小説
※短編「Happy Valentine's Day!」後日




 三月になった。卒業式も過ぎ、前より人が少なくなった校舎に違和感を感じながらも、変わらずに部活の練習に励む。部活を盛り上げていた三年が卒業し、部員の数は減った。引退してからも、度々遊びに来るような感覚で体育館を訪れていた三年の賑やかな声を赤葦が聞くことは、当分ない。

 三年の卒業式が終わって数日、来年の今頃には既に自分はここにいないことに気付いた時、赤葦は小さくため息をついた。あっという間に時が経っていくことを再認識させられたのだ。
 赤葦はスマホを制服のポケットから取り出す。画面に映しだされた日にちを確認して、ゆっくりと息を吐いた。今日は三月十四日――ホワイトデーである。

   ○

 ここ二週間程、スマホの検索履歴に『ホワイトデー お返し』という文字が残っているのを見る度に、赤葦は眉間に皺を寄せていることに気付いていた。

 名前から贈られたクッキーは帰宅後、その日のうちに食べてしまった。最初はちゃんと味わって食べた方がいいだろうと考えていた赤葦であったが、一口食べた時にほのかに口に広がる甘さは疲れを癒すようで、ついつい袋に手がいった。
 最後の一枚を食べ終え「ご馳走様でした」と手を合わせてから、ラッピングに使われていた三色のリボンをピンと張って伸ばした。ラッピングに使われたリボンを持っている男は気持ち悪いだろうか、と不安を感じつつ、マネージャーが作ってくれたお守りの紐に絡ませ、蝶々結びにして付けてみた。普段落とさないように鞄の中に仕舞ってあるお守りだ。これならいいだろうと思った赤葦は満足気に笑うも、次にお返しは何がいいだろうと迷うこととなる。

 好きと言われたわけではない。そして好きと言ったわけでもない。どちらかといえば、好かれている方だろうけど。
 今まで、バレンタインに菓子を貰ったことが無いわけではない。だが、好きな子から貰ったことは初めてだった。昨年までの赤葦は、特別気にすることなくちょっとしたものを買い、それを渡していた。赤葦にはその菓子が、ちゃんと義理だとわかっていたからだ。
 だが、今回は違う。好きな子へのお返しだ。重くなく、そして軽くない、ベストなお返しが求められている――と赤葦は考え、悩んでいた。

 隣の席になって数ヶ月。そうなったことで赤葦は名前に好意を抱いたわけだが、そんな彼女に何を贈れば喜んでもらえるのかはちっとも頭に浮かばなかった。

   ○

 名前は焦っていた。もしも時間が戻せるなら、クッキーを作ったあの日に戻りたいとすら思っていた。
 プレゼントする物の中には、特別な意味を含んだ物があることに気付いたのはバレンタインの日の夜のことだった。だらだらと見ていたテレビ番組でバレンタインの話をしていたのだ。

「――今時、そこまで物の意味に拘る人はいないかもしれませんが、もし相手がそういったものに拘っていたら注意してくださいね」

 何故、今日それを言うのか!! 名前は泣きそうな気分になりながらテレビのチャンネルを変えた。


 後日、学校で会った赤葦の態度は変わっていなかった。それまでと変わらない赤葦にホッとしたような、悲しいような気分になった名前はあれからずっと後悔している。


 三月十四日――ホワイトデーである。元々バレンタインのクッキーは自己満足で渡したものだ。お返しは無くてもいいとすら名前は思っているが、赤葦の性格からしてお返しをしないことはないはずだということも名前はよく知っていた。きっと何かしらあるだろう。だからこそ、名前は教室に入ることが少し怖かった。

 教室のドアを引き、一歩足を踏み入れる。いつもと変わらない教室だ。既に赤葦は自分の席に座っている。机の上には参考書らしきものとノートが広げられ、名前が自分の机の上に鞄を置けば、音に反応した赤葦がちらりと名前を見た。

「おはよう」
「赤葦くん、おはよう」

 尻すぼみになる名前の挨拶に赤葦は少しだけ首を傾げた後「元気ないけど、大丈夫?」と肩をすくめる。

「うん……」
「風邪?」

 赤葦に心配されることは嬉しいが、だからといってうじうじと後悔しているだけではいけないと思った名前は両手で頬を軽く叩いた。少し驚いたような顔をした赤葦はもう一度「大丈夫?」と尋ねる。

