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コインロッカー Coin locker


※ 死ネタ注意


事故があったその交差点の角には、たくさんの花束が立てかけられている。今日もその場
所に一輪の花を供えながら、ロイは手を合わせた。
道路には車のフロントガラスが砕け散った、細かいガラス片がいくつも落ちている。ここ
でロイの恋人は、その尊い命を落とした。
『俺、ロイが先に死んじゃうのやだからさ。がんばって長生きしろよな』
それは春の終わり。まだ蝉も鳴かない初夏の出来事。あっいけね、俺駅のコインロッカー
に大事なもの忘れてきた!と慌てたエドワードは、あの日、一緒に行こうか、という私の
声に首をふって、急いでアパートを出ていった。よっぽど大事なものだったのだろうか。
最寄りの駅までは5分もない。しかし、駅の目の前。この大きな交差点は、真夜中といって
も少し車の通りがある危ない場所の一つだった。それを知っていながら、私は彼を送り出
した。ちょっといってくるな、とこちらに手を振って、走っていく彼の背中を思い出すだ
けで、足元が崩れていく。ああどうしてあのとき、私は彼を引きとめなかったのだろうか。
青になった信号を渡っている最中に、エドワードはその車にはねられ、十数メートルも引
きずられた。目撃者の証言では、車は異常なスピードで突っ込んできて、逃げる暇もなか
ったという。飲酒運転というやつだ。
私の携帯に電話がかかってきたのがそれからまもなくのこと。事件を目撃し、救急車を呼
んだ女性が、着信履歴のいちばん上の番号に電話をかけてきたのだ。携帯が無事だったの
が不思議だったが、そのおかげですぐに病院にむかうことができた。
一足遅かった。エドワードは息を引き取ったばかりで、まだ少し暖かかった。何重にもま
かれた包帯が痛々しく。閉じられた目はまるで眠っているかのように穏やかだった。車に
はねられたとは思えなかった。
彼の家族には、病院から連絡がいった。病室にかけこんできて彼らがしたことといえば、
真っ先に私を追いだしたことだ。忘れもしないおととしの春。エドワードは家族と絶縁し
た。私と一緒に暮らすと言ってきかなかったのだ。
父親が、そんなことは認めない、あいつとはもう会うな、と言ってもエドワードは諦めな
かった。だったら俺はこの家を出る!と父親を跳ね付け、母親の腕を振り払って、エドワ
ードは私のところにやってきた。あれほどだめだと言ったのに、という私に、あんたと一
緒がいいんだ、とぼろぼろになって笑った、あの笑顔を私は一生忘れられないだろう。
そんな家族が、私が病室にいることを快く思うはずがなかった。すぐにエドワードは霊安
室に運ばれた。警察も遅れてやってきて、遺族の立ち会いのもと検視が行われた。ひき逃
げの犯人は三日後に、あの交差点に取りつけられたばかりだった防犯カメラの映像と車を
証拠に、逮捕された。
エドワードの葬儀は彼の田舎で行われたらしいが、家族が私を会場にいれるわけもなかっ
たし、葬儀場を知る手立てもなかった。愛した人がもうすでに、この世にいないのだとい
う実感もまだ湧かなかった。きちんとした別れの言葉も、まだ伝えきれていないこの胸の
うちも、何もかも、エドワードが隣にいたころのまま。時間がとまってしまったようだっ
た。
交差点を通る車をじっと眺めて、時がたつのを待つ。仕事を続けながら、休みの日にはこ
こにきて、花をあげる。
あと何年で、もう彼はいないのだと納得できるだろうか。あと何回花をあげたら、自分の
心を説得することができるのだろうか。
