりをしに台所に行き、膝丸はお酒をひたすら飲む髭切を止めるために席を外してしまっている。
 次郎太刀が作ってくれた甘いカクテルが入ったグラスに口をつけてから昔のことを思い返す。豊前を本丸に迎え入れて半年は経っただろうか。豊前に、私はまだあの日のことを話していなかった。

「……小学五年生の時のことなんだけど、眼鏡を掛けた豊前江に助けてもらったの。あの時は襲ってくるのが時間遡行軍だってわからなかったけど、多分、合ってると思う。刀みたいなの持ってたし」

 そう言えば、豊前は驚いたように目を見開く。丁度秋田がお茶碗を持って戻ってきて「何のお話ですか?」と聞いてきたので「私が審神者になろうと思ったきっかけの話をね」と言えば興味深そうに目を輝かせた。

「小学生の時、刀剣男士の噂で持ち切りだった時期があったの。悪い敵をやっつけるのがかっこいいって、みんな興味を持ってた」

 へぇと、豊前は頬杖をついてこちらを見ている。何故か、赤い瞳が少しだけ熱を持っているように見えた。

「高学年になった頃には刀剣男士の噂をしてる子はいなかったけど、時間遡行軍が現れて眼鏡を掛けた豊前江が助けてくれた時はね、ああこのひとが刀剣男士なんだってわかったの。でも、驚きすぎてその後の記憶がなくて……多分、お礼を言えてないだろうから会って言いたいなって。それでなんとしても審神者になろうって思ったんだけど、眼鏡を掛けた豊前江の話は全く聞かなくて……こういうのって、なかなか巡り合えないもんなんだねぇ」
「そうなんですね。なんだか不思議なお話ですね」
「ふふっ、うん。私も夢みたいな話だなって思う」

 もし眼鏡を掛けた豊前江さんを見かけたら、主君にお伝えしますね。
 そう言った秋田にありがとうとお礼を言って横に座る豊前の方に体を向けた。

「私が審神者になろうと思ったのは、眼鏡を掛けた豊前江にお礼を言いたかったから。小さかった私にとって、豊前は憧れのヒーローで、本丸に来てほしい刀の一振りだったんだよ」

 この本丸に顕現してくれた豊前は私を助けてくれたあの豊前江ではない。けど、助けてくれたあの刀と同じ背中を見ると、たまらなく安心するのだ。そんなことを伝えれば、豊前は「そっか」と困ったような笑顔を作った。


   〇


 名前は、子どもが憧れの人を見る時のきらきらとした視線をいつも豊前に向けていた。名前本人はそんな目をしているとは気付いていないのだろうが、言葉にしなかっただけで本丸の誰もが知っていた。
 豊前もどうしてそんな顔を向けられるのかわからずにいたが、この間の件で漸く納得がいった。名前が自分を通して「眼鏡を掛けた豊前江」を見ていたのだと気付いた時、なるほどと理解しつつも残念に思う心が豊前にはあった。
 ちょっと面白くねーなと思いながらも、あの時はそれを顔に出さないように努めた。名前が憧れの豊前江に会えることを願う気持ちと、それが自分であったらどれほど良かっただろうと不貞腐れる気持ちがあることに気付いた豊前は、それがどういった感情からくるものなのか、今もよくわからないでいる。

「持ち主に愛してもらいたいと思うのは当然でしょ」
「愛してもらう……?」
「そう。大切にされたい、使ってもらいたい。そういう気持ち名前に抱くでしょ?」
「あー、まあそうだな」

 加州清光が歩みを止め、豊前に振り返って片方の眉を上げてから口を尖らせる。顎を上げ、はっきりしないなぁと呟いた加州は不満顔だ。
 豊前が「どうして加州は修行に行ったんだ?」と質問したのが始まりだったこの会話は、豊前が思っていたものとは違う回答が返ってきた。「刀によってまぁ、修行に行きたい理由はそれぞれでしょ」と再び歩き始めた加州は暫くして「あっ、あれじゃない? 名前が通ってたガッコー」と大きな建物を指さした。

