小説
「――そら、目を閉じろ」



 深夜、不意に目が覚めてしまった。
 窓の外はまだ暗く、当分日が昇る様子はない。虫の鳴き声が聞こえ、時々風によって葉がかさかさと音を立てている。
 ゆっくりと寝返りをうって頭を少し動かすと、障子戸が見える。一ヶ所だけ黄色の和紙を貼り付けてあるが、これは初めて本丸にやってきた時に戸を開けようとして指を突っ込んでしまったがために出来たものだ。
 本丸を訪れて早々のことにこんのすけは呆れていたが、すぐに和紙を何枚か持ってきてくれた。貼り付けろという意味だと察し、初期刀の髪色に似ていた黄色の和紙を切り、張り付けた。

 少し色褪せたその障子戸を布団の中からじっと見ていると、山姥切が重傷を負って帰城したあの日のことを思い出した。

『あんたの期待に沿えなくて悪かったな』

 あの時の山姥切の顔が、声が、頭から離れない。
 胸が苦しくてきりきりと痛む。思わず胸に手を当て「山姥切」と、彼の名を呟く。苦しさは変わらず、むしろより胸を締め付けた。

   ○

 乱が遠征に出て本丸にいない日の夜、やっと政府に書類を提出することが出来た私は次の日が休みなのを良いことに久しぶりに夜更かしをすることにした。
 早く寝たい、という気持ちも勿論あったが、ふと普段しないことをしたくなったのだ。

 夜更かしは良くないんだよー。
 仕事が終わらず泣きそうになっている時に手伝いにやってきた加州に言われた言葉をふと思い出した。けど、たまには良いだろう。
 皆が寝静まり、虫の鳴き声だけが聞こえる本丸。なるべく音をさせないように廊下を歩く。
 居間まで辿り着いたところで一つ息を吐くと、なんだか悪い事をしているような気になってきた。いや、加州からしたら良くないことなのだろう。

 部屋の明かりはつけずにテレビの電源ボタンを押す。何か面白い番組でもやっていないだろうか。そんなことを思いながらチャンネルを回す。どうやら映画が放送されているようだ。

 最近は乱や山姥切と一緒に映画を見ていたから、一人こうして見るのは久しぶりだ。
 審神者になる前、家で映画を見る時は一人が当たり前だったのに、と思うと胸の辺りがくすぐったいような気持ちになる。

 時間を確認すると、映画が開始してからまだ少ししか経っていないようである。
 あらすじを簡単に確認すると、ファンタジー作品であることがわかった。異世界へ迷い込んでしまった主人公がその世界で暮らす青年と出会い、恋に落ちる話のようだ。

 座布団に座り、机を肘掛け代わりにして楽な姿勢で視聴する。
 欠伸をかみ殺しながら見ていくと、思っていた以上に心惹かれる作品であることに気付く。何でこんな時間にやっているのだろう。もう少し早ければ乱と見れたのに。

 主人公がくじけてしまう場面で同じように胸を痛めたり、青年の言葉に一喜一憂する主人公を可愛らしく思うようになった頃、時間もあってか次第に眠気が蘇ってきた。
 ここにきて眠くならなくても、と思うが気持ちに反して瞼はどんどんと重くなっていく。

『――大丈夫、最後はちゃんとハッピーエンドだ』

 泣きそうになっている主人公を慰める青年の低くて優しい声が聞こえた。
 うん。そうだよ、最後はハッピーエンドじゃなきゃ。



「おい」

 肩を揺らされる。
 心地良い低音は、よく知ったものだ。

「起きろ。……ここで寝るな、名前」

 名前を呼ばれ、思わず跳ね起きる。顔を上げるとそこには山姥切がいた。

「……山姥切」
「なんでここで寝てるんだ、あんた」

 眉を寄せ、少々苛立ったような顔で私を見るのは確かに山姥切である。数日前に出陣して、重傷を負った山姥切だ。

「……大丈夫?」
「……朝も言っただろう、それ、何度目だ。それに、あんたがあの日のうちにすっかり手入れしただろう」
「ああ、うん。ごめん」
「あんた、あの日からずっと変だ」
「……そうかな、普通だよ」
「またそうやって――」

『んっ……』

「えっ?」

 突然の甘ったるい声に驚いて思わず肩がびくりと震える。
 耳慣れない音の出所は、つけっぱなしにしておいたテレビであった。
 画面にはキスをしている主人公と青年が映し出されていた。衣擦れの音と共に吐息の混じった甘い声は、この本丸内では異質なものである。キスは次第に深くなっていき、画面は薄暗いが明らかに演者の服は乱れていっている。

