小説
※時間軸としては21巻辺り。







 ホークスがプロヒーローとして活躍しだしてから毎年、私は彼に年賀状を送っている。ファンレターは半年に一度、便箋で三枚ほどにまとめたものを彼が読んでいるのかは知らないけれど、毎回きちんと返事がくる。ホークスを象徴する赤い羽根のイラストが描かれている葉書に、サインと共に一言直筆のコメントが書かれているのだ。
 今年の年賀状の返事は「今年もほどほどに頑張りましょう」で、夏に届いたファンレターの返事は「そっちにオススメの焼き鳥屋ありますか?」だった。その葉書を受け取った後に書いた手紙に好きなお店を書いておいたけれど、ポストに投函する際に一瞬考えてしまった。自己満足がすぎる、と思ってしまったのだ。
 読んでくれるかわからない手紙を、私は送り続けている。返事はくるけれど、彼は決して私が送った手紙の内容には触れない。忙しい彼に宛てた手紙は全国から毎日送られてくるのだろうから、直筆で必ず返事がくるだけ有り難いことだから、手紙が読まれなくたって別によかった。ただ私の中にある気持ちをどこかに発散させたいだけの行為だけれど、迷惑になってはいないだろうかと毎回思いながら手紙を書き続けている。

 自慢にならないのは十分承知だけれど、私はホークスがプロヒーローとして活躍する前から彼の存在を知っていた。彼はきっと私のことなんて覚えてないだろうけれど、実は高校の同級生なのだ。
 彼の赤い羽根は制服姿によく映えていた。へらりとした笑顔と時々見せる真面目な顔、物怖じしない性格は多くの人を惹きつけた。高校生の時から、私は彼に憧れていたのだ。


 高校二年のとある夏の日、体調を崩した私を保健室まで連れていってくれたのがきっかけで彼のファンになった。
 朝、なんだか少し頭が痛いなと思う程度だったのが時間が経つにつれどんどん気持ち悪くなり、お昼休みには耐えられなくなった。お弁当はどう頑張っても食べられそうになったため、お弁当を食べようと声を掛けてくれた友人に保健室に行くことを伝える。付き添うと言われたものの申し訳ないので断ったけれど、途中で後悔をした。
 冷や汗が出て、視界が狭まっているのではと感じるような違和感。意識が遠くなってきているのか、音が少し遠くに聞こえる。けど、喉から胸の辺りに感じる気持ち悪さは消えてくれないのだ。足を踏ん張っていないと倒れそうになる体は重く、もう意識を飛ばした方が楽かもしれないと思っていた時、微かに聞こえたのが「平気か?」という男の人の声。
 自分の体を支えるので精いっぱいだった私は、返事をすることも出来なかった。平気だとは到底言えない私の状態に気付いたらしいその人は、私を保健室まで連れて行ってくれたのだ。

 気持ち悪かったら吐いてもいいからな。
 一人でよく頑張ったな。
 偉い偉い。

 個性を使って振動を最小限にして保健室へ運んでくれた彼が言った言葉を、朧げな記憶の中で覚えていた。何も反応出来ない私に言葉を掛け続けてくれた彼の声は優しくて、涙が零れた。
 私を助けてくれたのが、彼であった。十八歳という若さでデビューした彼は、瞬く間に活躍し全国的に名の知れたヒーローとなった。

 彼がいなければ、私はきっと倒れていただろう。
 保健室は比較的静かな校舎の端にある。昼休みでも人通りが少ない保健室周辺で倒れていたら、そして誰も気付いてくれなかったら、症状が重くなって入院することになっていたかもしれない。彼が声を掛けてくれて、保健室まで連れて行ってくれたことに感謝してもしきれなかった。
 翌週の月曜日、お昼休みに彼を見つけてお礼を言えば驚いた顔をして「真面目だね」と言われた。地元で一番美味しいと評判のケーキ屋さんで売っているクッキーの詰め合わせを渡せば「こんなことされたの初めて」だと笑われた。菓子折り持ってけってお母さんに言われたのかと質問され、そこまで変なことをしたのかと恥ずかしくなってしまったほど。

