「緑間くん、ちょっとお願いがあるのだけれど…」 本を読んでいた緑間くんに語りかけると、彼は珍しくも若干目を見開きながら口を開いた。 「…お前が頼み事とは珍しいな」 「そうかしら?」 その言葉に首を傾げてみせた。 図書室の中でこうして喋っていられるのも、ここには私達以外誰もいないからだ。冬休み期間まで学校の図書室に勉強しにくる熱心な生徒なんてなかなかいないもの。図書委員は他の委員会より楽だからと入ってくる生徒は何人かいるが、長期期間中にまで学校に駆り出されるとは知らないのだろう。現に緑間くんと私は、冬休みにも係わらず毎週火曜日は学校の図書当番をしている。 「緑間くんくらいにしか頼めなくて…」 「…ふんっ、仕方ないから聞いてやらんこともない。俺は人事を尽くす男だからな」 眉を下げながら彼を見つめるしかなかった私は、緑間くんの言葉を聞いてホッと息をついた。 真面目な緑間くんのことだからもしかしたら断られてしまうかもと懸念していたが、そんなことはないらしい。あまり笑うことのない彼だが、実は案外優しいのだ。 「ありがとう」と微笑むと、彼はぷいっと顔を逸らしながら「お前のためじゃないのだよ」と言う。『人事』のため、らしい。 「ふふっ」 「なっ、なにを笑っているのだよ!」 「声大きいよ、緑間くん」 「…っ!」 思わず笑ってしまった私を見て眉を吊り上げた彼に、口元に人差し指をたてるジェスチャーをする。私の意図を汲み取り、ここが図書室だと気づいた彼が悔しそうに口を閉ざしたのを見てまた笑ってしまった。 あぁいけない、せっかく彼が頼みごとを聞いてくれると言ってくれたのに。 しかし緩む口元はなかなか引き締められそうになかった。 「…頼み事とは一体なんなのだよ」 疲れた顔で呟くように言う緑間くんににっこりと笑いかけた。 「ピアス開けさせて?」 「………」 呆然としたように此方を見つめる彼に「どうしたの?」と首を傾げる。 今日の緑間くんは表情豊かだなぁ。なにかいいことでもあったのかしら? 「なっ、」 「な?」 「なんで俺がそんなことしなきゃならないのだよ…!」 「え、だって緑間くんいいって言ったでしょう?」 「そ、それは…っ!」 言葉を詰まらせる彼に「人事がなんとかって言ってたじゃない」と言う。そうすると彼がこれまた驚愕とした表情で私を見るものだから、もう私はなにがなんだか。 そんなにピアスを開けたくないのかしら?でも緑間くん、先ほどまでは乗り気だったしなぁ。 「…お前がそんな計算高い奴だったとはな…」 「なに言ってるの?」 「人事…俺は人事を尽くす男なのだよ…」 「おーい、緑間くーん?」 俯きながらなにかをぼそぼそと呟いている彼には私の声は聞こえていないらしい。「聞こえてるー?」と再度呼びかけてみるが意識此処にあらずな状態だ。 「今のうちにピアッサー用意しとこっと」 この学校がピアスオッケーでよかった。厳しいところなんかは髪を染めるのすらだめらしいし。この学校にはカラフルな髪の人も多いから、きっと他校より校則も緩めなんだろう。 あらかじめ買っていたピアッサーを取り出す。そのころには決心が決まったのか、自分の世界に入り込んでいたはずの緑間くんが呆れたように此方を見ていた。 「あらかじめ準備をしていたのか…。もしや俺が頷くまで諦めないつもりだったな?」 「あはは、そんなまさかぁ」 誤魔化すように大げさに笑ってみせると緑間くんは深い溜息を吐いていた。 あはは、バレちゃった。 四つのピアッサーを机の上に並べる。使い方はあらかじめパソコンで調べてある。人の耳でさせてもらうのに失敗するわけにはいかないからだ。そのことを緑間くんに言うと「やっぱり初めから俺にさせるつもりだったのか!」と怒られそうだから言わないけど。 「しかしなぜ四つなんだ?両耳を開けるなら二つでいいはずだろう?」 