小説
短編「君限定で惹かれてる、それ。」後日




 背が高い。挨拶をしたり、すれ違う時はなんだかいつもにやにやして見下ろしてくる。その時の目はなんかいやらしいなって思ってしまう。意味ありげに白い歯を見せて笑うのも、何を考えているのかよくわからない。最初に見た時に、針のようで触ったら痛いのかと思っていた黒くてつんつんしている髪の毛は近くで見るとそこまで鋭利な感じではなかった。まぁ、人の髪だから当たり前なんだけど。

 少し前まで、私は黒尾鉄朗というクラスメイトを特別に意識したことはなかった。彼はバレー部で、背が高くて、真っ黒な髪の男の子で……特に何かあるわけでもなく、普通の、クラスメイトの一人だった。
 彼だって、似たような印象を私に持っていたに違いない。


 数週間前、体育館で練習試合があるからと黒尾くん誘われて、友達と一緒にギャラリーで初めてバレー部の試合を見た。
 円陣になって「血液」だとか「脳」だとかいう断片的にしか入ってこない掛け声を聞いてちょっとびっくりして、もしかしたらバレー部の円陣での掛け声はああいうものなのかなと思って見ていたら、相手チームは簡単に円陣を済ませていたから多分そうではないのだろう。
 真っ赤なユニフォームから延びる手足は長く、そして逞しい。体育ジャージでは見ることのない太ももに最初ちょっと驚いたけれど、そういえばテレビで見るバレー選手のユニフォームもああだったと思い出す。

 ブロックが決まった時の表情はやはり嬉しそうで、コートにいるチームメイトを見ている時の顔は随分と落ち着いていた。信頼しているからだろうか、例え点が取られても決して焦ることのない彼を見て、精神面の強さを感じた。

 試合が終わり、ネットが片付け始めているのを見てそろそろ帰ろうかと友人と話していたところ、黒尾くんがギャラリーのすぐ下まできて「どうだった?」と、感想を求めてきた。

「皆、自分が何をするべきかを瞬時に理解してるんだね。互いを信頼しあってるから出来るプレーなんだろうなってすごく思った」
「……名字さん、すげぇ真面目だね」

 ここまで真面目に答えると思わなかったのか、黒尾くんは驚いたように目を大きくさせた。

「でも俺、名字さんのそういうトコも結構好きだよ」
「……あー、有り難う?」


 最近、黒尾くんの発言に戸惑ってしまうことが少し増えた。

   ○

 ある日を境に同じクラスの黒尾くんの喉仏が気になるようになってしまった。それは今も変わらない。私は何かあるとつい黒尾くんの首元を見てしまう。そして最近、黒尾くんがそれに気が付いたのだった。

 何か納得するような顔でポンと手を叩いて「なるほどな」と笑った黒尾くんの表情は随分とすっきりした顔をしていた。あの顔を見るに、私の視線が何か変だということに気付いていたのかもしれない。


 馬鹿にされることはなかった。あんな意地悪そうな笑い方をするものの、黒尾鉄朗というクラスメイトは性格が悪いわけではなく、むしろ随分と周りの状態を察して動くことの出来る優れた観察眼の持ち主であった。

「名字さんに見られて減るもんじゃねぇしな」

 なんでもないようにそう言う彼は、欠伸をしながら教科書を机の中から取り出した。
 前回の席替えで黒尾くんの前の席になった私は、横向きに座って彼と会話をすることが多い。完全に後ろを向くと、ついつい彼の首元に視線を向けてしまうからだ。
 黒尾くんは気にしないと言うが、私は未だにそれを自覚するたびにちょっと恥ずかしくなる。

「何かをきっかけに、案外簡単に気にならなくなるかもしんねぇよ?」

 それが何に基づいているのかはわからないけれど、黒尾くんは自信満々といった様子でそう言った。

   ○

 体育の授業の後、一緒にお昼を食べようと約束していた部活の友達を待っている間、櫛で髪をすいていると黒尾くんが教室に入ってきて「名字さんお疲れー」とスポーツドリンクが入ったペットボトル片手に席に着いた。彼が席に着くと、ほのかに制汗剤の匂いが香る。