「いや、嬉しいよ。有り難う。これ買いに行く元気が戻ったってことでしょ?」
「……うん。本当に助かって」

 ありがとう、ともう一度言えば別にフツーだよと返される。そんなことをさらりと言えるのがやはりヒーローたる素質を持った人なんだと思った。

「これ、食べるの楽しみだわ」

 そう言って背を向けた彼の赤い色をした羽根を見て、自分を優しく包んでくれた感触を思い出して胸がきゅんと跳ねた。

   〇

 あの日から、私はホークスを応援してきた。
 高校を卒業して大学進学をきっかけに上京し、就職も福岡に戻ることなくこちらで決めたために彼の活躍は専らネットに頼っているけれど、No.2となった彼は福岡に限らず時々こちらにも足を運んでいるらしい。何か用事があるのか、目撃情報も最近増えている。
 忙しいに違いない。体は大丈夫だろうか、なんて自分の母親が私に送ってくるメッセージと似たようなことを彼に思っている。

「ホークスこっち来てるんだ」

 ホークスは目立つ。さらりと、なんでもないように街の安全を守っていくからびっくりする。
 ホークスがひったくり犯を捕まえたニュースを見ながらカウンター越しにお酒の追加を頼む。馴染みの焼き鳥屋で一人夕食を取る私に看板娘のお姉さんが「名前さん、ホークスのファンですもんね」と微笑みながらグラスを差し出してくれた。お礼を言いながら空になったグラスを渡し、照れくさく思いながらも頷けば、お姉さんはホークスが写っていたテレビ画面を見てから「偶然、どこかですれ違ったりするかもですよ」と笑う。ないないと手を振れば「えー、もっと夢見ましょうよ」と肩を落とすお姉さんからつくねが乗った皿を渡される。

「有り難うございます」
「――すみません」

 両手でお皿を受け取ると、丁度店のドアが開いて人が入ってきた。
 冬の始まりの少し冷たい夜風が店内に入ってきて、今日は寒くなりそうだし次の注文を最後にしようかなと思っていたところで「名前さん」とお姉さんから声が掛かる。どうしたの、と顔を上げればお姉さんは入口へと視線を向けたまま口をパクパクと開けたり閉じたりしている。お姉さん、と呼ぶ前に背後のテーブル席で食事をしていたサラリーマンの「ホークスじゃん!!」という声が耳に入った。

「一人で」

 ホークスが、すぐそこにいた。
 人差し指を立てて一人であることをお姉さんに示して「いいっすか?」と尋ねるホークスは、ヒーローコスチュームではなくジーンズにパーカーという私服姿であった。
 対応しに向かったお姉さんに「羽根があるから後ろに迷惑が掛からない席がいいんだけど」と言うホークスの言葉が聞こえてしまう。この焼き鳥屋は私が自信を持って味が良いとオススメできる店だ。けれども大きな店とはどう見ても言えず、座席数は少ない。机の位置、今のお客さんの座る位置からいってカウンターの、私の隣に座る可能性が一番高いことに気付いて心臓が跳ねる。

「あっ、じゃあカウンター席にどうぞ」

 お姉さんの言葉が妙に弾んでいるように聞こえる。えっ、と思って顔を上げるといつもは無口で表情を変えない店主のおじさんが頑張れというようにこちらに顔を向けて頷くし、常連のサラリーマンたちが「名前ちゃん、名前ちゃん」と狭い店内では意味のない小声で背後から呼びかけてくる。振り返って「わかってる!!」と声に出さずに言えばビールで出来上がった赤い顔をした人たちににやにやと笑われた。
 先日、ヒーロービルボードチャートJPのニュースをこの店で見ていた私は、お酒で気分を良くしてホークスについて熱く語ってしまった。常連しかいなかったため、気が大きくなっていたのかもしれない。

『あの場のコメントが生意気だと語る人もいるけれど、私はただただ嬉しいです。No.2になってもきっと彼は彼でいてくれるでしょうし、きっとこれからも人々のために、うっ、うう……』