「だって私も開けるもん」 「…言っている意味が分からないのだよ」 「なら初めからお前のだけ開ければいいだろう」と不可解そうな顔をする緑間くんに、私は口をごにょごにょと動かした。 言いたくない…、心底言いたくないが、緑間くんが「俺を巻き込むくせに理由を黙ったままでいられると思っているのか?」と言いたげな視線(私約)で私を見つめている…!! 「い、痛かったら嫌だから、緑間くんに感想を聞いてからしようかと…」 「俺は実験体か…?」 「だ、だってどうしても怖いんだもの…!!」 ならピアスを開けなければいい話なのだが、クリスマスプレゼントとして妹にピアスを貰ってしまったのだから仕方がない。一生懸命選んでくれた妹の喜ぶ顔が見たいお姉ちゃん心が「ピアスを開けないなんて許されないぞ!」と私に囁きかけてくるのだ。 お願い緑間くん、どうか私の道連れになってください…! 「……さっさとすればいいのだよ」 「い、いいの…?」 「…人事を尽くして天命を待つ、これが俺の信条だ。それに今日のおは朝占いでも人助けが吉だと言っていたからな…」 「あ、ありがとう!」 緑間くんが若干げっそりしているように見えるのは私の気のせいだということにしておく。 耳たぶを冷やす方が痛みが少なくなるらしいので、まずはピアッサーと共に買っていた保冷剤をハンドタオルで包み、10分間耳を冷やす。次に私の手と彼の耳たぶを消毒液で濡らした。もし菌が入って膿んできちゃったら大変だもの。ピアッサーは抗菌されてるらしいけど、念には念をと言うじゃない?最後に筆箱からマジックを取り出し、ちょうどいいところに印をつける。なんの印もつけないまましちゃったら、慣れている人じゃなかったらずれたところに穴をあけちゃうこともあるみたい。クラスの男の子も、友人の耳にピアスをあけた時にずれてしまったと言っていたから、そうならないためにあらかじめマジックを用意してきたのだ。 準備が整ったことで一息つく。しかし本番はこれからだ。 再び表情を引き締め、緑間くんに向き直った。 「じゃ、じゃあいくよ…?」 「…あぁ」 神妙な表情で頷いた緑間くんに、私も頷きかえす。 手が震えないように押さえ込み、慎重に耳たぶにセットした。 「…いきます」 ごくりと唾を呑む音が聞こえる。 そうして私は指を押した。 「…い、痛い?」 「……」 「ご、ごめんなさい!やっぱり痛かった!?」 「…いや、まったく痛くなかったのだよ」 「ほんと!?」と驚く私に、彼は「あぁ」と頷いた。それを確認してホッと息つく。 痛みはほとんど感じなかったと言ってくれているし、なんとか成功したみたいだ。 もう片方の耳も先ほどと同じようにしてから穴を開け、一応ファーストピアスとしてシリコン製の透明のものを挿しておいた。 「一応穴が塞がらないようにしておいたけど、塞ぎたい場合はとってくれてかまわないから」 「あぁ、分かった」 疲れた顔をしながら遠い目で窓の外を見つめる彼には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。 時計を見るとそろそろ帰ってもいい時間だった。机に広げていた道具をかばんの中に詰め込み、私は彼に声をかける。 「ねぇ緑間くん、今日一緒に帰らない?」 「………」 「ね、たまにはいいじゃない。今日のお礼におしるこ奢るから!」 「…そこまで言うなら帰ってやらんこともない」 「ふふっ、ありがとう」 窓の外はもう薄暗く、一番星が瞬いている。 暖房の効ききった図書室から一歩廊下に出ると身を指すような冷たさに襲われた。 「寒いね」 「あぁ、そうだな」 二人並んでそんな会話をしながらゆっくりと歩いていく。 来週の火曜日には二人してファーストピアスをつけている姿を想像して、なんだか笑えてしまった。 わたしの幸せときみの幸せを足してナイフではんぶんこ |