「うん。ごめん。ちょっとうじうじしてた。でももう大丈夫!」
「そう」

 クッキーは、恋愛感情ではなく、友情の意味での好きという気持ちを伝えるものらしい。友達でいようねと言って渡すようなものなのだ。
 テレビの放送からずっと、今まで知らなかった事実に名前は悩まされていた。事実かどうか検索すればそれらしきことがちゃんと出てきた。名前には衝撃的だった。
 海外では常識らしいが、知らないだけで日本でも常識だったなら、わざわざ特別なラッピングをしながら『私はアナタのこと友達だと思っています』と伝えたことになる。

 名前は赤葦がバレー部で努力しているのを知っている。だからこそ、まだ気持ちを伝える気にはなれなかった。名前は、赤葦にとって自分が邪魔な存在になりたくなかったのだ。だが、恋心が異なった形で伝わってほしくなかった。恋心とはなんてワガママなのだろうと名前は思う。

 でも、今回は仕方ない。その時はその時だと気持ちを一度落ち着ける。別に、直接そう伝えたわけではないのだし、赤葦くんが知らない可能性もあるし、と名前は無理やりそう思い込むことにした。

「名字さん」
「ん、何?」

 平常心でいなきゃと考えていた時、突然赤葦が名前に声を掛けた。
 バレンタインの時は有り難う、と赤葦は名前に手を差し出す。彼が差し出したのはバレンタインのお返しのようだ。名前より大きな赤葦の手には、名前がバレンタインの日に渡したラッピング袋よりも少し小さな袋が乗っている。

「何をお返しすればいいのか、全くわからなかった」
「わぁ!」

 袋には黄金色に輝く星が入っていた。

 赤葦がバレンタインのお返しとして渡した星の正体は一口サイズの飴であった。砂糖で作ったべっこう飴は日の光に反射してキラキラと光っている。星型で固められた飴は袋の中でいくつも輝いているが、角が微妙に欠けていたり、物によって少し色が違っている。それらの可愛らしい星やシンプルなラッピング、それに赤葦の表情から手作りなのだと名前は察した。

「可愛い!」
「簡単なやつでごめん。そういうの、作ったこと無くて」
「ううん、嬉しい! 可愛くて、すごい!」

 まさか赤葦の手作りを貰えるとは思っていなかった名前は思わず大きな声で喜んでしまった。教室内であったことを思い出し、辺りを見渡すも名前たちのことを気にしていたクラスメイトはいなかったようだ。

「お返しとして足りなかったら、購買で好きなお菓子とか買ってくるから言って」
「ううん、そんなことないよ! 気にしないで!」


 にこにこと嬉しそうにべっこう飴を見る名前を見て、赤葦は気付かれないようにホッと息を吐いた。手作りのべっこう飴なんて、本当に喜ばれるか自信が無かったのだ。
 作った飴は家族にでも食べてもらい、念のためにと買っておいた物を贈った方がいいのではないかと家を出るギリギリまで悩んだ。だが彼女がバレンタインの日、自分のために特別にラッピングまでしてクッキーを贈ってくれたように、彼女を思って作ったものを贈りたいと赤葦は思ったのだ。

 結局、今日告白は出来なさそうだ、と赤葦は思った。
 お返しを渡すまで妙な高揚感があり、告白するべきかもしれないと考えていた。だが、焦るのは得策ではないと赤葦は思いとどまった。
 バレンタインの次の日、名前は妙にこちらの様子を見ていた。購買で買ったクッキーを食べている自分を見る度に、名前は暗い顔していた。
 きっと名前は、クッキーを贈る意味を後から知ったのだろう。あまり気にする人はいないだろうにと思いながらも、彼女のために赤葦はべっこう飴を手作りし、それを贈った。お返しに飴を贈れば遠回しに告白したも同然だろう。赤葦は今日、買っておいた物を渡さず、ちゃんと飴をお返しとして渡せたことに満足していた。


 べっこう飴を嬉しそうに、そして恥ずかしそうに見る名前は教室へ入った時とは全く異なる表情をしている。ころころと変わる名前の顔を見て、赤葦は可愛いなと思い、つい笑ってしまった。
 赤葦が笑ったことにに気付いた名前は少し恥ずかしそうにしながら「赤葦くん、有り難うね」と嬉しそうに目を細めて笑う。

「どういたしまして」

 赤葦がそう返せば、名前は顔を真っ赤にして恥ずかしそうに視線を外して自身の髪をゆっくりと撫でた。

 飴を贈るということは、そういうことだ。好きなのだ、名前のことが。
 赤葦は囁くような声で名前の名を呼ぶ。
 赤葦は、外された視線を自分に向けたかった。頬を染めた可愛らしい表情を逃さずに見ていたかったのだ。
 名前を呼ぶその優しい声は砂糖のように甘く、名前はその時ようやくホワイトデーのお返しに飴を贈る意味を思い出したのだった。

20170310
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