小説
※執筆時(2019年)の解釈により生まれた話です
※本丸襲撃、及び刀剣破壊描写を含みます






 最初に監査官として本丸にやってきた山姥切長義が、我が本丸の刀剣男士として仲間となった。有り難いことに『優』を頂けたのである。

「不可かな」

 しかし、本丸にやってきた彼は監査官の時よりもずっと厳しい刀剣男士として私の前に立ちはだかった。
 ただひたすら戦って敵の数を数えれば良かったあの時とは違うのだと彼の顔に書かれていて、あの監査以来、私は彼から『優』の判定を貰えていない。


「アナログな書類を提出させようとする政府も政府だと思うけれどね、君ももう少し見直すべきではないかな」
「はい」
「本当にそう思っているならもう少し可愛らしい顔をしてほしいかな。恐ろしい顔をしているよ」
「……長義って、私のこと嫌いでしょ」
「俺は君の刀だ。主を嫌うなんて、そんなことあるわけないじゃないか」

 にこりとすまし顔でさらりと言ってのける彼を見て「言うと思った」と項垂れる。悔しい。今日は一発で『良』を貰いたかった。
 さっきまで長義が目を通していた書類は、政府が定期的に行っているアンケートだった。私がこういった類の書類が苦手なことを知っている長義はいつも以上に厳しい目でチェックしたようだ。
 長義がこの本丸にやってくるまで適当に、それこそ雑誌のアンケートと同じような気持ちで記入し提出していたが、彼が「こういうのも審神者の審査の一つとして評価されるよ」と厳しい顔をして言いだしてから全く別物になってしまった。
 真偽がどうであれ、彼が政府からやってきた刀であるのは間違いない。それ以降、政府へ提出する書類は彼に確認してもらうようになり、仕事を手伝ってもらっている。

 政府へ提出する書類が毎日積もるほどあるわけではないが、申請書の類は必ず書類で提出することになっているし、本丸運営のための自分たちのための資料作りや記録も書類で行っている。
 その日、誰がどこへ出陣し、何をしたかをまとめた日誌は近侍が夜までに審神者へ届けることになっている。
 それに目を通しコメントを書くのは審神者になりたての頃こそ「学校の先生みたい」と笑っていた私だが、長義がやってきてからその関係が逆転した。近侍が提出するその日誌には、前日の私のコメントに誤字脱字チェックが入り、読みやすいようにと漢字で書くべきところが修正させられている有様だ。
 いろいろと厳しい世の中になり先生ですらこんなことしないのでは。そんなことを思いながら近侍を務める山姥切長義の『不可』を貰っては噛みつくのを繰り返している。
 ちなみに、友人のところにいる山姥切長義はそんなことをしないらしい。うちのとこだけか、と思いながらも彼に対して対抗心はあっても嫌いだとは思ったことはない。

『主を嫌うなんて、そんなことあるわけないじゃないか』

 彼が先ほど言った言葉は本心だろうし、刀剣男士は人から生み出された故に人間を嫌うことは滅多にないと耳にしたことがある。付喪神となった彼らは、刀を生み出し、大切に扱ってくれた人間を随分と愛してくれているらしい。
 刀が人を愛してくれるのは人から生まれたから――ならば、刀を生み出す人もまた、刀を嫌うことはないのかもしれない。
 人間に付き合わされ、こんな私を主として共に戦ってくれる彼らを嫌いにはなれない。
 厳しい言葉を言われようとも、彼を、山姥切長義を嫌う未来などありえない。


 彼から返された書類を見返していると鉛筆で文章が直されているのに気付く。
 ここが伝わりにくい。言い回しがおかしい。漢字の間違いがある。
 そんな綺麗な文字で書かれた指摘を読んでいると長義が「その程度なら今日中に提出できるね」と笑った。

   〇

 山姥切長義は美しい。彼は美しく、気高い刀剣男士である。そして――


「とりあえず、今回はいけるとこまでいこう」
「今回は、ではなく今回も、だろう」

 そう口を挟んだのは歌仙兼定だった。呆れた、とでも思っているようだ。わかりやすいほど顔によく出るなと思っていたら燭台切光忠に「本当に君たちは似てるね」と苦笑いをされる。