エドワード、ともう、応える者のいない名前を呟いた。
『ロイ先輩、またきてくれたんですね!』
『そりゃ、俺先輩のこと好きだもん』
『…それ、本気で言ってます?』
『………お、俺も!』
彼との思い出がまだこんなにも鮮やかに残っているのに。
「………エドワード」
『先輩、好きです!』
君のくれた言葉が痛いよ。あのときはあんなにも温かくなったのに、一体どうして。
『俺もロイって呼んでいい?つか、今の誰だし。元カノ?』
『俺が高校卒業したら、一緒に住む!これ決定事項!』
『…ロイ』
『えへへ、来ちゃった。あ、怒んないで。まじでたぶんあとで親父にも殴られるから。優し
くしてよ』
『ろーいー、ケーキ買ってよー俺金ないよーけち!』
『どうせ勘当されちまいましたよ。だって分からずやなんだもん』
『もうすぐ誕生日だろ?何か欲しいものあるんじゃねーの』
『…母さんが好きだった花だ。綺麗だよな』
私を受け入れなかった家族だが、エドワードのことは愛していた。身内だけの葬儀だろうか、
それとも盛大に送り出したのだろうか。生まれてきたときからたくさんの人に愛された彼は、
きっと優しい手に見送られて旅立ったことだろう。
最後のとき、君は何を想っただろう。喧嘩したままの家族のことを呼んだだろうか。お母さ
ん、と助けを求めただろうか。くそ親父、とののしっていた父親の背中を見ただろうか。弟
の未来を案じただろうか。
私を、思い浮かべただろうか。
「…土下座してでも、会場にいれてもらうんだったな…」
最後の別れも、骨さえも拾ってあげられなかった私を、君はきっと、許さないだろう?
なんで来てくれないんだよ、と責めたことだろう。今日は四十九日だ。あの家の宗派は知ら
ないが、もうすぐエドワードの魂は永遠にこの世を離れ、死後の世界への長い道のりを歩き
だすのだ。
「…ごめんな、エドワード」
いつも彼に立向ける花は、この白い花。母さんが好きだったんだ、と花屋の前を通ったとき
に、さびしげに触れたその指先。いつか必ず、分かってもらおうと思っていた。しかし、彼
が死ぬまで、いや、死んだあとも、私と彼の家族が互いを受け入れることはなかった。きっ
とこれからも。
ぽたりと、白い花弁に雫が落ちた。夕立か、と思ったら、ぽた、ぽた、と激しくなっていく。
雨のくせに、それは熱い。
「…女々しいな…っ」
顔を覆いながら、ロイは嗚咽を噛み殺す。ああどうして誰も分かってくれなかったんだろう。
どうして、私たちを受け入れてくれなかったんだろう。なぜエドワードが死ななくてはいけ
なかったんだろう。あんなにも優しい子を殺してしまったのは、どこの神だ。呪ってやる。
最後までエドワードは、きっと家族を愛していた。私のことも愛していた。そして、家族も、
エドワードを愛していたのに。
それとも罰だとでも言うのか。私が彼を愛してしまったことが、それほど罪深いことだとし
たら、なぜ私を殺さなかったんだ。どうして彼の未来を奪ったんだ。
混沌とした頭の中で、胸が痛む。ああ違うんだ。そうだとも。世界を憎んでいるわけではな
いのだ。ただ、私はさびしいのだ。この胸の空虚な穴を、埋めてくれる人を失って。
誰か、とロイは助けを求めた。どうか、と助けを求めた。この、苦しみから助け出して、お
願いだから、と。それができる人間は、もうこの世にはいないから。
応えはない。エドワード、と名前を呼んでも、もう振り返る背中はない。笑顔をむけてくれ
る彼はいない。エドワード、と口ずさんでも、もう彼は空高く昇っていってしまっただろう
か。
エドワード。もう一度呼んだ。誰よりも何よりも、愛しい人。