 急遽政府から電報が届いたことによって、豊前は名前がまだランドセルを背負っていた頃へ時を遡ることになった。
 特別任務という名で課されたこの任務は簡単に説明すれば「子どもの護衛」である。
 幾日か前、時間遡行軍が審神者となる予定だった子どもを襲う事件が起きて以降、今までにない行動を取る時間遡行軍の出現報告が増えた。それが、未来の審神者の数を減らすことを目的にしているのだと気付いた政府は各本丸に特別任務を課し、幼少期に時間遡行軍に遭遇した審神者を主とする刀剣男士は審神者を、そうでない者を主とする刀剣男士は政府が指示した地域に赴き子どもの安全を守るために過去へ遡ることとなった。

 大広間で名前から話を聞いた豊前は、この任務に参加すれば「眼鏡を掛けた豊前江」に会えるのではないかと考えた。
 どうして名前を助けるのが自分たちでないのか、そんな疑問を抱きつつも部隊に入れてもらうよう志願したのは昨夜のことで、名前は少し驚くような顔をしたものの、すぐに頷いた。そういえば、そんな風に戦に関する申し出をしたのは初めてだったと豊前は今、漸く気が付く。

 政府が用意した匂い袋さえ持っていれば現地の人間に姿を見られることはないというので皆戦闘着でやってきたが、夜の住宅街を背景に歩く加州は豊前から見ても異様である。

「あっ、ここの家のお夕飯カレーじゃん」

 カツカツと、加州のヒールの音が辺りに響く。匂い袋を持っていれば姿は見えないと聞いてはいたが、このヒールの音も、加州の声も、本当に周りには聞こえていないのだろうかと豊前は不思議に思いながら後に続いた。
 習い事から帰宅した名前のことは毛利藤四郎と篭手切江が見ているため、豊前と加州は名前の小学校に向かうことにした。家から学校までの道を確認したかったためである。

「そういえば、到着して早々眼鏡を掛けた豊前江に会うとは思わなかったね」
「……ああ、そうだな」

 なんでもないように言う加州の言葉に豊前は一瞬体の動きを止める。前を向いたままの加州に気付かれないよう小さく息を吐いてから返事をして、豊前は数時間前のことを思い返した。


「とうちゃーく!!」

 名前が幼少期に暮らしていた土地の地形を考え、今回の部隊は小回りの利く短刀を三振り入れ、他を脇差が一振り、打刀を二振りとした。志願していた豊前を抜いて、名前に一番に選ばれたのは初期刀の加州だった。名前が審神者になった理由を、豊前が知るよりもずっと前に聞いていた刀である。

「さーて、まず名前を探すかな」

 当時の行動範囲は聞いていたため、さほど時間は掛からないだろう。皆で地図を確認しながら「さっさと名前を見つけよっか」と言った加州の声に頷こうとしたところで突然背後から声を掛けられた。

「よお」

 気さくな声色に一番に反応したのは、豊前の左隣にいた篭手切だった。
 振り返れば桜を散らしてこちらに向かって歩いてくる豊前江が「いやあ、実は仲間とはぐれちまって」と、ばつが悪そうに頭を掻いている。その豊前江の顔に黒縁眼鏡があることに気付いて、豊前は体が固まってしまった。

「豊前さん……」

 そう小さく呟いた秋田の声が豊前を呼んだのか、それとも眼鏡を掛けた豊前江を見ての独り言だったのか、豊前には判断がつかなかった。
 このひとが主君の――秋田がそんな瞳で豊前江を見ていることに気付く。宝石のようなきらきらとした秋田の瞳がいつも以上に輝いて見えた。