「初めて出陣する時代は警戒してしかるべきだけど、だからといって慎重なのは戦を長引かせるだけで得策とはいえない、というのが私の考えだし」
「ああ、十分すぎるほどに理解しているよ。もう何度も聞いてるからね」
「……まぁ、歌仙くんもどちらかといえばガンガン攻める戦術取る方だしさ」
「ぐっ……」

 唇を噛んで前髪に触れる歌仙を見て目を細めたにっかり青江は「まぁ、うちの本丸はみんなそれが好きだしねぇ……戦法の話だよ?」と相変わらず楽しそうである。

「まぁ、それでうまくいってんなら、うちには合ってるんじゃないか……にゃー」

 出陣部隊の見送りを一緒にしてくれるという南泉一文字の言葉に「だよね〜」と相槌を打つと、南泉は呆れたような顔をしながらも笑った。

「お待たせいたしました」
「待たせたな、大将」

 太郎太刀と薬研藤四郎がやってきたところで腕時計を確認すれば出陣を予定していた時刻になっていることに気付く。

「じゃあ、今回も気を付けて行ってらっしゃい」

 美味しい夕ご飯を作って待ってるよと部隊の面々に手を振れば、ただ一振り、目を閉じて静かに出陣を待っていた長義が顔を上げてこちらに声を掛けてきた。少し細めた青い瞳がきらりと光る。

「主、今日は君の隣で夕食を頂きたい」

 いつもとは違う言葉を掛けてきた長義に、私は驚いてただただ頷きながら火打石を打ちつける。
 今までにない発言に槍でも降るんじゃないかと縁起でもないことを思ってしまったが、嬉しいことなので夕飯はいつも以上に豪華にしようと決め、改めて手を挙げた。
 桜の花びらが視界を桜色に染める。花びらがさらさらと音を立てて風に乗って天を舞い、あっという間に彼らはいってしまった。



「まだ政府に提出する書類が残ってるんじゃないのか」

 手合わせの見学は出来るだろうかと道場に入れば、訝し気にこちらを見る山姥切国広に声を掛けられた。「書類はもう提出済み」と胸を張れば「そうか」と頷いて彼は首に掛けていたタオルで額の汗を拭う。
 山伏国広との手合わせはどうしたのかと聞けばこちらをチラリと見て「休憩中だ」と言い、付け足すように「兄弟は一度汗を流すと風呂に行った」と翡翠色の瞳を細めて微かに笑った。

「残念だな、国広兄弟が手合わせしてるの見たかったんだ」
「そんなのいつでも見られるだろ」

 おかしそうに笑うその顔を見て山姥切長義を思い浮かべる。
 似ているようで似てない。けれども決して似ていないわけではない二振りに私はそれぞれにとっての最善なことが出来ている気がしないでいた。

 山姥切の二振りに限定せずとも、私は本丸にやってきた刀剣男士には幸せになってほしいと思っている。
 時には衝突することもあるだろうが、それでも一つ屋根の下で寝食を共にし、戦っていくことで彼らなりに納得した未来を生きてほしいと思うのだ。それはやはり、体を得た今だからこそ出来る幸せというものを体験してほしいからだ。
 この本丸での出来事が彼らにとって少しでも良いものになったらいいと、そう考えるのは我儘かもしれないけれど、願わずにいられなかった。
 山姥切国広を「偽物くん」と呼ぶ山姥切長義に何も思わないわけではない。だが、長義の気持ちもわからないわけではない。審神者の出る幕でないことは十分承知しているが、ただ一度の出陣以降まともな会話をすることのない二振りを見ると何かしなければならないのではと考えてしまうことがある。

「山姥切、山伏が戻ってきたら今日はご馳走だと伝えてね」
「あぁ、わかった」

 初期刀ではないものの、本丸にいる刀の中で古株にあたる山姥切国広を山姥切と呼び、監査官としてやってきた山姥切長義を長義と呼んでいることに後ろめたさがあるのかもしれないと、最近気付く。

 長義は、私が山姥切国広を山姥切と呼ぶことに文句を言うことはない。
 私が山姥切長義を長義と呼んでも、何も言わない。初めて彼の名を呼んだ時に口を噤む瞬間があったが、嫌な顔をすることはなかった。
 あの刀は、ただその事柄だけは、何も言ってくれないのだ。