…ロイ


今のは。
空耳だろうか。ついに、心がすり減りすぎたのだろうか。顔をあげてあたりを見渡したが、
夕方に差し掛かったその場所には、帰宅の途につきはじめた人々がせわしなく歩きまわるば
かりである。他には誰もいない。こんなふうに悲しみくれて、涙を流して立ち尽くしている、
馬鹿な男など私以外にいやしない。恋人との別れを悲しむ存在など、他にいやしない。世界
は続いている。


ロイ


それでも、確かに。
「…どこだ…どこにいるんだ…エド…」


ロイ…


「分からないんだ…教えてくれ!」
どこにいるの?
なにしてるの?
ここにいるの?
「…エドワードっ!」
風が。
呼んだ。


…コインロッカー…


「…あ…?」
そうだ。そうだった。あのとき彼は、なんと言って、家を出ていった?
「……そこに、いるのか…?」


…待ってる


走った。幸いここは、駅の近くだ。
エドワードが利用するコインロッカーは見当がつく。だが、いつまで荷物がそのままにされ
ているだろうか。もう業者によって取り出されてしまったんじゃないだろうか。
あの駅員の詰め所の近くだ。とロイは駅構内に入り、ロッカーを探した。それはすぐに見つ
かった。一つだけ、延長料金が発生しているものがあり、ぞくっと心臓が震えた。
しかし、鍵はない。エドワードは事故にあったあのとき、鍵を持っていたはずだ。家族がそ
れをどうしたのかは分からない。連絡をとろうか。どうすれば。
とにかく駅員に話をしよう。ロイは詰め所のインターホンをした、すぐにでてきた新人が、
どうかしましたか?と首をかしげた。
「あ、あの…あそこのコインロッカーなんですけど…鍵をなくしてしまって…」
「ああ、あのずっと閉まってるロッカー…あなた、ですか」
じろ、とどこか探るような、怖々とそう言ってくる青年に、ロイはすみません、と頭を下げ
た。
「…本当にあなたなんですか?」
「…というと?」
「あのロッカー、うちの予備の鍵でも、業者を呼んでも、開かないもので」
あたりだ。
ロイは息を飲んだ。ここにエドワードがいるのだ。それだけで、胸の高鳴りを抑えることが
できなくなった。大丈夫ですか、顔色が、と言われ、ええ、平気です、と返す。
「まぁ、ダメ元でうちで管理してる鍵で開けてみましょうか。いつやってもだめなんですけ
どね」
たぶん鍵がこわれちゃってるんですよ、期待しないでください、と言われた。いいや、たぶ
ん、鍵は開く。私がここにきたのだから。
エドワード、いるんだろう?この場所に。
駅員が、その問題のロッカーの前にたつ。鍵穴に鍵を差し込んで、ぐるりと回した。かちり、
と解錠の音が響く。
「あれっ」
驚く彼が脇によけ、ロイはそのロッカーを、震える指で開いた。
そこにはぎゅうぎゅうに袋が押し込まれている。ロイはそれをなんとか取り出した。袋を広
げると、そこにはふわふわと肌触りのいい、テディベアが入っていた。
金色の美しい目と毛並み。赤いスカーフを巻いたりりしい顔つき。そして、そのスカーフに
縫われた、Edward、という美しい書体の刺繍。
『もうすぐ誕生日だろ?何か欲しいものあるんじゃねーの』
『君が一緒にいてくれるだけでいいよ。金もないことだし気を使うな』
『なにその言い方むかつくんですけど!』
せっかく俺様が祝ってやるっていってんのに、と拗ねるエドワードに、自分は冗談まじりに
こう言ったのではなかったか。
『そうだな…小さい頃、でっかいテディベアが欲しかったんだ』
『はぁ?くまかよ』
『そう。金色の毛と目がすごく綺麗でね、赤いスカーフをまいていて、エドワードという名
前で』
『それ作り話?ほんとの話?』
『さあね』
誤魔化したが、それは本当の話だった。親のいない子供たちが集められた施設からこっそり
抜け出して、夜の街を歩いていると、ふと小さな玩具屋の前で足がとまった。そのショーケ
ースの中には、男の子のすきそうなロボットや機関車の玩具が山のように飾られていた。だ
が、いちばんに目を引いたのが、そのときの自分と同じくらいの大きさをした可愛らしいテ
ディベアだったのだ。飽きもせず眺めて、そうしているところを職員に見つかり、こってり
絞られた。それでもあの日からしばらく、そのテディベアのことを考えていたように思う。
エドワード、というあの愛らしいくまのことを。
はじめてあったとき、エドワード・エルリックです、と自己紹介されたあのあと、あのとき
のくまか、と笑ったものだ。エドワードは豪快な性格で、その小さな身体からは想像もでき
ない、色々なことをやってみせた。それはたやすくロイの心を奪い取っていった。


