どこまでも澄んだ青色の冬空を見上げる。降り注ぐ太陽の光は優しいけれどそよぐ風が冷たいため寒さが一層に際立つ。そっと息をつくと冷たい空気に触れて白く濁った。宙へと消えていくそれを見つめながら歩き慣れた通学路を軽く蹴り上げて踏切の前で足を留めた。目線を空から踏切に移す。心地いいとはいえない信号の音を聞きつつ空気で冷えてしまった指先に力を入れた。 「なまえ、おはよう」 そう声をかけてきた相手が誰だか見なくてもわかる。それでも確認のために視線を横に向けた。 最初に視界に捉えたのは見慣れたトレードマークのマフラー。視線を上に上げていくと端正な顔立ちの男が映り込む。男は形のいい唇に笑みを乗せており、わたしを見つめる眼差しは柔らかい。透き通るような瞳と親しんだ気配。いつも通りの変わらない姿に安心感を覚える。わたしは男に――同級生でクラスメイトの名瀬博臣に――「おはよう」と返した。 今日も冷えるね寒いねと少ない会話を交わして、ふたり並んで踏切を見つめる。遠くのほうから電車が来る音が聞こえてきた。そして数秒もしないうちにカタンコトンと音を立てて電車が通り過ぎていく。 「眠そうだが、昨日は夜更かしでもしたのか?」 遮断機が上がると同時に不意にそんな言葉がかけられてわたしは目を瞠った。 「え、わかる?」 「今にも欠伸をしそうだ」 「…………」 一応隠していたつもりだ。家を出る前に鏡で念入りに確認した。隈はなかったし、夜更かしをしたという顔もしていなかった。ただ単純に眠いだけで欠伸を噛み殺すのも慣れたものだった。が、どういうわけかこうした些細なことを彼は敏感に察知するのだ。観察力が高いというかそいうことに長けているといえばいいのか。毎回思うのだが、本当に彼に隠し事は出来ない、そう心の中で独りごちた。 「昨日はなんか眠れなくて……眠くなるまでずっと本を読んでたんだけど」 「けど?」 「いつの間にか寝てた」 「いつの間にか寝てたか。なまえらしいよ」 「ちょっとそれどういう意味よ」 「悪い意味で言ったわけじゃないぞ」 「どうかなー、博臣って意地悪だし」 「意地悪とは酷い言われようだ。俺は十分優しいと思うんだが」 「優しいって自分で言っちゃうんだ?」 なんだかおかしくて笑いが込み上がってくる。眠気を忘れて思いっきり笑っていると頭に何かが触れたのがわかった。視線をやると彼の手がわたしの頭に伸びていた。 わたしは足を留めた。彼も足を留める。周りの音が消えてしまったかのようだ。体の奥底から聞こえてくる心臓の音がやけに大きい。まるで世界にわたしと彼しかいないようなそんな感覚に襲われた。 「博臣?」 「いや、安心した。また不眠症が戻ったんじゃないかと思ったが……。杞憂でよかったよ」 彼のいうようにわたしは数年前まで不眠症だった。どこにでもある話だ、家庭の事情で不眠症に悩んでいた。それを根気よく治療に付き合ってくれたのが彼だ。おそらく彼はわたしの眠そうな顔を見て不眠症が戻ったのではと懸念したのだろう。普段は意地悪なくせにこういうときはやさしくてあたたかい。本当にいい男だ。 「ありがとう」 わたしはにこりと笑ってみせた。素直にお礼を口にしたことがなかったから恥ずかしい。おまけに頬が熱い。笑って誤魔化しているけど内心は穏やかではなかった。彼を直視できなくて視線をさまよわせていたけれど、ようやく彼を視界におさめることができたときには彼も彼でびっくりしているようだった。けれど、わたしは知らないふりをして続けて言葉を発した。 「博臣が傍にいてくれたからだよ……。支えてくれたから……だから乗り越えられたんだよ」 「大袈裟だな」 「そんなことない。博臣がいなかったら今のわたしはいないもの」 「なまえ、」 彼の手がわたしの頭からするりと離れていく。それが少し寂しくて下へと落ちていく彼の手を掬うように取った。 「なまえ?」 「学校遅れちゃうよ。行こう、博臣」 彼に心情を悟られたくなくて無邪気に振る舞いながら手を引っ張った。彼は苦笑をこぼした。それでも手は繋いだままだ。 彼は冷え性だから手は氷のように冷たいけれどわたしにとってはやさしくてあたたかい手に思えた。 ふたりで並んで通学路を歩く。わたしは少しでも彼の手を外気から守るように握りしめれば彼も応えるように握り返してくれた。 「なまえの手はあたたかいな」 「博臣の手は冷たいね」 「仕方ない。冷え性なんだ」 「うん。だからこうしてあたためてあげるよ」 「それは光栄だな」 わたしのはじめての恋は彼だった。はじめて会ったあの日、わたしは恋に落ちて彼に心を奪われた。それからずっと彼に恋をしている。 きっとわたしの恋は彼だけだ。最初の恋も最後の恋も彼だけだろう。 予感ではあるけれど、彼以外に好きなひとはできないように思う。だってこんなにも彼に心を動かされて、こんなにも惹かれている。こんなに彼を求めている。きっとこの先もこれからもこの想いは変わらない。 この恋が実るか実らないかはわからない。この想いを告げるべきか告げないべきかわからなくて、ずっとずっと迷っている。 それでも、わたしはしあわせだった。すごくしあわせだった。彼の傍にいれることが彼と過ごせることが彼と歩めることが、わたしにとって何にも代え難いものだから。このしあわせをずっと抱きしめていたい、そう思った。 初恋はどうしてきれいなまま |