   〇


「なんなんだ、これは……!!」

 長義が出陣から帰城すると、そこには荒れ果てた本丸の姿があった。
 ばさりと長義が持っていた花の束が落ちる。青いリボンで纏められたその花束は、ムスカリと呼ばれる青い花をメインにしたブーケで、長義が夕飯前に自分の主である名前に渡そうと思っていたものだった。

 長義が目にしたのは、襲撃された本丸の姿だった。
 鉄屑があちこちに散らばり、畑は踏みつぶされている。辺りに血が飛び散っていることに気付き、急いで名前の姿を探した。

 長義が向かうところには必ず、よく見知った物が落ちていた。それを目にする度、長義は言葉にすることも出来ない感情が腹の奥から湧き上がってくるようだった。視界を閉じ、歯を喰いしばる。心臓が忙しく動く。

 汚れた畳の上にも、刀傷がついた廊下にも、銀色の鉄屑が散らばっている。

「……くそっ」

 長義が本丸にやってきてただの一度もこんな静かな本丸はなかった。夜でさえ、虫の音や風の音が聞こえた。
 夜、仕事をしている名前の手伝いをしようと部屋に向かう途中、賑やかに刀たちが酒盛りをしている部屋の前を通ったことがある。仕事が終わった長義が自室へ戻る途中、障子戸の奥から聞こえる寝息に気付いて足音に気を付けたこともある。
 絶えず、本丸には音があった。だが今は驚くほど何も聞こえない。

「くそっくそっくそっ」

 障子が破れ、見知った戦装束が散らばり血に染まっている。
 忘れたくとも忘れられない刀が一振り、畳に刺さっている。
 切っ先は畳に刺さっているが、真っ二つに折れたそれはすぐ傍らに無残に転がっていた。

 進んだ別の部屋の壁には血の手形がある。大きさと高さからいって短刀のものだろう。その傍にも、小さな刀が転がっている。刃こぼれが激しく見るだけで胸が痛くなり、長義の呼吸はどんどん浅くなっていく。
 審神者が普段いる部屋に近づくにつれ争った形跡は激しく、部屋の破壊が大きかった。切れた数珠玉が散らばっていたり、籠手が落ちていたり、見るも無残な本丸の奥へ向かえば、長義が探していた女が汚い刀に腹を刺され、倒れていた。

「……」

 鈍い色をした女の瞳は、長義の美しく青い瞳を見ることはなかった。
 長義が顔を上げて気付く。その場所は、監査官として本丸にやってきた時、長義が審神者と初めて対面した部屋だった。




『聚楽第、監査がどんな感じなのかわからないけど、いけるとこまでいこう』

 監査官として本丸に赴き監査の説明をした後、開口一番近侍の歌仙兼定に言った審神者の第一声を長義はよく覚えている。迷いのない声だと思った。真っ直ぐな瞳で歌仙を見る瞳が綺麗だと思った。そして、やはり噂の通りだと長義は思った。
 任務の遂行方法を説明していない段階なので賽を振って出た目の数しか進めないことを知らない審神者に長義は少しだけ申し訳なさを感じた。

 主である名前は、無茶な戦いはさせないし馬鹿でもない。ただ、力尽くな戦い方が多いように感じたのは聚楽第の時の監査の時からだった。『優』を与えるだけの力のある本丸だが、だからといって文句のない本丸というわけではなかった。


「お前、もう少し言い方とか態度とか、どうにか出来ないのか……にぁ」

 ある晴れた日、長義は今日も名前と共に書類仕事をこなしていた。
 名前が実家から電話があったからと部屋を出たところ、三つのグラスを盆に乗せて持ってきた南泉が立ったまま長義を見下ろして言う。苦虫を噛み潰したような顔をして理解出来ないとでも言いたげだ。

「ああ猫殺しくん、審神者に対する態度のことを言っているのかな? でも、特別酷い扱いをしているとは思っていないけど」
「主に嫌われるのは本心じゃないだろ」
「……それは確かに本心ではないけれど、けれども別に構わないよ。あの子の評価が良くなるなら、俺への好意なんて惜しくない。いつも言ってるだろう? 持てる者こそ与えなければ、と」