覚えていたのか。
くまを抱きしめ、ロイはその柔らかな毛並みに鼻をよせた。ああ、エドワード、と呟く。
馬鹿だね。この子がいてくれても、君がいなくちゃ、私は生きていけないじゃないか。そん
なの知ってるだろう?
「大丈夫ですか…?…あの、落ちましたよ」
駅員が、テディベアが入っていた袋と、その脇に落ちていたカードを拾う。ああ、すみませ
ん、とロイはそれを受け取る。開いたカードには、エドワードからの最後のメッセージが書
かれていた。
『誕生日おめでとう。これからもずーっと一緒だからな!』
エドワードより、という書名に心が震えた。くまとカードを抱きしめて、ロイは人前だとい
うのにぼろぼろと泣きだした。うわ、えっと、ほんと大丈夫ですか、と声をかけてくるその
人に申し訳ないけれども止まらない。
ずっとそばにいてくれ。これからも、ずっと。
柔らかい指が、そっと涙を拭ってくれた。そんな気がしたけれど、実際は赤の他人の駅員が、
ハンカチを差し出しているだけであった。ありがとう、と礼を言って、困ったように笑って
いる彼に頭を下げてから、私も笑った。
エドワード。私もがんばって生きていく。君もずっと、私と一緒に生き続けてほしい。


「もう、あれから三年もたったのか」
エドワードの命日に、ロイはまた花を手向けた。もうここに花を供えに来る人は、自分以外
にいなくなった。穏やかに手を合わせながら、ロイは言った。
「エドワード、今度ね、会社の同僚に誘われて、飲酒運転防止イベントのボランティアをや
るんだ。私は人づきあいは苦手だが、精いっぱいやってくるよ」
さわさわとあの、白い花が揺れている。あれから三年。案外するりと、そして何もなく、四
季は回っていた。これからもずっと、回り続けていく。
がさ。
花束を包むビニールが揺れる音が、背後から聞こえきて、ロイは思わず振り返った。
「あ…」
それは、エドワードの両親だった。病院でロイを突き飛ばして以来の父親と、病室で泣き崩
れた姿を最後にみたかぎりの母親。ロイはすっと身を引いて、場所を譲った。
彼らは花をそなえ、ロイのように手を合わせた。しばらくお互い、言葉は交わさなかった。
先に口を開いたのは、あの頑固な父親のほうだった。
「…このあと、何か予定は?」
「いえ…とくには」
いきなり問いかけられ、驚きながらもそう返した。したあとで、少し後悔した。話でもしな
いか、とどこかに入ったところで、自分がエドワードのことについて話せることなど、家族
に比べたら少なすぎて話にならない。亡くなる前の生活について尋ねられるのも、心情的に
苦しかった。幸せだったか、と聞かれて、頷ける自信はない。助けあって細々と暮らしてい
るだけだった。贅沢もなにひとつさせてやれなかった。そうぐるぐると考えていたロイに、
父親が言った。
「三回忌の法要がある。…君にも出てほしい」
「えっ?」
「エドワードが、そうしてほしいと思っているだろうからな」
父親はそう言って、すたすたとあの駅へと去っていく。あれから少し痩せたように見える母
親が、くすくすと笑った。そしてロイに、彼の故郷の駅から法要が行われる場所への地図を
差し出した。
「午後からです。…よろしければいらしてください。主人も、あなたを葬儀に呼ばなかった
ことをずっと後悔しているようで…。エドワードもあなたが来るのを、きっと待っていると
思いますから」
彼女はそういって、頭を下げて夫を早足に追いかけていった。ロイは喉を詰まらせて、深く
深く頭を下げた。
ひゅう、と風が吹き抜けた。家で仕度して、急いでいかなければ間に合わない、と思いなが
ら、ロイはその場所に縫い付けられたかのように一瞬動けなかった。唇に優しい感触が走り
抜ける。この風と一緒に。
ふ、と彼はほほ笑んだ。ああ、そこにいたのかと。
「いまいくよ。エドワード」
君が故郷で待っている。


「ひき逃げの次は、今度はひったくりか」
「警察に提出するテープはどれだ?」
「これかな。一応確認しよう」
ひったくりが起こる数分前までビデオを戻す。交差点には、花を供えて立っている人間が二
人と、その反対の歩道で歩くひったくり被害者の中年女性とその友人が映っていた。
花の傍の黒髪の男が立ち去ったあと、ひったくりの犯人が画面に現れ、女性のバックをかす
めとっていく。立派な犯罪の瞬間だ。
「あーこいつかー。結構若いな」
「あんまり見ちゃだめだぞ。大事な証拠なんだから」
テープを封筒に入れて完全に密封し、警察署に届けに行かなければならない。じゃあ行って
くる、と外へ出ていった職員仲間を見送って一息ついてから、あれ、そういえば、と残され
た彼は首をかしげた。
「もう一人の男の子、いついなくなったっけ…?」



end


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