多量の砂糖を入れて作ったカフェオレを片手に持ち、なまえは玄関に近い部屋のドアをノックした。 いまだ夢の住人であろう同居人からの返事は思った通りにない。 時刻は朝の七時をまわっているのに。 「そろそろ起きないと、一限に遅刻するぞ」 なまえは乱暴にドアを開け部屋に入る。締め切られた部屋は、外よりも暖かいけれど湿気ていた。 手近な机にカップを置いて、窓を開ける。肌を刺す冷たい風が部屋へ流れ込んで、空気を一掃した。澄んだ空気は気持ちがいい。が、寝ている同居人には迷惑なだけだった。布団はますます丸くなる。 「ま、起きないんならいいけどさ」 同居人である黄瀬涼太は朝に弱い。普段はきりりと涼しげな目であるのに、朝にはそれが三分の一も開いていない。セット前の髪は寝癖がひどく、寝巻きは悪い意味で着古したTシャツだ。街中を涼太と二人で歩いていると、すれ違うときに振り返る女性がいるが、そのすべての人にこの姿を見せてやりたいと思う。 「んー…」 くぐもった声が、かぶっている布団に吸い込まれる。少し待ってみても、ピクリとも涼太は動かない。この寝ぼすけは30分後には家を出なければならないのに、いまだにこの有様だ。大学入学を機に二人は一緒に暮らし始めたけれど、毎日のようにこんなことを繰り返している。 なまえは布団の端を力いっぱい引っ張った。 「おいっ! このままじゃ単位を落とすぞ。卒業できなくても、俺は知らないからな」 ごろりと転がり出た涼太は、単位という言葉に反応したのかムクリと起き上がる。何故か正座で居直り、なまえに向かって頭を下げた。 「おはよう、ござい…ます」 「………おはよう」 謎だ。涼太は毎日この姿勢で朝の挨拶をする。なまえとしてはとろとろして無駄に時間を使っているようにしか思えないのだか、涼太はこの形にこだわる。躾がいいのだろうか。なまえには理解ができない。 「はぁ。どうでもいいけど、これ飲んで早く起きて来い」 なまえは先ほど置いておいたマグカップに手を伸ばし、差し出す。受け取りきょとんとそれを見つめる涼太に溜め息をつきつつ、なまえは立ち上がった。 「時間ぎりぎりだからな」 それだけ言い捨てて、部屋を出る。 毎朝、無駄だとしか思えない応酬。どうすれば涼太をもっと早く起こせるか頭を使ってはいるけれど、あまり成果のほうは芳しくなかった。 なまえはキッチンに入りトースターで焼いた食パンにハムとチーズを置いて、半分にサンドする。 成果は芳しくないけれど、なまえも学習し、そしてそれはきちんと形になっている、はず。 「そろそろだ」 唐突に涼太の部屋から、たくさんの本が床に落ちるような大きな音が聞こえてきた。なまえは耳を澄ませ、様子を探る。バタバタと乱暴な足音が聞こえたかと思うと、涼太が姿を現した。 「この起こし方は絶対にやめてって言ってるじゃないスか!」 先ほど涼太に渡したマグカップを突き出し、涙目になりながら訴えてくる。 見上げてしまう身長を持ち、頭がよく顔もいいという、男から見ると憎らしい涼太でも、苦手なことはある。朝と甘いものだ。朝は見ての通りで、甘いものは受け付けない。 毎日この起こし方をすると、きっと嫌われてしまうので、時々にしている。けれどこれが一番時間がかからないのだ。本当は毎日実行したい。 「はいはい、起きたなら支度して。また遅刻するから」 涼太の背中を洗面所のほうに押しやる。 なまえはキッチンでもう一枚食パンを焼き、イチゴジャムをぬって食べ始める。牛乳が飲みたくなってなまえは食パンを銜えたままで冷蔵庫に取りに行った。ちょうど涼太が身支度を整え、朝ごはんを食べに来る。 「ほら」 先ほど作っておいたハムチーズのトーストをさしだし、なまえは冷蔵庫を開けた。 「なまえ」 涼太に呼ばれ、振り返ると銜えていた食パンを奪われた。なまえはなんだと涼太を見上げると、顔が近づいてくる。 「んっ」 突然キスされた。するりと入り込んできた舌がやけに甘く感じる。なまえはふわりと意識をもっていかれて、足に力が入らなくなる。 「おっと、あぶないっスね」 涼太に抱きかかえられ、なまえはゆっくりと尻餅をついた。まだ意識ははっきりしない。 「おかえし」 涼太が片手に持ち上げたのは、あの甘ったるいカフェオレだ。あれを口に含んでキスされたのだ。 「じゃあ、行ってくるっス!」 ふざけた仕草で涼太が出かけていく。 なまえは少しの間動けないでいたけれど、自分も出かければいけない事を思い出し、何とか立ち上がる。 いまだふわふわした気分で洗面所に向かったなまえは、鏡に映る自分が笑顔になっていることに気づいた。なんだかとても幸せな気持ちだった。 「ああ、そっか」 なまえは自分の顔をぺちぺちとたたき、ひとりごちる。 「俺、甘いもの好きだから」 title*こうしていると永遠はあるんだなって思うんだよね |