第21回 | ナノ
時計の針が12時をまわる。今日という日が終わるのに、一向に鳴らない携帯を見つめてため息を吐く。
今日は二週間の長期合宿から帰ってくるはずだった。今朝のメールにも今日の夜には帰ると書いてあった。だから、ポークカレーを作ったのだ。彼の大好物の温玉もつけて。
大方、合宿が終わって羽を伸ばしたい先輩たちの飲み会に誘われて断りきれなかったんだろう。彼は実業団のレギュラーであるがまだまだ若手なのだ。それに根っからの体育会系なので先輩の言葉には逆らえない。それでも、帰ってこれないなら連絡の一つでも入れてほしい。連絡があればこうやって未練がましく待つ必要もないし、帰ってこないことを心配しなくても済むのに。そう思って、もう一度ため息を吐いた。

わたしが彼、影山飛雄と付き合い始めたのは大学三年生のとき。それからかれこれ4年。長く付き合ってるほうだと思う。最初の頃はよかった。わたしも飛雄も学生だったからそれなりに時間を合わせることができたし、ちょっとした不満や不安はすぐに言い合えた。だけど社会人になって、わたしは仕事の忙しさに時間の余裕をなくし、飛雄は実業団で活躍しているため、試合で日本各地を飛び回ったり合宿で長期間いなかったり。そうやって少しずつすれ違い始めて、何ヶ月も会えないことに我慢の限界が来て同棲までしたはずなのに。結局すれ違って、いつの頃からか飛雄に対して不満や不安も言えなくなってしまっていた。

結局、朝になっても飛雄は帰ってこなかった。昨日、夜遅くまで待っていて損をした気分だ。携帯を見ても連絡はなし。昨夜ははっちゃけた先輩にしこたま飲まされて、どうせまだ寝こけてるんだろう。こんなことは以前もあった。あの時も、帰ってこない飛雄を待ちぼうけていたのだ。

『鍋にカレーがあるので食べてください』

そう書置きだけ残して部屋を出る。たとえわたしがどんなに寝不足でも気分が下がっていようとも仕事には行かなきゃならない。それが大人なんだから、と言い聞かせる。いってきます、と小さく呟いた声は誰もいない部屋に虚しく響いた。



「今日みんなで飲みに行こうって言ってるんだけどどうかな?」

仲のいい同期が笑顔でそう声をかけてきた。一瞬迷ってから承諾する。いつものわたしだったら断っていただろう。だって今日は久しぶりに飛雄が家にいるのだから。でも、今日はまっすぐ家に帰る気になれなかった。まだ昨日のことを自分の中でうまく消化できてない。このまま帰ってもきっとモヤモヤしたものが残るだけ。だから少しでも長く、整理する時間がほしかった。

『今日友達と飲んでくるから』
『わかった。帰り何時頃だ?』

飛雄からの返信に落胆する。自分勝手はわかっているけど、帰ってこいって言ってほしかった。友達より俺を優先しろよって言ってほしかった。だってもう二週間も会ってない。なんだかわたしばっかりもやもやして、会いたくて、バカみたいだ。
結局、返信はしなかった。いつ帰るかわからなかったし、今日は帰りたくないとも思っていたから。もう飛雄なんて知らない。罪悪感を振り切るように携帯の電源を落とした。



「なまえちゃーん、最近彼氏とはどう?」

せっかく飲みに来たのにお酒を飲む気分になれなくて烏龍茶ばかり飲んでいる。はぁ、と本日何度目かのため息を吐いたところで話しかけてきたのはこの飲み会に誘ってくれた同期。お酒が入ってるからかいつもより顔が赤いしテンションも高い。そのテンションの高さに酔ってないわたしは思わず苦笑を漏らす。

「うーん、なんだろ。うまくいってない、わけじゃないと思う。けど最近、ぎくしゃくするっていうか、なんだか言いたいことも言えなくって・・・嫌になっちゃう」
「言いたいことはちゃんと言わないと伝わんないよ?なまえちゃんと彼氏ってけっこう長いんだよね?言わなくても伝わる関係ってあぐらかいてない?」
「それだったらどんなにいいんだか・・・あいつ鈍感だから言わないで伝わるなんてなさそう」

彼は昔よりだいぶマシになったとはいえ、いまだに空気を読むとか気を遣うとかそういうのが苦手だったりする。しかも口下手。自分の言いたいことを全部伝えないで中途半端に素直に伝えてくるもんだから昔はよくそれで喧嘩になった。そういえば、喧嘩をしなくなってどれくらいたつだろう。恋人同士なのだから喧嘩なんてしないほうがいいに決まってるのに、今の関係では喧嘩すらできないような気がする。
ぼんやりと物思いに耽っていると「なまえちゃん?」と声をかけられ、慌てて意識をそちらにむけると心配そうにこちらを見つめる目。

「悩んでることがあるならちゃんと本人に言わないとダメだよ。何にも言えない関係なんて自分が苦しくなるだけだし、相手だって何にも言ってもらえないのはきっと苦しいはずだよ」

そんなことわかっていた。わたしが何かを言おうとして、でも言えなくて口をつぐむたびに、飛雄の眉がぎゅうと寄ること。苦しそうな顔をする飛雄を見たくなくて顔を背けてしまうこと。わたしたちはいつからちゃんと話してないんだろう。いつからお互いに目を背けるようになってしまったんだろう。