 後半は半分泣きながらお酒を飲んだ。過去の雑誌インタビューを見る限り彼にとってランキングはあまり興味のないものなのかもしれないけれど、あの順位はまさしく彼がヒーローとして活躍したことを数字に現したものである。彼がどう思おうと、彼が多くの人を救い、応援されていると知れるだけでも私には嬉しく、誇らしいものだった。

「どうも、隣失礼しますね」

 テレビで見るのと変わらないホークスがすぐ隣にいる。助けてもらった学生時代にはなかった髭とか、逞しくなっている体とか、そういうのを見て今までにないくらい動揺してしまう。狭いカウンター席で意識するなという方が無理だ。

「一人ですか? 俺もなんですよ。ここ、焼き鳥が絶品だって聞いて」

 本当に美味しいですよ、と当たり障りのない言葉を言う。そういえば、少し前に出したファンレターに美味しいお店だと紹介したことを思い出す。小さいお店だけれど、味は確かなのでオススメする人は多いのかもしれない。

「こっちに来る用事があったら絶対来ようと思って、ようやくですよ」

 へらりと笑ってホークスはウーロン茶を注文する。つい「お酒飲まないんですか?」と口にしてしまった。ホークスは少し驚いた顔をするも、すぐに笑顔を作って「明日帰ったら、すぐ仕事なんで念のため」と言われる。

「忙しいんですね」
「フツーだと思いますよ」

 そんなはずないだろう。と思いながらお疲れ様ですと言う。
 お姉さんからウーロン茶を受け取ったホークスは驚くことに「名前さんもお疲れ様」とグラスをこちらに向けた。「ウーロン茶ですけど乾杯しませんか」と言われ口にしていたグラスを持ち、ホークスの持っているグラスに軽く合わせた。カチンと音が鳴った。

「えっ、名前さんとホークスって知り合いなんですか?」

 それは、目の前にいたお姉さんの言葉だった。お酒に少し酔っているのと、ホークスが隣にいるのとで私の頭は今正常には物事を処理出来ていないため、お姉さんの言葉に首を傾げる。そういえば、同級生とまでは言っていなかったと思っているうちにホークスは「だって、さっき呼ばれてたでしょ。名前ちゃんって」と、ちらりと後ろを見るような仕草をしながら言った。
 ああ、そうか。そうだ。言ってた。そうだった。

 そもそも、ホークスが私の名前を知るはずはないじゃないか。
 学生の時、私と彼がちゃんと話したのはお礼を言ったあの時限りで、お礼は言っても自分の名は言わなかった。
 ファンレターを上京先の住所で送る名字名前が、同じ学校に通っていた同級生だとは思うはずがない。ファンになったきっかけを「学生の時に助けてもらった」とは書いたものの、詳細を綴ったことはない。
 髪を染めて化粧をした私を見ても、ホークスは過去に助けた同級生だと気付くはずがない。学生時代から多くの人を助けてきたホークスにとって、私は記憶に残すほどの存在ではなかったはずだ。

 私にとっての特別が、この人にとっての特別では決してない。そういうのを、私はよく知っている。

「あの」

 隣にいるホークスに声を掛ける。頼んでいたのであろうレバーを食べながら、こちらを見るホークスはどうしたの、とでもいうように目を細める。

「あなたが、あななたちヒーローが街を守ってくれるから、私は今日もこのお店に来て呑気に話しながら美味しい焼き鳥を食べて帰れます。大好きなお風呂に入って、大好きな布団に入って、幸せだと思いながら眠れるんです。だから、私はいつもあなたたちヒーローに感謝していて、それで……あなたを応援出来て、幸せだと思っています」

 ありがとう。
 最後にそう言えば、後ろからサラリーマンたちの拍手と指笛が響いた。聞いていたのかと顔が熱くなるのを感じながらもホークスの方へ顔を向ければ、ぱちくりと瞬きを繰り返すホークスの姿。

「こちらこそ、ありがとう名字さん」

 細められた目が何か懐かしいものを見るような優しい瞳をしていて、私は今日何度目かわからないきゅんと高鳴る胸をごまかすようにグラスに残ったお酒を飲み干した。
 賑やかな店内で、ホークスの最後の言葉を聞いたのはきっと私だけだ。

20200101
- ナノ -