小説
 雄英高校のサポート科に入学して半年を過ぎ、いつの間にか季節は冬になっていた。
 夜、お風呂に入る前に寮を出る。小さなオールマイトの人形を胸に抱えて、こっそりと。
 寮から少し離れた場所にある緑化地区では個性の特訓をしている人がいるらしく、その形跡が残っていたりする。私の目的地である場所にも人工的に真四角に切られた石が置かれていて、簡単に石の上を手で払って座れば石の冷たさに体が震えた。
 小学校に入る前に買ってもらったオールマイト人形に個性を使えば、オールマイトの手足がゆっくりと動き出す。昔から、何かあれば必ずこの方法で自分を鼓舞してきた。

 私が来た!!
 だから、平気さ。
 心の内でそうアフレコをする。生き物以外であれば物を動かすことが出来る個性を使ってこんなことをするようになったのは、それこそこのオールマイト人形を買ってもらった時からだろうか。オールマイト人形がぴょこぴょこ跳ねて私の手を撫でる。自分でやっていることだけれど、表情の変わらないオールマイト人形が可愛く見えるから自然と笑顔になれた。

「またガキみてーなことしてんのか」

 静かな夜の空の下、低くて愛想のない声が投げかけられる。振り返れば、黒いスカジャンを羽織ったかっちゃんが立っていた。片方の眉を上げ、理解出来ないというような顔を見せるかっちゃんは私の横に腰掛け「風邪ひきてーのかテメェ」と今日も口が悪い。

 個性が発現する少し前から十歳になる年まで、私はかっちゃんのお家のすぐそばに住んでいた。歩いて一分もかからない距離で、何度かかっちゃんのお家にお邪魔したこともある。けど、仲が良かったかといえばそうじゃない。
 幼稚園と小学校が一緒で、出久くんのお母さんと私のお母さんの仲が良かったために私は男の子の中では出久くんと遊ぶことが一番多かった。出久くんは優しいから私の人形遊びにも付き合ってくれたし、おままごとにも付き合ってくれた。ヒーローごっこをする時は、泣き真似をする私に駆け寄って「わたしがきた!!」なんて言って手を差し伸べてくれたっけ。
 そうやって私たちが遊んでいると、怪獣のごとく絡んでくるのがかっちゃんだった。かっちゃんは馬鹿にするような乱暴な言葉を出久くんに投げかけた。止めてと言えば、かっちゃんは怖い顔をするのだ。あの時は、どちらかというとかっちゃんが苦手だった。

 私たちは、所謂幼馴染という関係なのかもしれない。
 出久くんは、かっちゃんに何度嫌なことを言われても、何度突き飛ばされても一緒に遊んでいた。嫌なことを言うかっちゃんと遊ぶ理由がわからなくて、でも出久くんの中にはちゃんとその理由があるらしくて、その理由が知りたかった私は時々彼らに混ざることがあった。
 探検だと言って先頭を歩くかっちゃんは、いつも私に「怪我すんじゃねえぞ」と怖い顔をした。「怪我したら置いてくからな」「役に立たねぇヤツはいらねェんだよ」と何度も言われた。目を吊り上げてそう言われると、出久くんが安心させるように「大丈夫だよ」と言ってくれるのがお決まりで、出久くんの言葉に背中を押されるような気分になった私が「平気だよ」と言えば、やはりかっちゃんは怖い顔をして舌打ちをするのだった。

 怖い顔をして脅すけれど、かっちゃんが私を見捨てたことはない。
 怪我をした私に出久くんが気付けば、先に行ってしまったかっちゃんはすぐに戻ってきて探検を中止した。「気が変わった」と言って私の腕を引っ張ってかっちゃんの家まで連れてかれる。リビングまでぐいぐい腕を引かれれば、かっちゃんのお母さんが出てきて怪我を手当てしてくれるのである。
 かっちゃんは、怪我をした私を家に連れていく度に怒られて頭を叩かれる。スパンと頭を叩かれるのを初めて見た時はびっくりした。
 毎回怪我をするわけでもないけれど、手当てのためにかっちゃんの家にお邪魔したことは何度かあった。お母さんがいるためか家に入ればかっちゃんはいつもより静かで、勝手に怪我をしたのは私なのに決して文句を言うことはなかった。あの時の私は、それが少し不思議に思えた。

 家の事情で小学校の途中で転校することになったものの、出久くんとはその後も手紙のやり取りが続いていた。
 入学式前には互いに雄英に合格したことは知っていたけれど、学科が違う関係で未だにきちんと話しが出来ていない。そのくせ転校以来交流のなかったかっちゃんとは夏に再会して以来幾度となく会っていた。決まって夜、私が個性を使っている時に。