「特別任務か?」
「まー、そんな感じ。今来たとこなんだ。あんたは?」

 眼鏡を掛けた豊前江の登場に最初加州も驚いたようだが、既になんでもないような顔をして返事をした。

「もう二週間とかになるんじゃねぇかな。主の話によればそろそろのはずなんだが……」
「結構長丁場じゃん」

 加州が驚けば、眼鏡を掛けた豊前江は困り顔で「俺たちも今回の任務で初めて知ったんだがよ、うちの主はこの時期に五度も時間遡行軍に遭遇してたらしーんだ」と言った。
 聞けば、五回とも同じ時間遡行軍に襲われる可能性が高いらしく、五回目の遭遇まで時間遡行軍を倒すことは出来ないのだという。「一度で倒しちまって何かが変わったら大変だって主は言うんだ。だからすっげー嫌だよ、この任務」と豊前江は顔を歪める。

「まじか、それは確かに嫌かも」
「だろ? 怖がってる主なんか何度も見たくねぇのにさ」

 でも、ダメなんだから仕方がない。そういうのは互いにわかっているから口にしなかった。

「……ねぇ、話は変わるけどさ、豊前江が眼鏡掛けてるなんて珍しいじゃん」
「あー、これ、今回の任務のために南海せんせーが作った眼鏡だよ」
「は?」

 どういうことだと眉を顰める加州とは反対に、秋田は興味深そうに目を見開く。篭手切は「りいだあと眼鏡、やはり良いな!!」とぶつぶつ呟くし、愛染国俊と毛利藤四郎は顔を見合わせ首を傾げた。

「五回も襲われるなんて、政府は他で聞いたこともないって言うんだ。だから原因を知るために記録を取ることにしたんだ」

 その記録がこれ、と豊前江は眼鏡を指差す。
 小物にカメラを仕掛けるから皆で映像を確認して原因を探ろう。審神者から特別任務の説明を聞いた南海太郎朝尊がそんなことを言ったらしく、豊前江が渡されたものがその黒縁眼鏡だったらしい。
 他の方も同じ眼鏡を掛けているんですか、という秋田の質問に楽しそうに笑った豊前江は「みんなバラバラだな。乱藤四郎はリボンに付いてるって言ってたな」と言った。おもしろいですね、と言った秋田に頷く豊前江は「だろ」と得意げだ。

 間もなく眼鏡を掛けた豊前江を探しにきた刀剣男士たちが現れたので挨拶もそこそこに別れ、豊前たちも名前を探せばあっという間に幼い名前を見つけることが出来た。
 少し離れたところを歩くランドセル姿の名前を見た愛染が驚いたような顔で「写真で見せてもらっていたけど、思ってたよりも小さいな」と呟いた時、豊前は少し寂しいような気持ちになった。


 豊前たちが小学生の名前を見守るようになって幾日か経った。
 下校する名前を見守る篭手切からは今のところ問題ないと連絡がきている。
 今回、支給品として政府から渡されたのは匂い袋だけでなく、現地で利用するための通信機器もあった。政府特製のヘッドセットは片耳タイプで、戦闘時にも外れないよう工夫が施されており、眼鏡を掛けた刀剣男士への配慮のためか随分と小型で眼鏡への影響もないらしい。
 特別任務に参加する刀剣男士全てに支給され、お試しアイテムとのことらしいがなかなかに性能が良い。現地でのみ通信が使えるため本丸にいる審神者や仲間は勿論、政府とのやり取りが出来ない点を差し引いても今後こういった任務があれば使いたいと思うようなものだった。

『豊前、ちょっと俺のトコこれる?』

 そんな通信機器を使って加州から呼び出しがきた。家の前で名前の帰宅を待っていた豊前は、少し焦ったような加州の声に首を傾げながら近くの公園にいるという加州の下へ向かうことにした。一緒に名前の帰宅を待っていた毛利を残して公園へと駆ける。

 休憩を取っていたはずの加州からの連絡は切羽詰まったような具合だったので急げば、眼鏡を掛けた豊前江が加州と話をしていた。驚きつつ加州に声を掛ければ、加州は「豊前江、任務が終わって帰るんだって」とこちらを窺うように言う。

「だからさ、あんたに渡したいものがあんだよ」

 誉を取ったのか、桜を舞わせて笑う豊前江が腰に手を当てて少し首を傾ける。眼鏡を掛けた豊前江の見透かしたような表情に、豊前はため息を吐いた。

title by サンタナインの街角で
20200423
- ナノ -