小説
風が吹くと、葉がひらりと落ちる。
最近はあちこちに落ち葉を見つけ、学校の敷地内では色が変わった葉が集められているのをよく見つける。
夜の月は美しい。窓を開けたまま眺めていると少し肌寒さを感じることもある。どうやら順当に季節は移りかわっているようだ。
公園の花壇には桃色のコスモスが咲いており、あらゆる所で金木犀の匂いに気付く季節となった。ケーキ屋では期間限定のカボチャのケーキが売られているし、ハロウィンの装飾もあらゆるところで見つけた。
もう秋か、と思うと急に期間限定のお菓子が食べたくなってきた。家に帰ったら夕飯だが、まだ時間がある。コンビニにでも寄っていこうかな。なんならコンビニの近くにある本屋に立ち寄ってもいいんじゃないか。そんなことを思案しながら遠回りをしようとした矢先、偶然、久しく会っていない人物に出会った。
「天哉くん!」
「……!! 名前さん!!」
驚いたような顔をした天哉くんは勢いよく手を挙げ、大きな声で私の名を呼んだ。
駆け寄ってきてくれた彼はもう一度、確かめるように「名前さん」と私の名を口にする。はっきりとした元気な声である。
天哉くんは変わらず声が大きくて動きが独特だ。
懐かしさに安心してついつい笑ってしまった。
彼が雄英に入学してから少し経ったが、学校が違うとこうも会わないのかと驚くほど顔を合わせることが減っていた。
家がご近所だった私たちは、幼い頃はよく一緒に遊んでいた。
彼より年上だった私は、あの頃は彼を弟のように思っていた。小さい彼が「名前ちゃん」と言って後を追いかけてくるのが嬉しかったし、とても可愛かったのだ。
十歳を過ぎた頃に彼は私の背を越していて、それまで以上に勉学に励むようになった。外で遊ぶ機会は減ったけれど、一緒に図書館に通ったり、誕生日やクリスマスにプレゼントを交換するような交流は変わらずに続いていた。
その頃くらいだろうか。「名前ちゃん」ではなく「名前さん」と呼ばれるようになったのは。
「名前さん、お久しぶりです」
「本当に久しぶりだね。天哉くんは元気だった? 背、前より伸びたね」
「はい!! 元気です。名前さんはお変わりありませんか?」
「うん。平気だよ」
そう言えば、少し表情を綻ばせた彼は「良かった」と呟いた。
一度言葉を交わせば会っていなかった時間などなかったかのようにぽんぽんと会話が進む。
話を聞いていると、どうやら彼は勉強道具を買いに行った帰りのようだ。
「そういえば、この間沢山の花が綺麗に咲いていたのを見つけたんです。ここからそう遠くないのですが……」
「そうなの? じゃあ一緒に行こうか」
コンビニはいつでも行けるし、と付け足せば、彼は「大丈夫です、帰り道にコンビニありますし」と勢いよく手を動かした。
まだ辺りは暗くはないし、ちょっと家に帰るのが遅れたくらいで心配されるような年齢でもない。お腹は空いているけれど、彼と久しぶりに会ったのだから会えなかった間の話がしたかった。
彼の隣を歩いていると、昔、よく二人で町を探検したことを思い出した。
それはとても楽しくて、いつだって二人きりの秘密だった。
春にはいろんな花が咲いているところに行って、夏には木陰が涼しいところで休んで、秋には公園で落ち葉をかき集め、木の実を見つけた。銀杏の強烈な匂いに鼻をつまんで公園を通りすぎたのだって、彼との思い出である。冬は私の母が編んだお揃いのマフラーをして、町中をパトロールする天哉くんの家族の様子をこっそりと見て、天哉くんの将来を一緒に想像した。
迷子になったんじゃないかと不安気に天哉くんが言えば、私がお姉さんぶって手を引いた。
路地裏を探検している時、家の玄関先に繋がれていた犬が突然吠えたことがあった。天哉くんが「僕は男の子だから、名前ちゃんを守ってあげる」と、驚いて立ちすくんだ私を背に、守るようにして道を通り過ぎたことだって簡単に思い出すことが出来る。
あの時の彼は、私よりも背が低かった。
今、あの時のように彼の背に回れば私の体は彼の大きな体に隠れてしまうだろう。どんなにお姉さんぶったって、逞しくて頼りになるのは雄英で学んでいる彼の方だ。
それを思うと、月日の流れを感じた。雄英の入学式の日に私の家まで来てくれて、一緒に写真を撮った時からまだ一年も経っていないのに、随分と昔のことのように思えてくる。
「名前さん、前に沢山咲いているミニバラを見に行ったことを覚えていますか?」
綺麗に切りそろえられた髪と、しっかりとアイロンがかかっているワイシャツを着た彼を見て、昔と変わらないなと思った。でも、変わらないはずなのに、あの頃とは随分と違うようにも見える。そこでようやく幼い頃は可愛らしい男の子の象徴であったはずのそれが、大人のものへと変わりつつあるのだと気付いた。
「うん。覚えてるよ。すごく綺麗だったよね。天哉くんが見つけて案内してくれたんだよね」
「はい。あの時は、見つけた瞬間名前ちゃんに見せなきゃって思いました。綺麗なものを見たら、可愛いものを見たら、僕は絶対名前さんに一番に見せたかった」
顔を見上げて、彼を見る。