「名字さん暑くねーの?」
「女子はちょっと早めに終わったから、今はそこまで」

 へぇ、と言う彼の一言すら、何やら優しい感情が含まれているような気がする。
 前髪を整えていた櫛をポーチにしまってから黒尾くんの方へ向けば、彼はネクタイを結び始める所であった。

「ネクタイ、今したら暑くない?」
「部活の用事で職員室行かなきゃならねぇんだ。ま、念のためな」
「……ふーん」
「気になる?」

 会話している間にネクタイはあっという間に彼の首元で結ばれていった。ネクタイは少し緩めに、第一ボタンも外され、シャツからは健康的な彼の首元が見える。
 ネクタイを結ぶその動作から目が離せずにいたことに気が付いて思わず視線を外すと、彼は「名字さん、反応があからさま」と楽しそうに、でも嬉しそうに少しだけ弾んだ声で笑う。

「俺のこと、気にしてくれんの嬉しいから別に構わないんだけど」

 そう言って席を離れた黒尾くんは、廊下側の席にいた夜久くんに声を掛けて教室から出ていった。



 お弁当を食べ終え、友達と部室に向かった帰り道、黒尾くんと廊下でばったり会う。次の授業が体育だと言った友達とは既に別れ、一人のんびり教室へ戻る所であった。

「あれ、名字さん」
「黒尾くん、どうしたの、それ」

 彼は大きな荷物を抱えていた。元々長身でガタイも良い彼が荷物を抱えていると威圧感がある。私たちが今いる場所が廊下だというのも関係あるかもしれない。

「これ、中にバレーボールが入ってんの。有り難いことに寄贈品。宮城に、今年からまた練習試合するようになった高校があるって話したの覚えてるか? 春高でそれを見たいOBからの応援ってことらしい」
「ああ、ゴミ捨て場の決戦だっけ。えっと、烏……」
「おっ、よく覚えてるねぇ。そうそう、烏野」

 からからと楽しそうに黒尾くんは笑う。

「えっと、手伝おうか? 役にあんまり立てなさそうでもあるんだけど」
「優しいねぇ。でも見た目よりかは全然楽だから」
「そっか。役に立てなくてごめん」

 黒尾くんはふっ、と優しく笑って「その気持ちだけでも嬉しいよ」と目を細めた。
 彼の黒い髪が少し揺れる。前髪から覗く瞳が見えた。

「名字さんさ、最近、まずは首見るんだけど、その後すぐに俺の顔見るようになったこと、気付いてる?」

 黒尾くんは、いつものにやりとした表情でなく、ちょっと恥ずかしそうな顔でそう言った。


 知らない。
 そう言おうとしたけれど、口は開けども言葉は出なかった。

 彼の言葉を聞いて、表情を見て、一瞬で顔に熱が集まった。
 体の奥からじんわりと熱を感じ始め、気持ちを落ち着かせるために思わず髪に触れる。髪を耳に掛け、首に触れる。どくどくとうるさい音に恥ずかしさが増す。

「言われて、気付いた」

 振り絞ってようやく出た言葉は、自分でも驚くほど弱々しいものだった。恥ずかしくて、居た堪れない。

「そっか」


 首を見て、ああ駄目だと視線を外して無意識に顔を上げた結果、彼の目を見るようになったのかもしれない。
 自分の知らない自分のことを知られているというのは、かなり恥ずかしいことなのだと知った。

「そんなこと言われたら、首の次は目も見れなくなる」
「いやいや、大丈夫だって」

 何が大丈夫なんだ、と思わず彼を睨みつける。眉をくいっと持ち上げて、にやりと笑う彼の顔を見て、胸の辺りがきゅっと締め付けられた。

「名字さん、やっぱり手伝ってくれねぇか。荷物持ちはしなくていいから、道案内してくれ。抱えてるから足下が見えなくてさ」
「今、それ言うの!?」

 ドキドキしてしょうがない。楽しそうに笑う黒尾くんを見て、また心臓がうるさくなる。

「名字さんも、それに気付けばきっと楽になると思うよ」
「なに『それに気付けば』って」
「それは自分で気付かなきゃ、だな」

20170809
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