突然部屋に現れたあいつ。初めて見たときは悪魔かと思った。 鋭い目を細めては愉しそうに、喉を鳴らして笑う独特の声が今でも耳を離れない。 ナイフよりよく切れるトランプを目の前に、声も出ない程怯えている様子を気に入ったのか、あいつは長い舌で目尻から頬へと伝う私の涙をベロンと舐め上げていった。 「…ひっ、」 「いいね、その顔…」 今思えば出会った時からあいつは相当の変態だった。 「決めた、今日からここに住むことにするよ◆」 よろしくね、だなんて低く嘲笑うように言われて私の頭の中は既にキャパシティーの限界を越えてしまったらしく、その日の記憶は今でも飛んでしまったままだ。 それから暫くして、私の部屋にはあいつの物がどんどん増えていった。 最初は服。 初めて二人で出掛けた場所は近所のデパート。 「似合うかい?」と試着室からセクシーポーズを見せられて、私は無言で目を背けたのを覚えている。 次に化粧品。 「最近クレンジングの減りが早いと思ったら…」 「化粧はボクのポリシーだからね◆」 「キモッ!」 「酷いなぁ…」 家にいるときは化粧なんてしなくてもいいのに。もちろん出掛けるときも。素顔の方がイケメンなんだから…なんて、本人の前では言わないけど。 そしてお揃いの携帯。 「いつも家にいるんだから必要ないだろう?」 「も、もしもの時の為だからいいの!」 「はいはい◆」 思えば私はこの頃からあいつのことを好きになっていたんじゃないかと思う。 ついには専用のマグカップまで流し台に仲良くならぶ始末。毎朝のコーヒータイムを共にすることが日課になっていた。 「行ってきます!」 「行ってらっしゃい、食器はボクが洗っといてあげる◆」 「あ、ありがと………じゃあ今日は夕方には帰るから…」 「……あっそ」 紳士的だったり、無関心だったり、本当に読めない男だと思う。 それにあいつは極度の飽き性だ。その癖、自分が興味を持ったものには執着的で、よく新聞や雑誌の文字に興味を持っては私に読み方を聞いてきた。 「難しいね…◆」 「ヒソカの世界の文字こそ」 文字を教えながら話していると、あいつは自分の世界のことを少しだけ口にした。何となく、そんな気分だったらしい。だけど話が終わると最後に「さっきのはぜーんぶ嘘◆」だなんて付け加えて、本当か嘘か分からなくさせる。なんて面倒臭い奴。 気分屋で嘘つき、本当に絵に描いたような自己中だと思う反面、時々優しいから憎めない。 急な雨で家に帰れないとき、気まぐれだと言って傘を片手に迎えに来てくれたり、風邪をひいたときにはずっと側にいてくれた。 「………キミといると調子が狂うよ」 「え?」 「いや、なんでもない◆」 やっと慣れてきたあいつとの生活。 そんなある日。しょうもないことで喧嘩して、ものすごい力でベッドへと押さえ込まれた。 「ヒソカ、重い゛…」 「今の状況分かってる?」 「?」 「どうもキミはボクの加虐心を煽る体質らしい…」 「はぁ?」 「大人しくしてなよ」 「な、何するの…!」 「大丈夫、悪いようにはしないから◆」 「ちょっ、まっ…」 何を考えているかなんて全く分からなくて、とんだ変態を私は拾ってしまったとつくづく思う。それでもあいつが側にいると毎日が楽しかった。 そういえば、私がとても落ち込んだ日があった。あいつがいつもみたいに軽口を叩いても反応できないくらいに。 「湿っぽいなぁ……頭からキノコが生えそうだよ◆」 「……ほっといて」 「……◆」 不意に目の前までやって来たあいつは手を一度握り込んでからパッと開く。 すると、ポンッと可愛らしい花が現れてとても驚いた。 「アゲル◆」 「わぁ…」 「キミはそうやっていつも通りバカみたいに笑ってなよ◆」 「バカって何よ…」 「ホントの事だろ?」 飄々として言ってのけるあいつ。嫌みなことを言わせれば一流。ついでに私を喜ばせることに関しても。 あぁ悔しい。 だけど、たった一輪の花には魔法でもかけてあったのか、落ち込んでいた気持ちなんてあっという間に何処かへ飛んでいってしまった。 いつかあいつは元の世界へ帰ってしまう。それでもこのままの時間が出来るだけ長く続けばいい。 そう願っていた… けれど、その日は突然やって来た。 「さて、今日は特別にマジックショーを見せてあげる◆」 言うなり得意のマジックを披露し始めたあいつ。 普段とは何か違うその態度に、ほんの少しの違和感をを覚えたが、いつもの気まぐれだろうとあまり気に留めなかった。 「すごいすごい!!」 奇術師と言うだけあってそのマジックは実に多彩で、あっという間に私の目は釘付け。 「じゃあ、次はボク自身を一瞬のうちに消してみせるよ◆」 「え?」 言うなり一瞬、ほんの一瞬だったが色が抜けたみたいに半透明になったあいつ。驚く私を余所に、暫くすると半透明だった色が元に戻った。 「ごめんごめん、失敗しちゃった◆」 「……ヒソカ、もしかして、もう…」 「さあね…◆」 おどけたように、こんな時でもあいつはいつもみたいにヘラヘラ笑っていた。 「うそ…嫌!帰らないで!」 「はいはい」 「い、いつもの冗談でしょ?あはは、面白いね…!」 「冗談じゃない、分かるだろ?」 「わ、わかんないよ、そんなの…だって…」 分かりたくもない。突然現れて、今度は突然居なくなるなんて… 「最初はあんなに嫌がってたくせに、キミは今更ボクに帰らないで欲しいのかい?」 「いや…かえら、ないでよ…ねぇお願いヒソカ、帰らないで、側にいて…」 そこまで言うとあいつは短く息をついた。まるでこうなることが分かっていたように、少し呆れを含んだように。 「仕方ないな、じゃあ帰らないであげる◆」 「本当に?」 「ホントホント◆」 「絶対?」 「絶対◆」 ボクが嘘ついたことあるかい?だなんて、どの口が言うのか。しばらく無言で冷たい視線を送れば、何を勘違いしたのかあいつはニヤリと妖しく笑った。 「………」 「……全く、そんな目で見るなよ◆」 「…?」 「興奮するじゃないか…◆」 「なっ、バカ!変態!やっぱ帰れ!」 「くくっ、帰らない◆」 そう約束をした翌日、家の中のどこを探しても、あいつの姿は見当たらなかった。 「嘘つき…」 何の躊躇いもなく私の心へと土足で踏み込んで、かき回すだけかき回して、その内あいつはさよならも言わずに姿を消してしまった。 「なんで、どうしてよ…」 机の上に残されていた一枚のトランプのカードには走り書きのように記された文字。何よ、ちゃんと覚えてるじゃない、なんて言葉は塩辛い水と一緒に飲み込んだ。 決して口には出さなかったあいつの嘘はまだ優しく熱を持っていて、今でも私の心を捕らえたまま。 さようなら、愛しい人 |