 政府から監査官として赴く本丸を伝えられた時、その本丸について調べるのは当然のことだと長義は思った。そうして調べあげたことでわかったことは、戦は出来るがそれだけの本丸という評価だった。
 お眼鏡に叶う審神者であったならば喜んで支援するのに。もっと品があれば優れた審神者になれただろうにと嘲る政府関係者もいた。
 長義はそれを聞いた時、人間に一度失望した。
 自分がこれから向かう本丸の言われようにがっかりした。脳筋審神者と笑われているのだと知り、こめかみの辺りがぴくりと動いたことを今でも覚えている。
 まだ会ったことのない審神者のことを考えると複雑な感情を抱いた。戦は出来るようだから将来自分が仕える可能性は十分に高いということも十分理解していた。
 耳に残る政府関係者の耳障りな声を忘れるため長義は再び資料を集めることに集中し、本丸を訪れる日を待った。

 そうして監査官として本丸に赴いた長義は政府から与えられた仕事をこなし、規則通り『優』を与え、山姥切長義として本丸の仲間として迎えられた。
 勢いと強さで殴りにいくような戦闘をする本丸であったが、決して馬鹿な審神者が指揮している馬鹿な本丸ではないと気付いた時、裏で言われている汚名を返上させてやりたいと長義は思うようになった。

 決してあの子は馬鹿ではない。
 長義は真面目に書類を読んでいる時の審神者の横顔が一等美しいことを知っている。
 あの子はただ知らなかっただけだ。
 長義がやってきたことで審神者が少しずつ変わろうと努力しているのを知っている。

 高校を卒業してすぐに審神者となり刀に囲まれる生活を送っていた審神者は、確かに政府が求めるような人間ではなかった。あそこの審神者は学生気分が抜けてないと笑われていたこともある。
 戦をさせているのは政府のはずなのに、戦は出来る審神者を馬鹿だと笑っていたことに長義が苛立ちを覚える程度には、長義は自分の本丸の審神者を好意的に見るようになっていた。

 長義は自分が仕えている名字名前という主をいつの間にか好きになっていたことに気付いたのは、血を噴き出して倒れている己の主の顔を見た時だった。


   〇


「すまない。寄りたいところがあるんだが、ここから別行動でも良いだろうか」

 新たに出陣した時代の時間遡行軍を倒し、審神者がよく足を運ぶ万屋へ立ち寄ったところでそんなことを言い出したのはここ数ヶ月近侍を務めあげている山姥切長義であった。

「手当はしたが、帰って大将に手入れしてもらった方がいいんじゃないか?」

 出陣先で使い切ってしまった道具を補充したかった薬研が提案したため寄り道をすることになったが、晒された太ももに巻かれた包帯に血が滲んでいるのも気にしない様子で買い物を続ける君が言うのかと思いつつも燭台切はやり取りを見守った。

「確かにそれに越したことはないんだが、実は少し先にある店に寄る用事があってね。駄目かな?」

 薬研が傍にいた歌仙兼定をチラリと見やり「まぁ、歌仙がいいならいいんじゃないか」と言う。歌仙は僕に投げないでほしいな、という顔をさせながらも「まぁ、そういうことなら構わない」と言った。その言葉に長義は随分と表情を明るくさせ「有り難う。恩に着る」と丁寧なお辞儀をして見せる。
 近侍である長義は第一部隊の隊長でもあるため本来であれば別行動は推奨されるべきことではない。だが、既に帰城途中であったことから他の面々も特に何も言わなかった。

「ああいったことを言ってくるとは思わなかったな。仕事に関しては真面目すぎるきらいがあるだろう」

 歌仙は一振りでその場を去っていく長義の背中をぼんやりと見ながらそう呟いた。



 万屋から少し離れ、人気のない裏道にあった小さな花屋に到着した長義は、一呼吸置いてから店に足を踏み入れ「すまない」と店員に声を掛ける。

「ああ、山姥切長義さん」

 感じの良い店員は長義を目にしてすぐに表情を綻ばせる。

「実は、審神者に花を贈りたいんだが……」

 長義の言葉に店員はゆっくりと頷く。細められた瞳に長義は照れくさくなりながら名前へ花を贈ろうと決めた経緯を大雑把に伝えた。すると店員は、自分が教えるから長義自らブーケを作ってみるのはどうかと勧めた。その方がきっと喜ばれるという言葉に思わず二つ返事をしてしまうほどに、長義は名前に喜んでほしいと思う気持ちが強かった。
 後から考えれば、長義の話には随分と必要のない情報が多かったが、花屋に入ったのも名前への贈り物も初めてだった。長義は長義が思っている以上に緊張していたのだ。