「なまえちゃんはさ、彼のこと好きなんでしょ?」
「・・・うん」
「だったらちゃんと向き合わなきゃ」

諭すように優しく言われて、うん、と小さく返事をする。思い浮かべるのは飛雄のこと。バレーしてるときの真剣な顔、不機嫌そうに眉を寄せる顔、夕飯がカレーだと聞いて嬉しそうに口元を緩める姿。思い浮かべて、やっぱりどうしたってわたしは飛雄のことが好きだと思った。だから、一人の部屋で遅くまで飛雄の帰りを待っている。でも、飛雄はどうなんだろう。わたしのこと好き?まだ必要としてくれてる?わたしはこんなにも飛雄が好きで、必要としている。そう思ったら、飛雄に会いたいと思った。会って、ちゃんと話したいと思った。
「わたし、今日は帰るね!」そう言って立ち上がると、同期の子はにっこり笑って「ばいばい!また会社でね」と見送られる。

終電はとっくに出てしまったのでタクシーを捕まえて行き先を告げる。電車に比べるとかなり高額になってしまうけどしょうがない。そういえば、携帯の電源を切りっぱなしだったことに気がつく。飛雄にメールの返信をしていないからもしかしら心配してるかも、いや、飛雄のことだから心配なんてしてないかも。そう苦く笑って電源を入れると、普段ではありえない数の着信とメール。ぎょっとして見ると、それらすべてが飛雄からだった。

『返信ないけど大丈夫か?』
『今どこにいる?』
『無事か?』

一つ一つは短い文だけど、そのどれもがわたしを心配するメールばかり。飛雄はもうわたしのことに興味がないんだと思ってた。だけど、飛雄のわかりにくい愛情の欠片たちを見つけて、携帯の画面が涙で滲んだ。

タクシーを飛び出るように降り、一刻も早く部屋へと帰ろうと一歩踏み出したところでマンションの前に座り込んでいる人を見つけた。暗くて顔がわからないけど、男の人のようだ。もしかして不審者?少しだけ怯えながらもここを通らなければ家へと帰れないので恐る恐る近づいていく。すると、その男の人は足音に気づいたのかぱっと顔をあげた。そうして「なまえ?」とわたしの名を呼ぶ。近くでよく見ると、座り込んでいたのは飛雄だった。
驚いて、どうしてこんなとこいるの?と聞こうとして、そう聞く前に飛雄に強く強く抱きしめられた。

「このボケ・・・!」

いきなりそう怒鳴られてびくりと体が震える。何か言おうと思っても、ぎゅうぎゅうと抱きしめられているせいでうまく声が出せない。言葉を返せないでいると、飛雄が何かを押し殺すような声で話し始めた。

「心配しただろボケ!いっつも返信すぐ送ってくるくせに今日は返事が何もなくて、電話しても出ないし何かあったかと思っただろ!飲んでくるって言ってたから、もしかして酔っ払って事故ったのかとかいろいろ考えて、誰かに連絡しようと思ったけど、俺、お前の会社とか友達とかそういう連絡先全然知らねーって気づいて、どうしたらいいかわかんなくて、とりあえずここで待ってようって・・・そう、思って・・・」

無事でよかった、と呟いた飛雄の声が震えていて、胸がぎゅうと締め付けられた。わたしが勝手に腹を立てて、不貞腐れて、飛雄にすごく心配かけてしまっていたようだ。

「ごめん、ごめんね、飛雄」
「・・・おう」
「あのね、わたし寂しかった。飛雄のいない部屋で一人、帰ってこない飛雄を待つのが辛かった。帰れないならちゃんと連絡がほしい」
「・・・連絡しなくて、ほんとに悪かった」
「今度から気をつけてくれればそれでいい」
「わかった。今度からちゃんと連絡する」
「約束だよ?あと、わたしもごめんね。勝手に腹立てて、不貞腐れて、連絡しなかった」
「別に、無事に帰ってきたならそれでいい。だけど今度から、不満とか不安があるならちゃんと言え。俺は、空気読むとか、察するとか、そういうの得意じゃねぇ。ちゃんと言ってくんねぇとわかんねぇ」
「うん。今度からちゃんと言うね」

そう答えれば、飛雄はわたしの体をそっと離す。向かい合うと飛雄の目元が少しだけ赤くなっていることに気づいた。もう一度、ごめんね、と呟けば、もう謝んな、と不機嫌そうに口を尖らせる。飛雄の癖のようなその行動に少しだけ笑うと、飛雄も目元を緩ませる。そうして、絡めるように手を繋いで、二人の家へと戻る。



朝からカレーは重いと思ったけど、カレーを食べたいと言い張る飛雄のために準備する。どうせ温めるだけだし。そういえば、と一昨日用意した温玉ものせてあげれば飛雄の顔が嬉しそうに輝く。その様子がまるで幼い少年のようで、笑みがこぼれた。
いただきます、と向かいあってカレーを食べる。ガツガツと勢いよくカレーを食べる飛雄を見ながらスプーンですくって一口食べる。

「やっぱりカレーは3日目だよね。野菜が煮崩れしてるのがおいしい」
「あぁ、なまえのカレーはいつでもうまい」
「・・・ありがと」

そうやって素直に褒められると照れくさい。飛雄はお世辞を言わないタイプだとわかっているから余計に。ほんのり赤く染まった頬を見られたくなくてカレーへと視線を移す。

「一生、なまえのカレー食っていてぇな」

ぽつり、とそうこぼした飛雄に驚いて固まる。恐る恐る顔をあげると、目の前には相変わらずばくばくとカレーを食べ続ける飛雄。たぶん思ったことがそのまま口から出ただけで、自分がどんな爆弾発言をしたかまで気づいてないに違いない。いつだってそういうやつだもん。
でも、そうだね。昨日みたいにときどきうまくいかなくて、でも仲直りして、これから先なんてまだまだわからないけど、飛雄とならこういう毎日も悪くないって思ってる。だから。

「しょうがないから、これからも飛雄にカレー作ってあげる」

そう言って、わたしはとびっきりの笑顔で笑いかける。今日がきっと、人生で一番幸せな朝食だと思った。
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