第4回 | ナノ
 自分の部屋、マンションの三階の、何のへんてつもないベランダ。体調不良を理由に学校を午前中で早退してきたけれど、特にすることも無いままに、黄昏れの時刻を迎え、とりあえず空を見上げていた。果汁百パーセントのオレンジジュースを思い切り零したような、橙色に澄み渡る空は、何処までも続いていて、美しいというよりもなんだか淋しい。そう思うのは、わたしのこころがサミシイからなのだろうか。真昼時はとうに過ぎたのに、尚も無駄に明るい太陽は、まるで、そんなわたしのこころを嘲笑っているみたいだから、きつく睨み付けてやると眩し過ぎて目が眩む。馬鹿みたい。崇高な神様の住む聖域に近いところで、炎のひかりを出すように浮かんでいる太陽の奴に、対抗することほど愚かなことはないのだろう……。じりじりとした夏の日差しを容赦無く浴びて、熱を帯びた手摺りの熱さなど、殴られ蹴られ続けた痣だらけのからだでは、気になることなどなかったので寄り掛かり、下を覗き込む。その反動で額に滲んでいた汗がほおを伝った。


「此処から、真っ逆さまに落ちてみたいなー」


ふと、変な考えが頭を過ぎって、そのままがくちから零れていた。勿論、それはただの独り言となったわけであり、聞いていた者は誰もいない……いるとすれば、頭上でわたしを焼き尽くそうとしている太陽くらいだ。いまの、イジメられているのに耐えることしか出来なく、解決策を見付けようともしないで、どうすることも出来ないでいる中途半端な自分は頗る嫌だけれど。アスファルトの地面に叩きつけられて、ぐちゃぐちゃになった、無力で何も無い自分はとても良い気がしたから。マンションの三階では高さが足りない気もするけれど……他にソレを実行出来る場はないし、なにより、思い立ったことは止められず、さっそく手摺りに足を掛けようと片足を上げた刹那。前方から見慣れた姿が近付いてきたので、つい、思い留まってしまう。


「おまえ……何してんねん。パンツ見せてウケ狙っとるつもりか〜」


“パンツ”という単語が耳に入り、咄嗟に、手摺りに上げかけていた足を降ろす……そうだった、わたしいま、制服のスカートを履いてるんだった。風船の空気が抜けたような悠々としたアルト声で、片手をひらひらと振りながらわたしを呼ぶのは、お笑い好き、漫才好き、モノマネ好きであり、やわらかいグリーンの額あてが印象的で、なにより、わたしのただひとりの幼馴染みであり、大好きなひと。そんな彼、ユウくんとは、運よく三年間同じクラスであり、さすれば当然、今日わたしが学校を早退してきたのを知っているわけで。だからいま、テニスの部活を終えてからだは疲れているはずだろうに、こうして家まで来てくれたのだと思う……自惚れだと言われれば、返すことばはないのだけど、でも、イジメられてないなんて嘘を吐(つ)き通しているわたしでいるのに、彼は薄々気付き始めているのか、最近はずっとわたしのことを気にかけてくれていると思う。『なんかあったんか?』と、イジメの場となっている女子トイレから戻ってくる度にやさしく尋ねてくれて。血の繋がった家族よりも、顰め面した担任よりも、クラスメイトの誰よりも、幼馴染みのユウくんだけは、わたしを誰より心配してくれる。自分は彼に、善い行いをひとつもした覚えはないのに。“幼馴染みの特権”ってヤツなのかなあと、こんな状況で思わず笑みが零れてしまい、手を振り返しているうちにも、彼がこちらに近付いて、ふたりの距離が徐々に縮まってゆく……でも、だめ。


「ちょっと待って!」


わたしがおおきな声を上げたから、ユウくんはこちらを見上げたままで、歩く足をぴたりと止める。グリーンの額あてがおおきく目立ち過ぎて、彼がわたしにどんな顔を向けているのか、解るまでに時間が掛かったけれど。なんやねん?と、いまにも突っ込んできそうな、怪訝の情に染められている表情に漸く気付き、わたしは究極の質問を投げ掛けてみることにした。


「わたしがいま、ユウくんの目の前へ落っこちてきたらどうする!?」


助けて欲しいのに。でも気付かれたくもなかったの。忌ま忌ましい矛盾は、まるで汗のようにからだじゅうにへばりついていて。たとえ彼がイジメの事実に気付いていたとしても、自ら打ち明けることほど惨めなことはないから。そう、だって。いまの、全身痣だらけな姿のわたしを見たら、彼はどう思うのだろうか?嫌われてしまう……かもしれない。ただただ痛みに耐えるだけの、仕返しする意思すら持てない弱虫で、あまりにもちっぽけな、まさに屑みたいなにんげんで……。一瞬の沈黙が流れ、どくどくとした、いやな緊張感に煽られるも。彼はいつものように。大好きな小春ちゃんと漫才をするときと同じ笑顔をわたしに向け、おおきく唇を開いて答えを紡ぐ。


「なに言ってんねん。もちろん俺がこの胸で受け止めたる!受け止めたもん勝ちやっ!」


……おそらく。わたしの質問を、冗談としか捉えていないであろう彼の様子は、逆にわたしのこころを落ち着かせるのに充分だった。いますぐ落っこちても準備オーケーと言えるような、ユウくんがやると新たなギャグにも見えなくはないであろう、おおきく手を広げるその姿に、そのことばに、つい甘えてしまう。先程までは本当に、彼にすべてを見られたくないから、アスファルトに落ちてぐちゃぐちゃになって、そのまま消えてしまおうと思っていたのに。それ、なのに。


――いまとても悲しくて辛かったの。


 落ちるなら、つめたいアスファルトではなく、あたたかいあなたの胸の中へ。



運命はしかった、誰がなんと言おうと。


企画懶惰様に提出
花にたとえられるより


20120411
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