 入寮して数日経った日の夜、ホームシックが原因で個性を使っている時にかっちゃんと再会した。
 驚いた顔をしたかっちゃんは、信じられないものを見るかのような顔で「まじか」と呟いたのだった。オールマイト人形に個性を使って自分を慰めている私を見て、今でもこんな子どもみたいなことをしているのかと思ったに違いない。半べそかいてオールマイト人形を抱きしめている女子高生にドンびいたのは明白だ。けれどもかっちゃんはおかしなことにオールマイト人形に個性を使っている私を気持ち悪いとは言わず、眉をぎゅっと寄せながら私のすぐ横に腰を下ろしたのだった。

『変わんねぇな』

 そう言ったかっちゃんの声は掠れていて、怒った風でもなく、むしろ今までにないくらい静かなものだった。
 あの日から個性を使うたびにかっちゃんと遭遇する。ホームシックが原因で個性を使うようになったために寮の自室で個性を使っても気持ちが整わず、今のストレス解消はこの場所でのこの方法のみとなっている。
 ホームシックになっている時だったり、コスチューム開発をしている時にとんでもない失敗に気付いた日であったり、友達と喧嘩してしまった日であったり、何かちょっと心がざわついた日に私は寮を出て個性を使ってきた。かっちゃんは夏も秋も冬も変わらず一人でやってきては私の横に座った。彼のトレーニングの時間と被っているのだろう。今日も、同じようにかっちゃんはやってきた。

「頼んでたやつ、出来たのかよ」
「ま、まだ」

 再会したその日にサポート科に在籍していると伝え、その次に会った時にかっちゃんからコスチューム改良の手伝いを頼まれた。私にそんな重要なことを頼んでくるとは思ってもいなかったため、驚いて涙が引っ込んだくらいだ。
 冬でも快適に活動するためのコスチュームを考えろと言われていたものの、未だに納得できる案が提案出来ていない。大きな改良はデザイン会社に依頼して諸々時間と手間がかかるものだけれど、かっちゃんから頼まれていたものはそこまでのものではなく、つまり、私のこれまでの知識と経験を最大限に生かさなくてはいけないのだ。
 秋の気配を感じる前に頼まれたのに、暦の上では冬である。寒くなる前に出来りゃいいと言われていたけれど、それにしても私の仕事は遅い。そもそもかっちゃんは気が短いのにこんな長く待ってくれているなんて絶対何かあるんじゃなのかと最近思い始めている。
 今日ここにいるのもかっちゃんのコスチューム関係で失敗が続いていたからで、かっちゃんの少し赤くなった鼻の頭を見て焦りが増す。

「やっぱり、発目ちゃんに頼んだ方がいいよ。発目ちゃんは熱心で、先生にも期待されてるのすごくわかる。A組の人が、それこそ出久くんだって発目ちゃんにお願いしたって聞いたから、だから」
「グチグチうるせぇな。俺がやれって言ってるんだからおまえがやればいいんだよ!!」

 あいつはいらねぇもん押し付けようとするし、何よりクソデクが頼んだヤツに言うかよクソが。
 低い声が唸るようだ。オールマイト人形の腕の部分をぎゅっと握って隣を窺えば、眉を寄せ、口を尖らせてこちらを見るかっちゃんと目が合う。
 もう寒くなってきているのに、ごめん。そう言うと、鼻で笑われた。

「永遠に考えてろバーカ」


   〇


「おい待て、爆豪から今女の子の匂いがしたぞ!?」

 外から帰ってきたかっちゃんが共同ルームを横切って自分の部屋に戻ろうとしたところ、上鳴くんが突然声を上げてかっちゃんの腕を掴む。お風呂から上がったばかりの僕の横を通ったかっちゃんは「おい」と上鳴くんへと顔を向け、腕を振り払った。こちらからはその表情は見えないけれど、ムッとした不機嫌そうな顔をしているのだろう。
 横を通り過ぎた際に香った匂いは、確かにかっちゃんとは無縁の香りだった。ほんの少し香る甘いそれがなんだか懐かしくて、つい考え込む。この香りを、僕はよく知っているはずだ。
 僕と同じくお風呂上りの切島くんが「柔軟剤の匂いとは違ぇの?」と笑えば、真剣な顔で上鳴くんが説明を始める。いかにも女子って感じの、と匂いを説明する上鳴くんの言葉を聞いて漸く気付く。

「……あっ、名前ちゃんの個性の香りか!!」

 記憶を辿れば懐かしい幼馴染の顔が頭に浮かんだ。ポンと手を叩いてかっちゃんのいる方へ向けば、ムッとしたかっちゃんの顔。上鳴くんと切島くんは「名前ちゃんって、誰!!」「個性の香り?」とこちらに顔を向けた。