 今まで二振りと共にいくつもの映画を見てきたが、キスシーンはあれどここまでのラブシーンを見ることはなかった。
 深夜、薄暗い部屋で山姥切とこんなシーンを見てしまう気まずさといったらない。
 起きて見ていれば物語において欠かすことの出来ない幸せなシーンだと思えるのかもしれないが、少し前まで寝ていた私にはどうしてこんな展開になったのかがわからないし、山姥切もまさか主を起こしていたらこんな甘ったるい声を聞くことになるとは思ってもいなかっただろう。

 思わずリモコンを取って電源を消す。辺りはすぐに真っ暗になった。

「……ごめん」
「それは、何に対してだ」

 戸惑いと、苛立ちを含んだ山姥切の声に思わずもう一度謝る。

「――俺だから、謝るのか。乱にだったら、あんたはなんて言うんだろうな。……名前は、いつも謝ってばかりだ」

 暗闇の中、腕を掴まれる。
 突然のことに驚いて声も出せずにいると、掴まれていた腕を引かれた。

「それに、ここ数日はまた不安そうな顔をして俺を見るだろう。俺は人間のあんたと違う。折れさえしなけりゃいくらだって傷は治る。今までだってそうだろう。なのに、乱は遠征に行けて俺が出来ないのは何故だ? あの時ただ一振り、俺だけが重傷だったからか、それとも俺が写しだからか。あんたは前に言っただろう。『写しも何も、私は知らない』と。だからこの二年間、共にやってきたのだろう。ここの本丸にいる刀と、刀剣について学んできたのだろう。なのに、俺はそんなに……頼りないか?」
「や、山姥切」

 突然どうしたのだろう。山姥切は勢いのままにぐいと体を寄せて一息でそんなことを言ってきた。
 驚いた。そんなつもりはないのだと言おうとする前に、再び山姥切は口を開ける。

「俺は、あんたの呪いを解いてやりたいんだ……!!」
「……えっ?」

 泣きそうな声でそう言った山姥切は、私の腕を引いて私を抱きしめた。そこでようやく、微かにする酒の匂いに気付く。

 山姥切は、酔っているのだろうか。
 彼の胸の辺りに手をやり、ぐっと押すと不満そうに「何だ」と文句を言われたが、それも構うことなく彼の端正な顔へ鼻を近付けてみる。
 暗闇の中、次第にその暗さに慣れ、彼の表情がうっすらとわかるようになった所で山姥切が頭に布を被っていないことに気付く。それにやはり、微かに酒の匂いがする。
 そこまで匂いが強いわけではない。誰かに付き合わされて軽く飲んだのかもしれない。

「お酒の匂いがする」
「飲んだからな」

 まだ審神者になったばかりの頃、彼は私に目を合わせてくれなかった。勿論、こんな近くで話すこともなかった。
 滅多に目を合わせてくれない彼に、あの頃はまだ信頼されていないのだと思った。

「山姥切、酔ってる?」
「酔ってない」
「本当?」
「ああ、少ししか飲んでいないからな」
「そっか」

 ああそうだ。
 そう言って山姥切は微かに片方の口角を上げた。
 暗闇の中で光る彼の瞳は微かな熱を持ってこちらを見ている。首を少し傾けた彼の表情はいつもより優しく見えた。

「……山姥切は、私の呪いを解こうとしてるの?」
「ああ」

 有り難う、と礼を言えば、名前だからだ、と低い声が返ってきた。
 
「もっと、こっちに来てくれ」

 言うよりも早く、再び彼の手は私の体に触れる。
 山姥切の右手があやすように繰り返し私の頭を撫でた。それにより、自然と彼の首元に顔を埋める結果となった。一瞬、山姥切の首に唇が触れてしまったが、彼は何も言わない。

「私の呪いって?」
「……なんだ、あんたは自分で気付いていなかったのか。……名前は自分で自分に呪いを掛けてるんだ。自分は駄目だと、未熟でどうしょもない審神者だと。失敗の度に乱によく言っていただろう。あれのことだ。あんたは言葉の持つ力をもう少し知った方がいい」