嬉しそうに笑う彼は、一度眼鏡に触れてから「今も、です」と付け加えた。
「雄英に通ったらあっという間に秋になっていました。充実した日々を送っていますが、名前さんとこうして話しをする機会が減るのは寂しいです」
「雄英はやっぱり忙しいんだね。私の周りで雄英いった子いなかったからさ、ここまで会えないとは思わなかった」
「学ぶことが多いです。友人にも恵まれました」
「おお」
明るく楽しそうな顔がそこにあった。中学の頃よりもずっと、表情が柔らかい。
天哉くんは小さい頃から天晴くんに似てはいたが、高校生になった今、笑うとより一層天晴くんの優しくて安心する表情に重なって見えた。
昔の彼は、もう少し機械的だった。
真面目で、ルールに則ったことを重視していた彼を苦手としていた子も中にはいたという。でも、高校に入って成長した彼は、前よりも少し柔軟に物事を考えることができるようになったのかもしれない。
前の彼が悪いかったわけではない。
頑固だということは、ちゃんと“自分”を持っているということだ。自分の意思で物事を考え、行動出来る彼を私は偉いと思っていた。
でも、きっと今の彼の方がずっとずっと、素敵だ。
「名前さん、ここです」
「わぁ!!」
ホテルマンのようにゆっくりと腕を広げ、流れる動作で私を導く。
花が咲き乱れているそこは、洋館の庭であった。
花の匂いでいっぱいのそこには、ミニバラやシオン、ナデシコやニチニチソウ、リンドウやハギなど、あらゆる花が咲き誇っていた。
様々な種類の花が咲いているが、雑多な感じはしない。それぞれがそれぞれを引き立てるような絶妙な具合で植わっている。洋館の庭というのもあって、まるでお伽話の世界に迷い込んだかのようだ。
庭の柵に触れる。庭に近付けば、また一層花の香りが強くなった。
天哉くんと何度もこの町を探検をしてきたが、この辺りには来たことがなかったのだなとぼんやりと思う。小学生の行動範囲には入っていなかったのだ。
洋館の窓際にカボチャがいくつも置いてあるのが見える。もうすぐハロウィンだからだろう。カボチャのそばには魔女やおばけの可愛らしい人形が置かれていた。
そこでようやく、民家をじろじろと見ては失礼じゃないか、ということに気付く。
あまりにも美しい光景に気付けなかった自分に恥ずかしくなる。どうしよう、と思って隣にいたはずの天哉くんに声を掛けようとしたが、知らない間に天哉くんはどこかへ行ってしまったようだ。
「て、天哉くん……?」
「名前さん、お待たせしました……!!」
と、すぐに天哉くんが駆けてきた。嬉しそうに表情を綻ばせた彼は「挨拶、してきたので」と言って小さく頷く。
洋館の玄関の扉が開くと老婦人がゆっくりと現れ、にこりと笑って頭を下げた。
洋館にただ一人で暮らしているその女性は、植物に関する個性を持っているらしい。咲き誇った花を大切に育てている女性は、以前町で困っていたところを天哉くんに助けられたそうだ。
重い荷物を家まで運んでもらったのだと優しく笑ったその女性に、天哉くんは「当然のことですから」と言う。天哉くんはその時この庭を知り、また庭を見に来たいと言ったのだという。
「初めてこの景色を見た時に、名前さんにも見てほしいと思いました。昔、沢山の花を見た時の名前さん、すごく嬉しそうだったから……」
眼鏡の奥の瞳が、またすっと細められる。頬が少し赤らんで照れくさそうな表情をした天哉くんに私は何度も「有り難う」とお礼を言った。
どうぞ、庭の中に入ってください。
そう言って家に戻った女性にお礼を言って頭を下げ、ゆっくりと庭に足を踏み入れる。花が風に揺れ、葉が揺れかさこそと音がする。
花の香りに「すごいね」と同意を求めるように隣を歩く天哉くんの腕に触れてしまったが、彼は何でもないように嬉しそうに何度も頷いた。ああそういえば、昔も同じようなことを何度となくしていたのだと思い出す。
「雄英に通っていろんなことがありました。そして今、名前さんと二人で花の中にいると、いつか考えた将来の夢が昔よりもずっと近付いているような気がします。あの時以上に、何があっても名前さんを守ることが出来る自信があります」
「うん」
「会う機会は減りましたが、将来、僕が理想としているヒーローになれた時、その時はまた名前さんと一緒にいたい。あなたのもとに、いたいと……」
花の香りに包まれ、沢山の花に囲まれて、あの時と同じように二人きりの秘密を語るように天哉くんは私にそう言った。
春も、夏も秋も、そして冬も、ずっと私たちは一緒だった。少し会わないだけで随分と大人になった彼に驚いたが、ちょっと会わないだけで疎遠になるような、何を話したらいいかわからなくなるような関係ではない。
顔を天哉くんの方へ向ける。
汚れ一つない綺麗な眼鏡のレンズの奥から優しい瞳がこちらを見ていた。
「うん。私も、そう思うよ」
目の前にいる男の子を好きだと意識しだしたのはいつだっただろう。覚えていないくらい昔から、彼のことを好きだったような気がした。
title by サンタナインの街角で
20171007