 どうぞと笑う店員に頷き奥へと足を進める。こういうことが時たまあるのか、既に準備が整えられているようで、部屋の隅に置かれた机には新聞紙が敷かれ、鋏が既に置かれていた。

「審神者さんにお祝いなんですよね。早速始めましょうか」
「ああ、宜しく頼む」

 そうして戦闘で少し汚れた外套を取り、ジャケットを脱いで店員から渡された黒いエプロンを付ける。机の傍らにあった背もたれのない椅子に座れば店員は楽しそうに軽くお辞儀をして説明を始めた。

 花の香りに包まれた長義の心臓はいつもよりも少し速く動いていた。色とりどりの花に囲まれた長義が一つのバケツに入れられた青い花を見て思わず審神者の顔を思い浮かべる。あれを入れたら、どうだろう。長義は店員の話を聞きながらも意識は既に審神者と、審神者に贈る花へと向かっていた。

『君のところの審神者は随分と頑張っているそうじゃないか。いやぁ私は前から彼女には期待をしていてねぇ』

 先日、審神者と共に万屋へ買い物に出たところ、長義はとある政府関係者から声を掛けられた。
 話によると多くの審神者が利用するこの街に視察に来たのだと言う。挨拶もほどほどに買い物を続ける審神者のもとへ向かいたい長義のことなど全く気付かない男は、わざとらしく声色を変えて先の言葉を言った。その言葉を聞き、長義は一瞬眉を顰めるも口元に微笑を浮かべ礼を言う。なんと返したのか、長義は覚えていない。
 政府の評価に変化があったのだと察するも、男の言葉に長義は素直に喜べなかった。わかっているような口ぶりで己の主を褒めるのが許せなかった。散々馬鹿にしていたのを知っているぞと言えば、この男はどんな顔をするのだろう。そう思いながらも長義は表情を変えずに対応を続ける。俺があの子の評価を下げてはいけない。その一心だった。

 政府関係者の手のひらを反すような言葉に苛立ちはしたものの、審神者の評価が高くなるのは喜ばしいことだと長義は思った。そのため長義は普段厳しく当たってしまっている名前にせめてもの償いとして、そして名前の努力の成果に誉として花を贈ろうと考えた。
 普段利用する万屋からそう遠くないその花屋は知識と経験のある店員が客の要望に応えた確かな接客をしてくれるらしい。
 そういうところなら良いだろう。そう考えた長義は思い立ったが吉日とばかりに寄り道を決めた。今日の少し変わった長義の言動は、これによるものだった。



『ムスカリという花には失望という花言葉があるんですが、それと同時に明るい未来、なんてものもあるんですよ。山姥切さんが選んだお花は、今の貴方に合っているような気がします』

 悲しい花言葉はありますが、きっとあなたなら大丈夫ですよ。
 ブーケを作り、店を出る時にそう言った店員の言葉が頭を過る。
 慣れない作業ながらなんとか作り上げたブーケは本丸に帰ってきた時、地面に落としたまま置いてきてしまった。見せる相手も贈る相手も既にいないのだからいいかと思いながら女の傍に膝をつく。
 長義は女の開いたままの瞳を優しく閉じてやり、乱れた服は直し、口元の血をハンカチで拭い、汚れを優しく払ってやった。髪を撫で、頬を撫で、長義は最後に女の唇に触れる。初めて触れた女の唇は固く、長義は己の唇を噛みしめながら零れる声を殺すように自分の腕を口元に持っていく。

「名前」

 終ぞ、本人に発することはなかった女の名を口にする。

「痛かったね」

 汚らわしい刀を抜いて外へ放り投げれば刀が庭の石にぶつかり折れる音がした。
 パキリ。その音は山姥切長義の心が折れる音のようだった。

 監査官として本丸に初めてやってきた日を思い出す。
 山姥切長義として本丸にやってきた日を思い出す。

 本丸にただ一振り。
 主のいない俺は、次は何になるのだろう。

20190604
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