 落ち着けるように繰り返し撫でられていた手が止まり、ゆっくりと背中へと移動する。背骨をなぞるようなその動きに思わず彼のシャツをぎゅっと握る。

「初めて映画を見た時呪いの解き方がわかりやすく描かれていた。あの日からずっと、あんたの呪いを解いてやろうと思った」
「……」
「一緒にいると、少しずつあんたのことがわかるようになって、あんたも少しずつ刀の知識を得ただろう。良かったと思った。だが、少しずつ前向きになってきたと思ったら、この間の怪我でまたふりだしに戻った気分だった」

 山姥切の言葉に耳を疑った。まさか、そんなことを思っているとは考えてもいなかったのだ。
 顔を上げ、山姥切を見る。ふっと困ったように彼は笑った。

「あんたは良い審神者だ。初期刀の俺が言うんだから嘘じゃない。自信を持て、それで、もっと俺たちを頼ってくれ」
「うん」
「皆思ってる、あんたが良くやってくれていると。……だから、なぁ、呪いは終いにしよう。あんたを助けたい。あんたが、大切だからだ」
「うん」
「好きだ。名前、あんたが好きだ。写しは写しらしくしろと言う奴も中にはいるかもしれない。だが、やっぱりこの気持ちは抑えられないんだ」

 山姥切との距離が再び縮まる。
 お酒とも柔軟剤ともまた違った匂いにどきりとする。

「なぁ、俺が、あんたの呪いを解いてもいいか?」

 緑がかった青い彼の瞳がじっとこちらを見ている。優しくて甘いその瞳が私の答えを待っていた。
 薄暗いのに、彼の瞳の色ははっきりわかった。宝石のようだ、とすら思った。

「呪いを解きたいって、その、キスするってこと?」
「ああ」
「キスで、呪いが解けなかったらどうするの?」
「解けるさ、だってあんたが見てたのは全部そうだっただろう」

 そう言って、山姥切の右手は私の頬に触れた。親指は肌の感触を確かめるようにゆっくりと動く。彼の手はそのまま少し移動して耳の輪郭をなぞった。くすぐったい、と体をよじれば山姥切はふっと優しく笑った。決して言うことはないが、やはり山姥切は綺麗だ。

「俺が名前の呪いを解いてやりたいと乱に話したら、あんたも同じことを思ってるんじゃないかってあいつは言っていた。なぁ、そうなのか?」

 今までにないくらい優しい表情で山姥切はそう質問をしてきた。胸の辺りがきゅっと締め付けられる。苦しくて、痛くて、でもじりじりと焦がれるようなその締め付けが幸せなような気もした。

「私はお姫様じゃないし、物語の中に登場する可愛くて真面目で、強い子じゃない。特別なものなんて、持ってないと思う。でも、山姥切は特別なんだよって、気付いてほしかった」
「ああ」
「あなたの呪いを解くことが出来るなら、何だってしたかった。私にとって、あなたはずっと特別だから」

 私の言葉に少し恥ずかしそうに視線を外した山姥切は「それは、審神者としての気持ちか?」と尋ねてきた。
 思わず、ごくりと唾を飲み込む。言っていいのだろうか。

「山姥切は私が自分で呪いを掛けてるって言ったでしょ。でもね、私も山姥切は自分で呪いを掛けてるみたいだって、ずっと思ってたの。だから、誰が山姥切の呪いを解くんだろうって思ってた。でも本当は、私が解けたらどれだけいいだろうって」

 思うことすらしないようにしていた本心を伝える。
 目頭が熱い。
 苦しくて、胸がいっぱいになる。

「好き、だからだよ。ずっと、もっと仲良くなりたかった。隣で笑って、冗談を言い合って、頼りにされるような関係になりたかった。審神者としてあなたの背中を押したかった。でもね、それだけじゃないの。好き。山姥切が好き。とても」

 一度口を開けば溢れたように止まらなくなる。好きだと言って、山姥切が特別だと伝えたかった。
 他と比べることなんて絶対にない。不安になることはないのだと気付いてほしかった。
 好きだと何度も言えば、山姥切は驚いたように目を見開いた。
 さっきまで握っていた彼のシャツから手を放し、ゆっくりと彼の背中に手を回す。

「あんたもちゃんと、特別なのだということに気付いてくれ。名前はこの本丸の主で、俺の特別な人だ。胸を張れ、前を向け。もう、泣きそうな顔はしないでくれ。あんたの泣きそうな顔を見ると、俺は、どうしたらいいのかわからなくなる」

 鼻と鼻が触れる。
 くすぐったくて、とても幸せだと思った。

「名前、そら、目を閉じろ。次に目を開けた時には名前も俺も、ちゃんとハッピーエンドだ」

20170914
20170924修正
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