「あれ、つまり、名前ちゃん何かあったの?」

 泣きながら個性を使う幼馴染の昔の姿を思い出し、かっちゃんに聞くも反応はない。じっとこちらを見るかっちゃんは舌打ちをし、何も言わずに部屋へ戻ってしまった。
 そうすると、上鳴くんと切島くんの注意が僕に向くのは至極当然なわけで。


「――実は、サポート科に幼馴染がいるんだ。かっちゃんとは違ってその子は小学校の途中で転校しちゃったから、雄英で再会して」
「それが名前ちゃん……」

 ごくりと上鳴くんの喉が鳴る。
 真剣な顔をして聞く切島くんとは反対に、上鳴くんは「その名前ちゃんが爆豪の彼女ってこと!?」と興奮気味だ。彼女とか、そんな話は聞いたことはないけれど、と上鳴くんに言うと「まぁ、いちいちそういう報告してる二人想像すんの気持ち悪いけど」と言われた。思わず苦笑いをしてしまった。

「さっきの匂いはね、名前ちゃんの個性のものだよ」

 名前ちゃんは自分よりも軽いものであれば思うように動かすことが出来る。そして、個性を使っている時の名前ちゃんからはとても良い匂いがするのだ。これは、ご両親の個性を受け継いだ結果で、どちらか片方だけを使うことは出来ないようだった。物を動かすことは出来ても浮かすことは出来ず、物体が重ければ重いほど個性を使うのは大変らしい。ヒーローに興味はあっても本人はヒーローになりたいと思ったことはなく、小さい頃からサポート科への進学を考えていたのは僕やかっちゃんが身近にいた影響だと本人は言っていた。
 昔は一分も個性使うことが出来なかったみたいだけど、今はどうなんだろう。そう思いながら簡単に名前ちゃんや僕たちの関係を説明すれば、今度は上鳴くんが眉を顰め、切島くんは意外だというような表情をした。

「爆豪の片思いか……」

 ぼそりと呟いた上鳴くんの言葉を聞いて「……えっ?」と彼を二度見してしまった。
 片思い? かっちゃんが?

「は? いや、そうだろ。今の話聞いたら……というか、きっと爆豪の初恋なんじゃねーの? えっ、そういう体でおまえ話してきてるんだと……」
「いやいやいやいや!! そんなつもりないよ!! むしろそれが本当ならこんな話しないし!! え、だって、僕たち幼馴染だよ!?」
「緑谷、まじか」

 幼馴染だから恋愛に発展しないとか無くね!? むしろ漫画なら王道パターンっしょ。
 そう言う上鳴くんの言葉が頭の中をぐるぐる回る。かっちゃんが、名前ちゃんを好き!?
 幼稚園の時のかっちゃんの言動を覚えている限り振り返りながら、次第に理解をする。顔が熱くて自分のことではないのに、恥ずかしくてたまらない。あの時理不尽だと思っていた数々のことが、繋がっていく。
 名前ちゃんと遊んでいると突っかかってくるのは、仲良くしているのを見るのが嫌だったのか。怪我をした名前ちゃんを必ず手当てさせに行くのは心配だったからか。名前ちゃんのことを邪険にするようで、自分以外がちょっかいをかけるとすごく怒ってたのも……!!
 フツー気付くだろ。そんな目で切島くんにも見られているけれど、小さい時からそうだった故にそれがかっちゃんの普通だと思っていたのだ。
 中学の時のかっちゃんは何度か女の子から告白されていた。けれども誰かと付き合ってるという噂は一度も聞いたことがなく、毎回断っているらしかった。それは、ずっと名前ちゃんが好きだったから……?

「緑谷、鈍いわけじゃねーのにそこ気付かなかったの?」
「かっちゃんのそれは、もうそれが普通だったから」

 かっちゃんの恋愛事情がバレてしまったことに申し訳なさを感じながら両手で自分の顔を覆う。思いもよらなかった事実に心臓がバクバクと煩い。

「爆豪もフツーの男子高校生だってことだよな」

 そう言った上鳴くんの言葉が追い打ちをかけるように胸に刺さった。


 そんな出来事があった一週間後、昼食を取ろうと食堂に向かえば偶然名前ちゃんと会った。
 夏の終わりに頼まれていたかっちゃんのコスチューム改良がうまくまとまりそうだと教えてくれた名前ちゃんの嬉しそうな顔を見て、その後ろから怖い顔をして大股でやってくるかっちゃんを見て、懐かしい気持ちになりながら顔が引き攣った。
 僕らのこの関係に変化が起こるには、まだ少し時間がかかるのかもしれない。

title by 魔女のおはなし
20191229
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